위안부 추정수 20만명은 결코 이상하지 않습니다

미국하원 결의 등에 기재되어있는 위안부 문제에 대한 일반적인 이해는 역사학적으로 우선 타당한 것이지만, 혐한 바보들은 차별하기 위해 부정 할 수 있는 논리를 억지로 짜맞추어 지성과 담을 쌓은 사람들이기에 도아줄 방도가 없습니다.

자주 보는 20만명이라는 위안부 수는 후술하는 바와 같이 일반적인 추정치로서 별로 이상하지 않습니다.

 

kujirax 한국인은 전세계에 20만명이라고 주장하고 있는 것은 뉴저지와 뉴욕의 결의안을 봐도 명확하다. 이것이 6만명이라면 일본에서도 아군이 증가 할 것. 어설픈 숫자는 전체의 신빙성을 떨어뜨려 버린다. 2013/04/11
unaken 문제는 이 망언을 로비 활동을 통해 미국과 유럽에 확대하려고 하고 있는 점. 아우슈비츠와 같은 잔학 행위리거 선전하고 있으니 질이 나쁘다. 이 재료로 일본 제품의 배제와 한국 제품의 도입을 촉구하고 있다는 소문도 듣는다. 2013/04/11
yohata 미국육군의 조사보고 같은 게 있었나. 일단 브크마. 그리고 하테사 씨가 완전히 함구하고있는 것은, 그 녀석들은 사실 자체에는 무관심할 것일까? 2013/04/11
tanaka_yuuma 매춘부를 이용해서 일본한테서 돈을 뽑아내려는 진드기 국가. 전쟁으로 자멸 해 주었으면 한다. 2013/04/11
http://b.hatena.ne.jp/entry/alfalfalfa.com/archives/6444491.html

 


kujirax 씨와 같이 환심을 사기 위해 추정치를 하향 조정해야 할 필요는 없으며, unaken 씨가 들었다던 출처 불명의 수상한 소문 따위 들을 가치도 없으며, 90년대에서 밝혀져 있는 미군 자료조차 모르는 yohata 씨의 비방도 상대 할 필요도 없고, 증오를 흩 뿌리는 진드기와 같은 tanaka_yuuma 씨를 일일이 제거하여도 끝이 없으며, 뭐 이런 부정하기 위해서 부정하고 있는 사람들은 어쩔 수 없습니다.

 

일반적인 추정치

나도 몇 번 언급했고 다소 성실하게 조사하려고 마음 먹으면 쉽게 알 수있는 내용이지만, 위안부 수의 추정 방법과 수치를 재게해 둡니다.

 

도대체 얼마나 많은 여성들이 일본군의 위안소에 모였는지, 조선인 위안부의 비율은 어느 정도 였는지 얼마나 많은 사람들이 전장에서 돌아 오지 못했는지에 대해서는 지금도 확실한 답변을 얻을수 있는 조사는 불가능합니다.
우선 위안부의 총수를 알 수있는 총괄적인 자료는 존재하지 않습니다. 총수에 대한 다양한 의견은 모두 연구자의 추산입니다.
추산 방법은 일본군의 병력 총수를 잡고 위안부 1인당 병사 수의 매개 변수로 이를 나누어 위안부의 총수를 추정하는 방법이 있습니다. 이 경우 교체율 , 귀환에 의한 교대 정도가 고려됩니다.

 

연구자들의 추산

연구자발표한 해병사 총수매개 변수교체율위안부수
하타 이쿠히코(秦郁彦)  1993  300만명 병사50명중 1명  1.5    9만명 
요시미 요시아키(吉見義明) 1995  300만명 병사100명중 1명 1.5    4만5000명
(同)  -    -    병사30명중 1명  2    20만명  
蘇智良(Su Zhiliang) 1999  300만명 병사30명중 1명  3.5   36만명 
(同)  -    -    -       4    41만명  
하타 이쿠히코(秦郁彦)  1999  250만명 병사150명중 1명 1.5    2만명  

http://www.awf.or.jp/1/facts-07.html

http://d.h​​atena.ne.jp/scopedog/20120521/1337621423

 

 이것은 거시적인 관점에서의 추정치이기 때문에 정밀한 것은 아니지만 정확하다고는 말할 수 있습니다.

거시적인 추정의 다른 방법으로는 바바 마사히로 (馬場正博)씨의 방법이 있고 그것을 이용하면 다음과 같이 됩니다 * 1.

 

[1] 아시아 태평양 전쟁에 참가한 일본군 연수 (人年)
     개전시 50 만명, 종전시 500 만명으로 시간 비례로 증가했다고하면
      (50 + 500) × 8 년 ÷ 2 = 2000 만 (연수)

[2] 군인의 위안소 이용 횟수 (회 / 년)
      병사 월급을 20 엔, 급여의 3분의 1을 위안소 이용에 사용, 위안소 이용료 1.5 엔 / 회로 하면
     12 월 × 20 ​​엔 × (1/3) ÷ 1.5 = 53 회 / 년

[3] 아시아 태평양 전쟁 기간 동안 일본군의 위안소 이용 총 횟수
 [1] × [2] = 2000 만 × 53 = 10.6 억 (회)
[4] 위안부 1 인당 접객 횟수 (회 / 년)
     위안부 1 일 접객 수를 10 명, 작업 일 300 일 / 년 위안부 취업 연도를 2 년하면
  10 × 300 × 2 = 6000 회 / 사람
[5] 아시아 태평양 전쟁 기간 동안 일본군 상대로 접객 위안부 수
       [3] ÷ [4] = 10.6 억 ÷ 6000 = 17 만 6000 명


이 경우의 위안부 수의 추정치는 17.6만명으로 다른 연구자의 추정치와도 가까운 수치입니다.

 참고 : 추정 방법으로는 문제 없지만 ... - 누군가의 망상 · 글쎄 버전   이전의 보충 추정 방법 사용 - 누군가의 망상 · 글쎄 버전

 

일본 정부에 생각이 있다면 ...

적어도 1937년부터 1945년까지 일본 내지와 식민지 조선 · 대만에서 이송된 위안부의 연 인원 수를 외무부의 여행 기록에서 확인할 수 했습니다만, 이 기록은 대만에서 화남 방면으로의 도항기록 등 일부밖에 공개되지 않았습니다. 기록이 있어도 미공개인지 기록이 존재하지만 묻혀 찾을 수없는 것인지, 기록 자체가 파기되어 버렸는지, 그것조차도 모릅니다.

이 기록이 완전한 형태로 남아 있다면 위안부의 수는 상당히 정확하게 알 수 있습니다만, 지금도 관공서 깊은 어둠에 숨겨져 있을 뿐입니다.

중국이나 남방 점령지에서 전선 부대가 개설 한 위안소 등에서 현지 여성에게 매춘을 강요 한 경우는 도항기록 등의 외무성 관련 문서에 남지 않습니다. 그 경우에도 유곽의 주인(楼主)이 위안소를 관리 감독했던 부관부와 경리부 등에 보고한 내용과 군의관에 의한 성병 검사 기록 등은 군​​ 내부에 공문으로 존재했을 터입니다만, 이것도 완전히 남아 있지는 않습니다.

무엇보다, 그들이 완전한 형태로 남아 공개되었다 해도 종군위안부 피해자 수를 완전히 알 수는 없습니다.

 

통계에 남지 않는 피해자

화북 점령지의 예와 같은 고도분산배치 하에서 부대가 마음대로 현지 여성을 납치, 감금, 강간을 한 사건 등은 공문에 명확하게 남아있을 수 없습니다. 몇몇 부대에서 헌병도 없는 점령지에서 경비 지역의 마을에서 여성을 무력으로 강제 또는 촌장들을 협박해서 부대의 위안부로 한 사례, 부대장 등 간부 전용의 첩이 된 사례 등은 통계상의 숫자로 나올 수가 없습니다.

또한 간호사로 파견 된 여성이 사실상 위안부가 될 것을 강요당한 경우도 정규의 위안소가 아니기 때문에 공식 기록에 남지 않습니다.

더욱이 이동중인 부대가 중간 마을에서 강간을 했을 때 피해자나, 단기간 주둔 중에 반복해서 강간당한 피해자 등은 피해자 증언으로부터 추정 할 수 밖에 없습니다.

강간의 피해자는 위안부와는 별도로 봐야한다는 생각도 있겠지만, 그 구별은 그렇게 쉽지 않으며 현실적으로 그러한 구분에 큰 의미는 없을 것입니다.

종군 위안부 문제를 부인하고 있는 사람들 중에 일본군에 의한 강간 피해자에 대해서 정성을 다하는 듯한 사람을 적어도 나는 한번도 본 적이 없습니다.

 

* 1 : 그러나 바바 씨는 바탕이 되는 수치 중 위안소 이용 횟수를 년 4회로 과소 평가하고 있었기 때문에 방법을 바꾸지 않고 위안소 이용 횟수를 정정하고 계산했습니다.

 

[출처]  慰安婦推定数20万人は別におかしくありません - 誰かの妄想・はてな版

 

慰安婦合意、韓国の主権国家放棄宣言

 

プレシアン 朴インギュ編集委員  2016.1.1

 <分析>「朴槿恵政府、数十万女性の人権と尊厳を投げ捨てる」

   以下は、去る12月28日の慰安婦問題に関する韓日合意に対する、米国の活動家・作家・教員のK.J.Nohの批判である。

 彼女は、慰安婦問題とは、1932~1945年に日本帝国の体系的計画と組織によって実行された戦争犯罪であり、その被害者は数十万人に達すると指摘する。歴史学会の研究によると、そのうち40%は自殺を選び、生存者の比率は25%に過ぎない。ナチのホロコーストに比肩する残酷な性搾取の戦争犯罪だったということだ。しかし、慰安婦問題は、当事者たち沈黙の中で、1991年までその実像が世に知られることはなかった。その年、韓国の金学順ハルモニが、苦痛と羞恥をはねのけ、勇気をもって自身の過去を告白することによって、慰安婦問題は初めて世界の公論の場に登場した。

  それゆえに、慰安婦問題は、韓国政府が強弁するような韓国の生存者46名の慰安婦ハルモニだけの問題ではない。世界の数十万女性の生命と人権、尊厳と名誉がかかった問題だ。ところが、韓国政府は、今回の合意を通じて慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に」解決したと宣言することによって、日本の戦争犯罪を追及する道を完全に閉ざしてしまった。韓国の犠牲者が提起した世界の重大な人道的問題に、韓国政府は蓋をしてしまったのだ。

  筆者は、「人類の歴史上、強大国の政府が公式謝罪をしながら、事後の被害者による問題提起や批判を禁止した例はない。戦争犯罪と人道主義に反する犯罪には、いかなる制約も条件もあり得ない。これらの犯罪について沈黙を強要してもならない。ところが韓国政府は、まさにこのような前提条件に合意をした。このような全面的な降伏、これ以上の道徳および主権の放棄は、想像すらできない。このようなものが謝罪だとしたら-そして韓国がこれ以上の批判を提起できないとしたら-韓国は自ら主権国家であることを放棄したのだ」と指摘する。

 筆者は、韓国政府がこのように話にもならない政策をとった理由を、米国のアジア回帰政策に求める。米国は、力を増す中国を封鎖するために、韓国と日本の軍事・政治同盟が必要であり、この同盟を妨げる最大の障害物が慰安婦問題であったからだ。結局、米国は世界覇権の維持、日本は軍事化による過去の帝国の熱狂の再現、韓国は米国への盲従という狂気に引きずられ、数十万の女性の生命と人権、尊厳と名誉がかかった重大な人道的問題の根源的解決の道を塞いでしまったのだ。今回の慰安婦合意は、一言で言うと「狂気への回帰」というのが、彼女の結論である。

 この文章は、米国の進歩的メディアである<カウンターパンチ>12月31日付に掲載され、原文は以下で見ることができる。

http://www.counterpunch.org/2015/12/31/south-koreas-betrayal-of-the-comfort-women/

 

慰安婦犠牲者に対する韓国政府の背信  <外交的癒着>

 

 2015年12月28日、韓国と日本の外務長官は、突然、そして性急に、「慰安婦」問題の「解決」を宣言した。日本の総理大臣個人のお詫びとともに賠償のための基金を作るというものだった。

 日本の外相は、「『慰安婦』問題は、当時の軍の介入の下に数多くの女性の名誉と尊厳を深く傷つけた事件」であるという点を認める。また、生存している46名の慰安婦ハルモニを支援するための基金の立ち上げのために、10億円の出資を約束した。

 これについて、韓国の慰安婦ハルモニたちの運動団体は、今回の合意が「背信」であり「詐欺」であると強く反発している。あるハルモニは、会見の場で泣いた。野党の政治家たちは外交部長官の委任を要求した。駐韓日本大使館前では抗議のデモが行われた。

 日本の活動家の団体である「従軍慰安婦のための韓国協議会」は、今回の合意は「衝撃的」だとして、次のように語った(訳者注:これは、韓国の挺身隊問題対策協議会の尹美香常任代表のコメントだと思われる)。

  「今回の合意は、韓国にとっては屈辱的外交である…慰安婦ハルモニと韓国国民の願いを徹底的に裏切った外交的癒着に過ぎない…このことで(慰安婦問題に関する)去る25年の進展がすべて無駄になった」

  元慰安婦であり積極的な活動家である李容洙ハルモニもまた、今回の合意を非難した。「犠牲者をまったく考慮していない合意だ。私は全面的にこれを受け入れない」と糾弾した。

  慰安婦ハルモニたちは、どうしてまだ満足できないのだろうか?世界のメディアは(今回の合意を)称賛しており、米国務省はすぐさま歓迎し、広報に乗り出しているのに。表面的には、今回の合意は合理的なもののように見える。(日本が)謝罪の書簡とともに、慰労金または賠償金を提供するからだ。この問題は70年にもなり、何の合意もないよりも遅ればせながら合意することが良いのではないか。慰安婦ハルモニたちは、それ以上何を望んでいるのか?

  この問題を正しく理解しようとするなら、歴史をもう少し深く見てみる必要がある。

 歴史の真実が明らかになる

  いわゆる「慰安婦制度」というものは、1932年から1945年まで、大日本帝国の軍隊がアジア全域で-主に朝鮮、台湾など日本の植民地であった11の地域で-数十万人の女性を拉致および性奴隷に転落させた計画的かつ組織的な犯罪行為だった。この制度が始まって拡大していく過程で、初期には一部の職業的売春婦が動員されたこともある。しかし、すぐに女性に対する性搾取のための一種の産業システムとなり、膨大な規模になって、現代史上に類例のない大規模の性搾取へと発展した。「慰安婦制度」とは、(ナチの)ホロコーストによる大量虐殺に比肩する戦時の性搾取および虐待である。産業的規模の強姦工場、すなわち全面的かつ組織的で合理的な計算された(女性の)調達、監禁、拷問、虐待、性奴隷化、そしてテロが恣行されたのだ。

  戦争が終わった後、このような野蛮な歴史は、政策、政治、偏見の記録から完全に消された。歴史の記憶喪失を誘導するための陰謀だった。拷問と鞭打ち、(手足の)切断と連日の強姦―1日に最高50回まで―から生き残った慰安婦の女性たちのうち、一部は退却する日本軍の兵士に殺された。歴史学者は、日本軍慰安婦女性のうち生き残った率が25%程度だと推算する。戦場に投入された兵士、大西洋奴隷貿易によってアフリカからアメリカに連行された黒人奴隷の死亡率よりも高い。これは、「慰安婦」問題が20世紀史上最大の、認定されていない、さらには解決されていない虐殺行為であることを物語っている。 

 実際にどれほど多くの女性が拉致、徴発されたり、または騙されて、あるいはそのまま売られたのか、その数字を知る方法はない。報復を恐れた実行当局者たちがほとんどすべての記録を破棄したからだ。しかし、その数字は数十万に達するものと推算される。

  特に、慰安婦制度が日本政府によって体系的に計画、組織されて執行されたという事実には、疑問の余地がない。日本軍が占領したはるか彼方の植民地地域にまで連行するために、慰安婦の女性たちは、日本政府から旅券とビザを発給されていたからだ。慰安婦の女性は、日本の軍用艦船に乗せられて、日本軍の兵士の監視を受けて移動した。いわゆる「慰安所」は、日本軍の基地内、または近隣地域に設置され、おおむね日本軍当局が管理していた(一部は軍当局が民間業者に下請けをさせた)。また、軍医が女性を「点検」した。ある事例では、次のような生体実験に利用されることもあった。一人の女性が一日にどれだけ多くの強姦に耐えられるか?または、性病はどのように伝染し、どのように予防できるか?

  (第2次世界大戦当時)大日本帝国の会計指針によれば、慰安婦の女性は軍需品の一種として、使い捨ての「消耗品」として扱われた。ここにはまた、(慰安婦女性に対する)賃金の支給日、一般兵士と将校の慰安婦の使用日程などが記載されている。一部の人々は、慰安婦制度が民間のブローカーや事業家によって作られた自発的な「歓楽事業」だったと主張する。しかし、これらは、戦争当時の日本軍の調達システムがどのように運用されていたのかを見逃している。また、当時の日本政府がファシズム軍部独裁政権であり、物品の調達、分配、供給などの部門を政府が直接統制、管理していた統制経済であったという事実を無視している。米をはじめとするすべての生活物資、労働者、女性に至るまで、一定量を割り当てる政府の組織が発表すれば、植民地地域はこれに従わなければならなかった。

 去る70年間、日本政府は、(米国の支援と示唆を受けて)このような慰安婦制度の存在自体を否定してきた。生き残った少数の慰安婦女性は、(社会の)陰に隠れて、疾病と悪夢、言葉に表せない苦痛と羞恥を耐えねばならなかった。彼女たちのほとんどは、ひどい性的暴力によって不妊になり、ほとんどは自分の肉体がどうしてダメになってしまったのか、その秘密を墓場まで持って行った。そして1991年、たった一人の韓国人慰安婦女性が勇敢に名乗り出て、沈黙を破った。

 「一人の女性が生涯の秘密を話した時、どんなことが起きたのか?世界の隠された真実が明らかになる。」

 詩人のミュリエール・ルーカイザーはこのように言う。金学順ハルモニがまさにその女性だった。彼女が姿を現して自分の人生を語った時、韓日間の歴史の中の隠された秘密が満天下に晒された。金学順ハルモニは、他の慰安婦ハルモニに自身の話を打ち明けて勇気を与え、これら慰安婦ハルモニたちは、徐々に前面に出てきて、日本を批判し始めた。ハルモニたちの声は、半世紀の間抑圧されてきた恥辱の沈黙と憤怒のために震えていた。

 「天皇に、私のところへ来て跪いて許しを乞えと伝えてくれ。私は謝罪を望んでいる。私たち全員に。」

 ある慰安婦ハルモニはこのように言った。ハルモニたちの声が大きくなるほど、犯罪の証拠も積み上げられていった。しかし、日本政府は、責任を免れるために、のらりくらりとするばかりだった。しかし、時間が経つにつれて、否定による負担が認定による当惑よりも大きくなっていった。韓国の親日派が傍観する間に、韓国政府が積極的に前面に立ち、ついに1993年、日本政府が責任を認めた。いわゆる河野談話がそれである。曖昧で、形式的で、生ぬるい謝罪だった。それも、国家首班ではない官房長官名義であった。

偽の謝罪、真の謝罪

 河野談話は、日本の国会が発表したものでも、国会の批准を受けたものでもなかった。したがって、法的効力を持つ公式謝罪ではなかった。それにも関わらず、日本では、(日本の)責任の認定に向かう重要な第一歩だという点で歓迎された。ある意味では、河野談話は、慰安婦問題を前向きに論議していく適切なきっかけではあった。当時、日本政府は、民間の賠償基金(アジア女性基金)の創設を支援し、慰安婦被害者に伝達する寄付金を集めた。

 当然、慰安婦ハルモニのほとんどは、このような(非公式的で法的効力のない)謝罪と慰労金を拒否した。彼女たちは、依然として真の謝罪を望んでいる。特に、慰安婦ハルモニたちは、常識と理想に基づいて、次のような措置を求めている。

○1932~45年に大日本帝国の軍によって性奴隷化が計画、組織、執行されたという点を全面的に認めること

○日本の国会が公式で法的効力を持つ謝罪をすること

○すべての犠牲者に対して、法的で全面的な賠償をすること

○慰安婦の女性の犠牲を記録し、日本軍の性奴隷化の歴史を保存するための記念碑を設立すること

○戦争犯罪に対して責任ある犯罪者を起訴、処罰すること

 これらの要求のうち、どれも(以前の謝罪を含めて)今回の合意で充足されていない。まず、慰安婦制度が日本政府の公式の政策であったという点を認めていない。軍部が「介入」したという漠然とした言及だけがあるだけだ。(慰安婦女性の)「苦痛と受難」に対する包括的な遺憾の表明があったのみで、その苦痛の原因は特定されていなかった。反面、河野談話にあった「強制」という単語は消えている。言い換えれば、安倍政権がしつこく主張してきたように、慰安婦の女性は自発的な娼婦であったという点を、間接的に認めたものだ。さらに安倍政権は、雀の涙ほどの金額(10億円)を寄付することで、直接的かつ法的な賠償の義務を回避した。これから日本の公式謝罪(国会で批准される)はないようだ。戦争犯罪に対する調査、犯罪行為者に対する処罰、戦争犯罪に対する教育は、はるか彼方に行ってしまった。特に、日本は、今回の「謝罪」とともに、(今回の合意が最終的で不可逆的だという理由で)韓国がこの問題をこれ以上問題提起できなくした。これから永遠に、韓国は、この問題に関して日本を批判できなくなった。おそらく(駐韓日本大使館前の)少女像は撤去されるだろう。今や、慰安婦問題は、安倍総理と岸田外相がうんざりするほど叫んできたように、「不可逆的に解決」した。

 人類の歴史上、強大国の政府が公式謝罪をしながら、事後の被害者による問題提起や批判を禁止した例はない。戦争犯罪と人道主義に反する犯罪には、いかなる制約も条件もあり得ない。これらの犯罪について沈黙を強要してもならない。ところが韓国政府は、まさにこのような前提条件に合意をした。このような全面的な降伏、これ以上の道徳および主権の放棄は、想像すらできない。このようなものが謝罪だとしたら-そして韓国がこれ以上の批判を提起できないとしたら-韓国は自ら主権国家であることを放棄したのだ。

 いったい、韓国政府は、なぜこのような話にもならない謝罪を受け入れなければならなかったのか?

狂気への回帰

 天動説を信じる限り、地球など惑星の軌道を正確に予測することはできない。太陽が太陽系の中心であるという点を認めなければ地球の動きを知ることができないように、「米国という太陽」の重力を認めなければ、韓国政治の不合理で退行的な行動を理解することはできない。このような点を念頭に置けば、次のような韓国政府の不合理で自己敗北的な行動の原理を理解できる。自虐的な貿易協定、自己破壊的な経済政策、そして環境、市民社会、経済の膨大な犠牲を払った軍事基地の建設など。今回の慰安婦に関する韓日の合意は、まさにこのような狂った政策の当然の帰結だった。

 去る10年間、米国は、アジア太平洋地域への回帰を準備してきた。去る150年間の米国は、いつでも太平洋を自分の独占的勢力圏(American Lake)として、太平洋周辺諸国を属国とみなしてきた。1882年の朝米相互通商条約の米国側代表であるシューフェルト提督は、次のような華麗で性差別的な問題文体で、米国の優位に対する確信を明らかにしている。

 「米国は新郎であり、中国、日本、朝鮮は新婦である…われわれ米国人は、『新郎が太平洋を渡ってこれら新婦のところにやって来たゆえ、今後いかなる商業的ライバルや軍事的競争者も、われわれの許しなしには太平洋を意のままに行き来できないことを明らかにする…東洋と西洋が太平洋で一つになることで、帝国に向かう(米国の)挑戦は終着駅に到着し、人類の力は絶頂に達する。』

 現代地政学の父であり英国の地理学者であるハルフォード・マッキンダー(米国のアルフレッド・セイヤ―・メーハンとともに)も、これと同様に、ユーラシア大陸を「中心地域(heartland)」「主軸国家(pivot state)」または「世界島(world island)の中心」と呼んだ。

 マッキンダーとメーハンの理論は、世界情勢を「大陸勢力」対「海洋勢力」の角逐と理解する。二人とも、世界を支配するためにはユーラシア大陸の中心を掌握しなければならない、と信じている。

 マッキンダーの表現を借りれば、「中心地域を支配する者が世界島を支配し、世界島を支配する者が世界全体を支配する」のだ。

 米国政府、学界、シンクタンク、そして軍部内の国際関係および地戦略的(geo-strategic)思想家たちは全員、自分が認めるか認めないかに関わらず、マッキンダーの息子である。アジアで中国が勃興する時点、マッキンダーの亡霊に憑りつかれて21世紀の米国の単一覇権の維持を夢見る米国の地戦略思想家たちは-ヒラリー・クリントンは彼らの代弁人だ-、迫り来る地政学的変化を感知して、その対策として「アジアへの回帰」を提出した。ヒラリーが2011年に<フォーリーン・アフェアーズ>に寄稿した「米国の太平洋世紀」がそれである。世界島の主軸国家(中国)に回帰しようというものだ。ヒラリーは次のように言う。

 「世界政治の未来は、アジアで決定されるだろう…米国はまさにその中心にいる…したがって、次の10年間、米国政治の最も重要な課題は、アジア太平洋地域に対する実質的な投資を-外交、経済、戦略、その他諸々-増大させ、米国の国益を確保することである…今や、アジア太平洋地域は、世界政治の舵取り役となった…アジア太平洋地域への戦略的旋回は、米国の世界的指導力を確保・維持するためのグローバルな努力が追求される、当然の目標である」

 アジアへの回帰が現実的に意味するところは、米国の軍事力の60%をこの地域に配置しているということだ。中国の地域的影響力を遮断するための措置である。このために米国は、中国周辺の米軍基地を首飾り型に配置している。公海戦などの攻撃的な軍事テキストを採択して、(中国を除く)アジア諸国との二国間、あるいは多国間の軍事協力および合同軍事訓練を実施しており、先端武器の搬入など、アジア地域全体を再軍事化させている。米国はまた、「航海の自由」「合同軍事訓練」などを口実に、(中国の海上輸送路の中心である)南シナ海で、中国に対して敵対的で好戦的かつ挑発的な軍事的緊張を作り出している。のみならず、マスコミを動員して、中国を限りなく悪魔化するやり方で情報および文化戦争を仕掛けている。(南シナ海の領土紛争に関連して)フィリピンを前面に出して中国を国連海洋法協約(UNCLOS)に提訴させた法律戦争、中国に対する封鎖と孤立、さらにはTPPという通商協定を通じた中国との経済戦争も展開している。

隷属の渦

 アジア回帰の中心は、韓国と日本の軍事・政治同盟を通じて中国に挑戦し、中国を封鎖したり脅迫して、必要とあれば打倒することだ。このような米国の作戦が成功を収めるためには、日本は「不沈空母」、韓国は「橋頭保」または「前進ルート」とならなければならない。万一、中国と全面戦になれば、韓国のすべての兵士と装備、軍事基地は、米軍司令官に指揮されることになる。一方、日本は、最近、平和憲法を無力化させ、世界のどこでも米国を助けて攻撃的な軍事作戦を展開できるように、日米軍事協定を改定した。韓国と日本の間の情報共有協定、そして両国のミサイル防御システムの相互運用性の確保もまた、(中国に対する)攻撃的前進戦略の一部だ。ところが、最近まで「慰安婦」問題をめぐる韓日の対立が、両国の効率的な軍事協力を妨げる障害物だった。米国の二つの核心的なパートナーが互いに対話もしない関係だと、アジアへの効果な回帰は期待できない。今やその障害物が消えたことで、「アジア回帰」は計画通りに進行するだろう。

 (就任後、対話を拒否してきた)韓日両国の指導者が初めて対話をしたのは、2014年3月だった。まさにオバマ大統領が斡旋した席だった。家長である米国が、仲の悪い兄弟に和解せよと命令したのだ。今回の慰安婦合意は、その命令の最終的な結果だった。二人の兄弟は家長の言葉を聞いて、経済、軍事などすべての分野での協力を妨げていた障害物を除去したのだ。その間、米国務省は、韓日の和解のために、公開・非公開で多くの努力をしてきた。時には両国をたしなめもし、時には失敗もした。いずれにせよ、米国はその望みを達成した。しかし、下手をすると、今回の成功を後退させることになるかも知れない。

 自国の便宜と地政学的な国益だけを追求すれば、決して文明化された政策を立てることはできない。同様に、歴史的な記憶喪失と道徳的破綻、そして強大国に対する一方的隷属は、災厄へと進む近道だ。韓国の現代史は、今回の合意が、50年前の対米隷属である朴正煕政権が推し進めた韓日協定の延長であることを物語っている。韓日の国交を正常化した1965年の協定は、不平等かつ非民主的で、大多数の国民の支持を得られなかった合意だった。この協定は、流血とテロの中で辛うじて維持されていた。

 軍事独裁者の朴正煕は、日本の関東軍に服務した親日分子だった。1965年当時も、今と同様に、中国に対する恐怖と嫌悪が米国のアジア政策を支配していた。米国務省の政策企画委員会のウォルト・ロストーは、韓国に圧力をかけて日本と国交を回復させた。近代化論の信奉者だった彼は、自身の著書の<経済発展段階論:非共産主義者宣言>に出てくるように、韓国と日本、そして他のアジア諸国の間に、強力かつ協力的で相互結合した資本主義ブロックを形成することによって、アジア地域に勃興する共産主義に対抗する要塞にしようとした。共産主義イデオロギーの拡散に抵抗する権威主義的な民族主義者は、誰であっても米国の支援を受けた。これらの国々は、ロストーの理論によれば、輸出志向的産業化に力を注ぐことで、「経済の跳躍(take off)」を成し遂げ、資本主義の優越性を証明しようとした。これを通じて、社会主義、輸出代替産業化、自主的経済を指向した(第3世界の)独立運動の挑戦を退けようとした。

 安倍現総理の外祖父である岸信介は、日帝時代の商工相を務め、朴正煕の助言者でもあった。韓日基本条約の締結を支援するために駆り出された岸は、自分の過去の部下であった朴正煕を説得して、1965年6月に韓日国交正常化を成就させた。その協定は、韓国側のすべての賠償要求を否定していた。韓国国民の抗議と憤怒が爆発し、朴正煕は戒厳令でもって対応した。韓日基本条約を通過させるために、数多くの人々が拘束され、拷問された。今、彼の娘が、またもまったく同じように、暗鬱な歴史に直面することになるだろう。

 一方、安倍政権は、凶悪なやり方で慰安婦問題を迂回した後、軍国主義に向かって突っ走っている。若干の見かけの変化を除いては、日本が放棄したものはほとんどない。謝罪すらもなかったし、メンツを潰されてもいない。むしろ、河野談話にある謝罪の表現を若干後退させた。その対価として日本は、ついに韓国政府を沈黙させ、これによって将来的に韓国国民をも沈黙させるだろう。今や日本は、ファシズムの復活と軍事化のためのすべての準備を整えた。去る半世紀、日本を支配してきた平和憲法も無力化させた。安倍は、過去の大日本帝国の復活を夢見る極右的、民族主義的、軍国主義的イデオロギーを信奉している。5億ドルの予算をかけて日本の歴史の汚点を除去しようとしている。また、日本の政治家と外交官は、過去と現在、未来の大日本帝国の栄光という夢に挑戦状を突きつける人は、誰であっても脅迫し、袋叩きにする。

 アジア回帰の成否に関係なく、米国が日本の軍国主義というパンドラの箱を開けたことは、痛恨の極みである。中国との戦争の危機の高まりは、どのような謝罪も役に立たない狂気の現れであるからだ。しかし、歴史は私たちに、想像できないことが実際に起きたとしても、決して驚くなと言う。慰安婦問題がまさにそうではないか。

 

朴インギュ:ソウル大学を卒業後、京郷新聞でワシントン特派員、国際部次長を経て、2001年にプレシアンを創刊。編集局長を経て2003年に代表理事に就任し、2013年にプレシアンが協同組合に転換すると理事長になった。南北関係および国際情勢に関する専門知識をもとに連載を続けている。

 

 

‘어리석은 약속’을 전제로 해서는 안 된다: 일본군 ‘위안부’ 문제 해결 전국행동 성명에 부쳐

 일본군 ‘위안부’ 문제에 관한 일본의 책임 추궁을 어떻게 해야 할까. 현시점에서 굳이 나누자면, 작년 12월 28일의 한일 외무장관 3항목 ‘합의’에 직면하여 크게 두 가지 노선이 나타났다고 할 수 있다. 첫 번째는 ‘합의’를 전제로 ‘책임’의 구체화를 일본정부에 요구하는 노선, 두 번째는 ‘합의’를 전제로 하지 않고 그것의 파기와 무효화도 시야에 넣어 일본정부에 법적 책임의 승인을 요구하는 노선이다. 첫 번째 노선은 주로 일본의 언론인이나 피해자 지원 단체에 보이고, 두 번째 노선은 피해 당사자들이나 정대협이 제시한 것이라고 할 수 있다.

 첫 번째 노선의 특징은, 반복하지만, ‘합의’를 전제로 하는 것이다. 이 노선을 대표하는 와다 하루키의 견해를 인용한다.

  

일본정부가 사죄의 의미를 담아 10억 엔의 공금을 지출하여 재단이 만들어지는 것은 전진이라고 할 수 있다. 문제는 일본의 사회가 위안부들의 마음에 닿아 납득하며 받아들이게 할 수 있는가의 여부이다. 나는 1990년대부터 문제 해결에 임해 왔지만, 위안부의 약 3분의 2가 위로금 수취를 거부했다. 위안부들은 이번 기시다 외무장관의 기자회견에서는 일본 측의 사죄의 태도를 읽어낼 수 없었던 것은 아닐까. 앞으로 아베 수상이 사죄의 마음을 알기 쉽게 표현하지 않으면, 그녀들에게까지 마음이 전달되지 않을 가능성이 있다. 고령으로 입원한 사람들도 있고, 돈이 아니라 인생을 망친 것에 대한 사죄를 요구하고 있다. 한국에서 활동하는 지원단체가 어떻게 반응할지, 한국의 여론이 어떻게 움직일지 예측을 할 수 없으며, 문제가 수습될지의 여부는 현 단계에서는 알 수 없다.

 즉, ‘합의’를 ‘전진’으로 평가하고 앞으로의 ‘해결’의 대전제로 삼으면서도 일본 측의 “사죄의 태도”가 피해자들에게 이해받지 못했다, “마음”을 전하는 노력을 해야 한다는 것이 와다의 주장이다. 이 입장에서 보면, 남겨진 문제는 일본 측의 “사죄의 마음”의 표시, 그리고 피해 당사자들의 수취 방법이 된다. 이러한 와다의 입장은 일본정부를 보완하는 것이라고 할 수 있다.

 하지만 나는 이러한 첫 번째 노선은 ‘합의’에 대한 과대평가에 입각해 있어 받아들여서는 안 된다고 생각한다. 두 노선은 얼핏 유사한 것처럼 보이지만, 3항목 ‘합의’ 후의 운동, 특히 한국에서의 피해 당사자들과 그 지원자의 투쟁을 생각할 때 간과할 수 없는 차이가 있다고 생각한다. 그리고 이 노선은 이번 ‘합의’를 추진한 와다 하루키 이외에도 특히 일본의 지원 단체에 보이는 입장이다. 아래에 한일 외무장관 회담에 대한 일본군 ‘위안부’ 문제 해결 전국행동의 성명 「피해자 부재의 ‘타결’은 ‘해결’이 아니다」(이하, 전국행동 성명)을 통해 그 이유를 제시하고자 한다.

 첫 번째 문제는 일본 측 성명에 있는 ‘책임’의 해석이다. 전국행동 성명은 일본정부의 책임에 대해 다음과 같이 지적한다.

 

2. 일본정부는 이제 국가의 책임을 인정했다. 아베 정권이 이것을 인정한 것은 4반세기 동안이나 굴하지 않고 싸워 온 일본군 ‘위안부’ 피해자와 시민운동이 거둔 성과이다. 그러나 책임을 인정하기 위해서는 어떠한 사실을 인정하고 있는가가 중요하다. 그것은 즉 「제언」에 제시한 ①군이 ‘위안소’ 제도를 입안, 설치, 관린, 통제한 주체라는 것, ②여성들이 의사에 반하여 ‘위안부’가 되어 위안소에서 강제적인 상황에 놓였다는 것, ③당시의 국제법, 국내법을 위반한 중대한 인권침해였다는 것을 인정하지 않으면 안 된다는 것이다. ‘군의 관여’를 인정하는 것에 머문 이번 발표로는 피해자를 납득시키지는 못할 것이다.

 과연 이번 일본 측 성명은 “국가의 책임을 인정했다”고 평가할 수 있는 것일까. 전국행동 성명이 문제로 삼은 것은 이번 ‘합의’ 중에 기시다 외무장관 발표 (가)“위안부 문제는 당시의 군의 관여 하에 다수의 여성의 명예와 존엄을 깊이 상처 입힌 문제로 이러한 관점에서 일본정부는 책임을 통감하고 있다”이다. 하지만 이미 많은 지적이 있는 것처럼, 일본 측 성명의 문언은 고노 담화를 계승한 것이다. 고노 담화에 ‘책임’이라는 말은 없지만, 이번 일본 측 성명의 문언은 일본군 ‘위안부’ 제도가 일본에 의한 전쟁범죄라는 것을 인정한 후의 법적 책임을 의미하지 않는다.

  이 문제를 생각할 때 이번 일본 측 성명의 ‘책임’의 의미를 이해하는 데에 도움이 되는 것은 『세계(世界)』 2016년 1월호에 게재된 와다 하루키의 논문 「제기되는 위안부 문제 해결안: 한일 정상회담 이후를 전망한다(問われる慰安婦問題解決案: 日韓首脳会談以後を展望する)」이다. 와다는 “법적 책임”을 둘러싼 대립에 대해 다음과 같이 제안했다.

 

제1조건(박근혜 대통령이 제시한 “피해자가 받아들이고 한국 국민이 납득할 수 있는” 안이라는 조건: 인용자 주)은 바로 문제의 핵심이다. 이것에 대해 일본정부가 제시하고 있는 조건은 세 가지라고 생각된다. 첫 번째는 한일조약 시의 협정으로 청구권 문제는 ‘해결 완료’가 되었으므로, 법적 책임이라는 논리를 사용할 수는 없다는 것이다. 그렇다면 ‘법적’인 조치를 취한다고 말하지 않으면 되는 것이다.(238쪽)

 외무성이 와다의 제안을 받아들여 “책임을 통감”이라는 문언을 채용했는지 여부는 알 수 없다. 다만 이미 와다 논문이 소개하는 것처럼, 2012년에는 한일 양 정부 사이에서 종래의 “도의적 책임을 통감”이라는 문언을 피하고 “책임을 통감”으로 하는 사죄문을 작성할 것에 ‘합의’했다. 와다 논문이 2012년의 ‘합의’를 외무성에 상기시킬 목적으로 쓰인 것은 명백하다. ‘법적 책임’으로도 ‘도의적 책임’으로도 명기하지 않은 “책임을 통감”이라는 표현을 채용함으로써 한일 양쪽이 국내용으로 자신들한테 편한 설명을 할 수 있는 문서를 작성한 것이다.

  확실한 것은 “책임을 통감”이라는 문언에는 일본정부가 법적 책임을 인정했다는 함의는 없다는 것이다. 오히려 법적 책임의 인정을 회피하기 위해서 삽입된 문언으로 해석하는 것이 타당하다. 이 점에서 1995년의 국민기금 이후의 일본정부의 입장은 본질적으로는 바뀌지 않았다고 생각해야 할 것이다.

 이렇게 보았을 때, 전국행동 성명의 “일본정부는 이제 국가의 책임을 인정했다”는 평가는 피해 당사자나 지원 단체의 운동의 성과를 평가하는 문맥에서 사용된 것임을 감안하더라도, 일본 측 성명에서의 ‘책임’이라는 말이 가지는 그야말로 책임회피적인 문맥을 간과한 것이라고 하지 않을 수 없다. 확실히 일본정부의 사실 인정은 완전히 애매하다는 것은 틀림없다. 그리고 그것은 ‘책임’이라는 애매한 말을 사용한 필연적 귀결인 것이다. 일본정부가 10억 엔을 ‘배상’이 아니라고 명언하는 것은 당연하다면 당연한 것이다. 

 동일한 문제는 ‘여성들의 전쟁과 평화자료관’(wam)의 「한일 외무장관의 정치적 타결에 대한 wam의 제언」에도 해당된다. 「제언」은 “최종적이자 불가역적으로 합의”를 “어리석은 약속”이라고 평하고 있음에도 불구하고, “정치적 ‘타결’을 피해자가 수용 가능한 ‘해결’로 잇는 길을 시간이 걸려도 신중히 찾아 가고자 한다”고 하며, ‘합의’를 전제로 한 ‘해결’이라는 노선에 서 버렸다. 그리고 “일본정부는 책임에 ‘도의적’이라는 한정을 다는 보도에 반박하여 그 이상도 그 이하도 아닌 ‘책임’을 통감하고 있음을 계속해서 표명하지 않으면 안 된다”고 제언을 한다.

 하지만 문제는 ‘도의적’을 붙일지 여부가 아니다. ‘책임’이라는 말은 위의 와다 논문에서 명확히 지적하듯이 손때 묻은 ‘도의적 책임’을 사용함으로써 발생하는 반발을 회피하기 위해 만들어진 용어인 것이다. ‘책임’이라는 말의 불명료함을 간파하고 ‘합의’의 전제 그 자체를 되묻는 작업이야말로 필요하지 않을까.

 ‘책임’에 관한 이러한 과대평가와 밀접하게 관련된 전국행동 성명의 두 번째 문제가 아래의 제6항이다.

 

6. 일본정부는 피해자 부재의 정부간 타결로는 문제가 해결되지 않음을 인식하고 아래와 같은 조치를 취하지 않으면 안 된다.

①총리대신의 사죄와 반성은 외무장관이 대독, 혹은 대통령에게 전화로 사죄하는 식의 형태가 아니라, 피해자가 사죄라고 받아들일 수 있는 헝태로 다시 수상 자신이 공식적으로 표명할 것.

②일본국의 책임이나 고노 담화에서 인정한 사실에 반하는 발언을 공인이 했을 경우, 이것에 단호히 반박하고, 헤이트스피치에 대해서도 단호한 태도를 취할 것.

③명예와 존엄의 회복, 마음의 상처를 치유하기 위한 사업에는 피해자가 무엇보다 요구하고 있는 일본정부 보유 자료의 전면 공개, 국내외에서의 추가 자료조사, 국내외의 피해자 및 관계자에 대한 의견 청취를 포함한 진상규명 및 의무교육과정 교과서의 기술을 포함한 학교 및 일반에서의 교육을 포함할 것.

④아시아・태평양 각지의 피해자에 대해서도 국가의 책임을 인정하고 동일한 조치를 취할 것. 

 내가 전국행동 성명을 첫 번째 노선, 즉 ‘합의’를 전제로 ‘책임’의 구체화를 일본정부에 요구하는 노선이라고 생각하는 것은 이 제6항 때문이다. 과연 문제는 수상이 사죄하는 형식의 문제일까. 외무장관에게 대독시킨 것은 확실히 파렴치하다. 하지만 그것은 이번 ‘합의’의 본질을 오히려 일본정부가 솔선해서 보여준 행위가 아닐까. 아베가 와서 무릎을 꿇더라도, 이번 ‘합의’의 기만성은 변함이 없다. 오히려 ‘합의’를 전제로 한다면, 아베의 파렴치한 행동 때문에 명확해진 본질을 호도하는 것이 되기 쉽다. 이러한 행동의 요구는 ‘합의’의 철회와 한 쌍이 되지 않으면 의미가 없다. 

  ‘합의’를 전제로 하는 것은 소녀상을 철거하고 재단을 만들어 10언 엔을 수취하는 것을 의미한다. “이번 발표에 의해 이 문제가 최종적이자 불가역적으로 해결되는 것을 확인한다”는 것이 발표되어 있다. 「wam의 제안」이 언급한 대로 이것은 ‘어리석은 약속’이다. 그리고 ‘어리석은 약속’이라면, 이것을 전제로 해서는 안 된다. ‘합의’를 전제로 해서 어떠한 의무를 일본정부에 과할 수 있을까. 유감스럽게도 일본의 시민운동에 그러한 힘은 없으며, 애초에 ‘합의’의 논리적 귀결로서 그러한 것은 불가능하다. 더욱이 ④에 이르면 이번과 같은 법적 책임 회피의 ‘책임’론을 다른 아시아 국가들의 피해자에게도 적용하는 것으로 이어지게 될 것이다. 「wam의 제언」도 완전히 동일한 문제를 안고 있다.

 최대의 문제는 이러한 일본 측 지원 단체의 ‘합의’를 전제로 한 성명들이 현재 ‘합의’를 전제로 하지 않고 그 파기를 염두에 두고 소녀상 앞에서 싸우고자 하는 피해 당사자나 정대협을 비롯한 한국 사람들의 운동, 즉 두 번째 노선에게 커다란 제약이 될 가능성이 높다는 점에 있다. 성명의 ‘합의’를 전제로 하는 입장은 극히 혼란한 한국의 정치상황 속에서 보다 보편적인 시야에 서서 원칙적인 저항을 시도하고 있는 사람들을 한국 내의 운동으로 고립시키기 쉽다. 이 성명들은 이러한 의미에서 그저 불충분하다기보다 피해 당사자나 정대협의 운동의 장애가 될 수도 있는 것이다.

 “정부의 잘못된 졸속 합의를 수용하지 못하면 정부로서도 피해자들이 살아있을 때 더 이상 어떻게 해 볼 여지가 없게 될 것이라는 말은 설득이 아닌 협박에 가깝게 들린다”는 정대협의 논평 구절은 직접적으로는 박근혜 대통령을 대상으로 한 것이지만, 일본인들에게도 향해 있다는 것을 잊어서는 안 된다. 일본의 매스 미디어가 반복하는 ‘대화’는 여기에서 말하는 ‘협박’이다. ‘합의’를 전제로 하는 것은 이러한 ‘협박’의 대열에 가담하는 것이 될 수 있다. 만약에 정대협이 첫 번째 노선을 취하게 된다면 아무리 한일 양 정부에 대해 비판적이었다고 해도 피해 당사자를 납득시키는 역할을 떠맡는 것, 즉 ‘합의’의 노선을 보완하는 역할을 떠맡게 된다. 당사자들의 운동에 지원운동이 제약을 가한다는 것은 절대로 있어서는 안 되지 않을까.

  지원 운동에 아무런 공헌도 한 적 없는 내가 이렇게 쓰는 것이 외람된 일임은 알고 있다. 하지만 그것을 알면서도 아래에 두 가지를 요구하고자 한다.

  첫 번째는 ‘전국행동’ 및 wam은 이 성명과 제언을 재검토하여 ‘합의’를 전제로 한 부분을 철회해야 한다. 재검토한 후에 만약에 새로운 제언을 낸다면, 정대협 등의 한국 지원 단체와 협의 후에 명확히 ‘합의’를 거절한 후에 일본정부의 전쟁범죄 책임추궁을 위한 제언을 내야 할 것이다. 이것은 지금 제출된 피해 당사자나 지원 단체의 요구를 저애하지 않기 위해 최소한 필요한 행동이라고 생각한다.

  두 번째는 “피해 당사자가 받아들일 수 있는 해결”이라는 말을 대신하는 목표를 내거는 것이다. 물론 피해 당사자를 무시하라고 말하는 것이 아니다. 오히려 ‘피해 당사자’를 내세우는 것이 현재로서는 역으로 당사자들을 곤경에 빠뜨리기 쉬운 구도가 생긴 것을 우려해서이다. 한일 양 정부의 정치적 ‘합의’가 이루어진 지금, ‘피해 당사자가 받아들일 수 있는 해결’이라는 말 아래 한일 양 정부의 공략(일본의 매스 미디어가 ‘대화’라고 부르는 것)의 화살이 개개의 피해 당사자를 향하는 것은 필연적이다. 박유하가 하려고 하다가 실패한 것-당사자와 지원 단체의 분단-을, 이번에는 한국정부가 하려고 할 것이다. 일본과 한국이라는 두 국가에 대해 이 레토릭은 피해 당사자들을 정면에 세우는 역효과를 내고 만다.

  필요한 것은 어떠한 말일까. 이 국면에서 제기되어 있는 것은 피해 당사자뿐만 아니라 ‘우리들’ 특히 일본에 있는 사람들이 일본군 ‘위안부’ 제도를 보편적인 규범에 입각하여 스스로의 문제로 받아들여 어떠한 책임을 일본에 추궁해야 할지가 아닐까. “피해 당사자가 받아들일 수 있는 해결”이라는 말은 피해 당사자나 정대협의 극히 원칙적인 자세에 뒷받침되어 있기 때문에 일본의 전쟁범죄의 책임을 추궁하는 것과 동의일 수 있었다. 하지만 한발 더 나아가 일본인들이 스스로의 말로 일본군 ‘위안부’ 제도는 전쟁범죄이고 일본은 ‘불가역적’으로 그 책임을 인정하라고 주장하는 것이 다름 아닌 지금 요구되고 있다고 나는 생각한다. 이것은 극히 긴급한 과제이다.

  이번 ‘합의’는 국민기금 실패의 ‘교훈’을 표면적으로만 배워 “피해 당사자가 받아들일 수 있는 해결”이라는 말을 역으로 취해 새로운 매직 워드(‘책임’)로 본질적인 대립을 은폐하려고 한 것으로, 말하자면 ‘아베 신조=와다 하루키 노선’의 귀결이라고 생각한다. ‘아베 신조=와다 하루키 노선’의 ‘어리석은 약속’을 전제로 하지 않고 원점으로 돌아가는 것이 요구되고 있지 않을까.

 

(정영환)

 

원문: 「愚かな約束」を前提にすべきではない――日本軍「慰安婦」問題解決全国行動声明に寄せて

韓日「慰安婦」合意に対する(韓国)人文学協同組合の声明

日本軍性奴隷被害者の人権を朴槿恵のファッション外交が踏みにじった
―韓日「慰安婦」合意に対する(韓国)人文学協同組合の声明―

 

 12月28日、韓日両国政府が合意した「慰安婦問題解決方案」を直ちに廃棄せよ。被害者が同意しない合意は合法的な手続きを取り繕った不法なのだ。国会の承認が必要な公式合意文書さえ作らなかった拙速な野合をもって実効性を主張するのは国民相手に詐欺を働くことにほかならない。

 

 日本軍性奴隷被害者問題の解決の核心は、日本政府が「強制連行」と「法的責任」を認めるか否かにかかっている。また歴史的事実に基づいた真の謝罪と正当な賠償にある。今回の共同声明は、どこにも以上の内容は盛り込まれていない。少女像の撤去を交渉のカードとして受け入れた朴槿恵政府のあきれた外交は安倍政府と言論プレイに弄ばれる口実を与えてしまい、人権問題で最終的かつ不可逆的な解決を取り引きした非常識な行いは、厳重なる国民的な抵抗に直面することになろう。

 

 必要に応じてあきらめてもかまわず、いく文にもならない金銭で売り飛ばしてもいい人権などない。にもかかわらず、韓米日政府は日本軍性奴隷被害者の問題を取り引きの対象にしてしまった。安値で人権と女性の戦争被害を捨ててしまった三国の政府の非倫理性は歴史の審判台に立たされるだろう。

 

 安倍政府は外交の基本も知らない相手に圧勝しせせら笑っているが、アジアを破局に追いこんだ歴史の罪を償うことになるだろう。朴槿恵政府の貧しい人権意識と歴史認識はアジア民主主義の歴史における恥かしい汚名である。無能で無責任な自分たちの醜態を省みる能力が少しでもあるのか疑わしい。狡賢い日本政府と白痴に近い韓国政府を操って最悪の外交惨事に至らしめた舞台裏の仲裁者はアメリカ政府であった。彼らが企てるアジア覇権戦略は平和ではなく不幸な歴史の繰り返しをもたらすだろう。今回の事態により韓米日三国政府は日本軍性奴隷被害者の人権を踏みにじった共犯になった。

 

 朴槿恵政府はやってはいけないことをやってしまった。やるべきことをやってこなかった過去の罪に決して劣らない失政といえよう。絶えず疑われ否定され続けてきたこの政権の正当性は今回の事態で再び破綻した。朴槿恵大統領は恥辱的な韓日合意に対し国民の前にひざまずいて謝罪しなければならない。大韓民国の大統領とは強大国の利益ではなく国民の尊厳を守らなければならない席である。それを果たす能力がなければ自分の分に応じた道を選ぶべきであろう。

 

 日本からはたったの一銭も受け取ってはならない。韓国にはすでに屈辱的な韓日協定の経験がある。1965年、韓日会談に対する強い反対の声を押し切って、朴正煕は3億ドルをもらい日本軍性奴隷被害者及びすべての植民地支配被害者の請求権問題を一方的に終わらせてしまった。「被害者の同意」がなかった点、「最終的な解決」を合意した点、合意文書に対する両国の恣意的な解釈が蔓延ってしまった点などにおいて、当時と今はとても似ている。日本政府は1965年請求権交渉を根拠に現在も法的責任を回避している。日本軍性奴隷問題に「最終的かつ不可逆的な解決」などはありえない。国家暴力と戦争犯罪に犠牲になった人々の生と人権をいくらかの金銭で取り引きできるという発想は野蛮の歴史を引き伸ばすことである。たった今私たちの時代に歴史の過ちが繰り返されるのを防がなければならない。

 

 以上の理由に基づき、私たちは韓米日三国政府に次のように要求する。

 

 1.日本政府は戦争犯罪の事実を直視し、責任ある態度で謝罪して懺悔せよ。
 2.アメリカ政府は日本軍性奴隷被害者問題に介入するな。
 3.今回の外交惨事の主犯である朴槿恵大統領は国民に謝罪し交渉の無効化を宣言せよ。

 

2015年12月31日

人文学協同組合

 

[出典] 인문학협동조합 공식 블로그 : 네이버 블로그

 

한일 3항목 ‘합의’와 이론 봉합 ‘외주’의 구조

  박유하의 페이스북에 어제 한일 양 정부의 3항목 ‘합의’에 대한 감상이 쓰여 있었다. 아래에 전문을 인용한다.

 

  거짓말처럼, 위안부문제가 타결되었다. 정부끼리도 시작전부터 삐그덕거리기에 미처 예상하지 못했다. 

  하지만 사회적 합의라는 의미에서의 "해결"로 가기까진 좀 더 시간이 걸릴 것 같다. 벌써 지원단체와 당사자 간의 이견마저 보인다. 너무 서둔 감이 있다.

  이런 일이 없도록, 나는 대립하는 사람들이 한자리에 모이는 협의체를 만들어서 몇가지 논점에 대해 토론하도록 하고 그 논의를 언론과 관계자들에게 공개해 당사자와 양국국민이 "인식에서의 합의"를 찾을 수 있기를 바랐다. 그 결과에 근거해 해결책도 찾을 수 있도록. 

("국회결의"가 있기를 바랐지만 그건 위안부문제뿐 아니라 식민지배 전반에 대한 것이었으니 할 수 있는 일을 하면서 기다려봐야겠다. )

  아무튼 결정된 이상, 이제 남은 일은 이런 결정이 얼마나 정당한지에 대해 검토하고, 뒤늦게라도 납득에 기반한 국민적 합의에 이르는 일일 것이다. 위안부할머니들 "당사자"의 생각과 선택과는 별개로.

  일본의 경우는 오늘 결정에 반대하는 사람들은 새로운 사죄/보상에 부정적이었던 일부 우익과 지원자들의 일부인 듯하다. 말하자면 대다수 일본국민들은 일본 정부의 사죄와 보상에 공감한다.

  따라서 앞으로 중요해 지는 건 한국의 언론과 여론일 것 같다. 정치적 입장을 떠나서 이 문제에 대해 생각하고 판단하는 일이 필요하다. 좌우로 나뉘는 게 아니라 그저 합리적이면서 윤리적인 판단에 도달할 수 있으면 좋겠다. 그렇게 해서, 반으로 갈려 대립하는 게 아니라 "대다수 국민들"의 공통시각을 만들 수 있으면 좋겠다.

  위안부문제 뿐 아니라 다른 국내문제에서도 그런 일이 가능해진다면, 분열과 대립으로 소모하지 않는 공동체만들기도 가능해지지 않을까. 그런 날을 나는 여전히 꿈꾼다.

  위안부문제가 갑자기 타결된 날에.

 나는 박유하의 이러한 평가는 이번 ‘합의’가 배태하는 문제를 은폐하는 것이라고 생각한다.

 첫 번째로 박유하는 이번 10억 엔 출자를 ‘보상’으로 규정하고 있지만(“대다수 일본국민들은 일본 정부의 사죄와 보상에 공감한다”), 오류이다. 이미 보도되고 있듯이, 일본정부 관계자는 이번 ‘합의’에서 언급된 ‘책임’은 법적 책임을 의미하지 않는다고 말했다. 물론 3항목의 ‘합의’에서도 보상 따위의 말은 사용되지 않았다. 『제국의 위안부』에서 박유하는 ‘보상’ ‘배상’이라는 말을 극히 부정확하고 자의적으로 사용함으로써 마치 전후의 일본정부가 ‘보상’ ‘배상’을 지불해 온 것 같은 오해를 확산시켰는데, 이번에도 동일한 실수를 반복하고 있다.

 본래 일본군 ‘위안부’ 문제의 해결을 호소하며 피해 당사자들이 증언했을 때, 그녀들이 요구한 것은 무엇이었던가. 일본이 전쟁범죄임을 인정하고 사죄와 보상을 하고 피해자들의 회복에 힘쓰며 진상을 규명하고 역사교육의 장에서 미래 세대에게 그 과오를 전하여 두 번 다시 같은 잘못을 반복하지 않겠다고 계속해서 선언하는 것이 아니었던가.

  하지만 피해자들의 호소 이후에 벌어진 것은 정반대의 사태였다. 책임 있는 입장의 사람들이 ‘대일본제국’의 과오를 인정하지 않고 염치도 없이 태연하게 피해자들을 모욕했다. 놀랍게도 2015년 지금도 문서를 소각한 인물이 전국지에서 그것을 자랑하는 기사가 실리는 것이다. 과거에 죄를 저질렀을 뿐만 아니라 그 죄를 덧칠하려는 일본에 그러한 행동을 막고 반성하게 하는 것. 이 ‘일본 문제’야말로 ‘해결’해야 할 사안이었을 터이다.

  어제 벌어진 한일 양 정부의 ‘합의’는 이러한 ‘일본 문제’의 해결과는 거리가 먼 것이었다. 확실히 고노 담화를 계승하는 문언은 ‘합의’에 들어갔다. 하지만 고노 담화가 존재했어도 일본 정치가들은 수도 없이 망언을 반복해 왔다. 그것은 예전에 요시미 요시아키(吉見義明)가 지적했듯이, 본래 고노 담화의 문언 자체에 위안부의 징집, 군위안소 제도의 운용 주체가 업자인 것처럼 읽힐 여지가 남겨져 있어, 국제법 위반, 전쟁범죄라는 인식이 제시되지 않았기 때문이 아니었던가(吉見義明, 『従軍慰安婦』, 岩波新書, 1995). 국민기금이 피해자들한테서 거부당한 것도 고노 담화와 마찬가지로 국가책임과 전쟁범죄라는 인식이 애매한 ‘해결’안이었기 때문이다.

 하지만 박유하는 『제국의 위안부』에서 오히려 경제협력이나 ‘위로금(償い金)’을 ‘보상’이라 부름으로써 1990년대의 과오를 일본사회가 직시할 책임을 해제하는 역할을 했다. ‘합의’에서 일본정부는 일본군 ‘위안부’ 제도가 전쟁범죄임을 인정하지 않았다. “책임을 통감” 운운에 대해서도 법적 책임이라고 인정하지는 않고 가해책임을 전제로 한 배상을 지불하는 것도 명기되지 않았다. 역사교육에 대한 언급은 전혀 없다. 그럼에도 불구하고 명목이 불분명한 재단에 대한 10억 엔 예산 출자에 의해 이 문제가 ‘최종적이자 불가역적’으로 해결되었다고 한국정부에 확인시켰다. 원점에서 제기되었던 것은 아무것도 해결되지 않은 것이다. 박유하는 이번 10억 엔 출자안을 ‘보상’ 따위로 부정확하게 불러서는 안 된다.

 아울러 당연한 것이지만, 당사자들이나 정대협을 비롯한 지원 단체에서는 재빨리 ‘합의’에 대한 비판의 목소리가 나왔다. 정대협 외에 114개 단체의 성명은 아래와 같이 옳게 지적했다. 나는 이 성명에 전면적으로 찬동한다.

  

비록 일본정부가 책임을 통감한다고 밝혔지만 일본군‘위안부’ 범죄가 일본정부 및 군에 의해 조직적으로 자행된 범죄라는 점은 이번 합의에서 찾아보기 어렵다. 관여 수준이 아니라 일본정부가 범죄의 주체라는 사실과 ‘위안부’ 범죄의 불법성을 명확히 하지 않았다. 또한 아베 총리가 일본정부를 대표해 내각총리로서 직접 사죄해야 함에도 불구하고 ‘대독사과’에 그쳤고, 사과의 대상도 너무나 모호해서 ‘진정성이 담긴 사죄’라고 도저히 받아들이기 어렵다.

  또한 이번 발표에서는 일본정부가 일본군‘위안부’ 범죄의 가해자로서 일본군‘위안부’ 범죄에 대한 책임 인정과 배상 등 후속 조치 사업을 적극적으로 이행해야 함에도, 재단을 설립함으로써 그 의무를 슬그머니 피해국 정부에 떠넘기고 손을 떼겠다는 의도가 보인다. 그리고 이번 합의는 일본 내에서 해야 할 일본군‘위안부’ 범죄에 대한 진상규명과 역사교육 등의 재발방지 조치에 대해서는 전혀 언급하지 않았다.

  무엇보다 이 모호하고 불완전한 합의를 얻어내기 위해 한국정부가 내건 약속은 충격적이다. 한국정부는 일본정부가 표명한 조치를 착실히 실시한다는 것을 전제로 이번 발표를 통해 일본정부와 함께 이 문제가 최종적 및 불가역적으로 해결될 것을 확인하고, 주한일본대사관 앞의 평화비에 대해 공관의 안녕/위엄의 유지를 위해 해결방안을 찾을 것이며, 상호 국제사회에서 비난/비판을 자제하겠다는 것이다. 되를 받기 위해 말로 줘버린 한국정부의 외교 행태는 가히 굴욕적이다.

 그런데 박유하는 이러한 ‘합의’에 대한 이론을 졸속적인 과정의 문제로 바꿔치기하고 있다. “이제 남은 일은 이런 결정이 얼마나 정당한지에 대해 검토하고, 뒤늦게라도 납득에 기반한 국민적 합의에 이르는 일일 것이다”라는 극히 박유하적인 문장에서, 전단에서는 결정의 정당성 자체를 재검토할 가능성을 박유하가 인정하는 듯이 썼지만, 물론 결정을 뒤집는 일 따위는 상정하고 있지 않을 것이다. 결정을 전제로 “ 뒤늦게라도 납득에 기반한 국민적 합의에 이르는” 것을 촉구하고 있으며, 당연히 바로 이쪽에 박유하의 의사가 제시되어 있다. 어쨌든 ‘합의’ 내용을 전제로 다양한 방법을 써서 당사자나 정대협을 ‘합의’시켜 가자는 것이다.

 아마도 ‘합의’가 초래하는 최대의 문제는 여기에 있다. 이번 ‘합의’에서 한국정부는 당사자에 대한 설득과 일본대사관 앞에서 소녀상을 철거하는 것도 포함한 교섭을 담당하는 역할을 떠맡았다. 말하자면 일본정부는 이론의 봉합을 한국정부에 ‘외주’한 것이다. 이제 일본정부에는 스스로 교섭할 고생도 존재하지 않는다. 한국정부와 당사자들이 다투는 것을 강건너 불구경하듯이 보기만 하면 된다. 일본정부는 문제를 한국의 국내문제로 바꿔치기해 버렸다. ‘합의’에 이론이 있는 자들은 앞으로는 일본정부뿐만 아니라, 그 앞에 버티고 있는 한국정부를 먼저 상대하지 않으면 안 된다. 박유하적 ‘화해’가 초래한 이론 봉합 ‘외주’의 구조이다.

 예상대로라고 해야 할까, 일본의 대형 미디어의 논조는 기본적으로 문제 ‘해결’에 대한 환영 일색이다. ‘외주’의 꿀맛을 정확히 알고 있을 것이다. 한국정부에 대해 소녀상 이전도 포함한 합의사항을 ‘지원 단체’에 받아들이게 하라고 입을 모아 주문을 하고 있다. 『마이니치』, 『아사히』의 사설을 인용한다.

 

다만 획기적인 합의라도 불만을 가지는 사람들은 남는다. 그럴 때에 대국적 견지에서 국내를 통합해 가는 것이 정치 지도자의 역할이다. 한국정부는 일본이 강하게 문제시하는 주한일본대사관 앞에 세워진 소녀상의 철거에 적극적인 자세를 보였다. 한국에서 위안부 문제의 상징이 되어 있는 만큼 간단하지는 않을 것이다. 진정한 화해로 이어지는 역사적 합의로 만들어가기 위해서는 아직 많은 작업이 남아 있다. 한일 양국이 서로를 신뢰하고 협력해 가지 않으면 안 된다.(『毎日新聞』, 2015년 12월 29일자 사설)

 

양 정부 모두 위안부들의 지원자 등 시민단체, 미디어도 포함해서 당시의 교훈을 생각해 보자. 새로 설립될 재단의 운영 방식에 대해서는 앞으로 채울 수 있다. 무엇보다 우선되어야 하는 것은 생존자가 50명도 남지 않게 된 위안부들 각각의 기분을 헤아리는 것이다. 한국의 지원 단체는 합의에 대해 “피해자나 국민을 배반하는 외교적 담합”이라고 비난하고 있다. 일본 측에서도 내셔널리즘에 휩쓸린 불만의 목소리가 나오기 쉽다. 하지만 이번 합의는 새로운 한일관계를 쌓아 가는 데에 귀중한 토대의 하나가 된다. 일본정부는 성실히 합의를 이행하고 한국정부는 신중히 국내에서의 대화를 강화하는 것 이외에 길은 없다.(『朝日新聞』, 2015년 12월 29일자 사설)

  ‘외주 만세!’라고 해야 할까. ‘대화’ 등등의 듣기에 좋은 표현은 사용했지만, 양 신문 모두 한일의 ‘합의’를 뒤집는 선택지 등은 애초에 상정하지 않기 때문에 결국 ‘합의’ 사항의 강요에 다름 아니다. 그저 일본의 식자나 보도의 논조는 많든 적든  이런 식이다. 정대협을 한국정부가 제대로 입 다물게 해 주기를 기대하고 있을 것이다.

 물론 말할 필요도 없지만, 이와 같은 일본의 ‘여론’ 만들기에 가장 공헌한 것은 박유하 자신이다. 『화해를 위하여』, 『제국의 위안부』에서 일본을 비판하는 피해 당사자들이나 정대협, 그리고 무엇보다 소녀상을 비판하여 지속적으로 ‘화해’의 장애물 취급한 것은 다름 아닌 박유하였다. 『제국의 위안부』가 일본군 ‘위안부’ 문제 인식의 심화에 공헌한 것은 아무것도 없었지만, 정대협이 ‘화해’의 장애라는 인식을 일본사회, 특히 보도와 출판 관계자에게 심는 데에는 성공했다. 그로테스크한 이론 봉합의 ‘외주’를 일본의 (자칭 리버럴도 포함한)언론인들이 ‘대화’라는 이름으로 용인할 수 있는 것은 박유하의 ‘화해’ 담론이 기여한 바가 크다고 할 수 있다. 너무나도 무거운 죄이다.

  2016년은 소녀상 철거를 둘러싼 한국 내의 갈등이 막을 올릴 것이다. ‘외주’의 구조 속에서 더욱더 피해자들의 목소리는 일본에 도달하지 않게 될 것이다. 하지만 제기되고 있는 것은 ‘일본 문제’라는 사실은 변함이 없다. 정말로 이와 같은 ‘해결’로 만족하는가. 다시 한 번 “대다수의 일본국민들”은 스스로에게 물어야 하지 않을까.

 

(정영환)

 

원문: 日韓三項目「合意」と異論封じ込め「外注」の構造

韓国憲法裁判所決定「慰安婦」全文(2011年8月30日)

憲法裁判所 決定

【事件】   2006 憲マ 788 大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定第3条不作為違憲確認
【請求人】 別紙1. 請求人目録の通り
      代理人 別紙2. 請求人代理人目録の通り
【被請求人】外交通商部 長官 (訳者註:日本の外務大臣に相当 日本の外務大臣に相当 日本の外務大臣に相当)
      代理人 法務法人 ファウ

      担当弁護士 金ソンシク、黄サンヒョン、崔ユナ、朴シネ


主文
請求人らが日本国に対して有する日本軍慰安婦としての賠償請求権が、「大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」第2条第1項によって消滅したか否かに関する韓・日両国間の解釈上の紛争を、上の協定第3条が定めた手続きに従って解決しないでいる被請求人の不作為は、違憲であることを確認する。


理由

1.事件の概要及び審判 事件の概要及び審判 事件の概要及び審判対象

ア.事件の概要
(1) 請求人らは、日帝により強制的に動員され性的虐待を受け、慰安婦としての生生活を強要された「日本軍慰安婦被害者」たちである。被請求人は外交、外国との通商交渉及びそれに関する総括・調停、国際関係業務に関する調整、条約その他の国際協定、在外国民の保護・支援、在外同胞政策の樹立、国際情勢の調査・分析に関する事務を管掌する国家機関である。
(2)大韓民国は 1965 年 6 月 22 日、 日本国との間に「大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」(条約第 172 号、以下「こ
の事件の協定」とする)を締結した。
(3)請求人らは、請求人らが日本国に対して有している日本軍慰安婦としての賠償請求権が、この事件の協定第2条第1項によって消滅したか否か関して、日本国は上の請
求権が上の規定によって すべて消滅したと主張し、請求人らに対する賠償を拒否しており、大韓民国政府は請求人らの上の請求権は、この事件の協定によって解決したものではないという立場であり、韓・日両国間にこれに関する解釈上の紛争が存在するので、被請求人としてはこの事件の協定第3条が定めた手続きに従い、上のような解釈上の紛争を解決するための措置を取る義務があるにもかかわらず、これを まったく履行せずにいると主張し、2006 年 7 月 5 日、このような被請求人の不作為が請求人らの基本権を侵害し、違憲という確認を求める、この事件の憲法訴願審判を請求した。

イ.審判対象
この事件の審判対象は、請求人らが日本国に対して有する日本軍慰安婦としての賠償請求権が、「大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」第2条第1項によって消滅したのか否かに関する韓・日両国間の解釈上の紛争を、上の協定第3条が定めた手続きに従って解決しないでいる被請求人の不作為が、請求人らの基本権を侵害するか否かである。
これと関連した上の協定の内容は、次の通りである。


[関連規定]
○ 大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定(条約 第 172 号、1965. 6.22. 締結、1965.12.18.発効)
大韓民国及び日本国は、両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題を解決することを希望し、両国間の経済協力を増進することを希望して、次のとおり協定した。


第1条
1 日本国は、大韓民国に対し、
(a)現在において1080億円(108,000,000,000円)に換算される3億アメリカ合衆国ドル(300,000,000ドル)に等しい円の価値を有する日本国の生産物及び日本人の役務を、本協定の効力発生の日から10年の期間にわたって無償で提供する。各年における生産物及び役務の提供は、現在において108億円(10,800,000,000円)に換算される3000万アメリカ合衆国ドル(30,000,000ドル)に等しい円の額を限度とし、各年における提供がこの額に達しなかつたときには、その残額は、次年以降の提供額に加算される。ただし、各年の提供の限度額は、両締約国政府の合意により増額されうる。
(b)現在において720億円(72,000,000,000円)に換算される2億アメリカ合衆国ドル(200,000,000ドル)に等しい円の額に達するまでの長期低利の貸付けで、大韓民国政府が要請し、かつ、3の規定に基づいて締結される約定に従って決定される事業の実施に必要な日本国の生産物及び日本人の役務を大韓民国が調達するところにおいて、充当される借款を、本協定の効力発生の日から10年の期間にわたって行なう。本借款は、日本国の海外経済協力基金により行なわれるものとし、日本国政府は、同基金が本借款を各年において均等に利用することができるのに必要な資金を確保することができるよう、必要な措置を執るものとする。
前記の提供及び借款は、大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない。
2 両締約国政府は、本条の規定の実施に関する事項について勧告を行なう権限を有する両政府間の協議機関として、両政府の代表者によって構成される合同委員会を設置する。
3 両締約国政府は、本条の規定の実施のため、必要な約定を締結するものとする。

第2条
1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年 9月 8日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなるということを確認する。
2 本条の規定は、次のもの(本協定の署名日までに各締約国が執った特別の措置の対象となったものを除く)に影響を及ぼすものではない。
(a)一方の締約国の国民で、1947年 8月15日からこの協定の署名日までの間に、他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益
(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であって1945年 8月15日以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄下に入れられたもの2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であって本協定の署名日に他方の締約国の管轄下にあるものに対する措置、並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。


第3条
1 本協定の解釈及び実施に関する両締約国間の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決する。
2 1の規定により解決することができなかった紛争は、いずれか一方の締約国の政府が他方の締約国の政府から紛争の仲裁を要請する公文を受領した日から30日の期間内に各締約国政府が任命する一人の仲裁委員と、こうして選定された二人の仲裁委員が、当該期間後30日の期間内に合意する第三の仲裁委員または当該期間内にその二人の仲裁委員が合意する第三国の政府が指名する第三の仲裁委員との三人の仲裁委員からなる仲裁委員会に決定のために回付(訳者註:日本側協定文では「付託」) (訳者註:日本側協定文では「付託」) (訳者註:日本側協定文では「付託」)する。ただし、第三の仲裁委員は、両締約国のうちいずれかの国民であってはならない。
3 いずれか一方の締約国の政府が当該期間内に仲裁委員を任命しなかったとき、または第三の仲裁委員若しくは第三国について当該期間内に合意されなかったときは、仲裁委員会は、両締約国政府のそれぞれが30日の期間内に選定する国の政府が指名する各一人の仲裁委員とそれらの政府が協議により決定する第三国の政府が指名する第三の仲裁委員から構成される。
4 両締約国政府は、本条の規定に基づく仲裁委員会の決定に服する。


第4条
本協定は、批准されなければならない。批准書は、できる限りすみやかにソウルで交換されるものとする。本協定は、批准書の交換日に効力を生ずる。

2.当事者らの主張

ア.請求人らの主張要旨

(1)日本国が、請求人らを性奴隷に追い込んで加えた人権蹂躙行為は、「醜業を行うための婦女子売買禁止に関する条約」、「強制労働禁止協約{国際労働機構(ILO)第29 号条約}」等の国際条約に違反するもので、この事件の協定の対象に含まれたことはない。この事件の協定によって妥結したのは、韓国政府の国民に対する外交的保護権のみであり、韓国国民の日本国に対する個人的損害賠償請求権は放棄されていないのである。
ところが日本国は、この事件の協定第2条第1項によって日本国に対する損害賠償請求権が消滅したと主張し、請求人らに対する法的な損害賠償責任を否認しており、 これに反して、韓国政府は 2005 年 8 月 26 日、日本軍慰安婦問題と関連し、日本国の法的責任はこの事件の協定第2条第1項によって消滅せず、そのまま残っているという事実を認め、韓・日両国間に、これに関する解釈上の紛争が存在する。

(2)この事件の協定第3条は、協定の解釈及び実施に関する韓・日両国間に紛争がある場合、外交上の経路や仲裁手続きによる解決方法を規定することにより、締約国に上の協定の解釈と関連した紛争解決の義務を負わせているから、韓国政府には上のようなこの事件の協定の解釈と関連する紛争解決のための作為義務がある。

(3)また、韓国政府としては、大韓民国臨時政府の法統を継承したことを明示している憲法前文、人間の尊厳と価値、及び国家の基本的人権保障義務を宣言している憲法第10 条、財産権の保障に関する憲法第 23 条、及びこの事件の協定の締結当事者として、行政上の信頼保護の原則に立脚した作為義務があり、憲法第 37 条第1項所定の列挙されていない基本権である外交的保護権に対応した外交的保護義務がある。

(4)ところが、韓国政府は、請求人らの基本権を実効的に保障できる外交的保護措置や、紛争解決手段の選択等、仲裁回付等の具体的な措置を取らないでいるところ、このような行政権力の不作為は、上の憲法諸規定に違反するものである。

イ.被請求人の意見要旨

(1)行政権力の不作為についての憲法訴願は、公権力の主体に、憲法から由来する作為義務が、特別に、具体的に規定され、これに依拠して、基本権の主体が、行政行為を請求できるにもかかわらず、公権力の主体がその義務を怠る場合に[のみ:訳者追加] 許容されるものだが、請求人らは、被請求人の不作為に因って侵害された自分たちの基本権が何なのかを指摘しないでいる。請求人らに対する不法行為と、その責任の主体は、日本政府であって韓国政府ではなく、政府の外交行為は広い裁量が許容されるので、この事件の協定に従った紛争解決のための国家の具体的作為義務は認定されない。
また、韓国政府は請求人らの福祉のために、力の限り努力しており、国際社会でこの問題を持続的に提起してきたことがあるので、この事件の協定第3条第1項に従った作為義務の不履行があったと見ることはできない。

(2)請求人らが主張する外交的保護権は、国際法上、他の国の不法行為に因って自国民が被った被害と関連し、その国民のために国家が自らの固有な権限として取る外交的行為、または、その他の平和的解決方式を言うのであって、その帰属主体は「国家」であるのみで、「個人」が自国政府に対して主張できる権利ではないので、憲法上の基本権とは言えない。
さらに、このような外交的保護権の行使の可否、及び行使方法に関しては、国家の広範囲な裁量権が認定され、この事件の協定第2条の解釈上からも、一方の締約国が協定の解釈と実施に関する紛争を、必ず仲裁委員会に回付すべき義務を負うものではないので、この事件の協定に従った紛争解決手段の選択は、国家が国益を考慮して外交的に判断する問題であって、具体的な外交的措置を取るべき法的義務があるとは言えない。


3.この事件の背景

この事件に関する判断をするための前提として、この事件の背景及び全体的経緯を、まず検討して見ることにする。

ア.この事件の協定

この事件の協定の締結経緯、及びその後の補償処理過程
(1)解放後、韓国に進駐した米軍政当局は、1945 年 12 月 6 日に公布した軍政法令第33 号で在韓国旧日本財産を、その国有・私有を問わず米軍政庁に帰属させ、このような旧日本財産は大韓民国政府の樹立直後である 1948 年 9 月 20 日に発効した「韓米間財政及び財産に関する最初の協定」で、韓国政府に移譲された。

(2)一方、1951 年 9 月 8 日、 サンフランシスコで締結された連合国と日本国との平和条約では、韓国に、日本国に対する賠償を請求できる権利が認定されなかったし、ただ上の条約第4条a項に、日本の統治から離脱した地域の施政当局及び住民と、日本及び日本国民間の財産上の債権・債務関係は、このような当局と日本間の特別約定で処理することを、第4条b項で日本は、前記地域で米軍政当局が日本及び日本人の財産を処分したことを有効と認定することを、それぞれ規定した。

(3)上の条約第4条a項の趣旨に従い、大韓民国及び大韓民国国民と日本国及び日本国民間の財産上の債権・債務関係を解決するために、1951 年 10 月 21 日の予備会談以後、1952 年 2 月 15 日、第1次韓・日会談本会議が開かれ、韓国と日本の国交正常化のための会談が本格的に始まって以来、7回にわたる本会議と、これにともなった数十回の予備会談、政治会談及び各分科委員会別の会議等を経て、1965 年 6 月 22 日、この事件の協定と漁業に関する協定、在日僑胞の法的地位及び待遇に関する協定、文化財及び文化協力に関する協定等、4つの附属協定が締結されるに至った。

(4)被請求人が提出した「請求権関係解説資料」によれば、第1次韓・日会談時(1952年 2 月 15 日~ 4 月 25 日)、韓国政府は「韓・日間財産及び請求権協定要綱8項」(以下「8項目」とする)を提示したが、これは、
1.韓国から搬出された古書籍、美術品、骨董品、その他国宝、地図原版及び地金、地銀を返還すること
2.1945 年 8 月 9 日現在、日本政府の対朝鮮総督府債務を弁済すること
3.1945 年 8 月 9 日以後、韓国から移替または送金された金額を返還すること
4.1945 年 8 月 9 日現在, 韓国に本社または、主な事務所がある法人の在日財産を返還すること
5.韓国法人または自然人の、日本及び日本国民に対する日本国債、公債、日本銀行券、被徴用韓国人の未収金、その他の韓国人の請求権を弁済すること
6.韓国法人または韓国自然人所有の日本法人株式、またはその他の証券を法的に認定すること
7.前記財産または請求権から発生した果実を返還すること
8.前記返還及び決済は、協定成立後即時開始し、遅くとも6ヶ月以内に終了すること
の8項目である。

(5)しかし第1次会談は、上の8項目の請求権主張に対応した日本側の対韓・日本人財産請求権主張で決裂し、以後、独島問題及び平和線問題に対する異見、「日本国による 36 年間の韓国統治は、韓国に有益なことだった」とする日本側首席代表久保田の妄言及び両国の政治的状況等から、第4次韓・日会談までは請求権問題に関する実質的議論が成り立たなかった。

(6)その後、8項目についての実質的討議が成り立ったのは、第5次韓・日会談(1960年 10 月 25 日~1961 年 5 月 15 日)だったが、8項目の各項に対する日本側の立場は、概ね、第1項に関しては、地金及び地銀は合法的な手続きによって搬出したものなので、返還の法的根拠がなく、第2、3、4項に関しては、韓国が所有権を主張できるのは、米軍政法令第 33 号が公布された 1945 年 12 月 6 日以後のものに限り、第5項に関しては、韓国側が個人の被害に対する補償問題を持ち出すことに強く反発し、韓国側に徹底した根拠の提示を要求、即ち、具体的な徴用、徴兵の人員数や証拠資料を要求するものだった。このように第5次会談の請求権委員会では、1961 年 5 月 16 日の軍事政変によって会談が中断されるまで、8項目の第1項から第5項までの討議が進行したが、根本的な認識の差を確認しただけで、実質的な意見の接近をみることには失敗
した。

(7)よって、1961 年 10 月 20 日、第6次韓・日会談が再開された後には、請求権に対する細部の議論は日程のみ消耗されるだけで、解決が遥遠だという判断の下、政治的側面からの接近が模索された。1961年11月22日、朴正熙・池田会談以後、1962 年 3月の外相会談では韓国側の支払い要求額と日本側の支払い用意額を非公式に提示することにし、その結果、韓国側の純弁済7億ドルに対して、日本側の純弁済7万4千ドル及び借款2億ドルという差異が確認された。

(8)このような状況で、日本側は当初から、請求権に対する純弁済にすると、法律関係と事実関係を厳格に調べなければならないだけでなく、38 度線の南に限定されなければならず、その金額も少なくなり、韓国側が受諾できなくなるだろうから、有償と無償の経済協力の形式を取って金額を相当程度に引き上げ、その代わりに請求権を放棄するようにしようと提案した。これに対して韓国側は、請求権に対する純弁済を受け取らなければならない立場や、問題を大局的見地から解決するために、請求権解決の枠の中で純弁済と無償支払いの2つの名目で解決することを当初は主張し、その後再び譲歩して、請求権解決の枠の中で純弁済及び無償支払いの2つの名目でするが、その金額を各々区分表示せず、総額だけ表示する方法で解決することを提議した。

(9)以後、当時の金鐘泌中央情報部長は、日本で池田日本首相と一度、大平日本外相と前後二度にかけて会談し、大平外相との 1962 年 11 月 12 日第2次会談時、請求権問題の金額、支払い細目及び条件等に関し、両国政府に建議する妥結案に関する原則的な合意を見て、具体的調整過程を経て第7次韓・日会談が進行中だった1965年 4月 3日、当時の外務部長官李東元と日本の外務大臣椎名との間で、「韓・日間の請求権問題解決及び経済協力に関する合意」が成り立ち、1965 日 6 月 22 日、名目を区分表示せずに、日本が大韓民国に一定金額を無償及び借款で支払うが、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益と両締約国及びその国民間の請求権に関する問題を、完全にそして最終的に解決することを内容とする、この事件の協定が締結された。

 

(10)その後、韓国政府は 1966 年 2 月 19 日「請求権資金の運用及び管理に関する法(1982.12.31. 法律第 3613 号で廃止)を制定して、無償資金の内、民間補償の法律的根拠を用意し、以後 1971年 1月 19日 「対日民間請求権申告に関する法律」(1982.12.31.法律第 3614 号で廃止)を制定して補償申請を受けたが、その対象は日帝により強制により徴用・徴兵された人の内、死亡者と、上の会談過程で対日民間請求権者として議論されて判かっていた、民事債券または銀行預金債権等を持っている民事請求権保有者に限定され、その後 1974 年 12 月 21 日 「対日民間請求権補償に関する法律」(1982.12.31.法律第 3614 号で廃止)を制定し、1975 年 7 月 1 日 から 1977 年 6 月 30 日 まで合計91 億 8,769 万3千ウォンを支給した。

(11)日本軍慰安婦問題は、この事件の協定締結のための韓・日国交正常化会談が進行した間、まったく議論されなかったし、8項目の請求権にも含まれず、この事件の協定締結後の立法措置による補償対象にも含まれなかった。


イ.日本軍慰安婦問題の提起と進行

(1)1990 年 11 月 16 日、韓国挺身隊問題対策協議会の発足と、1991 年 8 月、日本軍慰安婦被害者である金学順(1997 年 12 月死亡)の公開記者会見を通じて、日本軍慰安婦被害者問題が本格的に提起された。

(2)日本政府はそれに関する責任を完全に否認し、軍慰安婦を、民間の接客業者が軍に付き添って連れていた「売春婦」と認識していることを示唆する発言をしたが、当時中央大学教授だった吉見義明が 1992 年 1 月、日本の防衛庁の防衛研究所図書館で、日本軍が軍慰安婦徴集に直接関与した関係公文書6点を捜し出すと、その立場を大幅修正せざるを得なくなった。

(3)被害者の出現と関連資料の発掘、及び内外の世論に押されて真相調査に着手した
日本政府は、1992 年 7 月、慰安婦問題に関する政府の関与は認定したが、強制連行を
立証する資料はないという1次調査結果を公表し、1993 年 8 月 4 日、 第2次政府調査
結果と共に日本軍及び官憲の関与と徴集・使役での強制を認定し、問題の本質が重大な
人権侵害だったことを承認して謝罪する内容の、河野官房長官の談話を発表した。

(4)慰安所は 1932 年上海事変時、旧日本軍兵士によって強姦事件が多発し、現地人の反発と性病等の問題につながると、その防止策として日本海軍が設置したのが最初だった。日本軍は 1937 年 7 月から、中日戦争で兵力を中国へ多数送出し、占領地に軍慰安所を設置したが、1937 年 12 月の南京大虐殺以後、その数が増加した。これには軍人に「精神的慰安」を提供することで、いつ終わるか判らない戦争から離脱しようとする軍人の士気を振い立たせ、不満を収め、特に日本語を知らない植民地の女性を「慰安婦」として「雇用」することで、軍の機密が漏れる可能性を減らそうとする意図も含まれていた。
1941 年からアジア太平洋戦争中、日本軍は東南アジア、太平洋地域の占領地域でも軍慰安所を設置した。公文書によって確認された軍慰安所設置地域は、朝鮮、中国、香港、マカオ、フィリピン等、日本が侵略した地域である。日本軍慰安婦の数は8万から10 万、あるいは 20 万程度まで推定されており、その内 80%は朝鮮女性であったし、その他、日本軍慰安婦被害者の国籍は、フィリピン、中国、台湾、オランダ等である。

(5)これについて韓国政府は、1993 年 6 月 11 日、「日帝下、日本軍慰安婦に対する生活安定支援法(法律第 4565 号)」を制定し、日本軍慰安婦被害者たちに生活支援金を支給し始めたが、日本政府は日本軍慰安婦被害者に対する補償は、この事件の協定で既にすべて解決された状態だとして、新しく法的措置を取ることができないという立場を固守し、1994 年 8 月 31 日、軍慰安婦被害者たちの名誉と尊厳毀損に対する道義的責任として人道的見地から、個別的な慰労金や定着金を支給できるし、政府次元でない民間次元から、アジア女性発展基金の助成等を模索しようという立場を表明した。

(6)韓国、台湾等の日本軍慰安婦被害者たちと支援団体は、アジア女性発展基金の本質が日本政府の責任回避だと判断し、日本軍慰安婦被害者たちを正当な賠償の対象ではない人道主義的慈善事業の対象として見る基金に、早くから反対の立場を表明し、韓国政府は日本政府を相手にアジア女性基金の活動を中断することを要求したが、受け入れられないと、上の基金からお金を受け取らないという条件で、政府予算と民間募金額を合わせて上の基金が支給しようとした 4,300 万ウォンを、被害者たちに一時金として支給した。

(7)一方、金学順をはじめとした9人の日本軍慰安婦被害者たちは 1991 年 12 月 6日、 日本を相手にアジア太平洋戦争犠牲者補償請求をしたが、2004 年 11 月 29 日、最高裁判所で上告が棄却され、敗訴として幕が降りた。上の訴訟過程で、控訴審である東京高等裁判所は、原告らが安全配慮義務及び不法行為を根拠とした損害賠償債権を取得した可能性があるが、これはこの事件の協定第2条第3項の財産、権利及び利益に該当し、すべて消滅したと判示した。また 1992 年 12 月 25 日に提起された釜山軍隊性奴隷女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟でも、1審で一部勝訴したが控訴審で破棄され、最高裁判所で 2003. 3.25. 上告不受理決定が下された。さらに、在日韓国人・宋神道等が 1993 年 4 月 5 日 提起した軍隊性奴隷謝罪補償訴訟も、2003 年 3 月 28 日、最高裁判所で最終棄却され終結した。

(8)これに対し韓国政府は、2004 年 2 月 13 日、韓・日会談関連文書の公開を命じる判決に従って関連文書が公開されると、国務総理を共同委員長とし被請求人を政府委員とする「民官共同委員会」の 2005 年 8 月 26 日決定を通じ、この事件の協定はサンフランシスコ条約第4条を根拠とし、韓・日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を解決するためのものであって、日本軍慰安婦問題等のような日本政府等、国家権力が関与した「反人道的不法行為」に対しては、この事件の協定によって解決したとは見られないので、日本政府の法的責任が認定されるという立場を表明した。

しかし日本政府は、下記に見る米下院の決議案採択、2008 年国連人権理事会定期検討会議の「慰安婦」問題の解決を促す各国の勧告と質疑を盛り込んだ実務グループ報告書の正式採択に対抗して、
① 河野談話を通した謝罪、
② この事件の協定を通した法的問題の解決、
③ アジア女性基金の活動等を通して、
日本軍慰安婦関連問題が完結したと主張した。

 

(9)上のような一連の日本政府の措置及び態度は、被害者たちは勿論のこと、国際社会からも受け入れられなかった。
国連人権小委員会は、日本軍慰安婦問題に対して持続的な研究活動を遂行し続けて来たが、その最初の報告書である 1996 年 1 月 4 日付「クマラスワミ報告書」では、第2次大戦時強制連行された日本軍慰安婦に関する日本国の人権侵害は、明確に国際法違反という点を確認し、日本国に対して国家次元の損害賠償、責任者の処罰、政府保管中のすべての資料の公開、書面を通した公式謝罪、教科書改正等を勧告する6項目の勧告案を提示し、1996 年 4 月 19 日、 第 52 次国連人権委員会で上の報告書の採択決議があった。
また 1998 年 8 月 12 日、 国連人権小委員会(差別防止少数者保護小委員会)では、上のクマラスワミ報告書の内容を補強した、特別報告官ゲイ・マクドガルの日本政府の法的賠償責任、責任者処罰を骨子とする報告書が発表され、採択された。

上の「マクドガル報告書」では
① 慰安婦制度が性奴隷制だということを明らかにし、慰安所を強姦センター(rape center、rape camp)と規定して、強制性を浮き彫りにし、
② 日本の責任者処罰問題を強調して、生存戦犯の捜査を主張し、
③ 国連事務総長は、日本政府から少なくとも年2回以上進行事項の報告を受け、国連人権委員会高等弁務官は日本政府と協力して責任者の処罰及び適切な賠償のためのパネルを構成する等、国連の積極的な介入を要求し、
④ 生存者が高齢な点を考慮し、緊急で速かに日本政府の賠償がなされるべき、という点が強調された。

(10)以後、小泉、安倍政権等、日本の保守右傾化によって、日本軍慰安婦問題を教科書から削除し、河野談話まで修正しようとする動きが起こると、下に見るように個々の国家からも、これに対して断固たる対処が始まった。
米国下院は 2007 年 7 月 30 日、 満場一致で日本軍慰安婦決議案を採択したが、その主要内容は、
① 日本政府は 1930 年代から第2次世界大戦終戦に至るまで、アジア諸国家と太平洋諸島を植民地化し、戦時に占領する過程で、日本帝国主義の軍隊が強制的に若い女性を、慰安婦として知られる性の奴隷に作りあげた事実を、確実ではっきりとした態度で公式に認定し謝罪して、歴史的責任を負わなければならない。
② 日本政府は日本軍が慰安婦を、性の奴隷にして人身売買をした事実がないという、いかなる主張に対しても、はっきりと公開的に反駁しなければならない。
③ 日本政府は国際社会が提示した慰安婦勧告に従い、現世代と未来世代を対象に、おぞましい犯罪に関する教育をしなければならない、等である。
その後オランダ下院(2007 年 11 月 8 日)、カナダ連邦議会下院(2007 年 11 月 28日)、ヨーロッパ議会(2007 年 12 月 13 日)が、20 万人以上の女性を慰安婦に強制動員して犯した蛮行に関する、日本政府の公式謝罪と歴史的・法的責任の認定、被害者に関する補償、慰安婦強制動員の事実を現在と未来の世代に教育すること等を含む決議案を、次々と採択した。

(11)国連人権理事会は 2008 年 6 月 12 日、 日本の人権状況定期検討を通じて、日本軍慰安婦問題に対する各国の勧告と質疑を盛り込んだ実務グループ報告書を正式に採択し、国連B規約人権委員会は 2008 年 10 月 30 日、ジュネーブで、日本の人権と関連した実務報告書を発表し、日本政府に対して初めて日本軍慰安婦問題の法的責任を認定し、被害者多数が受け入れられる形態で謝罪することを勧告した。
(12)韓国でも、2008 年 10 月 27 日、日本軍慰安婦被害者名誉回復のための公式謝罪及び賠償を促す決議案が、全議員 261 人の内 260 人の賛成で国会本会議を通過し、2009年 7 月、大邱広域市議会を皮切りに 2011 年 3 月 現在、46 に達する全国の基礎(訳者註:日本の市町村に相当 註:日本の市町村に相当)・広域議会で日本軍慰安婦問題解決を促す決議を採択した。
また、大韓国弁護士協会と日本弁護士協会(訳者註:日本弁護士連合会) (訳者註:日本弁護士連合会) (訳者註:日本弁護士連合会)は、2010年 12 月 11 日、日本軍慰安婦問題に対し、
① この事件の協定の完全最終解決条項の内容と範囲に関する、両国政府の一貫性のない解釈・対応が、被害者たちの正当な権利救済を阻み、被害者たちの不信感を助長して来たことを確認し、
② 謝罪及び金銭補償を含む日本軍慰安婦問題の解決のための立法が、日本政府及び国会によって迅速に成立しなければならないことを確認する
内容の共同声明を発表した。
その諸決議及び声明は、ひとりの被害者でもまだ生きている時、日本政府が立法を通して問題を解決することを促しており、韓国政府にもより積極的な外交政策を取ること等を要求している。

 

4.適法要件に対する判断

ア.行政不作為に関する憲法訴願
行政権力の不作為に対する憲法訴願は、公権力の主体に、憲法から由来する作為義務が特別に、具体的に規定されており、これに基づいて基本権の主体が行政行為ないし公権力の行使を請求できにもかかわらず、公権力の主体がその義務を怠る場合にだけ許容される(憲法裁判所2000. 3.30. 98憲マ206, 判例集12-1, 393, 393-393)。
上で言う「公権力の主体に、憲法から由来する作為義務が特別に、具体的に規定されており」が意味するところは、
第一に、憲法上明文で公権力主体の作為義務が規定されている場合
第二に、憲法の解釈上、公権力主体の作為義務が導き出される場合
第三に、公権力主体の作為義務が法令で具体的に規定されている場合
等を包括していると見ることができる(憲裁2004.10.28. 2003憲マ898, 判例集16-2下,212, 219)。
イ.被請求人の作為義務
もし、公権力の主体に、上のような作為義務がなければ、憲法訴願は不適法になるので、この事件で被請求人に、上のような作為義務が存在するかを検討する。
この事件の協定は、憲法によって締結・公布された条約として、憲法第6条第1項に従って国内法と同じ効力を有する。ところで、上の協定第3条第1項は、「この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする」、同条第2項は、「1の規定により解決することができなかった紛争は、いずれか一方の締約国の政府が他方の締約国の政府から紛争の仲裁を要請する公文を受領した日から30日の期間内に各締約国政府が任命する一人の仲裁委員と、こうして選定された二人の仲裁委員が当該期間の後の30日の期間内に合意する第三の仲裁委員または当該期間内にその二人の仲裁委員が合意する第三国の政府が指名する第三の仲裁委員との三人の仲裁委員からなる仲裁委員会に決定のため回付するものとする」 と、それぞれ規定している。

上の紛争解決条項によれば、この事件の協定の解釈に関して、韓国と日本間に紛争が発生した場合、政府はこれに従い、一次的には外交上の経路を通して、二次的には仲裁によって解決するように述べているが、これが前で見た「公権力主体の作為義務が法令に具体的に規定されている場合」に該当するかを見る。

請求人らは、日帝によって強制的に動員され性的虐待を受け、慰安婦としての生活を強要された「日本軍慰安婦被害者」として、日本国に対して、それに因る損害賠償を請求したが、日本国はこの事件の協定によって、賠償請求が すべて消滅したとし、請求人らに対する賠償を拒否している反面、韓国政府は前に見たところのように、請求人らの上の賠償請求権は、この事件の協定によって解決したのではなく、まだ存続するという立場なので、結局、この事件の協定の解釈に関して、韓・日間に紛争が発生した状態である。

韓国憲法は、第10条で「 すべての国民は、人間としての尊厳及び価値を有し、幸福を追求する権利を有する。国家は、個人の有する不可侵の基本的人権を確認し、これを保障する義務を負う」と規定しているが、それゆえに人間の尊厳性は最高の憲法的価値であり、国家目標の規範として すべての国家機関を拘束し、よって国家は人間の尊厳性を実現すべき義務と課題を負わされていることを意味する。従って人間の尊厳性は、「国家権力の限界」として、国家による侵害から保護されるべき個人の防御権であるのみならず、「国家権力の課題」として、国民が第三者によって人間の尊厳性を脅かされる時、国家はこれを保護する義務を負う。

また、憲法第2条第2項は、「国家は法律が定めるところにより、在外国民を保護する義務を負う」と規定しているところ、このような在外国民保護義務に関して憲法裁判所は、「憲法第2条第2項で規定した在外国民を保護する国家の義務により、在外国民が居留国にいる間受ける保護は、条約その他の一般的に承認された国際法規と当該居留国の法令によって享受できる、あらゆる分野における正当な待遇を受けられるよう、居留国との関係において国家が行う外交的保護と、国外居住国民に対する政治的な考慮から、特別に法律で定めて施す法律・文化・教育、その他の諸々の領域での支援を意味するものである」と判示することにより(憲法裁判所1993.12.23. 89憲マ189, 判例集5-2,646)、国家の在外国民に関する保護義務が、憲法から導き出されるものであることを認定したことがある。

一方、韓国憲法は、前文で「3.1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統」の継承を明らかにしているところ、たとえ韓国憲法が制定される前のことだとしても、国家が国民の安全と生命を保護すべき最も基本的な義務を遂行出来なかった日帝強制占領期に、日本軍慰安婦として強制動員され、人間の尊厳と価値が抹殺された状態で、長期間、悲劇的な人生を過ごした被害者たちの、毀損された人間の尊厳と価値を回復させるべき義務は、大韓民国臨時政府の法統を継承した今の政府が、国民に対して負う最も根本的な保護義務に属すと言えるであろう。

上のような憲法諸規定、及びこの事件の協定第3条の文言に照らしてみる時、被請求人が上の第3条に従って紛争解決の手続きに進む義務は、日本国によって強いられた組織的で持続的な不法行為により、人間の尊厳と価値を深刻に毀損された自国民らが、賠償請求件を実現できるように協力して保護すべき憲法的要請によるもので、その義務の履行がなければ請求人らの基本権が重大に侵害される可能性があるので、被請求人の作為義務は憲法から由来する作為義務として、それが法令に具体的に規定されている場合と言える。

さらに、特に、韓国政府が直接、日本軍慰安婦被害者たちの基本権を侵害する行為をしたのではないが、上の被害者たちの日本国に対する賠償請求権の実現、及び人間としての尊厳と価値の回復において、現在の障害状態がもたらされたことは、韓国政府が請求権の内容を明確にせず、「 すべての請求権」という包括的な概念を使って、この事件の協定を締結したことにも責任があるという点に注目するなら、被請求人にその障害状態を除去する行為に進むべき、具体的な義務があることを否認するのは難しい。

ウ.公権力の不行使

被請求人は、韓国政府がまず「外交上の経路」を通して紛争を解決するとしながらも、様々な外交上の方式の内、日本政府に対する金銭的賠償責任は問わない代わりに、韓国政府が慰安婦被害者たちに対し、経済的支援及び補償をする一方、日本政府に対してはより重要で根本的問題である、徹底した真相の究明、公式謝罪と反省、正しい歴史教育の実施等を持続的に要求し、国際社会から慰安婦に関する問題を持続的に提起する方式を選択したが、これは韓国政府に幅広く認定される外交的裁量権を正当に行使したものであり、この事件の協定第3条第1項の「外交上の経路」を通した紛争解決措置に当然含まれるものなので、公権力の不行使ではないと主張する。

しかし、この事件で問題になる公権力の不行使は、この事件の協定によって日本軍慰安婦被害者たちの日本に対する賠償請求権が消滅したか否かに関する、解釈上の紛争を解決するために、この事件の協定第3条の紛争解決手続きに進む義務の不履行を示すものなので、日本国に対する上の被害者たちの賠償請求権問題を度外視した外交的措置は、この事件の作為義務の履行に含まれない。また、請求人らの人間としての尊厳と価値を回復するという観点から見た時、加害者である日本国が誤ちを認定し法的責任を負うことと、韓国政府が慰安婦被害者たちに社会保障的次元の金銭を提供することは まったく違う次元の問題なので、韓国政府が被害者たちに一部生活支援等をしているからと言って、上の作為義務の履行と見ることはできない。

被請求人の主張によるとしても、韓国政府は、1990年代から日本政府に対して金銭的な賠償責任は問わないという方針を定めたし、韓・日協定関連文書の全面公開がなされた後にも2006年 4月10日、「日本側と消耗的な法的論争に発展する可能性が大きいので、これと関連して日本政府を相手に問題解決のための措置をしない」と関連団体へ回答したことがあり、この事件の請求が起こされた後に提出した書面でも、この事件の協定の解釈と関連した紛争に対しては何の措置も取らないという意思を、繰り返し表明したことがある。

一方、韓国政府は前に見たように、2005年 8月26日、「民官共同委員会」の決定を通じて、日本軍慰安婦問題はこの事件の協定によって解決したと見られないと宣言したことがあるが、これがこの事件の協定第3条の外交上の経路を通した紛争解決措置に該当すると見るのは難しく、仮に該当すると見たとしても、このような紛争解決の努力は持続的に推進されなければならず、これ以上外交上の経路を通して紛争を解決できる方法がないのなら、この事件の協定第3条に従って仲裁回付手続きに進まなければならないのに、被請求人は2008年以後日本軍慰安婦問題を直接的に言及しないだけでなく、これを解決するための、特に他の計画もないというのだから、どこから見ても作為義務を履行したとは言えない。


エ.小結
そうならば、被請求人は、憲法から由来する作為義務があるのに、これを履行せず、請求人らの基本権を侵害した可能性がある。
従って、以下では本案に進んで、被請求人が上のような作為義務の履行を拒否、または怠っていることが、請求人らの基本権を侵害し、違憲であるか否かに関して検討することにする。

 

5.本案に関する判断

ア.この事件の協定関連の解釈上紛争の存在

(1)この事件の協定第2条第1項は、「両締約国は、両締約国およびその国民(法人を含む)の財産、権利および利益並びに両締約国およびその国民の間の請求権に関する問題が、1951 年 9 月 8 日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と規定している。これと関連して合意議事録第2条(g)項は、上の第2条第1項でいう「完全かつ最終的に解決されたこととなる両国およびその国民の財産、権利および利益並びに両国およびその国民の間の請求権に関する問題には、韓・日会談において韓国側から提出された『韓国の対日請求要綱』(いわゆる 8 項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており、したがって、同対日請求要綱に関しては、いかなる主張もなしえないこととなることが確認された」と記載されている。

 

(2)この事件の協定第2条第1項の解釈と関連し、前にみたように日本政府及び司法府の立場は、日本軍慰安婦被害者を含む韓国国民の日本国に対する賠償請求権は、 すべて包括的にこの事件の協定に含まれ、この事件の協定の締結及びその履行で放棄されたか、その賠償が終了したというもので、反面、韓国政府は 2005 年 8 月 26 日、「民官共同委員会」の決定を通じて、日本軍慰安婦問題等のように日本政府等国家権力が関与した「反人道的不法行為」に対しては、この事件協定によって解決したと見られないので、日本政府の法的責任が認定されるという立場を表明したことがある。

 

(3)被請求人は、この事件の憲法訴願審判過程でも、日本はこの事件の協定により日本軍慰安婦被害者の日本国に関する賠償請求権が消滅したという立場である反面、韓国政府の立場は日本軍慰安婦被害者の賠償請求権はこの事件の協定に含まれていないというもので、これに対しては両国の立場に差異があり、これはこの事件の協定第3条の「紛争」に該当すると、繰り返し確認した。

また、この事件の弁論後提出した 2009 日 6 月 19 日付の参考書面でも、「韓国政府がまず『外交上の経路』を通して紛争を解決するとし、様々な外交上の方式の内…(訳者註:ママ)方式を選択したことは、韓国政府に幅広く認定される裁量権を正当に行使 者註:ママ)したもので、これもまたこの事件の協定第3条第1項の『外交上の経路』を通した紛争解決措置に当然含まれるもの」として、この事件の協定の解釈上の紛争が存在することを前提に、主張を展開した。

(4)従って、この事件の協定第2条第1項の対日請求権に、日本軍慰安婦被害者の賠償請求権が含まれるか否かに関する韓・日両国間の解釈の差異が存在し、それが上の協定第3条の「紛争」に該当するのは明白である。

 

イ.紛争解決の手続き
この事件の協定第3条第1項は、「この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする」と規定し、第2項は第1項の規定によって解決できない紛争は、仲裁によって解決するように規定している。即ち、上の諸規定は協定締結当時、その解釈に関する紛争の発生を予想し、その解決の主体を協定締結当事者である各国家に定めながら、紛争解決の原則及び手続きを定めたものである。

そうならば被請求人は、上の紛争が発生した以上、協定第3条による紛争解決手続きに従って、外交的経路を通して解決しなければならず、そのような解決の努力が尽きた場合、これを仲裁に回付しなければならないのが原則である。

従って、このような紛争解決手続きに進まなかった被請求人の不作為が、請求人らの基本権を侵害して違憲であるか否かを検討することにする。

ウ.被請求人の不作為の基本権侵害 作為の基本権侵害 作為の基本権侵害の可否

(1)先例との区別
憲法裁判所は、この事件の協定第3条第2項に従って仲裁要請をしなかった不作為が、違憲であると主張した事件(憲法裁判所 2000.3.30. 98 憲マ 206 仲裁要請不履行違憲確認事件)で、「この事件の協定第3条の形式と内容から見ても、外交的問題の特性から見ても、協定の解釈及び実施に関する紛争を解決するために、外交上の経路を通すか、でなければ仲裁に回付するかに関する韓国政府の裁量範囲は相当広いものと見るしかなく、従ってこの事件の協定当事者である両国間の外交的交渉が長期間効果を得られずにいるとして、在日韓国人の被徴用負傷者及びその遺族である請求人らとの関係において、政府が必ず仲裁に回付しなければならない義務を負わせられていると見るのは難しく、同様に請求人らに仲裁回付をしてくれと韓国政府に請求できる権利が生じると見ることも難しく、国家の在外国民保護義務(憲法第2条第2項)や個人の基本的人権に関する保護義務(憲法第 10 条)によったとしても、依然としてこの事件の協定の解釈及び実施に関する韓・日両国間の紛争を、仲裁という特定手段に回付して解決しなければならない政府の具体的作為義務と、請求人らのこれを請求できる権利は認定できない」と判示したことがある。

上の決定は被請求人が、この事件の協定第3条第2項の「仲裁回付による紛争解決」方法を取る義務があるのかに関するもので、第3条第1項で優先的に外交上の通路(訳者註:協定文は「経路 者註:協定文は「経路」)を通じた問題解決を模索するようにしているにもかかわらず、これを差し置いて第3条第2項の「仲裁回付方式による紛争解決」を図る被請求人の義務を、直ちに導き出せるかが問題になった。

しかし、この事件での争点は、被請求人がこの事件の協定第3条第1項、第2項による紛争解決に進むべき義務を負っているのかという点であり、特に第3条第1項では特定方式でない広範囲な外交上の経路を通した解決を規定しているので、この事件の協定の解釈に関する韓・日両国間の紛争が発生した現時点で、被請求人がこの事件の協定の解釈に関する紛争を解決するために、優先的に外交上の経路を通して解決を模索し、外交上の経路を通して解決をできない場合、仲裁回付に進むべき憲法的作為義務があるか否かである。

即ち、この事件の争点は、被請求人がこの事件の協定の解釈に関する紛争を解決するための多様な方法の内、「特定方法を取るべき作為義務」があるか否かではなく、「この事件の協定の解釈に関する紛争を解決するために、上の協定の規定に従った外交行為等をなすべき作為義務」があるか否かなので、上の先例の事案とは区別されると言うことだ。

(2)被請求人の裁量
外交行為は、価値と法律を共有する、一つの国家内に存在する国家と国民との関係を越えて、価値と法律を互いに異にする国際環境において国家と国家間の関係を扱うものなので、政府が紛争の状況と性質、国内外の情勢、国際法と普遍的に通用する慣行等を勘案して、政策決定をすることにおいて、幅広い裁量が許容される領域であることは否認できない。

しかし、憲法上の基本権は すべての国家権力を覊束するので、行政権力もやはり、このような基本権の保護義務に従って、基本権が実効的に保障されうるよう行使されなければならず、外交行為という領域も司法審査の対象から、完全に排除されると見ることはできない。特定国民の基本権が関連する外交行為において、前にみたことのように、法令で規定された具体的作為義務の不履行が、憲法上の基本権保護義務に対する明白な違反と判断される場合には、基本権侵害行為として違憲と宣言されなければならない。

結局、被請求人の裁量は、侵害される基本権の重大性、基本権侵害危険の切迫性、基本権の救済可能性、真正な国益に反するか否か等を総合的に考慮し、国家機関の基本権覊束性に当てはまる範囲内に制限されざるを得ない。


(3)不作為に因る基本権侵害の可否
(ア)侵害される基本権の重大性
日本軍慰安婦の被害は、日本国と日本軍によって強制的に動員され、その監視の下、日本軍の性奴隷を強要されたことに起因するもので、他にその例を発見することができない特殊な被害である。

日本軍慰安婦被害の特殊性は、国際社会は勿論だが、日本の裁判所によっても確認された。1994 年 9 月 2 日に公表された国連の NGO 国際法律家委員会の報告書と、1996 年2 月 6 日に公表された国連人権委員会「女性に関する暴力特別報告者」クマラスワミの報告書は、これを「軍事的性奴隷」と定義した。1998 年 8 月 12 日に 公表された国連人権小委員会の「戦時性奴隷制特別報告者」ゲイ・マクドガルの報告書は、日本軍慰安婦を強要した行為は「人道に関する罪」に該当する犯罪行為と断言した。2007 年 7 月、米国下院が採択した日本軍慰安婦決議案も、日本軍慰安婦を「日本政府による強制軍隊売春制度であり、残虐性と規模面から 20 世紀最大の人身売買犯罪」と規定した。そして 1998 年 4 月 27 日、 日本軍慰安婦問題に関する立法不作為責任を認定し、損害賠償を命じた日本の山口地方裁判所下関支部判決は、その被害を「徹底した女性差別・民族差別思想の表現であり、女性の人格の尊厳を根底から侵害し、民族の矜持を蹂躙するもの」と判断した。

日本国によって広範囲に恣行された反人道的犯罪行為に対して、日本軍慰安婦被害者らが日本国に対して有する賠償請求権は、憲法上保障される財産権であるのみならず、その賠償請求権の実現は、無慈悲に持続的に侵害された人間としての尊厳と価値、及び身体の自由を事後回復するという意味を有するものなので、その賠償請求権の実現を遮るのは憲法上の財産権問題に局限されず、根源的な人間としての尊厳と価価値の侵害と直接関連がある(憲法裁判所 2008. 7.31. 2004 憲パ 81, 判例集 20-2 上、91,100-101 参照)。


(イ)基本権侵害救済の切迫性
1991 年頃から最近まで、日本軍慰安婦被害者たちが日本の法廷で進行して来た3度の訴訟は、日本軍慰安婦被害者たちの賠償請求権が、この事件の協定によって消滅した等の理由で敗訴が確定した。

今や、日本の法廷を通した日本軍慰安婦被害者の司法的救済、若しくは日本政府の自発的謝罪及び救済措置を期待することは、事実上不可能になった。日本により軍隊性奴隷に追い込まれた第2次世界大戦が終わってから 60 年が遥かに過ぎ、被害者が日本を相手に訴訟を始めてからも 20 年余りが流れた。

一方、2006 年 3 月 13 日を基準として「日帝下日本軍慰安婦に関する生活安定支援法」の適用対象者 225 人の内、生存者は 125 人だったが、この事件の審判請求審理中にも相次いで死亡し、2011 年 3 月現在、政府に登録された日本軍慰安婦被害生存者は 75 人に過ぎず、この事件の請求人は本来 109 人だったのに、その間に 45 人が死亡し、64 人が生存しているのみである。さらに現在、生存している日本軍慰安婦被害者たちも皆高齢なので、これ以上時間を遅滞させた場合、日本軍慰安婦被害者の賠償請求権を実現することで歴史的正義を確立し、侵害された人間の尊厳と価値を回復することは、永遠に不可能になるかも知れない。

(ウ)基本権の救済可能性

被請求人は、仲裁回付手続きに進んだ場合の結果の不確実性等を考慮して、韓国政府が日本軍慰安婦被害者たちに対して経済的支援及び補償をする代わりに、日本国に金銭的な賠償責任を問わないことにしたと主張する。

侵害される基本権が重大で、その侵害の危険が差し迫っていると言っても、救済の可能性がまったくないとしたら、被請求人の作為義務を認定するのは難しいだろう。しかし、救済が完璧に保障された場合にだけ作為義務が認定されるのではなく、救済の可能性が存在することで足りるだろうし、この時、被害者たちが日本政府に対する賠償請求が、最終的に否認される結論が出る危険性も敢えて甘受するつもりであると言うのであれば、被請求人としては被害者たちの意思を充分考慮しなければならない。

2006 年国連国際法委員会によって採択され、総会へ提出された「外交的保護に関する条文草案」の第 19 条でも、外交的保護を行使する権利を有する国家は、重大な被害が発生した場合、特に外交的保護の行使の可能性を適切に考慮しなければならず、可能なすべての場合において、外交的保護への訴え及び請求される賠償に関する被害者たちの見解を考慮しなければならないことを、勧告的慣行として明示している。

ところで請求人らはこの事件の審判請求を通じて、被請求人の作為義務の履行を求めているので、被害者である請求人らの意思は明確であると言えるし、前で検討したこの事件の協定の締結経緯及びその前後の状況、女性に関する類例のない人権侵害に驚愕しながら、日本に対して公式的事実認定と謝罪、賠償を促している一連の国内外の動きを総合して見た時、被請求人がこの事件の協定第3条に従って紛争解決の手続きに進む場合、日本国による賠償がなされうるという可能性を、予め排除してはならない。

 

(エ)真に重要な国益に反するか否か
被請求人はこの事件の協定第3条による紛争解決措置を取りながら、日本政府の金銭賠償責任を主張する場合、日本側との消耗的な法的論争や、外交関係の不便を招来する怖れがあるという理由を掲げて、請求人が主張する具体的作為義務の履行をするのは難しいと主張する。しかし、国際情勢に関する理解に基づいた戦略的選択が要求される外交行為の特性を考慮するとしても、「消耗的な法的論争への発展の可能性」、若しくは「外交関係の不便」という非常に不明確で抽象的な事由を掲げ、それが基本権侵害の重大な危険に直面した請求人らに関する救済を無視する妥当な事由になるとか、若しくは真摯に考慮されるべき国益とみるのは難しい。

むしろ、過去の歴史的事実の認識の共有に向けた努力を通じて、日本政府をして、被害者に対する法的責任を果たさせることをもって、韓・日両国及び両国民の相互理解と相互信頼を深めさせ、これを歴史的教訓として、二度とこのような悲劇的状況が起きないようにすることが、真なる韓・日関係の未来を築く方向であると同時に、真に重要な国益に合致することと言えるだろう。


(オ)小結
被請求人のこの事件の不作為は、請求人らの重大な憲法上の基本権を侵害していると言える。


エ.小結論
憲法第10条、第2条第2項及び前文と、この事件の協定第3条の文言等に照らして見るとき、被請求人がこの事件の協定第3条に従って、紛争解決の手続きに進むべき義務は、憲法から由来する作為義務として、それが法令に具体的に規定されている場合と言えるし、請求人らの人間としての尊厳と価値及び財産権等、基本権の重大な侵害の可能性、救済の切迫性と可能性等を広く考慮する時、被請求人にこのような作為義務を履行しない裁量があるとは言えず、被請求人が現在までこの事件の協定3条に従って、紛争解決手続きを履行する作為義務を履行したと見ることはできない。

結局、被請求人のこのような不作為は憲法に違反し、請求人らの基本権を侵害するものである。


6.結論

そうだとすれば、この事件の審判請求は理由があるので、これを認容することにし、下記7.の通り、裁判官チョ・デヒョンの認容補充意見、下記8.の通り、裁判官李ガングク、裁判官閔ヒョンギ、裁判官李ドンフプの反対意見を除外した、残りの関与裁判官全員の一致した意見として、主文のように決定する。

7.裁判官チョ・デヒョン チョ・デヒョン チョ・デヒョンの認容補充意見

請求人らは日帝により強制動員され、日本軍慰安婦生活を強要された被害者として、日本国に対して損害賠償請求権を有するが、韓・日請求権協約によってそのような損害賠償請求権を行使するのは難しくなったと主張する。そのような損害賠償請求権の存否と範囲が、法院(訳者註:裁判所)の裁判手続きによって確定されなかったという理由で、請求人らの損害賠償請求権の侵害を主張する憲法訴願審判を拒否することはできない。


国家は日本軍慰安婦が日本国に対して有する損害賠償請求権を確認し、基本権として保障しなければならない(憲法第10条後文)。そうにもかかわらず、大韓民国政府は1965年 6月22日、韓日請求権協定を締結し、日本国から3億ドルを無償で受け取り、両国及びその国民間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたことを確認し、そのような請求権に関して、いかなる主張もできないこととすると約定した。

そして、日本国の裁判所は、このような韓日請求権協定により、請求人らは日本国に、日本軍慰安婦に関する損害賠償を請求できないと判断している。


このような協定によって、請求人らの日本国に対する損害賠償請求権が消滅したかどうかの可否については、見解が分かれている。万一、韓日請求権協定が、請求人らの日本国に対する損害賠償請求権を消滅させるのならば、請求人らの財産権を保障する義務を負う国家が、請求人らの財産権を消滅させる条約を締結したことになる。そして、韓日請求権協定が、請求人らの日本国に対する損害賠償請求権を消滅させるものではないとしても、請求人らは、日本国に対する損害賠償請求権を行使することが、韓日請求権協定によって阻止されている。したがって、大韓民国は、請求人らの日本国に関する損害賠償請求権行使が、韓日請求権協定によって妨害される違憲的な事態を解消させるために、韓日請求権協定第3条に従って日本国を相手に、外交的交渉や仲裁手続きを推進する義務を負うと見るのが妥当である。


そして、このように大韓民国が日本国と締結した韓日請求権協定が、請求人らの日本国に対する損害賠償請求権の行使を遮っている以上、そのような条約は請求人の基本権を侵害すると見ることもできるが、日本国の植民地統治に因って、大韓民国の国民が日本国に対して有する請求権を一括的に妥結するために、大韓民国政府が日本国から3億ドルを受け取って、国民の日本国に対する請求権を代わりに補償しようとしたものと理解するならば、そのような条約が憲法第37条第2項に違反すると断定するのも難しい。

ただし、そのように善意に理解しても、大韓民国政府は韓日請求権協定を締結して、日本国から無償資金3億ドルを受け取り、国民らが日本国に対して損害賠償請求権を行使できないように協定することで、日本国に対して損害賠償請求権を行使できなくなった国民らに対して、その損害を補償する義務を負うと見ざるをえない。

大韓民国は日本国から無償資金3億ドルを受けた後、1966年 2月19日、「請求権資金の運用及び管理に関する法律」を制定したが、被徴用死亡者の補償をしただけで、請求人らのような日本軍慰安婦は補償の対象に含まれなかった。そして、1993年 6月11日、「日帝下日本軍慰安婦に関する生活安定支援法」を制定し、日本軍慰安婦に生活安定支援のための一時金と、毎月の支援金を支給し、賃貸住宅への優先賃貸、生計給付、医療給付、看護人等を支援して来たが、請求人らの日本国に対する損害賠償請求権をまともに満足させるほど、充分に補償したと見るのは難しい。

したがって、大韓民国は韓日請求権協定第3条に従って、日本国を相手に外交的交渉や仲裁手続きを推進し、韓日請求権協定の違憲性を除去する義務があるだけでなく、韓日請求権協定に因って、請求人らが日本国に対する損害賠償請求権を行使できなくなった損害を、完全に補償する責任を負うと宣言しなければならない。

そして、日本国を相手にした外交的交渉や仲裁手続きによって、請求人らの日本国に対する損害賠償請求権行使の障害が解消される可能性は希薄で、請求人らにむなしい希望とそれがもたらす挫折と絶望の苦痛だけ抱かせる憂慮が大きいので、大韓民国が請求人らの日本国に対する損害賠償請求権を、完全に補償する義務があることを、より強調する必要がある。しかも、請求人らが皆高齢なので、請求人らに関する国家の補償措置は、至急実施される必要がある。

 

8.裁判官李ガングク、裁判官閔ヒョンギ、裁判官 裁判官李ガングク、裁判官閔ヒョンギ、裁判官李ドンフプの反対意見 ンフプの反対意見 ンフプの反対意見


私たちは、多数意見と異なり、韓国憲法上の明文規定や、いかなる憲法的法理によっても、「請求人らに対し、被申請人がこの事件の協定第3条で定めた紛争解決手続きに進むべき作為義務」があるとは言えず、請求人らのこの事件の憲法訴願は不適法と見るので、下記の通り反対意見を開陳する。

ア.憲法裁判所法 第 68 条第 1 項によると、公権力の行使だけでなく、公権力の不行使も憲法訴願の対象となりうるのだが、その公権力の不行使のせいで基本権の侵害を受けた者が、上の憲法訴願を提起する資格があるのだから、行政権力の不作為に対する憲法訴願は、公権力の主体に憲法から由来する作為義務が、特別に、具体的に規定され、これに依拠して、基本権の主体が行政行為ないし公権力の行使を請求できるにもかかわらず、公権力の主体がその義務を怠たる場合に限って許容される(憲法裁判所 1991.9.16. 89 憲マ 63, 判例集 3, 505, 513; 2000. 3.30. 98 憲マ 206, 判例集 12-1, 393, 401等参照)。

また、ここでいう「公権力の主体に憲法から由来する作為義務が、特別に、具体的に規定され」が意味するところが、憲法上明文で作為義務を規定していたり、憲法の解釈上作為義務が導き出されたり、法令に具体的に作為義務が規定されているの、3つの場合を包括していることも、やはり憲法裁判所で確立された判例である(憲裁 2004.10.28.2003 憲マ 898, 判例集 16-2 下、212, 219 参照)。

ところが、ここで留意すべきことは、憲法の明文規定上、憲法解釈上、法令上、導き出される公権力主体の具体的作為義務は、「基本権の主体である国民に対する」義務でなければならないということだ。そうであってこそ、「これに依拠して、基本権の主体が、行政行為ないし公権力の行使を請求できるにもかかわらず、公権力の主体がその義務を怠って憲法上保障された基本権を侵害された者」として、その侵害の原因となっている行政権力の不作為を対象に、憲法訴願を請求することができるからだ。

多数意見は、憲法第 10 条、第2条第2項、憲法前文中「3.1運動により建立された大韓民国臨時政府の法統を継承」するという部分と、この事件の協定第3条の文言を総合して、この事件被請求人の作為義務が「憲法から由来する作為義務として、それが法令に具体的に規定されている場合」に該当すると判断し、さらに被請求人が負う具体的作為義務の内容を、「この事件の協定第3条に従って、紛争解決の手続きに進む義務」と見なしたが、果たしてこのような解釈が妥当なのか、以下で具体的に検討する。

イ.まず、憲法第 10 条、第2条第2項、前文の規定自体、あるいはその解釈によって「憲法から由来する具体的作為義務」が認定されることはない。

国家と国民の権利と義務関係を規定した憲法の諸条項の中には、具体的で明確な意味で国民の基本権、その他の権利を付与する諸条項もあるが、開放的・抽象的・宣言的な文言で規定されており、憲法解釈や具体的法令等が媒介されてこそ、国家と国民間に拘束的な権利義務を発生させる諸条項もある。ところが「国民の不可侵の人権を確認し、これを保障する義務」を規定した憲法第 10 条、「法律が決めるところによって、在外国民を保護する義務」を規定した憲法第2条第2項は、後者の場合に該当するものであって、国家が国民に対し基本権の保障及び保護義務を負うという、国家の一般的・抽象的義務を規定しただけで、その条項自体から国民のための何らかの具体的な行為をなすべき国家の作為義務が導き出されるのではない。「3.1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統を継承」するという、憲法前文の文言もまた同じだ。たとえ憲法前文が、国家的課題と国家的秩序形成に関する指導理念・指導原理を規定し、国家の基本的価値秩序に関する国民的合意を規範化したもので、最高規範性を有し、法令解釈と立法の指針になる規範的効力を有してはいるものの、それ自体から国家の国民に対する具体的な作為義務が生じることはない。

このように憲法第 10 条、第2条第2項、憲法前文から、国家の具体的作為義務と、そのような作為義務を請求できる国民の権利が導き出されないという点は、憲法裁判所の確立された判例でもある(憲法第 10 条、第2条第2項に関しては、憲裁 2000.3.30.98 憲マ 206, 判例集 12-1, 393, 402-403; 1998. 5.28. 97 憲マ 282, 判例集 10-1, 705,710, 憲法前文に関しては憲裁 2005.6.30. 2004 憲マ 859, 判例集 17-1, 1016, 1020-1021参照)。

従って、いくらこの事件の請求人らの基本権侵害状態が重大で切迫しているとしても、憲法第 10 条、第2条第2項、憲法前文だけに基づいては、請求人らに対し国家が何らかの行為をすべき具体的な作為義務を導き出すことはできず、結局、「具体的な作為義務が規定されている法令」が存在してこそ、これを媒介として国家の請求人らに対する具体的作為義務を認定しうるのであろう。

ウ.そうだとすれば、次に、この事件の協定第3条に規定された紛争解決手続きに関する条項が、上で述べる「法令に具体的に作為義務が規定されている」場合に該当し、「憲法から由来する作為義務」が導き出されるかに関して検討する。

(1)まず、法令に具体的に作為義務が規定されている場合での、「法令に規定された具体的作為義務」とは、「国家が国民に対し特定の作為義務を負う」という内容が、法令に記載された場合を意味すると見なければならない。なぜならば、行政権力の不作為に対する憲法訴願を請求するためには、規定された作為義務に依拠して、「基本権の主体が、行政行為ないし公権力の行使を請求できるにもかかわらず、公権力の主体がその義務を怠っている場合」に限って許容されるものなので(憲裁 2000.3.30. 98 憲マ 206,判例集 12-1, 393)、法令に規定される具体的作為義務は、「基本権の主体である国民に、国家に対して特定の作為義務の履行を要求できる権利を付与する内容」でなければならないからだ。これは国家が、上のような具体的作為義務を履行しないことに因って、基本権を侵害されたと主張する憲法訴願において、基本権侵害の可能性ないし因果関係を認定するためにも、当然要求される前提と言えよう。

基本的に国会が制定する法律や、国民に対し拘束力を有する行政法規に、具体的な権利を国民に付与する内容があるのなら、これは「法令に具体的に作為義務が規定された場合」に該当すると見ることができる。現在まで、憲法裁判所に提起された行政権力の不作為に対する憲法訴願審判は、ほとんどすべてが国内法令に国家の請求人に対する具体的な作為義務が規定されているのか、その義務に対する不作為があるのかが、争点の諸事件だったし、該当法令に、問題になった具体的作為義務が、行政権力の国民に対する羈束行為として規定されていたり、裁量行為として規定されているが公権力不行使の結果、請求人に対する基本権侵害の程度が顕著だ等の事由から、羈束行為として解釈しなければならない場合には、具体的作為義務が認定されたし(前者に関しては、憲裁1998.7.16. 96憲マ 246, 判例集 10-2, 283; 2004.5.27. 2003憲マ851, 判例集 16-1, 699,後者に関しては、憲裁 1995.7.21.94 憲マ 136, 判例集 7-2, 169 参照)、反対に純粋な行政庁の裁量行為として規定されている場合には、請求人に対する具体的作為義務が認定されないと判示することもした(憲裁 2005.6.30. 2004 憲マ 859, 判例集 171)。

だが、この事件の協定のような条約、その他の外交文書で、締約国が互いにこれこれの方式で紛争を解決しようという内容と手続きが規定されているなら、これは基本的に締約国当事者の間で、締約の相手方に対して(訳者追加:「責任を」?)負うことを前提に用意されたものなので、一定の義務事項が記載されていたとしても、締約国当事者が相手方国家に対して要求できるだけである。従って、「条約を根拠として、自国が相手方国家に対し取りうる条約上の権利義務を履行せよ」と、自国政府に要求できるためには、「そういう要求ができる権利を自国国民に付与する内容」の具体的文言が、該当条約に記載されていなければならないだろう。条約に、そのような内容の明示的文言がない以上、該当条約が国民の権利関係を対象にするという理由だけで、条約上定められた手続き上の措置を取ることを、自国政府に要求する権利は発生しないと見なければならない。

この事件の協定は、両国間、あるいは一国政府と他国国民間、両国国民相互間の、「財産、権利、利益、請求権」に関する問題を対象にしたが(この事件の協定第2条第1項)、この事件の請求人らのような慰安婦被害者たちに対する、日本国の賠償責任問題は、上の協定の対象に含まれていたか否かが明らかでないほど、一般的で、抽象的な文言で記載していて、その結果、実際に両国間の立場の差異に因って、請求人らの権利問題に関して、この事件の協定の解釈及び実施に関して、「紛争」が発生した状態だとは見ることができる。だが、さらに、この事件の協定で、関連国の国民にこの事件の協定第3条上の紛争解決手続きに進むことを要求できる権利を付与していない以上、請求人らの基本権が関連しているという理由だけでは、上の条約上、紛争解決手続きを履行せよと、自国政府に対して要求する具体的権利は認定できないと言えるだろう。

従って、この事件の協定内容に基づいて、多数意見が認定したことのような、国家の具体的作為義務を導き出すことはできない。この事件の協定第3条の紛争解決手続きに進めと、自国政府に対し要求できる権利を該当国の国民に付与する内容の文言が、この事件の協定のどこにも規定されていないからだ。だからと言って、憲法第 10 条、第2条第2項、憲法前文により、上の通り、具体的作為義務が直接認定されてもいないので、結局、この事件の協定と上の憲法規定を総合しても、この事件の請求人らに対する国家の具体的作為義務は導き出されない。
(2)次に、この事件の協定第3条が規定している内容自体に照らしてみる時、多数意見が言う「この事件の協定の解釈に関する紛争を解決するために、第3条の規定に従った外交行為をする作為義務」というものが、「具体的な」行為をしなければならない「義務」だと見ることもできない。

(ア)この事件の協定第3条は、「この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする」(第1項)、「1の規定により解決することができなかつた紛争は、いずれか一方の締約国の政府が他方の締約国の政府から紛争の仲裁を要請する公文を受領した日から……からなる仲裁委員会に決定のため回付する」(第2項)と規定している。どの条項にも、紛争があれば「必ず」、外交的解決手続きに進まなければならいとか、外交的解決が膠着状態に陥る場合「必ず」仲裁手続きを申請しなければならないという、「義務的」内容は記載されていない。「外交上の経路を通して解決する」という文言は、外交的に解決しようという両締約国の間の外交的約束以上を意味するものだと解釈することはできない。「仲裁委員会に決定のため回付する」ということも、やはり「仲裁を要請する公文が受領されれば」回付されるわけだが、どの文言にも仲裁を要請しなければならないという、「義務的」要素が入っていると解釈するほどの根拠は発見できない。結局、第3条第1項、第2項のどこからも、外交上の解決手続きに進まなければならない「義務」、外交上の解決が出来なければ仲裁手続きに進まなければならない「義務」があるとの解釈を導くことはできない。

ところが多数意見は、このような解釈上の疑問点に対しては何の言及もなく、侵害される請求人らの基本権の重大性、基本権侵害救済の切迫性だけを根拠として、「被請求人に、このような作為義務を履行しない裁量があるということはできず」と判示しているが、国家間条約に記載された義務性さえない文言を、それに因って事実上影響を受ける国民が切迫した事情に置かれているという理由だけで、一方の締約国の政府である被請求人に対し、条約上の行為を強制することができる「義務」条項だと解釈してしまったことは、行き過ぎた論理の飛躍と言わざるを得ない。

 

むしろ、この事件の協定第3条に記載された紛争解決手続きに進む行為は、規定の形式と内容から見た時、両締約国の「裁量行為」と見ることが妥当と言うべきだろう。この事件の協定第3条を根拠に、在日韓国人被徴用負傷者たちの日本国に対する補償請求権に関する争いを、仲裁に回付すべき具体的な作為義務が国家にあると主張し、請求した憲法訴願事件で、憲法裁判所もまた、これを裁量行為と解釈したことがあり、その内容は以下の通りである。

 

『この事件の協定第3条は、この事件の協定の解釈及び実施に関する両国間の紛争は、まず外交上の経路を通して解決し、外交上の経路を通して解決できなかった紛争は、一方の締約国の政府が、相手国政府に仲裁を要請し、仲裁委員会の決定に従って解決するように規定しているが、「上の規定の形式と内容から見ても、外交的問題の特性から見ても、この事件の協定の解釈及び実施に関する紛争を解決するために、外交上の経路を通すべきか、でなければ仲裁に回付するべきかに関する、韓国政府の裁量範囲は相当広いと見る他なく」、従って、この事件の協定当事者である両国間の外交的交渉が、長期間効果が得られずにいるからといって、在日韓国人被徴用負傷者及びその遺族である請求人らとの関係から、政府が必ず仲裁に回付しなければならない義務を負うようになると見るのは難しく、同じ理由から、請求人らに仲裁回付をせよと、韓国政府に請求できる権利が生じると見るのも難しい』(憲裁 2000.3.30. 98 憲マ 206, 判例集 12-1,
393,402)。

 

多数意見は、上の先例は第3条第1項の「外交的解決義務」を差し置いて、第2項の「仲裁手続き回付義務」を履行しないことを根拠に憲法訴願を提起したものなので、「第3条全体に基づく紛争解決手続き履行義務」を問題と見なしているこの事件とでは、結論を異にすることができる、という前提から、上の先例とこの事件は区別されるとした。しかし、これは上の先例の趣旨を誤解したものだ。上の先例で、具体的な作為義務を認定しなかった主な根拠は、すでに見たように、この事件の協定第3条に基づく「外交的解決」や、「仲裁手続き回付」、 すべての「義務事項」ではなく、韓国の外交的「裁量事項」というところにあったと見るのが妥当であろう。

(イ)さらに、この事件の協定第3条が規定している「外交的解決」、「仲裁手続き回付」に、何らかの義務性があると見るとしても、それが「具体的な」作為を内容としているものと見るのも難しい。

「外交上の経路を通して解決する義務」とは、国家の基本権保障義務、在外国民の保護義務、伝統文化の継承・発展と民族文化の暢達に努力する国家の義務、身体障害者等の福祉向上のために努力すべき国家の義務、保健に関する国家の保護義務等と同様に、国家の一般的・抽象的な義務水準にしか過ぎない。このような国家の一般的・抽象的義務とは、それ自体が「具体的な」作為義務ではないので、たとえ憲法に明示的な文言として記載されていたとしても、国民が国家に対しその義務の履行を直接求めることができる「具体的な」作為義務に変貌しない。国民と国家の規範的関係を規律する根本規範である「憲法」に明示してあっても、これを根拠に国家に対してその義務の履行を求めることはできないのに、まして憲法より下位規範である「条約」に明示されているだけにもかかわらず、これを根拠に、条約の当事者でもない国民が、国家に対して義務の履行を求めることができる「具体的な」作為義務に変貌すると解釈することはできないのである。

 

また「外交的解決をする義務」とは、その履行の主体や方式、履行程度、履行の完結可否を判断できる、客観的判断基準を用意するのも大変で、その義務を不履行したのかどうかの事実確定が困難な、高度な政治行為の領域に該当するので、憲法裁判所の司法審査の対象になりはするものの、権力分立の原則上、司法の自制が要求される分野である。この事件の協定だけ見ても、国内の慰安婦被害者問題の深刻性と、これに反して、韓日間交流と協力を継続しなければならない韓日間の微妙な外交関係に照らしてみた時、どれほど外交的努力を尽せば履行したと言えるのか、この事件の協定が締結されてから現在まで 40 年余りが過ぎたが、初期に外交的解決努力をしたが現在は努力をしないでいるとか、請求人らが満足するだけの努力をしないでいるといって、外交的な解決義務の不履行になるのか、第2項の仲裁手続き回付義務は、それならばいつ頃発生すると見るべきか等、その履行の可否を判断する、いかなる明確な基準も発見できない。はたして、このような実質を持つ「外交上の義務」を、国民が国家に対しその履行を要求できる、「具体的な」作為義務と言えるのかということである。そして、履行内容が具体的なのかどうかは問わず、条約に記載されているという理由だけで、憲法裁判所が政府に漠然と「外交的努力をせよ」という義務を強制的に賦課させることは、憲法が政治的、外交的諸行為に関する政策判断、政策樹立及び執行に関する権限を担当している行政府に付与している、権力分立原則に反する素地もあるという点から、より一層問題にならざるを得ない。

 

エ.小結
したがって、憲法第 10 条、第2条第2項、憲法前文の規定、この事件の協定第3条に基づいては、この事件の請求人らに対し、国家がこの事件の協定第3条に定めた紛争解決手続きに進むべき具体的作為義務が発生するとは見られないので、被請求人が上の紛争解決手続きに進まないでいる不作為に因って、請求人らの基本権が侵害されたと主張する、この事件の憲法訴願審判請求は、不適法であり、却下されるべきである。

日本によって強制的に慰安婦として動員された後、人間としての人生を根こそぎ剥奪され、その加害者である日本国から人間的謝罪さえ得られないでいる、この事件の請求人らの切迫した心情を考えれば、大韓民国国民として誰もが共感せずにはおられず、何とかして韓国政府が国家的努力を尽くしてくれればという願いは、私たち皆が切実に思っている。だが憲法裁判所は基本的に、憲法と法律によって裁判をしなければならないので、裁判当事者が置かれている状況がいかに国家的に重大で、個人的に切迫しているとしても、憲法と法律の規定及びそれに関する憲法的法理を跳び越えることはできない。

この事件の請求人らが置かれている基本権救済の重要性、切迫性を解決できる法的手段を、憲法や法令、その他の憲法的法理によっても発見できないのなら、結局、彼女らの法的地位を解決する問題は、政治権力に任されているというしかなく、憲法と法律、憲法解釈の限界を越えてまで、憲法裁判所が被請求人にその問題の解決を強制することはできない。それが権力分立の原則上、憲法裁判所が守らなければならない憲法的限界なのである。

2011 年 8 月 30 日

裁判長 裁判官 李ガングク
裁判官 チョ・デヒョン、退任で署名捺印不能
裁判官 金ジョンデ
裁判官 閔ヒョンギ
裁判官 李ドンフプ
裁判官 睦ヨンジュン
裁判官 宋ドゥファン
裁判官 朴ハンチョル
裁判官 李ジョンミ
[別紙1]
請求人目録
訳者注
日本軍「慰安婦」被害者である 日本軍「慰安婦」被害者である 日本軍「慰安婦」被害者である64名の請求人の
名前、住民番号、住所(団体、事務所の住所)が記載されている 名前、住民番号、住所(団体、事務所の住所)が記載されている 記載されている。
[別紙2]
請求人代理人目録
1. 弁護士 車ジフン
2. 弁護士 韓テックン
3. 弁護士 金ジン
4. 法務法人チョンピョン 担当弁護士 沈ジェファン
5. 法務法人東西南北 担当弁護士 張ユシク
6. 法務法人ジャハヨン 担当弁護士 元ミンギョン
7. 法務法人 創造 担当弁護士 金ハグン
8. 法務法人ヘマル 担当弁護士 李ミンジョン
9. 法務法人トクス 担当弁護士 李ソクテ
10. 法務法人 トンファ 担当弁護士 チョ・ヨンソン
11. 法務法人 市民 担当弁護士 韓ギヲョンス
12. 法務法人 シンムンゴ 担当弁護士 チョ・ジェヒョン
13. 法務法人 ハンギョル 担当弁護士 朴ジュミン
14. 弁護士 金ガンウォン
15. 法務法人 三一 担当弁護士 崔鳳泰、李春姫、呉チュンヒョン、宋ヘイク、金インソク、チュ・ギョンテ、イム・ソンウ、 権ヨンギュ


日本語訳:李洋秀・岡田卓己
(市場淳子訳の「憲法裁判所決定『原爆被害者』全文」 訳の「憲法裁判所決定『原爆被害者』全文」 訳の「憲法裁判所決定『原爆被害者』全文」を参照した)

 

[出典] 20110830憲法裁判所決定「慰安婦」全文日本語訳0926版

 

성명 「일본군’위안부’ 문제, 섣부른 ‘담합’을 경계한다」를 지지한다

 내일 12월 28일 한일 외무장관 회담이 열린다. 자세히 쓸 여유는 없지만, 회담을 둘러싼 보도는 다시금 일본사회가 얼마나 ‘위안부’ 문제를 왜곡되게 인식하고 있는지를 드러내고 있다. 당사자들을 무시하고 수면 아래의 교섭이 긍정되고 나아가서는 ‘다시 거론하는 것’을 금하는 것이 획득해야 할 외교적 목표인 것처럼 다루어지고 있다. 부끄러운 줄도 모르고 ‘입막음’을 ‘해결’로 간주하는 주장이 횡행하고 있다. 결국, 1965년 이후로 이 사회는 하나도 본질적으로 변하지 않은 것이다.

 

 아니 1965년보다 나쁘다고 할 수 있을지도 모른다. 왜곡된 ‘화해’론은 일본정부가 혼자 힘으로 만들어낸 것이 아니다. 일본정부는 지금까지 여러 번 일본군 ‘위안부’ 문제에 대한 일본의 책임을 부정하는 발언을 반복해 왔다. 확실히 문제를 ‘다시 거론’해 온 것은 일본정부이다. 그럼에도 불구하고 일본식 문제해결안(국민기금)을 수용할 수 없었던 것, 소녀상을 설치하고 항의한 것이 마치 문제 ‘해결’의 장애인 것처럼 논하는 보도가 일본에서는 반복되고 있다.

 

 그리고 이와 같은 문제 이해 방식은 오누마 야스아키(大沼保昭), 와다 하루키(和田春樹)를 비롯한 국민기금 추진파들이 반복해서 일본의 언론계에 선전해 온 것이다. 말할 필요도 없이 박유하 『화해를 위해서』, 『제국의 위안부』는 그러한 ‘화해’론의 전파에 극히 중요한 역할을 담당했다. ‘입막음’을 최종적인 해결로 생각하는 왜곡된 ‘화해’론은, 말하자면 지금까지의 일본 정계와 언론계가 거국일치로 만들어낸 것이라고 할 수 있다.

 

 이 문제와 관련하여 오늘 12월 27일에 한국의 「일본군‘위안부’ 연구회 설립추진모임」(*)이 아래의 성명「일본군’위안부’ 문제, 섣부른 ‘담합’을 경계한다」를 발표했다. 나는 이 모임의 성명을 지지한다. 부디 많은 분들, 특히 일본 사람들이 아래의 성명을 숙독하기를 바란다.

 

 *이 모임은 박유하의 기소에 항의하는 성명에 대한 비판으로서 성명 「『제국의 위안부』 사태에 대한 입장」을 발표한 사람들을 중심으로 한 모임이다.

 

 

 

일본군’위안부’ 문제, 섣부른 ‘담합’을 경계한다.

 

  한일 국교정상화 50주년인 2015년의 세모에, 일본군‘위안부’ 문제를 둘러싼 한일 양국 정부의 분주한 움직임이 언론보도를 가득 채우고 있습니다.

  아베 신조 일본 총리가 기시다 후미오 외상에게 방한을 지시했고, 한일 양국이 12월 28일에 외교장관 회담을 개최하여 담판을 하기로 했다고 합니다. 또한 그 배후에는 이병기 청와대 비서실장과 야치 쇼타로 국가안보국장의 물 밑 교섭이 있었다고 합니다.

  이미 고령인 피해자들의 살아 생전에 문제를 해결하는 것이 최선이라는 점에 대해서는 이의가 있을 수 없습니다. 하지만 시간을 이유로 섣부른 ‘담합’을 한다면 그것은 ‘최악’이 될 것입니다.

  1990년대 초에 일본군‘위안부’ 문제가 본격적으로 제기된 때로부터 이미 4반세기가 지났습니다. 그 오랜 세월 동안 피해자들과 그들의 간절한 호소에 공감한 전 세계 시민들이 문제 해결을 위한 방안을 함께 고민했고, 그 결과 명확한 방향이 정해졌습니다. ‘사실 인정, 사죄, 배상, 진상규명, 역사교육, 추모사업, 책임자 처벌’이 그것입니다. 이것이야말로 지난 4반세기 동안 국제사회가 논의를 거듭한 끝에 확립한 ‘법적 상식’입니다.

  일본군‘위안부’ 문제의 ‘정의로운 해결’을 위해, 일본 정부는 ‘일본의 범죄’였다는 사실을 인정해야 합니다. 그 범죄에 대해 국가적 차원에서 사죄하고 배상해야 합니다. 관련 자료를 남김없이 공개해야 하고, 현재와 미래의 세대에게 역사교육을 해야 하며, 피해자들을 위한 추모사업을 해야 합니다. 그리고 책임자를 찾아내어 처벌해야 합니다. 그렇게 할 때 비로소 일본의 ‘법적 책임’이 종료되는 것입니다.

  우리는 일본군‘위안부’ 문제에 대한 한국 정부의 공식입장이 ‘일본 정부에게 법적 책임이 남아 있다’라는 것임을 다시 한 번 확인합니다. 한국 정부는 2005년 8월 26일 ‘한일회담 문서공개 후속대책 관련 민관공동위원회’의 결정을 통해 “일본군위안부 문제 등 일본 정부・軍 등 국가권력이 관여한 반인도적 불법행위에 대해서는 청구권협정에 의하여 해결된 것으로 볼 수 없고, 일본 정부의 법적 책임이 남아있음”이라는 입장을 명확하게 밝혔습니다. 또한 이것은 2011년 8월 30일의 헌법재판소 결정과 2012년 5월 24일의 대법원 판결에서도 한국 정부의 공식입장으로 거듭 확인되었습니다.

  우리는 1995년에 시작된 일본의 ‘여성을 위한 아시아평화 국민기금’이 실패한 것은 ‘일본의 책임’을 애매하게 얼버무리려 했기 때문임을 다시 한 번 확인합니다. 국민기금은 일본 국민으로부터 받은 성금으로 ‘위로금’을 지급하고, 일본 정부의 자금으로 의료・복지 지원을 하고, 내각총리대신 명의의 ‘사과의 편지’를 전달하는 사업이었습니다. 그런데 일본 정부가 ‘도의적 책임은 지겠지만 법적 책임은 결코 질 수 없다’라고 거듭 강조했고, 바로 그 애매성 때문에 다수의 피해자들에 의해 거부된 것입니다.

  지금 한일 양국 정부가 어떤 논의를 하고 있는지는 분명하지 않지만, 언론에 보도되고 있는 내용은 위와 같은 국제사회의 법적 상식과 일본군‘위안부’ 문제의 역사는 물론이고 한국 정부의 공식입장과도 명백하게 상충되는 것입니다. 1995년의 국민기금 수준조차도 2015년의 해결책은 될 수 없습니다. 그 이하라면 더 말할 것도 없습니다. 무엇보다 그것은 지난 4반세기 동안 ‘정의로운 해결’을 호소해온 피해자들의 바람을 저버리는 일입니다.

지금으로부터 50년 전, 한일 양국 정부는 ‘경제’와 ‘안보’라는 현실논리를 내세워 과거청산 문제를 덮기로 ‘담합’했습니다. 바로 그 때문에 지금도 피해자들은 차가운 거리에서 ‘정의로운 해결’을 호소하지 않을 수 없게 되었습니다. 50년 전과 같은 ‘담합’을 또 다시 반복한다면, 그것은 한일관계의 역사에 커다란 잘못을 하나 더 추가하는 불행한 일이 되고 말 것입니다.

 

                                                                                                     2015.12.27.

                                                                               일본군‘위안부’ 연구회 설립추진모임

 

원문: 声明「日本軍「慰安婦」問題、早まった「談合」を警戒する」を支持する

マクドゥーガル報告書(第二次大戦中設置された「慰安所」に関する日本政府の法的責任の分析)

 

目次:

  I. 日本政府の立場
 II. レイプセンターの性格と規模
III. 実体法としての慣習的国際法の一般的規準
 A 奴隷制と奴隷売買
 B 戦争犯罪としてのレイプ
 C 人道に対する罪
IV. 実体法の適用
 V. 日本政府の弁論
 A 法律の遡及的適用
 B 奴隷制の禁止
 C レイプと強制売春
 D 韓国・朝鮮の立場
VI. 救済(REDRESS)
 A 個人的犯罪責任
 B 国家責任と補償責任
  1 個人補償
  2 補償を求める民事訴訟
  3 補償要求の調停に関する協定
 C 勧告
 1 犯罪の訴追を保証する一定の手続きの必要性
 2 法的補償を行うための一定の手続きの必要性
 3 補償の妥当性
 4 報告の必要
VII. 結論

 

はじめに


◆1
 一九三二年から第二次大戦終結までに、日本政府と日本帝国軍隊は、二〇万人を越える女性たちを強制的に、アジア全域にわたる強かん所で性奴隷にした。これらの強かん所はふつう、「慰安所」と呼ばれた。許し難い婉曲表現である。これらの「慰安婦」(1)たちの多くは朝鮮半島出身者であったが、中国、インドネシア、フィリピンなど、日本占頷下の他のアジア諸国から連行された者も多かった。この一〇年間に、徐々に、これら残虐行為の披害女性たちが名乗り出て、救済を求めるようになってきた。この付属文書は、第二次大戦中の強かん所の設置・監督・運営に対する日本軍当局の関与について、日本政府自身が行った調査で確定した事実のみに基づいている。日本政府が確認したこれらの事実に基づいてこの付属文書は、第弐次大戦中に「慰安所」で行われた女性たちの奴隷化と強かんについて、日本政府が現在どのように法的責任を負っているかを判定しようとするものである。責任を問う根拠はいろいろありうるが、この報告書は特に、奴隷制、人道に対する罪、戦争犯罪という最も重大な国際犯罪に対する責任に焦点をあてる。この付属文書はまた、国際刑法の法的枠組みを明らかにし、被害者がどのような賠償請求を提起できるか検証する。

1 この用語には, あからさまな侮蔑的含みがあり, その歴史的文脈のなかで, この特定の残虐行為にかかわる用語としてのみ使われる.この犯罪を描写する表現として, これほど婉曲的な用語が選ばれてしまったのは残念なことで, それはいろいろな意味で, 国際社会全体として, 特に日本政府が, この侵害行為の本質をいかに最小限にとどめようとしてきたかを示している.

 

第1章 日本政府の立場


◆2
 日本政府は、第二次大戦中の強かん所の設置・監督に日本軍が直接どの程度関与したかについて長年にわたって否定してきたが、一九九三年八月四日に内閣官房外政審議室が発表した「戦時『慰安婦』問題について」と題する公式調査と、同日の内閣官房長官談話で、「慰安所」設置に政府の関与があったことをやっと認めた(*)。この調査は、戦時中の記録資料の調査と、軍関係者と元「慰安婦」双方に対する聞き取り調査が含まれていた。本論で以下に論じるとおり、一九九三年の政府調査では、「慰安婦」に人格と性の自己決定権が認められていなかったことや、女性たちがまるで所有物のように健康を管理されていたことが浮き彫りになっている。

* E/CN.4/1996/137,annex

◆3
日本政府は最近、「慰安婦」の「問題」についてたびたび謝罪している(*)。最も注目すべきなのは、一九九五年七月の第二次大戦終結五〇周年に、村山富市首相が次のように述べた点だ。
「戦争の傷はいまだに深く……いわゆる『従軍慰安婦』の問題はそのような傷の一つであり、当時の日本軍の関与の下、女性たちの名誉と尊厳を深く傷つけた。これはまったく許し難いことである。わたしは、従軍慰安婦として癒されることのない精神的、身体的傷に苦しんだすべての人々に、深く謝罪したい」。(2)

* 日本政府の発表文では「お詫び」となっているが、英訳して公表したときにはapologyという訳語が使われたため、国際社会では日本が「謝罪した」と受けとめられている
2 1995年7月, 日本の村山富市首相の声明. アジア女性基金(公式のプログラム説明書)に再録. 人権委員会に第52会期に提出された, 女性に対する暴力と「慰安婦」の諸問題に関する日本の方針(E/CN.4/1996/137,annex)も参照.

◆4
 こうした謝罪や事実の確認にもかかわらず日本政府は、慰安所の「設置と運営」にかかわる日本軍の行為に対する法的責任を否定し続けている(*)。特に、人権委員会のラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力」特別報告者による報告書(**)に対し、日本政府はいくつもの実体的根拠をあげて法的責任を強く否定した。これらの根拠のうち最も重要なものは以下である。(†)
(a)国際刑法の最近の研究成果は、過去の行為に遡及適用できない。
(b)奴隷制犯罪の規定は、「慰安所」によってできた仕組みにそのまま適用できるものではないし、また奴隷制の禁止は、第二次大戦の時点で適用可能な国際法の下での慣習的規範としてはいずれにしても確立してはいなかった。
(c)武力紛争下の強かん行為は、一九○七年のハーグ第四条か付属書〔以下ハーグ陸戦規則〕によっても、あるいは第二次大戦時に有効であった国際法の適用可能な慣習的規範によっても、禁止されていなかった。
(d)いずれにせよ、戦争法規は敵国民に対して日本軍が行った行為にのみ適用されるものであり、したがって、日本国民や第二次大戦当時日本に併合されていた朝鮮半島の住民には適用されない。

* E/CN./4/1996/137 
** E/CN.4/1996/53/Add.1
† 同

◆5
 日本軍の「慰安所」への直接関与に対する謝罪に続いて日本政府は、一九九五年七月に「日本と世界の女性の人権を守るため」(3)の「女性のためのアジア平和国民基金」〔アジア女性基金〕を創設した。アジア女性基金は、「今日女性が直面する問題の解決のために努力する」女性の非政府組織〔NGO〕を支援し、女性に対しカウンセリング・サービスを提供し、調査や学術研究を支援し、女性に影響を与える問題を取り上げる会合や会議を主催し、また、「慰安婦」については、「日本人が感じている真摯な謝罪と後悔の念を伝えたいという望み」を、日本の民間から直接に募金で集めた「償い」金を通じて推進する(4)

3 前出アジア女性基金公式説明書.
4 同上.

◆6
 法的な損害賠償請求に関して日本政府は、「慰安婦」個々人には損害賠償の法的権利がないと主張する。あったとしても日本政府は、これらの女性の損害賠償請求権はすべて、日本とアジア各国との間で戦後締結された平和条約や国際協定によって、完全に解決ずみであると主張する。最後に日本政府は、第二次大戦中の強かん所に関する訴訟は民事であれ刑事であれ、すべて時効が適用されるため、現在では提訴期限が過ぎていて審理不可能であるとする(*)

* E/CN.4/1996/137

第2章 強かん所の本質と規模
◆7
 第二次大戦中にアジア全域にわたる強かん所の設置に、日本政府と日本軍の双方が直接関与していたことは、今や明白である。強かん所で日本軍によって奴隷化されていた女性の多くは一一歳から二〇歳であった。これらの女性たちは、日本が占領したアジアの各地で、監禁されて毎日何度も強かんされ、過酷な身体的虐待を受け、性感染症に冒された(5)。これら連日の虐待を生き延びたのは、こうした女性たちのわずか二五%であったといわれる(6)。日本軍は暴力、誘かい、強要、詐欺の手段でこれら「慰安婦」を確保した(7)

5 Karen Parker and Jennifer E Chew, "Compensation for Japan's World War IIwar-rape victims", Hastings International and Comparative Law Review, vol.17, 1994, pp.497,498-499
6 同上, p.199 and note 6 (第二次大戦中に14万5千人の朝鮮人女性が死亡したとする自民党国会議員荒船清十郎の声明を引用).
7 同上.

◆8
 政府機関やNGOによる予備的調査で、「慰安所」は三種類に大別できることが明らかになった(8)
(1)日本軍の直接的運営・監督下にあったもの。
(2)形式上は民間業者の運営であるが、事実上軍が監督して、軍人軍属だけが利用していたもの。
(3)民間業者が運営し、軍人に優先権があったが、一般の日本人も利用できたもの。
 第二類型の「慰安所」が最も多かったと考えられている(9)。これらの行為に日本軍が関与していたことについて、日本政府は「道義的責任」を認めてはいるか、法的責任については一貫して全面的に否定してきた(10)

8 The First Report on the lssue of Japan's Military "Comfort Women", Centre for Research and Documentation on Japan's War Responsibility, 31 March 1994, pp.3-4(日本の戦争責任資料センター「日本軍『慰安婦』問題に関する第一報告書」)
9 同上.
10 同上, p.5 ~ p.16およびE/CN.4/1996/137,annex. Report of the Committee of Experts on the Application of Conventions and Recommendations, lnternational Labour Conference (ILO条約適用専門家委員会報告および勧告), 83rd Session, 1996, report Ⅲ (Part 4A), 第103項~107項, 114項も参照.

◆9
 日本政府自身の報告書により、次のような関連事実が明らかになっている。
(a)慰安所設置の理由
「慰安所は、当時の軍部の要求に応じてさまざまな地域に設置された。当時の政府の内部文書によれば、慰安所設置の理由として、占領地域の住民に対する日本軍将兵の強かんその他の違法行為の結果反日感情が醸成されるのを防ぎ、性病その他の病気による土気の低下を防ぎ、スパイ活動を防ぐ必要性があげられている」(*)
(b)時期および場所
「一九三二年のいわゆる上海事変当時、現地に駐屯する部隊のため慰安所が設置されたことは、複数の文書に示されている。したがって、慰安所はその頃から第二次大戦終結時まで存在していたと見られる。戦争の拡大につれて慰安所は、規模、設置地域ともに拡大していった」(**)
(c)民間業者に対する軍の監督
「多くの慰安所は民間業者が運営していたが、地域によっては当時の車が直接運営する例もあった。民間業者が運営する場合でも、当時の日本軍は、開業の許可や設備の手当て、あるいは開業時間や料金を定めるなどの手段で、慰安所の設置・運営に直接関与し、設備利用についての注意や規則などを取り決めた」(†)
(d)健康状態についての軍の管理
「慰安婦の管理に関して当時の日本軍は、慰安婦と慰安所の衛生管理のために、避妊具の使用義務などを慰安所の規則に含めたり、性病その他の病気についての軍医による慰安婦の定期検診などの措置をとった」(††)
(e)移動の自由の制限
「慰安所によっては運営規則を定めて、休憩時間や休憩時間に出かけられる場所を限定するなど、慰安婦を管理した。いずれにせよ戦地では、女性たちが常時、軍とともに移動することを余儀なくされ、自由を奪われ、悲惨さに耐えなければならなかったことは明白である」(***)
(f)徴集
「多くの場合、軍部の要請を代行する慰安所管理者の依頼を受けた民間業者が、慰安婦を徴集した。戦争の拡大に伴って慰安婦への需要が高まったため、これら業者は多くの場合、甘言や脅迫の手段をとって女性を募集し、女性たちは自己の意思に反して応募することになった。なかには、行政官吏や軍要員が徴集に直接かかわる場合もあった」(****)
(g)移送
「女性たちは軍艦や軍用車で戦地まで運ばれ、日本軍の敗走の混乱の中で、その場に置き去りにされた場合も多かった」(†)

* E/CN.4/1996/137、P.14
** 同、P.14~P.15
*** 同、P.16
***** 同、P.17
† 同、P.16
†† 同

◆10
 日本政府が明記したこうした事実の数々を見ればわかるとおり、いわゆる「慰安婦」が民間業者の運営する買春宿で「働いていた」とする、これまで何度も繰り返されてきた主張とは逆に、多くが当時はまだ子どもであったこうした女性たちは、日本軍によって直接に、または、日本軍の十分な認識と支援によって、実際に、強かん所で奴隷にされていたのである。これら「慰安所」に自己の意志に反して収容された女性と子どもたちは、その犯罪の本質がまさに「人道に対する罪」という用語でしか表現できないほど徹底的に、強かんと性暴力を受けたのである。

 

第3章 実体的国際慣習法における優越的規範
◆11
 本論では、第二次大戦中の日本政府と日本帝国軍隊による「慰安婦」の奴隷化に対して適用しうる国際慣習法の規範を、特に奴隷制の禁止、戦争犯罪としての強かんの禁止、人道に対する罪の禁止に焦点をあてて検討する。

第1節 奴隷制および奴隷売買
◆12
 「慰安所」が創設されるよりはるか以前から、奴隷制と奴隷売買が禁止されていたことに疑いの余地はない。第二次大戦後のニュルンベルク裁判は、「国際法に明記されていなくとも、たとえば……民間人を絶滅させたり、奴隷化したり、国外追放することは国際法違反であるという暗黙の了解がそれ以前からあったこと……を明文化してはっきりと示した」にすぎない(11)。実際、特に奴隷制の禁止は明らかにユス・コーゲンス(強行規範)だと位置づけられている(12)。したがって、第二次大戦中の日本軍のアジア全域にわたる女性の奴隷化は、当時でさえも、奴隷制を禁止する国際慣習法の明確な違反だったのである。

11 R.Jackson, The Nuremberg Cases xiv-xv, 1971(citing The Final Report to the President on the Nuremberg Trials).
12 Parker and Chew (前注5)p.521 and note 135 および Bassiouni(本文注14)参照.

◆13
 一九世紀初頭には、多くの国々が、既に奴隷の輸入を禁止していた(13)。これに伴い、多くの国が奴隷制と奴隷売買を終結しようといくつもの国際協定を締結した(14)。一八五五年の国際的裁定の事例ですでに、奴隷売買は「すべての文明国により禁じられており、国際法に背くものである」としている(15)。一九〇〇年までには、基本的な形の奴隷制は、大半の国々でほとんど根絶されていた(16)。とりわけ日本は、一八七二年の段階で既に、ペルー人貿易業者たちを奴隷制犯罪を理由に敗訴としており、日本が歴史のなかで奴隷売買を禁じていると明言しているのは注目に値する(17)

13 Renee Colette Redman, "The League of Nations and the right to be free from enslavement: the first human right to be recognized as customary internationaHaw", Chicago-Kent Law Review, vol.70, 1994, pp.759,760; Slavery, report submitted by Benjamin Whittakel; Special Rapporteur of the SubCommission(United Nations publication, Sales no. E.84.XIV1), updating the Repot on Slavery by Mohamed Awad, submitted to the Sub-Commission in 1996(United Nations publication, Sales No.E.67.XIV2)を一般に参照.
14 Humphrey(本文注33).
15 The Lawrence, case cited in J.B.Moore, History and Digest of the International Arbitrations to which the United States has been a Party, vol.3, 1989, pp.2824,2825.
16 M.Cherif Bassiouni, International Crimes: Digest / Index of International Instrumets 1815-1985, vol.1, 1986, p.419および本文注141(奴隷制の国際的廃止の歴史的発展を詳述).
17 国際友和会「不処罰と『性奴隷制』に関する日本への勧告」1994年2月7日(日本政府への通知)参照.

◆14
 一九三二年以前に、奴隷売買・奴隷制、あるいは奴隷制関連の慣行を禁止する国際協定が少なくとも二〇締結されていた(18)。さらに、一九四四年当時の国際社会を代表する国々を見ると、日本を含むほとんどすべての国家が自国の国内法で奴隷制を禁止していた(19)。第二次大戦前には奴隷制に対する国際的非難が高まり、国際連盟で討議された一九二六年の奴隷条約は、奴隷制を「ある人に対して、所有権に伴う権能の一部または全部が行使される場合の、その人の地位または状況」と定義した。したがってこの条約は明らかに、遅くとも第二次大戦期には国際慣習法になっていた(20)

18 Bassiouni(本文注14).
19 同上, p.283~p.287. (1944年より前の段階で, 日本の刑法は奴隷化を特に規定してはいなかったが, 誘かいと監禁の犯罪が適用できる場合には奴隷化の犯罪はそこに包含されていたとする)
20 たとえば, 「日本軍『慰安婦』問題に関する第一報告書」(前注8) p.79参照. またRedman(前注13)p.763(奴隷条約は1937年に国際慣習法となったとする)参照.

◆15
 奴隷制禁止が慣習法であることは、戦争法規の中での民間人の取り扱いを定めた一連の法体系でも、等しく明白である。今世紀に採択された戦争法規のうちでも最も基本的な国際文書の一つである一九〇七年のハーグ陸戦条約では、民間人と交戦者を奴隷化と強制労働から守るという重要な保護規定を組み入れた。そのうえ、第二次大戦後のニュルンベルク裁判でナチス戦犯に対して下された判決で、ハーグ陸戦条約は明らかに第二次大戦までに国際慣習法として確立していたと確認された(21)

21 Finn Seyersted, United Nations Forces in the Law of Peace and War, 1966,pp.180-182 も参照.

◆16
 ニュルンベルク裁判憲章第六条(c)に従い、連合国は多くの戦犯を「戦争犯罪」で有罪とした。特に二ュルンベルク裁判憲章では、「占領地で、民間人を虐待すること、または奴隷労働その他の目的で移送すること」が戦争犯罪に含められた。東京裁判憲章第五条(c)にも同様の文言が含まれていた。繰り返すと、ここで重要なことは、日本人戦犯とドイツ人戦犯の訴追は、既存の規範に基づいて成文化された国際法に基づいていた(22)のであり、その規範には第二次大戦以前の段階で奴隷制を明白に禁止していたものが含まれるという点である(23)

22 Trial of the Major war Criminals Before the Internationarl Military Tribunal, vol.1, p.218.
23 1946年12月11日の国連総会決議95(Ⅰ)「ニュルンベルク裁判憲章で承認された国際法原則の確認」, Genera1 Assembly document A/64/Add.1 of 1946; Yvonne R Hsu, "'Comfort women' from Korea: Japan's sex slaves and the legitimacy of their daims for reparations", Pacific Rim Law and Policy Journal, vol.2, 1993, pp.97,110, 「日本軍『慰安婦』問題に関する第一報告書」(前注8)p.76参照.

第2節 戦争犯罪としての強かん
◆17
 奴隷制と同様、強かんと強制売春は戦争法規で禁止されていた。戦争法規に関する初期の権威ある法典で複数のものが戦時中の強かんや女性に対する虐待を禁じているが(24)、そのなかでも最も傑出しているのは一八六三年のリーバー法である。さらに第二次大戦後、多くの者が強制売春や強かんの罪を含む犯罪で訴追され、このような行為の不法性がさらに明確になった(25)。ハーグ陸戦規則はさらに、「家族の名誉と権利は……尊重されなくてはならない」(26)とした。既存の国際慣習法を成文化し、ハーグ陸戦条約にあった「家族の名誉」という用語をとり入れたとされる(27)ジュネーブ第四条約第二七条は、まさに、「女性は、女性の名誉に対する侵害、特に強かん、強制売春その他のあらゆる形態のわいせつな攻撃から、特別に保護されるべきである」と明記している。強かんの性格づけが暴力犯罪としてではなく、女性の名誉に対する犯罪とされている点は残念であり、不正確だが、少なくとも「慰安所」が初めて設置された時期には、強かんと強制売春が国際慣習法で禁止されていたことは、十分に立証されている(28)

24 一般に, Meron, 本文注25, Frits Kalshoven, artide 3 of the Convention (IV) concerning the Laws and Custom of War on Land, signed at The Hague, 18 0ctober 1907, in “Remembering what we have tried to forget”, ASCENT 1997, pp.16-30参照.
25 John A.Appleman,Military Tribunals and International Crimes, 1954, P.299(強制売春を犯罪と認めたインドネシア・バタビアでの1946年の青地鷲雄の事件を引用): Hsu(前注23)p.109~p.110, Meron(本文注25)p.426, note 13; Verdid 231 of the Temporary Court-Marcial in Batavia (「強制売春のために少女および女性を拉致すること」「売春を強制すること」「強かん」を戦争犯罪と認め, これらに基づいて複数の被告人を有罪とした)参照.
26 Hsu(前注23)p.107(国際法が「慰安婦」の虐待を禁じていたという論点を支持するものとして「家族の名誉」の文言を引用), 国際法律家委員会(本文注48)p.160(「家族の名誉の概念は, 家族の中の女性が強かんの屈辱的行為にさらされない権利を含む」)参照.
27 Pictet(本文注51)p.201, note 1 (ジュネーブ条約第27条の諸規定はハーグ陸戦規則第46条に由来するとする), Theodor Meron,Human Rights and humanitarian Norms as Customary Law(Oxfod: Clarendon Press, 1989), p.47.
28 例として, Hsu(前注23)p.111 and note 97 (ジュネーブ条約はそれ以前から存在する国際慣習法の成文化であり延長であるにすぎない, と論じる). Pictet(本文注51) p.205(女性の保護に関する規定は, 1929年の捕虜条約に導入された規定に基づく, とする)参照.

第3節 人道に対する罪
◆18
 人間を大量にまたは組織的に奴隷化することは、少なくとも過去半世紀にわたって人道に対する罪と認識されてきた。こうした犯罪が武力紛争中に犯された場合はなおさらそうである。ただし現在では、武力紛争と関連があるかどうかは、人道に対する罪を構成する必要要素だとはみなされていない。

◆19
 ニュルンベルク裁判憲章第六条(c)と、第二次大戦後にドイツ国内で戦犯訴追のために追加制定された管理委員会規則第一〇号には、人道に対する罪として「民間人に対して行われた奴隷化、強制移送その他の非人道的行為」があげられている。同様に、東京裁判憲章でも人道に対する罪として、奴隷化、奴隷労働のための強制移送などの非人道的行為があげられた。

◆20
 奴隷化に加えて、広範囲または組織的に行われた強かん行為もまた、人道に対する罪の伝統的枠組みのなかで「非人道的行為」の一般的禁止に含まれている(29)。これはニュルンベルク裁判憲章と東京裁判憲章にも規定されている。人道に対する罪を規定した最新の法規定によると、国内武力紛争であれ国際武力紛争であれ、紛争の過程で行われた民間人への強かんは、「その他の非人道的行為」という規定のなかに含めるのではなく、明確に人道に対する罪の一つにあげられるようになった。これら最近の法規定には、旧ユーゴ国際戦犯法廷規則第五条やルワンダ国際戦犯法廷規則第三条があり、両方とも、奴隷化と強かんを、人道に対する罪を構成する行為だと明記している。

29 本文中の論述参照.

◆21
 計画を立てたり、方針を決めたり、実行計画を練ったりしたことが証明されれば、それらは一般に、人道に対する罪の訴追要因として十分だとみなされるが(30)、大規模な侵害の状況に直面しているのに行動を起こさなかった場合も、それだけでこの必要要件を十分満たすことになる(31)。これに加えて、一定の地位にある軍人や市民も、人道に対する罪の責任を問われうる。

30 Meron(本文注25).
31 Rape and Sexua1 Assault (本文注10).

第4章 実体法の適用
◆22
 「慰安婦」の処遇は、通常の意昧での「奴隷制」と「奴隷売買」に相当し、「ある人に対して、所有権に伴う権能の一部または全部が行使される場合の、その人の地位または状況」とする一九二六年の奴隷条約の定義にあてはまる。前述のように、日本政府が自ら認めたところでも、これらの女性は「自由を奪われ」「意志に反して徴集された」。しかも、女性によっては金で買われており、したがって古典的な型の奴隷制に容易にあてはまる。しかし金銭のやりとりは、奴隷制の唯一の指標でもないし、最も重要な指標でもない。「慰安婦」はみな、自己決定権をほとんど奪われた体験があり、したがって日本軍は彼女たちを所有物のように取り扱ったわけで、これらの犯罪行為に対しては実行者とその上官の双方に奴隷化の刑事責任があることは明らかである。繰り返すと、「慰安婦」の場合、日本政府の調査でも明らかになったように、女性たちは人格的自由を奪われ、軍隊や軍需物資とともに戦地との間を移動させられ、性的自己決定権を否定され、将兵を性感染症から守るために性と生殖に関わる健康を所有物のように取り扱う、おぞましい規則に従わされたのであった。

◆23
 日本政府が法解釈として奴隷制の定義が適用できないと主張する可能性のある少数の事例でさえも、「慰安婦」たちは明らかに、強かんされ、少なくとも「許される形態の強制労働」の定義にあてはまらない状態で戦地に拘束されていた(32)。強制売春と強かんについて日本政府は、自国の行為は多くの女性たちの名誉と尊厳を深く傷つけたと認めている。女性たちに与えた損害は、明文では認めていないが、定期的な強かんなど性的行為の強制を含むことは明白である。したがってこうした行為は、戦争法規に違反する強かんと強制売春だと容易に位置づけられる。

32 「日本軍『慰安婦』問題に関する第一報告書」(前注8)p.76.

◆24
 これらの犯罪が大規模に犯されたことと、これら強かん所の設置・監督・運営に日本軍が明らかに関与していたことから、「慰安所」に関与したり責任のある立場にあった日本軍将校に対しては、同様に、人道に対する罪の責任を問うことができる。その結果日本政府自身もまた、日本軍の行動によって苦しんだ女性や少女たちの受けた損害に対し、損害賠償を行う義務を負い続けている。

第5章 日本政府の抗弁
第1節 法の遡及適用
◆25
 ニュルンベルク裁判当時、被告側と一部の研究者は、人道に対する罪はこの裁判の憲章で新たに定義された罪であり、したがって、被告人たちの行為は、行為の時点での国際法には違反していないため、人道に対する罪での訴追は合法性の原則(「法律なければ犯罪なし」)に反すると異議を申し立てた(33)。日本はアジア全域にわたって「慰安婦」の奴隷化と強かんで国際慣習法に違反する行為を行ったとする元「慰安婦」たちの申し立てについて、日本政府も同様の主張をしてきた(34)

33 Bassiouni(本文注26) p.114~p.139, Appleman(前注25) p46~p.53, Hsu(前注23)p.109, note 84を一般に参照.
34 「女性に対する暴力」特別報告者が提出した報告書追加文書1(E/CN.4/1996/53/Add.1)に関する日本政府見解. 人権委員会第51会期に日本政府が非公式に配布した文書. p.15~p.19, p.23.
〔国連人権委員会第53会期にクマラスワミ「女性に対する暴力」特別報告者の報告書が提出されたとき, 日本政府は真正面から反論して, 報告書の否決を要求した. 日本政府は「女性に対する暴力特別報告者が提出した報告書追加文書1に関する日本政府見解」と題する反論文書を人権委員会事務局に提出した. 反論文書は公式に受理され, 国連の公式文書番号も決まり, 一部の政府代表に配布された. ところが, 反論文書は「特別報告者は中立性・客観性を欠き権限を逸脱している」と非難し, 「報告書採択は人権委員会の信頼性を失わせる」と攻撃するなど. 特別報告者を不当に中傷するものであることが判明したため, 日本政府は急速, 反論文書を撤回した. 国会質問に対して, 日本政府は文書の存在そのものを隠そうとしたが, 隠しきれなくなるや「説明用の参考資料」にすぎないと答弁した〕

◆26
 第二次大戦中には強かんと奴隷化という国際犯罪は慣習的規範で明確には禁止されていなかったので日本軍の加害行為はその実行時には禁じられていなかったと日本政府は主張するが、その主張は前述のように簡単に論破できる。同様の議論は、五〇年前のニュルンベルク裁判で最初に主張されたときも説得力はなかった。今日でも、これまで述べた理由により、説得力はない。

第2節 奴隷制禁止
◆27
 奴隷制の国際慣習法による禁止は第二次大戦時までには明確に成立しており、第二次大戦後、刑事裁判の準備のために国際慣習法を明文化した東京・ニュルンベルク両裁判憲章に盛り込まれた。国際慣習法としての奴隷制禁止は、戦争法規の下でも単独でも、武力紛争の性質のいかんにかかわらず、また武力紛争でない場合も、実体的違反行為を禁止する。

第3節 強かんと強制売春
◆28
 日本政府は、一九○七年のハーグ陸戦条約の「家族の名誉」という用語を、「慰安婦」を保護する条項として解釈することに反論しようとして、この条約は「陸軍に対する指示という形で、国内法として条約加盟国に受け入れられうるような一般原則を文書化したものにすぎない」と論じた(35)。要するに日本政府は、第二次大戦中、強かん行為は、ハーグ陸戦条約やその他の戦争法規によって文書ではっきりと禁止されてはいなかったと主張している。先に論じたとおりこの解釈は、ハーグ陸戦条約が戦争法規を統括する国際慣習法として受け入れられていたことや、武力紛争中の民間人に対する強かんの国際的禁止を他の諸戦争法規が確認していることで否定される。その結果、「家族の名誉」という用語に含まれる強かんの禁止は、第二次大戦当時すでに拘束力をもつ国際法であった。

35 「女性に対する暴力」特別報告者が提出した報告書追加文書1(E/CN.4/1996/53/Add.1)に関する日本政府見解. 人権委員会第51会期に日本政府が非公式に配布した文書, p.24.

第4節 朝鮮の地位
◆29
 日本政府はまた、奴隷化と強かんを禁止する国際慣習法規範は自国内の民間人には適用されず、占領地域の民間人のみを守る戦争法規に基づくものであるとし、そのため朝鮮人女性はその規範では保護されていないと主張して、責任を否定しようとしてきた。根拠は、問題の時期には朝鮮は日本に併合されていたため、この規範は朝鮮人女性には適用できないというものである。

◆30
 日本はこれらの条件の下でも責任を免れない。前述のように、奴隷制の禁止は、戦争犯罪だけに基づくのではない。加害行為が行われた当時の朝鮮半島の領土的地位のいかんにかかわらずこれらの行為は、戦時にも平時にも適用されうる国際慣習法上の犯罪であり、また人道に対する罪であって、国際慣習法の重大な違反として明らかに禁止されていた。その結果これらの規範は、占領地の民間人であったか否かにかかわらず、朝鮮人女性にも等しく適用されるのである。

第6章 救済措置
◆31
 国際慣習法によれば、日本政府は「慰安婦」に加えられた残虐行為について、救済措置を講じなければならない。救済は、日本政府による元「慰安婦」への個人賠償の形を取るべきである。代わりに各国家が、自国民である元「慰安婦」のために損害賠償請求を起こすこともできよう。この場合、これらの国家は、不当な扱いを受けてきた被害者たちに対しその損害賠償金を配分するための仕組みを作らなくてはならない。先に示したとおり、これに加えて強かん所の設置・監督に責任のある政府・軍関係者を訴追しなくてはならない。

第1節 個人の刑事責任
◆32
 違法行為を行った日本軍の将兵個々人は、各自が生じさせた被害に対して個々に責任を問われなければならない。五〇年が過ぎたとしても、十分な証拠が得られる範囲内でこれらの個人を裁くことは可能であり、また裁かれなければならない。

◆33
 このような訴追の先例は古くからある。一九四六年、インドネシアのバタビアでオランダ政府が開いた臨時軍事法廷では、九人の日本兵が、少女や女性たちを強制売春と強かんの目的で誘かいしたことで有罪となった(36)。同様にフィリピン法廷も、日本軍将校一名を強かんで有罪とし、終身刑の判決を下した(37)。ニュルンベルク・東京両裁判も国際慣習法を適用して、個々の将校や命令を下した上官、およびドイツと日本の政府に対し、戦争犯罪と人道に対する罪を犯した責任があるとした。国連総会は一九四六年一二月一一日の決議九五(Ⅰ)号で、ニュルンベルク裁判憲章と東京裁判憲章に明示された国際法の原則は、国連加盟国があまねく認めた国際慣習法であると再確認した。

36 Japan Federation of Bar Associations (JFBA), Recommendations on the lssue of "Comfort Women", 1995, p.26〔日弁連「『従軍慰安婦問題』に関する提言」『世界に問われる女性の人権』こうち書房, 1996年, p.159〕, David Boiling, "Mass rape, enforced prostitution, and the Japanese lmperial Army: Japan eschews international legal responsibility", Columbia Journal of Transnational Law, vol.32, 1995, pp.533,545.
37 日弁連, 同上.

◆34
 そのうえサンフランシスコ講和条約第一一条は、東京裁判と日本国内外の連合国戦犯法廷の判決を、日本は受け入れなければならないと規定している。これに加えてニュルンベルク裁判憲章では、「人道に対する罪」という新しい用語を使ってはいるが、実際には新しい法を創り出したわけではないし、それ以前に国際慣習法で認められていた行為を新たに違法としたわけでもない。オッペンハイムによれば以下のとおりである。
「戦争法規はすべて、その規定が国家を拘束するだけでなく、軍の構成員であるか否かを問わず国民を拘束することを前提にしている。この点で、一九四五年八月八日の合意書に付属する憲章に新しい要素は何もない。というのは、ヨーロッパ枢軸国の主要な戦犯は、戦争犯罪そのものと、いわゆる憲章が人道に対する罪と呼んだ行為について、個人に責任があるという判決に従って処罰され……」(38)
 こうした前例がある以上、将校個々人は明らかに、自己の犯罪について処罰されうるし、また処罰されるべきである。

38 L.. Oppenheim, International Law: A Treatise, H.Lauterpacht(ed.), 7th ed. (London, New York: Longmans Green, 1948-1952), sect.153.

◆35
 個々の兵士の責任に加えて将校や官僚も、彼らの命令に従った配下の将兵たちによる「慰安所」の設置・運営に対して責任がある。命令責任の原則によれば、次のような場合上官は、部下の行った不法行為について責任を問われる。
(a)上官が、不法行為が行われそうになっていることを知り、あるいは知るべき理由があるのに、予防のための行動をとらなかった場合、または、
(b)不法行為があったのに、上官が、再発を防止する措置をなんら講じなかった場合、である。(39)
この原則は、数万人にのぼるフィリピン人捕虜とアメリカ人捕虜を殺害したとして日本の山下奉文将軍に有罪の判決を下した米国軍事委員会の裁判で、国際的訴追に初めて使われた。しかし、この原則を支える基本原理は第二次大戦以前にすでに存在していた。第一次大戦直後のベルサイユ会議〔パリ講和会議〕では、ドイツ皇帝と司令官たちは「戦争遂行の際に部下が犯した蛮行を、少なくとも軽減することは可能だった」として、皇帝を戦犯として裁判にかけるべきであるという勧告が出されている(40)。研究者たちによると命令責任の発祥は、遠く一五世紀のフランスや(41)、紀元前一九年のローマ帝国(42)にまで遡る。この原則が最も明確に適用されたのは、ニュルンベルク裁判の複数の判例と、ベトナム戦争中に起きた一九六九年のミ・ライ村〔ソンミ〕虐殺事件についてのメディナ米国陸軍大佐に対する戦後の裁判である。これらの訴追が、それ以前から存在していた慣習的規範を適用している点に留意すべきである。

39 Christopher N. Crowe, "Command responsibility in the former Yugoslavia: the chances for successful prosecution", Unicersity of Richmond Law Review, vol.29, 1994, pp.191, 192, 安全保障理事会決議827(1993)参照.
40 Crowe, 同上(citing Report presented to the preliminary peace conference, in Leon Friedman (ed.), The Law of War: A documentary History, vol.1(New York: Random House, 1972), pp.842-853-854.
41 L.C.Green, "Command responsibility in international humanitarian law", transnational Law and Contemprary Problems, vo1.5, 1995, pp.319, 320.
42 Crowe(前注39) p.194.

◆36
 「慰安所」の設置・運営に対する日本軍の関与は大規模で組織的であったことから、日本軍の上級将校が「慰安所」の存在について現に知っていたか、あるいは推察していたことは確かである。また、「慰安所」に直接関与したり責任ある立場にあった日本軍中級幹部は、「上官の命令があった」と弁明しても刑事責任は免れ得ない点も重要である。こうした主張は、実際に刑が科せられるときに刑の軽減の理由として考慮されるにすぎないからである(43)

43 Anthony D'Amato, "Superior orders vs. Command responsibility", American Journal of International Law, vol.80, 1986, p.604; The Llandovery Castle case. Judgment in the case of lieutenants Dithmarand Bolt, Supreme Court of Leipzig, 16 July 1921. Reprinted in American Journal of International Law, vol.16, 1922, p.708を一般に参照.

◆37
 日本こそが、「慰安所」の責任者の刑事訴追を行うのに最適の場所であることは明らかである。韓国挺身隊問題対策協議会〔韓国挺対協〕は一九九四年、東京地検に対し、「慰安所」運営に関与した日本軍将校その他関係者の刑事訴追を求める申し立てを行った(44)。日本政府はこの申し立てに応えてただちに行動を起こし、軍の強かん所を運営したり頻繁に利用して生存している人物を告発できるように努めるべきである。

44 「告訴状」 http://www.peacenet,or.kr/~jdh/ecomfort/library/com-plaint/comp.htlm 参照.

◆38
 奴隷制、人道に対する罪、戦争犯罪については、普遍的裁判管轄権の原則があり、どこの国もこのように普遍的に非難される犯罪の加害者を逮捕することが認められているので、日本以外の国の裁判所でも刑事手続きを進めることは可能である(45)。しかしながら、国際法上は普遍的裁判管轄権の行使が認められていても、それぞれの国で実際に訴訟を進めるにはそれらを可能にする国内立法が必要である(46)。たとえばカナダでは、その法律的根拠として刑法第七章(3・71)があり、カナダ国外で犯した犯罪であっても人道に対する罪または戦争犯罪を犯した人間は、カナダ国内で犯罪を犯したかのように裁くことができる(47)。この規定に基づいて行われた最初の訴追の被告人は、ナチスの命令の下にユダヤ人の強制監禁を補助したハンガリーの元憲兵隊員であった(48)。他の裁判管轄権下の諸国も、「慰安所」に関与したり責任ある立場にあった日本軍軍人や政府関係者を訴追するため、たとえばそうした加害行為に対する裁判管轄権を確立するように国内法を強化し、被害者のために法的扶助の道をつけたり、通訳を提供するなど、あらゆる必要な措置を講じるべきである。

45 Theodor Meron, "lnternational cnminalization ofinternal atrocities"American Journal of International Law, vol.89, 1995, p.554; Filartiga v. Pena-Irala, 630F.2nd876(United States 2nd Cin 1980).
46 Meron, 同上, p.569.
47 女王対フィンタ事件88 C. C. C. 3d. 417(1984)参照.
48 同上.

◆39
 現時点で個々の将校または指揮官を刑事告発することに、時効の壁はない。人道に対する罪と戦争犯罪にはいかなる時効も適用されない。これらの犯罪は時間の経過によって消滅させてはならない。犯罪に関する国際的裁判管轄権についての一九五三年の国連報告書(*)には、現在の国際法に時効の概念は存在しないと記載されている(49)。バルビーの訴追ではフランス破毀院〔高裁判所〕も同様に、国際慣習法は人道に対する罪には時効を認めていないとした(50)。これに加えて条約法でも、戦争犯罪や人道に対する罪などの国際法の重大な違反に対する請求については、国際社会は時効を理由にこれを妨げないことが確認されている。

* A/2615
49 Friedl Weiss, "Time limits for the prosecution of crimes against international law", British Yearbook of International Law, vol.53, 1982, pp.163, 185も参限
50 FFederation natinale des deportes et internes resistants et patriotes v. Brdie in International Law Review, main report note 70.

◆40
 仮に時効が発動される可能性がありうるとしても、新しい重大な事実が最近になって判明している現状には適用されない。「慰安所」についての日本政府の公的な聞き取り調査は一九九二年に初めて行われ、「慰安所」の設置・監督への日本軍の関与を日本政府が認めたのは一九九三年になってからである。「慰安婦」たちが自らの請求権を適切に行使できなかった異例の状況や、これら強かん所の設置・監督に日本軍が果たした役割に日本政府が適切に取り組んでこなかったことを考えれば、正義の観点からして、時効が適用されるとしてもその起点は、一九九二年に日本政府が問題を認知した時より前に遡るべきではない。

第2節 国家責任と賠償責任
◆41
 第二次大戦に先立って、政府の行為や「政府の命令に基づいたりその公認の下行われた下部機関または私人の行為」に対して、政府とその職員が国際法違反に問われうることは、「本来責任」理論により明確であった(51)。国家が国際法違反に問われるのは、「国際的不法行為」を犯したためである。「国際的不法行為」とは、「ある国家の元首または政府が、国際法上の義務に違反して、他国にもたらした損害である。元首または政府に命令されたり公認された公務員その他の個人の行為は、元首または政府の行為に等しい」(52)。この場合責任がある国家は、公務員が通常の業務範囲内で行った侵害行為に対して、「たとえ国家が公認していなかった場合であっても、損害賠償を支払う責任を負う」(53)。したがって国家は、自国領土内の外国人に対して国家の行為者が不当な損害を与えた場合には、その損害に対して賠償責任があるとされた。このように、日本には、自己の軍隊や、日本軍の要請によって「慰安所」を運営し利益を得た民間人を含む行為者が行った行為に責任がある(54)

51 0ppenheim (前注38) sect.140.
52 同上, sect.151.
53 同上, sect.150.
54 第3分類の慰安所のなかには, 日本軍が女性たちの処遇に直接責任があるとはいえない少数の事例があるかもしれない. しかしこれらの事例でも, 「代理責任」は, 軍に責任があるとされる可能性がある. 「代理責任」とは, オッペンハイムの定義(同上, sect.149)によれば, 「〔国家〕機関または国民の, 公認されない一定の加害行為に適用される. 外国人の行為についても, 行為の当時領土内に居住していた場合には適用される」.

◆42
 日本政府はまた、「慰安婦」がこうむった被害を防止しなかったことについても責任がある。国際慣習法によれば、外国人に対する被害を防止しなかった国家には責任がある。第二次大戦までには国際慣習法となっていた一九〇七年のハーグ陸戦条約第三条では、この条約の規定に違反した条約加盟国は、その侵害行為に対する損害賠償を支払うものとされ、「その軍隊の構成員のすべての行為について責任を負わなければならない」と規定されている。責任と損害賠償のこの原則は、国家にその軍隊の行為について責任を持だせようとするもので、使用者責任の原則を国際法に発展的に適用するものと説明されてきた(55)。ハーグ陸戦条約第三条に基づき各国家は、重大な人権侵害と基本的自由の侵害を防止し、事実を調査し、犯罪者を処罰する義務がある。したがって日本政府は、「慰安婦」への被害を防止できず、加害者を処罰できなかったことに独自の責任がある(56)

55 Kalshoven(前注21)p.9.
56 E/CN.4/Sub.2/1996/17参照. 日弁連(前注36, p.22~p.25)は, これらの諸原則により, 日本政府には慰安婦たちに補償を行う責任があると認めている.

◆43
 こうした法規範は、少なくとも一九二〇年代にまで遡る。たとえばジェーンズ事件では一般請求委員会が一九二七年に、メキシコ革命中に夫を殺された米国人女性について審査し、加害者の逮捕と訴追ができなかったことに対して、メキシコ政府はこの女性に損害賠償すべきであると裁定した(57)。同委員会は、メキシコ政府には「加害者を周到に訴追し、適切に処罰する義務を果たさなかった責任がある」(58)といっている。裁定の中で同委員会は、国家が不法行為者を処罰しないことはその犯罪行為を認めたこととみなし、それゆえに政府を殺人そのものの共犯者とするという見解は、はっきりと退けた。その代わりに、外国人に対する加害者を国家が訴追し処罰しないことは、その国家による別個の犯罪であるとした。したがってここでいう損害には、ジェーンズの死に対する賠償を受けるべき損害に加えて、処罰がなかったことで家族が受けた屈辱という損害がともに含まれた(59)

57 Janes case (United States v. Mexico), United Nations Reports of Interna tional Arbiral Award, vol.4, 1926, p.82.
58 同上, p.82.
59 同上, p.89.

◆44
 日本政府は、従来の国際法は個人と国家の関係ではなく国家間の関係を規制するものであるから、個々の「慰安婦」は日本に対していかなる請求もなしえないと、主張している(60)。しかしこの主張は明らかに、評価に値しない。というのは、一九二〇年代後半になると国際法では、ある国家が他の国家の国民に損害を与えたときは、その国家はもう一方の国家に損害を与えたとみなされ、したがって、その個人がこうむった損害のすべてを償う責任があるとされていた。しかも国際法は、個人もまた「国際法により認められた権利および課せられた義務の主体である」と認めている(61)

60 「日本政府見解」(前注34)p.28~p.32.
61 0ppenheim(前注38)seds.1,7.

①個人への損害賠償
◆45
 「慰安婦」たちは、日本政府が以下のことを行うべきであるという信念を表明してきた。それは、被害者一人ひとりに対する真摯な謝罪、日本政府と軍部の関与を認めること、国際法違反の本質と範囲を認めること、個々の被害者へ損害賠償することである(*)。先に述べたように、個人は国際法の主体ではないとする日本政府の主張は、国際法の複数の法源によって反駁されてきた。それは、一九○七年のハーグ陸戦条約、一九一九年のパリ講和会議(ベルサイユ条約)、東京裁判憲章、および国際慣習法である。これらさまざまな法的文書や理論では、国際法違反に対する損害賠償を支払うべき国家の義務が論証されている。これに加えてテオ・ファン=ボーベンがその研究で指摘したように、国際的義務違反に対して国家に責任があるということは、個人の側にも同様にその違反に対する賠償請求権があることになる。たとえばベルサイユ条約は、個人がドイツに対して損害賠償を請求できるとした。

* E/CN.4/1996/53/Add.1参照

◆46
 特にハーグ陸戦条約第三条の「主要目的」は「当初から、この条約の規定に違反する行為の結果として被害をこうむった個々人に、被害に対する損害賠償請求権を与えることであった」(62)。この第三条に明文化されているわけではないが、「この条項の文案策定の過程を見れば、それがまさにこの条項のねらいであったことに疑いの余地はない」(63)。「賠償」(reparation)には「原状回復」(restitution)、「弁償」(indemnity)、「金銭的補償または弁済」(64)(monetary compensation or satisfaction)などの形があるが、「第三条でははっきりと『損害賠償』(compensation)という用語のみが使用されている」(65)のは特筆に値する。損害賠償の定義は「損害を修復できるだけの金額の支払い」(66)である。つまり「賠償(reparation)という、意味の広い用語を使わず、損害賠償(compensation)という用語を使用しているのは、この条項の文案を作った人たちは戦争法規に定める被害者である個人が、自らに加えられた権利侵害または危害の賠償を請求するような事態を想定していたことを示す、もう一つの証拠に他ならない」(67)

62 Kalshoven(前注24)p.11.
63 同上.
64 同上.
65 同上, p.12~p.13.
66 同上, p.12.
67 同上.

◆47
 これに加えて国際常設司法裁判所は、「ホルジョウエ場」事件に対する一九二七年の判決で、国際法違反の行為前の原状を回復すること(たとえば財産の返還など)が不可能ならば、金銭で損害賠償をしなければならないとした(68)。「慰安所」被害者をこの侵害行為の前の状態に戻すことは明らかに不可能であるから、損害賠償が支払われなければならない。国際常設司法裁判所の他の複数の判決からも、個々の私人に対する損害賠償を含む権利が国際法に存在していたことを確認できる(69)。実際日本自身が、国際法違反に関する個人賠償の可能性――必然性でないにしても――を認めている。日本が連合国のいくつかの国との間で締結した協定では、韓国やフィリピンとの間に締結したような、国家賠償のみに限定された協定とは異なって、個人の救済に特別に言及されている(70)。たとえば、ギリシャ・日本の協定、英国・日本の協定、カナダ・日本の協定にはどれも、「……戦争状態の存在のもとに生じた個人の傷害または死であって日本政府が国際法上の責任を負っている損害」に対する損害賠償の規定がある(71)。特に、日本政府がこれら数多くの条約を施行することでこれまで欧米への損害賠償を認めてきた事実を考えれば、個人に対する損害賠償は政府の侵害行為に対する救済としては認められないとする日本政府の主張は、まったく信頼できない。

68 ホルジョウエ場事件, 常設国際司法裁判所判決第13号, Series A, No.8-17, 1927, p.29. ファン=ボーベンの研究も参照.
69 常設国際司法裁判所勧告的意見第15号, Series B, No.15, p.17~p.18.
70 ギリシャ, 英国, スイス, スウェーデン, デンマークと〔日本と〕の間で締結された諸協定は, すべて, 個人的権利侵害への損害賠償の規定を含む. これに対して, 日本の旧占領地域との間での処理には, 典型的に類似の言及は何もない. Hsu(前注23)p.103~104.
71 Richard B. Lillich and Burns H. Weston, International Claims, Their settlement by Lump Sun Agreements. PartⅡ: Agreements(Charlottesville: Univ. Press of virginia, 1975), pp.334,231,249.

◆48
 要するに、「慰安婦」一人ひとりが、日本政府や軍要員からこうむった被害に対して、十分な損害賠償を受ける権利を特っていることは明らかである。

②損害賠償請求民事訴訟
◆49
 日本政府が、自己の法的義務が今も続いているにもかかわらず、それを果たすための適切な行動をとらない現状では、生存している「慰安婦」は、司法機関に対し損害賠償請求の民事訴訟を起こすことができよう。請求手続きは日本の裁判所でできるが、もし日本の裁判所が適切な救済を認めない場合には他国の裁判所に提訴できよう。被害の性質と甚大さからして、年月の経過にかかわりなく、これらの救済を追求するべきである。

◆50
 日本が「慰安婦」の悲劇にかかわる民事訴訟を提訴するのに最適の場所であることは明らかである。「慰安婦」への日本政府の責任に関して山口地裁下関支部が一九九八年四月に下した判決には、これらの女性たちの一部は、日本の裁判所を通じて最終的に法的救済が得られるかもしれないという、歓迎すべき徴候がある(72)。この最近のケースでは日本の地方裁判所が、日本の政府には慰安婦に対する損害賠償立法を成立させる義務があり、「被告である国(日本)は、慰安婦の女性たちを何十年もの間無視してきたことによって、苦痛を悪化させ新しい被害を与えた」とした(73)。さらに地裁の判決では、以下が指摘されている。「本訴訟で提示された証拠を審理した結果、慰安婦制度は極めて性差別的かつ人種差別的であり、女性たちをはずかしめ、民族の誇りを踏みにじり、日本国憲法第一三条に表現された基本的価値(*)にかかわる基本的人権の侵害と見ることができる」(74)

* 〔個人の尊重、幸福の追求権、公共の福祉〕
72 "Claim for Compensation of Pusan Comfort Women and Women's voluntary Labor Corps and Demand for official Apology to the Women's voluntary Corps and to the Comfort Women", Decision of 27 Apri11998 (following oral arguments of 29 September 1997), Shimonoseki Branch, Yamaguchi District Court(unofficial translation). 山口地裁下関支部1998年4月27日判決(1997年9月27日の口頭弁論に基づく)「釜山の『慰安婦』と女子挺身隊への損害賠償請求と, 謝罪の要求」判決の仮英訳.
73 同上.
74 同上.

◆51
 この地裁判決は、最終的に日本政府に責任があるとし、韓国籍の女性三人に対し一人当たり三〇万円を支払うよう命令した(75)。日本国内では他にもフィリピン人、韓国人(76)、オランダ人(77)、中国人(78)と、在日韓国人がそれぞれ裁判を起こしている(79)。最初の提訴は一九九一年であり(80)、一九九六年七月現在、少なくとも六つのグループの女性たちが訴えを起こしている(81)

75 "Claim for Compensation of Pusan Comfort Women and Women's voluntary Labor Corps and Demand for official Apology to the Women's voluntary Corps and to the Comfort Women", Decision of 27 Apri11998 (following oral arguments of 29 September 1997), Shimonoseki Branch, Yamaguchi District Court(unofficial translation). 山口地裁下関支部1998年4月27日判決(1997年9月27日の口頭弁論に基づく)「釜山の『慰安婦』と女子挺身隊への損害賠償請求と, 謝罪の要求」判決の仮英訳. Dan Grunebaum, "WWⅡ sex slaves win historic lawsuit" (「第二次大戦の性奴隷, 裁判で歴史的勝利」), United Press lnternationl (UPI), 28 April 1998 参照.
76 Boling(前注36)p.515.
77 "Eight Dutch citizens sue Japan over war" (「8人のオランダ市民が戦争について日本に提訴」), New York Times, 26 January 1994, p.A9参照. 原告には, 慰安所の被害者が少なくともひとり含まれている.
78 "Two Chinese wartimesexslaves to testify in court" (「2人の中国人戦時・性奴隷が法廷で証言」), Japan Economic Newswire, 3 July 1996参照.
79 "Japan-based Korean 'comfort women' rape fund scheme' (「在日韓国人『慰安婦』強かん被害者基金計画」), Asian Political News, 15 July 1996参照.
80 国際法律家委員会(本文注48)参照.
81 "Former 'comfort women' testify in court" (「元『慰安婦』、法廷で証言」), The Daily Yomuri, 20 July 1996, p.2参照.

◆52
 日本国内では不適切な救済しか得られないと判明すれば、「慰安婦」の女性たちはこうした加害行為に対する裁判管轄権を認めている他の各国の裁判所で救済を求めることもできよう。たとえばアメリカ合衆国では、外国人不法行為請求権法により、裁判所に、国際法または国際条約に違反した不法行為に関する民事訴訟を審理する裁判管轄権が与えられている。この方法は、「慰安婦」たちの救済の可能性の一つとして積極的に追求されるべきである。

③請求の処理に関する協定
◆53
 日本政府は損害賠償の支払い義務を否定する一方、損害賠償請求権はいずれにしても、戦争終結直後に日本が諸外国と締結した平和条約の結果、解決または放棄されているとも反論している。大韓民国の国民については、一九六五年の日韓協定第二条(*)を根拠とする。この条文で両国は「協定締結当事国およびその国民(法人を含む)の所有財産、権利、権益に関わる諸問題、ならびに当事国およびその国民の間の請求権は、完全かつ最終的に解決された」と合意している(傍点筆者)。

* 〔「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との問の協定」〕

◆54
 他の諸国の国民についても同様に、日本政府は、一九五一年九月八日に、サンフランシスコで連合国との間で署名した講和条約によって、すべての請求権が解決されていると論じる。旧連合国への日本の損害賠償は、講和条約第一四条に極めて詳細に記載されている。第一四条はまた、この条約に記載されていないすべての請求権を放棄する条項を含んでいる。日本は、元「慰安婦」の請求権を退ける論拠をこの条約の放棄条項に求める。この放棄条項は以下のとおりである(第一四条〔b〕)。
「この条約に別段の定かある場合を除き、連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に目本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する」

◆55
 日本政府はこれらの条約を利用して責任を免れようとするが、それは以下の二点で成立しない。
(a)条約が作成された時点では、強かん収容所の設置への日本の直接関与は隠されていた。これは、日本が責任を免れるためにこれらの条約を援用しようとしても、正義衡平法の原則から許されないという、決定的な事実である。
(b)条約を素直に解釈すれば、人権法や人道法に反する日本軍の行為で被害をこうむった個人に、その損害賠償請求の道を閉ざすものではないことがわかる。

◆56
 これらの条約やその他の戦後条約が調印された時点では、日本政府は、「慰安婦」に対する恐るべき処遇に日本軍がどの範囲まで関与していたかを隠していた(82)。朝鮮、フィリピン、中国、インドネシアでは、戦時中に女性や少女たちが奴隷化され、強かんされたことは非常によく知られていたが、日本は戦後、日本軍が組織的に関与していたことを隠していた。これら強かん所ができたことについては、日本軍よりむしろ民間「業者」が疑われ、非難されることが多かった。

82 Parker and Chew (前注5)p.502参照.

◆57
 日本政府はこうした犯罪への関与を長期にわたって隠してきており、そのうえ法的責任を否定し続けてきた。したがって、戦後処理協定その他の諸条約は「慰安婦」に関連したあらゆる請求権を解決するものであったと日本政府が主張することは、不当である。条約調印国は、当時日本軍と直接関連すると見られていなかった行為に対する請求権まで含まれていると予見できたはずはない。

◆58
 一九六五年の「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」の内容を見れば、この条約が当事国間の「財産」請求問題の解決を目指した経済条約であり、人権問題に取り組んだものでないことは明白である(83)。この条約には「慰安婦」、強かん、性奴隷制その他、韓国の民間人に対する日本人の残虐行為への言及はない。どちらかといえばこの条約は、二国間の財産や商業関係への言及が多い。ところが実は、日本側の交渉当事者は条約交渉中に、日本人が韓国人に対して行ったいかなる残虐行為についても韓国に対して支払いの用意があると確約したという(84)

83 Tong Yu, "Reparations for former comfort women of World War Ⅱ", Harvard International Law Journal, vol.36, 1995, pp.528,535-536参照.
84 Hsu(前注23)p.118参照.

◆59
 しかも、韓国側代表が日本に示した請求の概要を見れば明らかなとおり、「この交渉には、戦争犯罪や、人道に対する罪、奴隷条約の違反、女性売買禁止条約の違反、さらに国際法の慣習的規範の違反に起因する個人の権利侵害に関する部分はまったくない」(85)。日本は、その一方で西側諸国に対しては文書ではっきりと謝罪し、個人の権利侵害への損害賠償支払いに同意しながら、韓国人に対しては同じことをしなかった(86)。したがって、日韓協定第二条で使用される「請求権」という用語は、このような事実が背景にあるという文脈で解釈しなくてはならない。日韓協定に基づいて日本が提供した資金は、明らかに経済復興を目的としたものであり、日本による残虐行為の個々の被害者に対する損害賠償のためのものではない。一九六五年の協定はすべてを包含するような文言を使用してはいるか、このように、二国間の経済請求権と財産請求権のみを消滅させたものであり、個人の請求権は消滅していない。したがって日本は、自己の行為に現在でも責任を負わねばならない(87)

85 国際法律家委員会(本文注48)参照.
86 Hsu(前注23)p.103~p.104参照.
87 Rarker and Chew (前注5)p.538, 国際法律家委員会(本文注48)p.164~p.165参照.

◆60
 前述のとおり(*)、一九五一年の講和条約第一四条(b)には、「連合国のすべての賠償請求権」と、戦時中「日本国およびその国民がとった行動から生じた連合国およびその国民の他の請求権」のすべてを放棄するとある(傍点筆者)。「賠償請求権」(**)と「他の請求権」(***)と、区別して表現しているところから、権利放棄のこの条項が連合国国民が特つ損害賠償請求権(†)には適用されないことがはっきりとわかる。この条項で放棄された賠償とは、連合国自身の賠償請求権である。またこの条項で放棄された連合国国民の請求権とは、賠償「以外の」請求権である。したがって、元「慰安婦」の損害賠償請求権は、この条約でいう請求権の範囲には含まれず、この放棄の対象外である。

* 〔第54項の引用を参照(P.113)〕
** the claims for "reparations"
*** "other claims"
† compensation

◆61
 さらに中国は一九五一年のサンフランシスコ講和条約調印国ではないが、この条約には、日本に対する中国の戦後の権利について言及がある。興味深いことに講和条約第二一条では、日本が支払うべき特定の補償を列挙した第一四条(b)に基づく利益を受ける権利が中国にあるとするが、中国が第一四条(b)の任意放棄の規定の適用を受けるとは特に記述されていない。この任意放棄条項が中国に適用されない以上、講和条約によって中国国民には日本に対する賠償請求権がないとする日本政府の主張に根拠はない。

◆62
 さらに、一九六五年の日韓協定の場合と同様に、一九五一年の条約締結当時、日本政府が慰安所の設置・監督・運営への日本軍の関与を明らかにしていない以上、公平と正義の観点から、日本が自己の責任を免れるためにこの条約を援用することは認められない(88)。これも衡平法の原則の一つであるが、ユス・コーゲンスが適用されるケースであり、こうした基本的な法に違反したと告発されている国家が技術的な法解釈に依拠して責任を免れようとすることを許してはならない。いずれにせよ強調すべきなのは、日本は、責任回避のために条約の文言だけに基づいて反論することをいつでも自発的にやめて、正義と公平の実現を目指す行動をとりうるということである。

88 Yu(前注83)p.535参照.

第3節 勧告
①刑事訴追を保証するための仕組みの必要性
◆63
 強かん収容所の設置に対する日本軍の関与は今や明らかである。こうした残虐行為にかかわった人たちを、国連人権高等弁務官は、日本その他の裁判管轄権内で訴追するように行動すべきである。国連は、「慰安所」に関与して生存している責任者を探し出し、訴追する義務を日本に完全に果たさせることと、同様に他の諸国が、日本以外の裁判管轄権内で加害者の逮捕と訴追を援助するため、あらゆる手段を講じることを保障する義務がある。したがって高等弁務官は、日本当局とともに、以下を実現するよう行動すべきである。
(a)第二次大戦中、日本の強かん所を設置し、支援し、利用した可能性のある個々の軍人、公務員、民間人に関する証拠を集める。
(b)被害者の面接調査を行う。
(c)日本の検察官に対し、提訴準備を促す。
(d)他の諸国の裁判管轄権内で加害者を特定し、逮捕し、訴追するため、それらの諸国や被害者組織と協力する。
(e)各国の裁判管轄権内でこのような訴追が可能になるような立法措置をとるよう、あらゆる形で各国を援助する。

②損害賠償を実現するための法的枠組みの必要性
◆64
 当小委員会は他の国連諸機関と同様に、一九九五年の「アジア女性基金」の創設を「歓迎」した。「アジア女性基金」は、日本政府がに一九九五年七月、「慰安婦」たちへの道義責任を感じて設置したもので、「慰安婦」たちのニーズに応えるNGO活動を支援し、生存している「慰安婦」たちへの「償い」金を民間から募金するための什組みとして機能することを目的とする(89)。しかしながら、「慰安婦」の悲劇の被害者である個々の女性に対して公式に法的賠償をするという日本政府の責任が、「アジア女性基金」で果たされるわけではない。というのは、日本政府にとって、「アジア女性基金」からの「償い」金支払いは、第二次大戦中に起こった犯罪についての法的責任を認めたものではないからである。

89 アジア女性基金(前注2)p.1.

◆65
 「アジア女性基金」がいかなる意味でも法的賠償にはあたらない以上、前述の損害賠償を支払うための新たな行政基金を、適切な資格のある外国代表も加えて設置しなければならない。その実現を目指して国連人権高等弁務官は、日本政府とともに、「慰安婦」に対して公式に金銭補償を提供できるような適切な補償計画を迅速につくるため、政策決定権を与えられた国内外の指導者からなる専門委員を任命すべきである。したがって、この新しい委員会の役割は次のようなものになろう(90)
(a)これまで似たような状況で支払われてきた損害賠償額を参照して、適切な損害賠償額を算出する。
(b)この基金の広報と被害者認定のため、効果的なシステムを確立する。
(c)「慰安婦」からの請求すべてに迅速に対処するため、行政審査機関を日本に設置する。
 しかも、「慰安婦」たちが高齢化しているので、これらの措置はできるかぎり早急にとるべきである。

90 国際法律家委員会(本文注48)参照.

③損害賠償額の妥当性
◆66
 損害賠償額の妥当性は、被害の重大さ、規模、反復性や、行われた犯罪が意図的であったか否か、社会の信頼を裏切った公務員の行為にどのくらいの犯罪性があったか、すでに経過した膨大な時間(そのため、救済が大幅に遅れたことによる心理的被害とともに、貨幣価値の下落による損失)などを考慮して決めるべきである。一般に損害賠償の対象となるのは、身体的、精神的な被害、苦痛や情緒不安、教育など機会の喪失、収入そのものや収入を得る能力の喪失、リハビリテーションのための医療費その他の応分な費用、名誉または尊厳への侵害、救済を得るために法律家や専門家の援助にかかる応分の費用など、経済的に算定可能なすべての被害である。これらの要素に基づいて、十分な金額の損害賠償が遅滞なく行われるべきである(91)。損害賠償額を決定するにあたって、このような虐待が将来繰り返されないような抑止力とすることも考慮に入れるべきである。

91 Parker and Chew (前注5)p.544~p.545参照.

④報告義務
◆67
 最後に、日本政府は、「慰安婦」を特定し、補償し、加害者を訴追する状況がどのくらい進んでいるかについての詳細な報告を、国連事務総長宛てに少なくとも年二回、提出するよう義務づけられるべきである。この報告書は、日本語とハングルでも準備され、日本国内外で、とりわけ「慰安婦」自身に対し、また彼女たちが現在居住する国で、広く配布されるべきである。

第7章 結論
◆68
 本報告書の結論として、日本政府は、人権法と人道法に対する重大な違反に責任があり、その違反は全体として人道に対する罪に相当する。ところが日本政府の主張はこれと反対であり、奴隷化と強かんを禁止している人道法を攻撃する主張までしているが、その主張は、初めてニュルンベルクの裁判に持ち出された五〇年前と同様、説得力がない。これに加えて日本政府は、第二次大戦にかかわるすべての請求は戦後の講和条約と賠償協定で解決ずみであるとするが、この主張も、同様に説得力がない。その理由の大部分は、日本政府がごく最近までこれら強かん所の設置・運営に対する日本軍の直接的関与を認めなかったためである。戦争直後、日本と他のアジア諸国との間で平和条約と賠償協定の交渉が進められていた時期に、日本政府はこの点に沈黙していた。したがって現在の日本が、こうしたケースの責任を否定するためにこれらの平和条約を根拠にすることは、法と正義の見地からして認められない。

◆69
 戦争終結から半世紀以上たってもこうした請求の問題が解決できていないことは、女性の生命がいまだにいかに過小評価されているかを示す証拠である。悲しいことに、第二次大戦中に犯された大規模な性的犯罪に対処できていないために、似た上うな犯罪が処罰のないまま今日まで重ねられてきた。日本政府は、第二次大戦中に「慰安所」で残虐行為を受けた二〇万人以上の女性や少女たちへの強かんと奴隷化について謝罪し、償うために、一定程度の措置はとってきた。しかし、日本政府が法的責任とそのような責任から生じるさまざまな結果を全面的にそして無条件に受け入れないかぎり、どんな対応もまったく不十分である。今や日本政府には、十分な救済のために不可欠な決定的措置をとる責任がある。

 

[出典] マクドゥーガル報告書 [戦後責任ドットコム]

 

※参考資料:解決編 4 国際社会の声 | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」

クマラスワミ報告書(戦時における軍事的性奴隷制問題に関する朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国および日本への訪問調査に基づく報告書)

目次

解説(荒井信一)
・序文
・定義
・歴史的背景
  A.概観
  B.徴収
  C. 「慰安所」における状態
・特別報告者の作業方法と活動
・証言
・朝鮮民主主義人民共和国政府の立場
・大韓民国政府の立場
・日本政府の立場----法的責任
・日本政府の立場----同義的責任
・勧告
  A.国家レベルで
  B.国際レベルで
・原注
・脚注

【 解 説 】

 1994年の国連人権委員会は、スリランカのラディカ・クマラスワミ(Radhika Coomara-swamy)氏を「女性への暴力に関する特別報告者」に任命した。同氏は南アジアにおける民族的な迫害をはじめとするアジアにおける女性と法律の問題についての優れた研究で有名な法律家である。
人権委員会が女性にたいする暴力の問題を取り上げた直接の背景としては、冷戦構造のもとでのさまざまな人権抑圧が表面化したことと、開発が急速に進行した 発展途上国(地域)において直接的な、あるいは社会的な女性にたいする人権侵害が頻発し、明かるみに出されたこと、昨年の国連世界女性会議に結集したよう な女性の抑圧からの解放と地位向上を求める運動が世界的に高まったこと等をあげることができる。しかしとくに重要であったのは、旧ユーゴスラヴィアにおけ る内戦の過程で行われた「民族浄化」を名目とする女性にたいする強姦や強制妊娠などと、第二次世界大戦中に日本軍により組織的に行われた「従軍慰安婦」に たいする被害回復の問題が急速に表面化したことであった。
 旧ユーゴの問題については、国連安保理事会がこれを人道にたいする罪と認定し、すでに1993年5月25日の安保理事会決議(827号)で違反責任者の訴 追のための国際裁判所規定を採択し、我が国でも同年10月8日外務省告示485号として公布されている。ボスニア・ヘルツェゴヴィナの内戦の沈静化にとも ない同裁判所の活動が本格化しつつある模様は、日々の新聞などで報じられている通りである。裁判所規定では、人道にたいする罪として文民にたいして直接行 われた九つの犯罪をあげているが、そのうちには奴隷の状態に置くこと、拘禁、強姦が含まれている。民間人にたいする国際人道法違反の行為(戦争犯罪)とし ては、これらが「慰安婦」の場合にも共通するものであることはいうまでもない。
 クマラスワミ氏は1995年に提出した予備報告書で、「慰安婦」問題について「第二次大戦後約50年が経過した。しかしこの問題は過去の問題ではなく、今 日の問題とみなされるべきである。それは武力紛争時の組織的強姦及び性的奴隷制を犯したものの訴追のために、国際レベルで法的先例を確立するであろう決定 的な問題である。象徴的行為としての賠償は、武力紛争時に犯された暴力の被害女性のために補償による救済への途を開くであろう」と書いた。明らかに旧ユー ゴと戦時の日本における二つの問題の関連を強く意識し、人権を基礎とする平和秩序をいかにつくりあげてゆくかという今日的観点からその解決を探ろうとする 意欲を示したのであった。
 ここに訳出する最終報告書は、クマラスワミ氏が1996年1月4日付で人権委員会に提出したものであるが、上に述べたような観点は一層鮮明に貫かれている ように思える。それは報告書のなかで「勧告は…グローバルなレベルで女性にたいする暴力の克服を目指すもっと一般的な性格のものになるかもしれない」と記 している点にも現れている(45パラグラフ)。またこれまで「慰安婦」問題について引き合いに出されることのすくなかった戦時における文民の保護に関する 1949年8月12日のジュネーブ条約(第四条約)に、とくに注意を払っていることも重要であろう(96、98パラグラフ)。
 この報告書には「戦時における軍事的性奴隷制問題に関する朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国および日本への訪問調査に基づく報告書」というサブタイトルが ついている。クマラスワミ氏の三国訪問(予定されたピョンヤン訪問は実現しなかった)は、1995年7月に行われた。氏は調査に際し心掛けたことの一つ が、元「慰安婦」の要求を明確にすることにあったとし(46パラグラフ)、また被害女性たちが国際社会と日本政府の耳に届くことを期待している具体的要求 を問題解決に詳細に反映させようと考えたと述べている(61パラグラフ)。これらの言葉は、日本政府の提案した「女性のためのアジア平和国民基金」(クマ ラスワミ氏が調査した当時は「友好基金」と仮称されており、報告書にもその名前で登場する)との関連で書かれたものであるが、報告書のもう一つの重要な観 点――被害者からの視点を物語っているように思える。
 報告書は一つの章を、被害女性たちの生の証言の要約に当てている。クマラスワミ氏は証言を聞いたことの重要性について、「そのことによって当時一般的であった状況のイメージを作り上げることが可能となった」としている(53パラグラフ)。
 証言が50年以上の時間的距離を経た人間の記憶を通じての過去の再現であること、しかも思い出したくない過去に起因する心の傷が現在でも証言者の心を強く 動かしていることなどを考えると、証言が過去そのままの再現となることは考えにくい。それはすでに当初から心に受けた印象の強弱に従い、はっきりと焼き付 けられた部分もあれば、脱落したり曖昧になった部分もあったはずである。また長い記憶の歴史のなかで混乱や混同を経験し、変形されてもいよう。この変形 ――一種のデフォルメは事実そのものを表していないが、しかしそれは現在にいたるまで持続的に被害を受け続けてきた被害者たちの生(せい)の真実を、むし ろリアルに表現するものである。被害者たちの心に映じかつ残っているイメージにより、我々は、被害者をかつて苦しめまた現在までも苦しめている軍事的性奴 隷制の真実に初めて接近できるのである。問題が被害者たちの被害回復であるとすれば、やはり被害者たちの認識を決定し、要求の基礎となっている彼女たちの 心の真実から出発する以外にはないのである。クマラスワミ氏が「当時一般的であった状況のイメージを作り上げることが可能となった」と述べているのは、お そらくこのような意味であって、被害者からの視点を重く見る姿勢がここにも示されているように思う。
 しかしイメージは、被害者からみた歴史の真実を物語るものであっても、そのままでは本来何がおこったかを明らかにするためには不十分であることはいうまで もない。証言にしても、それを歴史の資料として活用するためには文書資料との付き合わせや、厳密な吟味、批判や証言者との再対話などの手続きによって事実 を確定する努力が必要である。とくに日本政府による公文書の公開が不十分である現状では、「慰安婦」問題の実態を裏付けることが困難であることは報告書で 指摘されている通りである(43パラグラフ)。被害回復のための前提としてわれわれが被害者の心の真実から出発して真相――とくに加害と被害の実態を解明 することが何よりも必要であろうが、それはむしろ本報告書によって日本の政府や国会に課せられた課題とすべきであろう。
 本報告書のメリットは、国連としての最初の公式調査の結果に基づき、被害者の立場を尊重しつつ軍事的性奴隷(「慰安婦」)問題の解決方法について勧告をお こなった点にある。各国政府からの事情聴取以外に事実調査も、そのような立場から被害者の聞き取りを中心に行われた。その結果得られた「一般的なイメー ジ」が「歴史的背景」の章にまとめられていると思われるが、率直にいって確実に事実誤認と思われる箇所がいくつかある。その訂正は早急にクマラスワミ氏に よっておこなわれるものと期待しているが、その主な部分は本訳書に訳注として示してある(ただし明白な誤りについては、断りなく訂正した)。誤りの主な原 因については、本資料センターの吉見義明氏が次のように指摘している。
 「誤りの原因について述べますと、George Hicks,The Comfort Womenに依拠した点が問題です。この本は、誤りの大変多い著書ですので、notesから削除したほうがいいと思います。Hicks氏の誤りの一例をあ げると、彼は吉田清治氏の経歴を、Tokyo University卒で、のちWar Ministry administrative officerになったと記しています(28ページ)。しかし、実際には、彼は東大卒ではなく、東京にある大学を卒業したものです(吉田の本による)。ま た、かれはadministrative officerではなく、上海派遣軍の下級の嘱託part-time emproyeeに過ぎません。またHicks氏が引用している吉田氏の著書の「慰安婦」徴集の部分は、多くの疑問が出されているにもかかわらず、吉田氏 は反論していません。…吉田氏が反論することは困難だと思われます。吉田氏の本に依拠しなくても、強制の事実は証明することができる(誰が強制したかを別 にすれば、日本政府も徴集時や慰安所での強制を認めている)ので、吉田氏に関連する部分は必ず削除することをお勧めします」(クマラスワミ氏宛の書簡)。
 最後に、「第二次世界大戦」という用語について触れておく。大戦の終結が1945年であることには異論はないが、大戦がいつ始まったかについては幾つかの 考え方がある。ヨーロッパではドイツがポーランドを攻撃した1939年を始期とするのが定説であるが、アジアでは「満州事変」の始まった1931年、日中 戦争が全面化した1937年、アジアとヨーロッパの戦争が拡大し一体化した1941年などがそれぞれ始期として主張されている。本報告書では1941年以 後を指していると思われるが、大戦の起源として中国侵略を重く見る立場から1931年を始期とする考え方も十分成り立つし、この報告書でも1932年から 記述をはじめている。さらにニュールンベルク裁判(1945~46年)で実体化される人道にたいする罪は、戦争前にさかのぼって非人道的な戦争犯罪をとら えているので、なおさら形式的な大戦の始期にこだわる必要はない。
 いうまでもなくこの報告書の核心部分は、最後の勧告のところにある。その冒頭で、日本政府が国際法違反の法的責任を受け入れることを求めている。日本政府 は平和国民基金等で道徳的責任を果たしつつあると主張しているが、その点に一定の評価をあたえながらも、この報告の根底には、法的責任を果たさなければ道 徳的責任も果たしたことにならないという考え方があるように思われる。かつて来日した国際法律家委員会(ICJ)のドルゴポール氏はそのことを簡潔に、法 的責任を認めずに道徳的責任を果たそうとすることは不道徳なことになると評した。日本政府が一刻も早くこの勧告を受け入れ、国際社会の信頼される一員とな る途を選ぶことを強く要望したい。
(荒井信一)


 

国連・経済社会理事会
配布・一般
(E/CN.4/1996/53/Add.1)
1996年1月4日(出版部受領日)

人権委員会
第52会期
暫定議題9(a)

委員会のプログラム及び活動方法の問題を含む人権と基本的自由の一層の促進及び奨励
人権と基本的自由をより効果的に享有するための国連制度内の代替的解決法並びに方法及び手段

追加文書
人権委員会決議1994/45による、女性に対する暴力とその原因及び結果に関する特別報告者〈ラディカ・クマラスワミ〉による報告書
戦時における軍事的性奴隷制問題に関する朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国および日本への訪問調査に基づく報告書


 
■ 序文

1.女性に対する暴力の特別報告者は、大韓民国と日本政府の招待で、女性に対する暴力とその原因及び結果のより広範な枠組みの中で、戦時の軍事的性奴隷制 問題について高度の研究を行うため、1995年7月18日から22日の間ソウルを、1995年7月22日から27日の間東京をそれぞれ訪問した。朝鮮民主 主義人民共和国の提案に基づき、その招待で、特別報告者は、同じ問題について1995年7月15日から18日の間平壌訪問をも予定していた。しかし、 1995年7月25日付け書簡で同政府に連絡した通り、特別報告者は、乗り継ぎ航空便の遅延のため、朝鮮民主主義人民共和国を訪問できなかったことについ て心からの謝罪と深甚なる遺憾の意を表明した。

2.同書簡で、特別報告者は、朝鮮民主主義人民共和国外務大臣金栄南(キム・ヨンナム)閣下に対して更に保証した通り、1995年7月15日から18日の 間平壌を予定通り訪問した人権センターの代表、並びに特別報告者にかわって受領され、彼女に送付された詳細なすべての情報、資料及び文書を完全に信頼して いる。また特別報告者は、双方にとって都合のよいときに朝鮮民主主義人民共和国を訪問する意志があることも表明した。この点で、特別報告者は、朝鮮民主主 義人民共和国政府の柔軟性と協力に感謝しているのであるが、同国政府は、1995年8月16日付けの特別報告者宛の書簡で、同国政府としては、朝鮮民主主 義人民共和国を訪問した人権センターの代表に渡された情報、資料及び文書を、特別報告者が報告書の準備に際し、注意深く研究し、考慮に入れることを望むと した。

3.また、特別報告者は、大韓民国および日本政府によって与えられた協力と援助にも感謝の念を表明したい。同国政府は、特別報告者が客観的かつ公平に人権 委員会に対して報告するに必要なすべての情報と文書を入手するために、関係分野の人々と討議できるように取りはからってくれた。

4.訪問に際し、政府代表および非政府組織代表との協議を通じて、高度の討議ができ、また戦時の軍事的性奴隷制の女性被害者と面会できたことで、特別報告 者は、被害者の要求と当該諸政府の立場を深く理解できた。またそれらを通じて、特別報告者は、いかなる問題が未解決であって、さらに当面の問題事項につい ていかなる措置が今取られつつあるのかを、よく理解できた。

5.特別報告者は、この報告書の主題の論議が、朝鮮半島の被害者のみならず、元「慰安婦」被害者の全ケースに適用されるべきことを強調したい。特別報告者は、財政的・時間的制約のために、すべての関係国の生存被害者を訪問できなかったことを残念に思う。

 
■定義

6.特別報告者は、戦時、軍によって、また軍のために、性的サービスを与えることを強制された女性の事件を軍事的性奴隷制の慣行ととらえていることをこの報告書の冒頭で明らかにしておきたい。

7.この点で、特別報告者は、東京訪問中に表明された日本政府の立場を知悉しているが、日本政府は、1926年の奴隷条約第1条(1)に従って、「所有権 に帰属する権限の一部又は全部を行使されている人の地位又は状態」と定義される「奴隷制」という用語を、現行国際法の条項の下で「慰安婦」事件に適用する のは、誤りであるとしている。

8.しかし、特別報告者は、「慰安婦」の慣行は、関連国際人権機関・制度によって採用されているところによれば、性奴隷制及び奴隷様慣行の明白な事例とと らえられるべきであるとの意見を持っている。この関係で、特別報告者は、差別防止少数者保護小委員会が、1993年8月15日の決議1993/24で、現 代奴隷制部会から送付された戦時の女性の性的搾取及びその他の強制労働の形態に関する情報に留意し、戦時の組織的強姦、性奴隷制及び奴隷様慣行に関する高 度の研究を行うよう、同小委員会の委員の一人に依頼したことを強調したい。さらに同小委員会は同委員に、重大人権侵害被害者の原状回復、補償及びリハビリ テーションへの権利に関する特別報告者に提出された情報
――「慰安婦」に関するものを含むが、それをこの研究の準備に際して考慮に入れるよう要請した。

9.さらに、特別報告者は、現代奴隷制部会が、その第20会期で、「第二次大戦中の女性の性奴隷」問題に関して日本政府から受け取った情報を歓迎し、かつ日本政府が行政的審査会を設置することによって「奴隷のような処遇」の如き慣行を解決するよう勧告したことに留意する。

10.最後に用語上の問題で、現代奴隷制部会の委員並びにNGO代表及び学者によって表明されたものだが、女性被害者は、戦時の強制売春及び性的隷従と虐 待の期間中、連日の度重なる強姦と激しい身体的虐待に耐えなければならなかったのであって、「慰安婦」という言葉がこのような被害を少しも反映していない という見解に、特別報告者は完全に同意する。したがって、特別報告者は、「軍事的性奴隷」という言葉の方が、はるかに正確かつ適切な用語であると確信する。

 
■歴史的背景

A.概観

11.日本陸軍のために戦地で売春婦を提供する「慰安所」の開設は、上海における日華紛争にともない早くも1932年に始まった。これはいわゆる「慰安 婦」の利用が広まり普通の現象となるほぼ10年前のことであった。その現象が、第二次世界大戦が終わるまでに日本軍の支配した東アジア全域のものとなった ことには疑いないからである。最初の軍事的性奴隷は日本の北九州地域の女性たちで、陸軍の指揮系統の一人の要請で長崎県知事によって送られた。[訳注1] 慰安所制度を公式に設置したことの理由付けは、そのように制度化され、それゆえに管理された売春サーヴィスは、陸軍の占領地から報告される強姦の件数を低下 させるであろうということであった。

12.1937年に日本の皇軍が暴力的結果を伴いつつ南京を占領したとき、日本の当事者たちは軍の規律と士気の状態について考えざるをえなくなった。 1932年当初に導入されたような慰安所計画が復活した。上海の方面軍は業界とのコネを利用して、1937年末までに軍の性的サーヴィスのために出来る限 り多くの女性を手に入れた。

13.これらの女性や少女たちは、上海と南京のあいだにあった軍直営の慰安所で使われた。この慰安所は後の時期の慰安所の原型となり、利用規則とともにそ の写真が残されている。軍による慰安所の直営は、この現象がもっと広まるとともにより安定してきた環境では、慰安所の基本の形とならなくなった。慰安所を 経営し所内の業務を引き受けたがっている民間業者が沢山いた。かれらは陸軍によって軍人に準じる身分と階級をあたえられた。軍は輸送と慰安所の全般的な監 督についての責任をもちつづけたし、衛生や全体の管理は軍の責任であった。

14.戦争が続き東アジア各地を拠点とする日本兵の数が増えるにつれて、軍事的性奴隷にたいする需要も増大した。そこで徴集のための新しい方法がつくりだ された。そのうちには東アジアの多くの地域、とくに朝鮮における詐欺と暴力の頻繁な利用が含まれていた。名乗り出たおおくの朝鮮人「慰安婦」の証言は、強 制や騙しが頻繁に用いられたことを明らかにしている。(大部分は朝鮮人である)かなりの数の被害女性たちは証言のなかで、自分たちの徴集に責任のあるさま ざまな業者や現地の協力者が用いた詐欺と甘言について語っている。[1]

15.1932年に国家総動員法が制定されたが、戦争末期の数年までは完全に実施されなかった。日本政府が同法を強化するにつれ男も女も戦争努力に貢献す ることを要求された。このこととの関係で女子挺身隊が設立されたが、それは表向きは工場で働いたり、あるいはその他の日本軍を補助する戦争関連業務にあた る女性たちを手に入れるためであった。しかしそれを口実としておおくの女性たちが騙されて軍事的性奴隷にされているとして、挺身隊と売春との結び付きがす ぐに噂となった。

16.最後に日本人は軍の増大する需要を満たすため、暴力と露骨な強制に訴えてよりおおくの女性を手に入れることができた。数おおくの被害女性たちが語っ ているのは家族に加えられた暴力である。家族は娘の連行や、ときには暴力でつれ去られるまえに両親の目の前でおこなわれた強姦を阻止しようとした。ヨ・ボ クシル(YoBokSil)の事例調査では、彼女はおおくの少女のように家からつれ去られたが、其の際誘拐に抵抗をこころみたため父親が殴られた。[2]

17.慰安所の地理的な所在地は戦争の進行とともに広がったように思われる。日本軍が駐屯した所にはどこにでも慰安所があったようである。その一方では、 公娼の存在にもかかわらず日本の内地でさえ「慰安婦」の利用が進み、既存の施設を利用できない人々のためにいくつかの慰安所が開設された。

18.慰安所が中国、台湾、ボルネオ、フィリピン、太平洋諸島のおおく、シンガポール、マライ、ビルマおよびインドネシアに存在したことは、おおくの資料 から分かる。慰安所の活動が行われていた当時の記憶がある人、なにかの形でこの制度の運営に関わっていた親類や知人があった人など、さまざまな人々の証言 が記録されている。[3]

19.日本帝国のさまざまな場所にあった多様な慰安所規則類の記録といっしょに、いろいろな状況下での慰安所や「慰安婦」自身の写真さえ保存されている。 徴集方法の証拠として役立つ文書記録は僅かであるが、この制度の運営の実態は時を経て残った記録類により広範に立証できる。日本の軍部は売春システムの詳 細を細かく記録したが、それをたんなる一つの遊興施設とみなしていたようにみえる。上海、日本の沖縄その他の地方、中国およびフィリピンにあった慰安所の 規則はまだ残っており、なかでも衛生規則、利用時間、避妊、女性にたいする料金およびアルコールと武器の禁止を細かく規定している。

20.これらの規則類は、戦後に残された文書のうちでももっとも罪深いものである。それらは日本軍がどの程度まで慰安所にたいし直接の責任があり、その組 織のあらゆる側面と深く関わっていたかを疑いの余地なく明らかにしている。そればかりでなく、慰安所がいかにして合法化され制度化されたかをも明白に示し ている。「慰安婦」が適正に扱われるようにすることにおおくの注意がはらわれたように見える。アルコールと刀剣類の禁止、利用時間の規定、合理的な料金、 その他礼儀作法または公正な取り扱いらしいものを課そうとする試みは、実際に行われたことの野蛮さ、残酷さと鋭い対照をなしている。このことは軍事的性奴 隷制のシステムの異常な非人間的性格を照らし出すのに役立つだけである。このシステムのなかで、筆舌に尽くしがたいほど心を傷つけられることもおおい状況 の下におかれながら、大勢の女性たちが「売春」に身をゆだねつづけることを強制されたのである。

21.戦争の終結も、引き続き「慰安婦」として使役されていた女性の大部分にとっては救いとならなかった。おおくの人が退却中の日本軍によって殺された か、もっとおおかったのはただ運命に任せて遺棄されたからであった。ミクロネシアの事例では、一夜で70人の「慰安婦」が日本軍に殺されたが、それは女は 邪魔だと考えたり、前進するアメリカ軍の手に落ちたら面倒なことになると思ったためであった。[4]

22.最前線にいた被害女性のおおくが、兵隊といっしょに特攻をふくむ軍の作戦に加わることを強制された。しかし一番おおかったのは、故郷から遠く離れ、 「敵」の手でどんな目にあうか分からない所で自活するように放置されたことであった。自分の居場所すら分からず、ほとんど金を持たず無一文のものもおお かった。証言によれば「稼いだ」金を少しでも受け取ったことのある女性はごく僅かだったからである。マニラの場合のように撤退した女性のうちからは、悲惨 な状況と食料不足による死者がおおくでた。

B.徴集

23.第二次世界大戦の直前及び戦争中における軍事的性奴隷の徴集について説明を書こうとする際、もっとも問題を感じる側面は、実際に徴集がおこなわれた プロセスに関して、残存しあるいは公開されている公文書が欠けていることである。「慰安婦」の徴集に関する証拠のほとんど全てが、被害者自身の証言から得 られている。このことは、おおくの人が被害者の証言を秘話の類とし、あるいは本来私的で、したがって民間が運営する売春制度である事柄に政府をまきこむた めの創作とまでいって退けることを容易にしてきた。それでも徴集方法や、各レベルで軍と政府が明白に関与していたことについての、東南アジアのきわめて多 様な地域の女性たちの説明が一貫していることに争いの余地はない。あれほど多くの女性たちが、それぞれの目的のために公的関与の範囲についてそのように似 通った話を創作できるとはまったく考えられない。

24.日本の直接管理下にある最初の慰安所は1932年に上海におかれたが、その開設にたいする公的関与については第一級の資料がある。上海戦の指揮者の ひとり岡村寧次中将(上海派遣軍参謀副長)は軍慰安所の最初の発案者であったことを、回想記のなかで告白している。[5]日本軍による強姦がきわめて高率で 頻発し、対策として長崎県知事により大勢の女性が現地に送られた。[訳注2] 彼女たちが日本から送られたという事実は軍のみならず内務省をもまきこむ。内務 省は知事と、後に軍に協力して女性の強制徴集の際に重大な役割を果たすことになる警察とを支配していた。

25.1937年の南京事件の結果、軍規を改善しなければならないことが日本人に明らかとなり、「慰安所設置」が復活した。北九州のおなじ地域に業者が送 られた。売春宿からの自発的応募が不十分であったので、彼らは表向きは軍の料理人や洗濯婦という給料のよい仕事を世話するといって土地の少女たちを騙す手 にでた。そういう仕事の代わりに彼女たちは上海と南京のあいだにあった慰安所で軍事的性奴隷とし働かされ、このセンターが将来の慰安所の原型となった。[6]

26.戦争の後期になると、軍は慰安所の運営と業務にたいする責任の大部分を民間の業者に譲りわたした。軍の代理人が業者に接近したことも、業者がすすん で軍に許可を求めたこともある。軍が売春業を経営するのは適当でないと考えられたし、民間業者の施設にしたほうが軍隊にはもっと「ふさわしい」と思われ た。しかしどの程度まで民間人が関わったか、また正確にはだれが慰安所の開設に着手した責任があったかは、地域によって異なったが、徴集の実行はますます 政府の側の責任となった。しかしごく最近まで日本の当局者が、強制徴集と欺瞞におけるかれらの役割、または徴集のプロセスでの実際上の責任を全く認めよう としなかったために、軍事的性奴隷として使役された女性たちの獲得のプロセスに関する情報は大部分が被害者自身の口から得られたものである。

27.しかし前述のようにこの情報は元「慰安婦」の話のなかに沢山あり、無理なく明確な像がえられる。徴集について三つのタイプが識別できる。すでに娼婦 であった女性と少女の自発的応募、料理屋のあるいは軍の料理人または洗濯婦として給料のよい仕事で女性を騙す、および最後に日本の支配下にある国々での大 規模な強制と奴隷狩に匹敵する女性の暴力的連行。[7]

28.より多くの女性を求めて軍のために活動していた民間業者たちは、日本人と協力して活動する朝鮮警察のメンバーと同様に、村にやってきて給料のよい仕事の約束をして少女たちを騙すことがあった。あるいは1942年に先立つ数年間は、朝鮮警察が村に来て
「女子挺身隊」を募集した。このことは徴集を日本の当局により是認された公的なものとし、一定程度の強制を意味するものともした。もし「挺身隊」として推 薦された少女がそれを断った場合には、憲兵隊または軍警察がその理由を取り調べた。実際に「女子挺身隊」は日本軍に、上記のように偽りの口実で「戦争努力 に参加する」よう地方の少女たちに圧力を加えるため地方の朝鮮人業者と警察を利用する機会をあたえた。[8]

29.一層おおくの女性が必要になった場合には、日本軍は暴力やむきだしの武力、狩り出しに訴えた。そのうちには娘の誘拐を阻止しようとした家族の殺害が 含まれていた。国家総動員法が強化されたことで、これらの手段をとることは容易になった。この法律は1938年に公布されたが、1942年までは朝鮮人の 強制徴集に適用されなかった。[9] おおくの軍「慰安婦」たちの証言は、徴集に際して広範に暴力と強制が用いられたことを証明している。さらに戦時中におこ なわれた狩り出しの実行者であった吉田清治は、著書のなかで、国家総動員法の一部として労務報国会のもとで自ら奴隷狩に加わり、その他の朝鮮人とともに 1000人もの女性たちを「慰安婦」任務のために獲得したと告白している。[10]

30.文書資料はまた、地方住民全体の統制を保つうえで家族を利用できるので、役人や地主たちの娘は徴集を免れたと述べている。村々から集められた少女た ちはたいへん若く、大部分が14歳から18歳のあいだであった。少女たちを獲得するために学校の組織が利用された。現在、軍「慰安婦」問題に関心を高める ために活動している尹貞玉(ユン・ジョンオク)教授は、幸いにも両親の配慮によって学校から連れ出されるのを免れた。しかし教授は、そのようなやり方で性 病に冒されていない、就学年齢の処女が徴集された事実を証言している。[11]

31.おおくの少女たちは、若く世間知らずであったために、よい就職を世話するという申し出を疑いもせず、強制連行に抵抗できなかった。そしておおくの場 合、売春とか性行為について全く何も知らなかった。徴集の実行に信頼する村の巡査、役場がしばしば関わっていたという事実は、彼女たちを一層無防備にし無 力にした。[訳注3] そのうえ売春にともなう汚名は、戦争が終わらないうちに苦役から帰ることのできた女性たちがその経験を話し、それによって他の少女たち に危険を警告する道を絶った。女性被害者のほとんどが、ぞっとする経験を隠し社会に再復帰することに懸命だったのである。

C.「慰安所」における状態

32.元「慰安婦」たちの証言によれば、彼女たちが日本軍兵士に奉仕するため要求された条件はほとんど一貫して恐るべきものであった。宿泊設備や全般的な待遇は場所によ ってまちまちであったが、おかれた環境の悲惨さと残酷さについてはほとんど全ての女性被害者が証言している。慰安所そのものは場所により、進撃中に日本軍 が接収した建物であったり、「慰安婦」の宿泊専用に軍が作った間に合わせの建物であったりした。前線地帯ではテントまたは一時しのぎの木造の掘っ建て小屋 がしばしば慰安所になった。

33.敷地は鉄条網で囲われ、厳重に警護され巡視されていた。「慰安婦」の行動は細かく監視され制限されていた。女性たちのおおくは宿舎を離れることを許 されなかったと語っている。毎朝決められた時間に外を散歩することを許されたものもある。調髪のためとか、映画をみるために臨時外出を認められたことを覚 えているものもいる。しかし、実質的な行動の自由ははっきりと制限されており、逃亡はほとんど如何なるときでも不可能であった。

34.慰安所自体は、通常一階か二階の建物で、食堂または受付が下にあった。女性たちの個室は裏側か二階にあるのが普通で、たいていは狭く窮屈な間仕切り から成っていた。僅か6フィートか8フィートと小さいことも稀でなく、ベッド一つがやっと置ける部屋であった。そのような状況のなかで「慰安婦」は一日に 10人から30人もの男を相手とすることを求められた。いくつかの前線地帯では女性たちは床のうえの布団で眠り、おそろしい寒さと湿気に晒されなければな らなかった。個室はおおくの場合一枚の畳か、床まで届かない筵で仕切られているだけであったので、物音は部屋から部屋へ筒抜けとなった。

35.典型的な慰安所は民間の業者が管理し、女性たちの世話をする日本人または時により朝鮮人の女性が一人いることがおおかった。軍医が衛生検査をおこ なったが、「慰安婦」のおおくの記憶では、これらの定期検査は性病の伝染を予防するためのもので、兵隊が女たちに負わせた煙草の押し焦げ、打ち傷、銃剣に よる刺傷や骨折でさえもほとんど注意を払われなかった。そのうえ女たちの休み時間はほとんどなかった。現在残っている規則のおおくで規定されている自由時 間も、居続けようとしたり規定外の時間に来たがる将校たちによりしばしば無視された。何日にもわたり女たちは次にやってくる男を迎える前に身を清めるのが やっとという有り様であった。

36.食べ物と衣類は陸軍により支給された。しかしながい間、食べ物はいつも不足していたと不満を漏らす元「慰安婦」が何人もいる。ほとんどすべての場合 に女たちは「奉仕」にたいし支払いを受け、料金の代わりにチケットを集めることになっていたが、戦争が終わった時になんらかの「稼ぎ」を持っていた者はご く僅かであった。こうして戦争が終われば自分や家族が自立するのに十分な貯えを持てるかもしれないというほんのささやかな慰めでさえ、日本軍の敗退後には 無意味なものとなった。

37.奴隷的状況の苛酷さと残虐性は、性的虐待の根強く永続的なトラウマ(精神的外傷)にくわえて、多くの軍事的性奴隷の証言のうちによく現れている。彼 女たちはいかなる人格的自由も持たず、兵士からは暴力で残忍に、慰安所経営者と軍医からは無関心に扱われた。前線に近いこともまれでなかったため、彼女た ちは敵襲や爆撃、死の脅威にさらされた。おなじ状況は慰安所の常連の兵隊たちを今まで以上に残忍にし攻撃的にした。

38.そのうえ病気と妊娠にたいする恐怖がいつもあった。実際「慰安婦」の大多数はある程度性病にかかっていたように思われる。病気の間は回復のための休 みをいくらか与えられたが、それ以外はいつでも、生理中でさえ彼女たちは「仕事」を続けることを要求された。ある女性被害者が特別報告者に語ったところで は、軍事的性奴隷として働かされていたときに何度も移された性病のため、戦後に生まれた彼女の息子は精神障害者となった。このような状況はすべての女性被 害者たちの心に深く根付いた恥の意識と合わさって、しばしば自殺または逃亡の試みという結果をひきおこした。その失敗も確実に死を意味した。

39.歴史の記述から得られる情報を補足するために、特別報告者はソウルと東京に滞在中に歴史家たちと会い、慰安所が開設され、女性たちが軍事的性奴隷にするために徴集された状況についての情報を求めた。

40.特別報告者は東京の歴史家、千葉大学の秦郁彦博士が「慰安婦」問題にかんする幾つかの研究、とくに済州島での「慰安婦」の状況について書いた吉田清 治の著書に反論したことを指摘しておく。博士の説明では、彼は1991~92年に大韓民国の済州島を史料収集のため訪れたが、「慰安婦犯罪」の主犯は実際 には朝鮮人区長、売春宿の持ち主及び少女自身の親たちでさえあった。教授の主張では親たちは娘の徴集の目的を知っていたというのである。議論の裏付けとし て秦博士は、1937年から1945年にかけての慰安宿のための朝鮮人女性徴集システムの二つのひな型を示した。どちらのモデルも朝鮮人の親たち、朝鮮人 村長および朝鮮人ブローカーたち、すなわち民間人たちが日本軍のために性奴隷として働く女性たちの徴集に協力し、役割を果たしたことを知っていたことを明 らかにしている。秦博士はまた大部分の「慰安婦」は日本陸軍と契約を結んでおり、月あたり兵隊の平均(15~20円)の110倍(1000~2000円) もの収入を得ていたと信じている。

41.特別報告者はまた東京の歴史家、中央大学の吉見義明教授にも会った。彼は特別報告者に日本の皇軍の文書のコピーを提供した。それは朝鮮人「慰安婦」 の徴集にたいする命令や規定が日本軍当局により、あるいは当局が知っていて実行されたことを裏付けるものであった。吉見教授はまた原文書の詳細な分析を示 したが、それは師団や連隊の後方参謀や副官が派遣軍から指示をうけ、憲兵を使って占領地の村長や地方の有力者に命じ、軍事的性奴隷として使役する地域の女 性を徴集するのが普通であったとするものであった。

42.慰安所の開設にたいする日本軍の決定的な関与と責任を例示するために吉見教授はさまざまな文書に言及した。特別報告者も例証として日本陸軍の広東駐 屯第21軍の1939年4月11~21日の「旬報」に言及しておきたい。そこには軍の統制下で将兵のための軍慰安所が操業しており、約1000人の「慰安 婦」が同地内の10万と推定される兵士を相手にしていると書かれている。特別報告者に渡された他の同様な文書からは、陸軍省からの指示に基づいて「慰安 婦」施設にたいする厳重な統制システムが維持されていたことが明らかにされている。これらの命令は、性病の蔓延防止を目的とする衛生規定のような事柄にも 配慮していた。

43.特別報告者はまた、性奴隷徴集のため普通に行われたもう一つの方法として、各派遣軍から朝鮮に派遣された業者で、彼らは憲兵と警察の協力または支持 を得て軍事的性奴隷として朝鮮人女性を集めたと思われるという情報を得た。これらの業者は普通、軍司令部により指名されたが、師団、旅団または連隊が直接 おこなうこともあったようである。さらに吉見教授は、日本政府によって全ての公文書が公開されておらず、防衛庁、法務省、自治省、厚生省および警察庁の文 書庫にまだ眠っているものがあるかもしれないので、徴集の詳細を文書で裏付けることはきわめて困難であると主張した。

44.これまで述べたことにかんがみて特別報告者は、第二次世界大戦終結50周年にあたる1995年の真相調査団は格別に意義あるものとなり、戦時中の軍 事的性奴隷に関連する未解決の問題の解決を助け、また暴力の被害者である少数の生存女性たちの苦しみを終わらせる助けとなるものとなろうと考える。

 
■特別報告者の作業方法と活動

45.第二次世界大戦中のアジア地域における軍事的性奴隷の問題にかんして、特別報告者は政府および非政府組織の情報源から豊富な情報と資料を受け取っ た。そこには被害女性たちの証言記録がふくまれていたが、それらは調査団の出発前に注意深く検討された。本問題についての調査団の主要な目的は、特別報告 者がすでに得ている情報を確かめ、全ての関係者と会い、さらにそのような完全な情報に基づいて国内的、地域的、国際的レベルにおける女性にたいする暴力の 現状、その理由と結果の改善にかんして結論と勧告とを提出することにあった。その勧告は、訪問先の国において直面する状況を特定したものになるかもしれ ず、あるいはグローバルなレベルで女性にたいする暴力の克服を目指すもっと一般的な性格のものになるかもしれない。

46.調査団の活動中、特別報告者がとくに心掛けたのは、元「慰安婦」の要求を明確にすることと、現在の日本政府が本件の解決のためどんな救済策を提案しつつあるのかを理解することであった。

47.ピョンヤン(1995年7月15-18日)。
訪問中の人権センター代表は、金永南外相に迎えられた。代表たちは、特別報告者が利用するための情報や資料を、最高人民会議議員、外務部高官、非政府組織代表、学者および報道関係から提供された。団員たちはまた4人の元軍事的性奴隷の証言を聞いた。

48.ソウル(195年7月18-22日)
大韓民国訪問中、特別報告者は孔魯明(コン・ロミョン)外相に迎えられた。特別報告者はまた外務部、第二政務部、法務部及び保健福祉部の高官たち、学者、 国会やさまざまな非政府組織の代表とも会った。特別報告者はまた13人の元「慰安婦」と会い、これら被害女性のうち9人の証言を聞いた。

49.東京(1995年7月22-27日)
日本訪問中、特別報告者は首相官邸で五十嵐広三内閣官房長官と会い、また総理府、外務省、法務省の高官や国会議員とも会った。さらに特別報告者は、非政府 組織と女性団体の代表ともあった。特別報告者はまた、在日の元朝鮮人「慰安婦」と、日本帝国陸軍の元兵士の証言を聞いた。

50.特別報告者が調査活動中に会ったおもな人々のリストはこの報告の付録にある。

51.この報告の目的は、本件解決のために将来の行動方針を促進するため、本件の関係者、すなわち朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国及び日本政府の全ての 意見を正確かつ客観的に反映させることにある。しかしさらに重要であるのは、この報告の意図が、暴力の被害をうけた女性たちの声に人々が耳を傾けるように することである。女性たちは特別報告者が会うことのできた人たちであるが、フィリピン、インドネシア、中国、台湾(中国の省)、マレイシアおよびオランダ における他の全ての元「慰安婦」に代わって発言したのである。これらの証言は、自らの尊厳の回復と、50年前に彼女たちの人身にたいして犯された残虐行為 を認めることを現在要求している生存女性被害者の声なのである。

 
■証言

52.その人生のうちでもっとも屈辱的で苦痛に満ちた日々を再び蘇らせる意味をもつに違いないにもかかわらず、勇気をもって話し、証言を与えてくれた全て の女性被害者にたいして、特別報告者ははじめに心からの感謝をささげたい。特別報告者は、非常な感情的緊張のもとにありながら自分の経験を話してくれた女 性たちに会ったことで、深く心を動かされた。

53.特別報告者は、この報告の紙数が限られているため、三国すべてで聞いた16の証言の僅かしか要約できなかった。しかし特別報告者は、全ての陳述につ いてそれらを聞くことができたことの重要性を強調しておく。そのことによって当時一般的であった状況のイメージを作り上げる事が可能となったからである。 以下の証言は軍事的性奴隷の現象のさまざまな側面を例示するために選ばれたもので、そうした軍事的性奴隷制が日本帝国陸軍の指導者たちにより、またその認 知のうえで、組織的かつ強制的に実施されたことを特別報告者に信じるに至らしめたものである。

54.現在74歳のチョン・オクスン(ChongOkSun)の証言は、日本帝国陸軍の兵士による性的暴行と日々の強姦に加えて、これらの女性が耐えなければならなかった残酷で苛酷な取り扱いを、とくに反映している。
「私は1920年12月28日、朝鮮半島北部咸鏡南道のプンサン郡フアバル里で生まれました。
13歳の時の6月のある日、私は畑で働いている両親のために昼食の用意をしなければならなかったので、村の井戸に水を汲みに行きました。そこで一人の日本 の守備兵が私を不意に襲い、連れて行きました。ですから両親には自分の娘に何が起きたか分かりませんでした。私はトラックで警察に連れて行かれ、数人の警 官により強姦されました。私が叫ぶと彼らは口に靴下を押し込み強姦を続けました。私が泣いたので警察署長は私の左目を殴りました。その日、私は左目の視力 を失いました。
10日ほどして私はヘイサン市の日本陸軍守備隊の兵営に連れて行かれました。私といっしょに約400人の朝鮮の若い娘がいて、毎日性奴隷として5000人以上の日本兵の相手をしなければなりませんでした――一日に40人もです。
その度に私は抗議しましたが、かれらは私を殴ったり、口にぼろきれを詰め込んだりしました。あるものは、私が抵抗をやめるまで秘所にマッチの棒を押し当てました。私の秘所は血まみれになりました。
一緒にいた一人の朝鮮の少女が、どうして一日に40人もの大勢の相手をしなければならないのかを尋ねたことがあります。質問したことを罰するため、日本の 中隊長ヤマモトはこの少女を剣で打つように命じました。私たちが見ていると、彼らは少女の衣類をはぎとり、手足を縛り、釘の出た板のうえを、釘が血と肉片 で覆われるまで転がしました。最後に、彼らは彼女の首を切りました。別の日本人ヤマモトは、「お前たちみんなを殺すのは簡単だ。犬を殺すよりもっと簡単 だ」と語りました。彼はまた「こいつら朝鮮人少女は食べ物がないといって泣いているから、この人肉を煮て食べさせてやれ」とも言いました。
ある朝鮮人少女は、頻繁に強姦されたため性病にかかり、そのために50人以上の日本兵が病気にかかりました。病気の蔓延を防ぎその朝鮮人少女を「無菌化」 するため、彼らは焼けた鉄棒を彼女の秘所に突き刺しました。あるとき彼らは私たちのうち40人を、トラックに乗せて遠くの水たまりに連れて行きました。水 たまりは水と蛇でいっぱいでした。兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました。
守備隊の兵営にいた少女たちの半分以上が殺されたと思います。二度逃亡を企てましたが、いつも数日で捕まってしまいました。私たちはいっそうひどく拷問を うけ、私はあまりに多く頭を殴られたので、どの傷もまだ残っています。彼らはまた私の唇の内側や胸、腹、体に入れ墨をしました。私は気絶しました。気が付 いてみると、私は恐らく死体として捨てられて山の蔭にいました。私といっしょにいた二人の少女のうち、私とク・ハエ(KuHae)が生き残りました。山の なかに住んでいた50歳の男が私たちを見つけ、衣服と食べるものをくれました。彼はまた朝鮮に帰るのも助けてくれました。私は、日本人のための性奴隷とし て5年間使役されたのち、18歳のときに、傷つき子を産めない体で、言葉を話すのも難かしいありさまで帰国しました」。

55.77歳のファン・ソギョン(HwanSoGyun)の証言は、大勢の娘たちを軍事的性奴隷に誘い込んだ詐欺的方法による徴集方法の証拠となる。
「私は、1918年11月28日に日雇い労働者の次女として生まれました。私どもは平壌市カンドン区のタエリ労働者街に住んでいました。
17歳のとき、1936年のことですが、部落の長がやってきて私に工場の仕事を世話すると約束しました。私の家はたいへん貧しかったので、私は喜んでその 収入の良い仕事を引き受けました。私は日本のトラックで、すでに20人ほどの朝鮮の娘たちが待っている停車場に連れていかれました。私たちは汽車と、その 次にはトラックに乗せられ、数日間の旅ののち中国の牡丹江のほとりにある大きな家につきました。私はそれが工場だと思いましたが、工場などないことが分か りました。少女たちは、わらの布団があり、ドアに番号がついている部屋を、一人に一室ずつ割り当てられました。
何が身に降りかかるかも知らず二日間待った後、軍服をきて帯剣した日本兵が一人私の部屋にやってきました。彼は「自分の言うことを聞くかどうか」と尋ね、 私の髪の毛をつかんで床のうえに倒し、足を開くようにいいました。彼は私を強姦しました。彼が離れたとき、私は外で20人か30人の男たちが待っているの を見ました。全員がその日私を強姦しました。それ以来、私は毎晩15人か20人の男たちに襲われました。
私たちは定期的に医学的検査を受けなければなりませんでした。病気にかかっているとわかると、殺されてどこか分からない所に埋められました。ある日、新し い娘が私の隣の部屋に入れられました。彼女は男たちに抵抗を試み、そのうちの一人の腕に噛み付きました。そのあと彼女は中庭にひきだされ、我々全部の見て いる前で刀で首を切り落とされ、体を切り刻まれました」。

56.現在73歳で、韓国永登浦区のドンチョン洞に住んでいるファン・クムジュ(HwanKumJu)の証言は、陸軍が慰安所を運営した際の規則類を例示している。
「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだ と思いました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求しました。かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったの で抵抗しました。私はまだ処女でした。しかし彼は銃剣の付いている銃で私のスカートを引き裂き、下着を体から切り離しました。そのときに私は気を失いまし た。そしてふたたび気が付いたときには毛布を掛けられていましたが、あたり一面に血が付いていました。
そのときから最初の1年間は、いっしょにいた全ての朝鮮の少女たちと同様に高級将校の相手をするように命令されましたが、時がたち私たちがますます「使 役」されるのにしたがい、私たちはもっと下級の将校の相手をするようになりました。もし誰かが病気になれば、その人は消えてしまうのが普通でした。また私 たちは「606号注射」を与えられましたが、それは妊娠しないようにするためや、妊娠したときにいつも流産するようにするためでした。
衣類は一年に2回しか与えられず、食べ物も足りず、餅と水だけでした。私たちの「サーヴィス」には、支払いはありませんでした。私は5年間「慰安婦」とし て使われましたが、そのことで一生苦しめられてきました。私の内臓は何度も病におかされるたび、手術で取り除かれており、苦痛と恥にみちた経験のために、 性交渉を持つことはできません。私はミルクや果汁を吐き気を催さずには飲むことができません。彼らが私に押し付けた汚らしい事柄をあまりにもたくさん思い 出させるからです」。

57.別の生存者であるファン・ソギュン(HwangSoGyun)は、性奴隷として7年間日本兵の相手をさせられた後、1943年に「慰安所」から逃げ ることができた。その後39歳のとき結婚することができたが、家のものに過去を語ったことはなかった。心理的肉体的な傷と婦人科的問題のため、子供をもつ ことはできなかった。

58.生き残った別の女性ファン・クムジュ(HwangkumJu)が特別報告者に語ったところでは、中国の吉林省の慰安所での最初の日に、日本兵からこ こには従わなければならない五つの命令があり、従うか死ぬかだといわれたという。第一、天皇の命令。第二、日本政府の命令。第三、彼女が所属している陸軍 中隊。第四、中隊のなかの分隊。そして最後に彼女が自分に仕えているテントの持ち主としての彼の命令。また別の生存者、韓国のキム・ボクスン (KimBokSun)は、性奴隷としての自分の生活は、軍により直接に統制されていたと証言した。毎日午後3時から9時は下士官の相手をしなければなら ず、午後9時以後の夜は将校のためにとっておかれた。また大部分の兵隊たちはその使用を拒否したが、全ての女性は兵隊たちを性病から守るため、コンドーム を支給された。

59.上記の陳述は、特別報告者が受け、それによって特別報告者に性奴隷制が軍司令部および政府の命令で組織的方法で日本帝国軍隊により開設され、厳重に統制されていたことを信じさせるに至った文書情報と符合している。

60.特別報告者はまた、女性たちが証言のなかで触れている傷痕や痕跡を見ることができた。特別報告者が、平壌で元「慰安婦」の世話をしている医師チョ ウ・フンオク(ChoHungOk)博士の助言を求めたのに対し、博士は、これらの女性は多年にわたり毎日毎日何回もの強姦に耐えなければならなかった結 果、その人生の大半を肉体的にも心理的にも全体として衰弱した状態におかれていたことを確言した。チョウ博士はさらに、女性たちが体に負った目に見える肉 体の傷痕に加えて、精神的苦痛がその生涯を通じて彼女たちをさいなんでおり、こちらのほうがもっと深刻であることを強調した。同医師はさらに、女性たちの おおくは不眠、夢魔、高血圧および神経過敏に悩まされていると証言した。女性たちのおおくは、移された性病により生殖器や泌尿器が影響を受けたため、不妊 手術を施さなければならなかった。

61.特別報告者は、証言を聞く以外に、関係者個人に受け入れ可能なやりかたで問題を解決する方法を探り当てようと試みた。そして、とりわけどんな賠償措 置を被害女性たちが求めているか、また日本政府の提案する「女性のためのアジア平和友好基金」方式による解決策にたいする彼女たちの反応はどうかを尋ね た。このこととの関連で特別報告者は、国際社会と、とりわけ日本政府がその声に耳を傾けることを期待している元「慰安婦」たちの具体的な要求を詳細に反映 させたいと考えた。特別報告者の尋ねた質問にたいする回答として、大部分の元「慰安婦」は、日本政府のなすべきこととして次の事をあげた。
(a)生き残った女性一人一人にたいし、その耐えなければならなかった苦しみに謝罪せよ。朝鮮民主主義人民共和国の女性被害者たちは、また謝罪は、その政 府を通じ国民にも及ぼされるべきだとの考えであり、一方韓国の人達はほとんどが個人宛の謝罪の手紙を全ての生き残り被害者に渡すべきだという意見であっ た。付け加えていえば、大多数の被害者が村山首相在任時に行った謝罪は、とくに日本の国会がその言葉を確認していないので、真摯なものとするには足りない と感じている。
(b)約20万人の朝鮮女性の軍事的性奴隷としての徴集と、日本帝国軍の利用のための慰安所の設置が、政府および軍の指揮中枢の認知により、または認知のもとで組織的かつ強制的な方法で運営されていたことを認めよ。
(c)性奴隷を目的とする女性の組織的徴集は、人道にたいする罪、国際人道法の重大な侵害および平和にたいする罪、ならびに奴隷制、人身売買と強制売春の罪と考えられるべきことを認めよ。
(d)上記の罪にたいする道徳的および法的責任を受諾せよ。
(e)生存被害者に政府資金から賠償を支払え。この目的のために、日本政府が特別立法を行い、賠償にたいする個人の請求の解決を、日本の地方裁判所における民事裁判を通じて出来るようにすることが示唆された。

62.賠償の支払いに関連して多くの女性たちが強調したのは、その象徴的意味にくらべれば金額はそれほど重要でないことであった。賠償の特定の金額については、特別報告者にたいし何の言及もなかった。

63.さらに多くの女性は、日本政府が民間の資金からの寄付金により、とくに元「慰安婦」被害者に賠償するために設立した「女性のためのアジア平和友好基 金」を撤回することを要請した。ほとんどの女性関係者たちは、基金が過去の行為にたいする日本政府の法的責任を回避するための便法であると見ている。

64.加えて元「慰安婦」たちは、次のような措置を日本政府がとるように求めている。
(a)第二次世界大戦中の軍事的性奴隷制問題の歴史的事実についての徹底的な調査、日本国内とくに政府の公文書庫に現存する本件に関する全ての公的な文書および資料の公開。
(b)調査により判明した歴史的事実を反映するように日本の歴史教科書と教育カリキュラムを改訂すること。
(c)軍事的性奴隷の徴集と軍事的性奴隷制の制度化に関係した全ての加害者を、日本の国内法を通して特定し訴追すること。

65.生存している被害者の全員が、特別報告者と国連システムに、国際的圧力を通じてこの問題の適切な解決をもたらす国際的な推進主体となるように求めた ことを特別報告者は銘記したい。いろいろな機会に国際司法裁判所ないし国際仲裁裁判所に対する救済申し立てが言及されたのである。

 
■朝鮮民主主義人民共和国政府の立場

66.人権センターからの調査団が、特別報告者にかわって朝鮮民主主義人民共和国を訪問したのは、日本帝国軍が朝鮮女性を性奴隷として徴集したことに関す る同国の立場を完全に理解し、その見解と要求を日本政府に伝え、問題の解決に向けてさらに対話を試みようとしたためであった。

67.朝鮮民主主義人民共和国政府が日本政府に対して請求している事項は、日本が犯した犯罪について国際法の下における責任を認めること、この法的責任に 基づいて、「その恥ずべき過去をこれ以上隠さずに、清算する」ために、それらすべての行為に対して謝罪し、個々の生存女性被害者に対して補償を支払い、か つ「慰安婦」制度設置にかかわったすべての者を特定し、国内法の下で訴追することである。

68.日本政府が認めるべき責任の法的根拠についての質問に対し、平壌の社会科学学会法学研究院所長チョン・ナムヨン(JongNamYoung)博士は、日本の国際法上の法的責任に関する朝鮮民主主義人民共和国政府の法解釈について説明した。

69.第一に、20万名の朝鮮女性を軍事的性奴隷として強制徴集したこと、ひどい性的暴行をしたこと及び事後的に大部分を殺害したことは、人道に対する罪 に当たると論じられた。さらに、日本による朝鮮半島の併合は、合法的手段によってなされたとは考えられないし[12]、かつ朝鮮半島における日本人の存在 は、軍事占領の状態を構成すると考えられ、「慰安婦」としての朝鮮女性の強制徴集は、被占領地の文民に対するものであって、これらの犯罪は国際人道法上の 犯罪とすべきである。第二に、「慰安婦」制度の設置、そしてことに強制徴集と売春の強制は、日本が1925年に批准した1921年の婦人および児童の売買 禁止条約に違反するとの主張もなされた。

70.第三に、軍事的性奴隷制度は、当時の慣習国際法の宣言であると考えられる1926年の奴隷条約に明らかに違反すると主張された。最後に、特別報告者 は、軍事的性奴隷とする行為は、1948年の集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約(ジェノサイド条約)――1948年以前においても一般的に受け入れら れた慣習国際法規範であったものだが――これにしたがって、集団殺害(ジェノサイド)に当たると考えられるべきであるとの主張を受けた。チョン・ナムヨン 博士の見解によれば、日本によって犯されたこれらの行為は、集団の構成員の肉体または精神に危害を加え、その肉体的破壊をもたらすよう意図された生活条件 を故意に課し、また集団における出生を妨げることを意図する措置を講じることによって、特定の国民的、民族的、人種的または宗教的集団を破壊する意図を もって行われたのであって、ジェノサイド条約第2条による集団殺害にあたる。

71.朝鮮民主主義人民共和国政府代表は、日本と朝鮮民主主義人民共和国との間には、日本と大韓民国との間のような外交関係が確立されていないことを指摘 した。したがって、「慰安婦」問題に加え、強制労働問題のような他の重要な問題があり、両政府間で解決されねばならないのであって、朝鮮民主主義人民共和 国政府は、日本政府が論じるような、サンフランシスコ講和条約または戦争終結に際してのその他の国際条約によって解決されたという主張は受けいれられな い。

72.また朝鮮民主主義人民共和国政府は、日本政府が未だ公文書として所持している全ての残存文書及び資料の開示を求めている。これらの文書に基づき、日 本は、「慰安婦」制度設置の歴史的真相を完全に究明し、かつ、これに沿って、日本の歴史書と歴史教育内容を修正すべきである。

73.補償問題に関しては、特別報告者は、具体的な、あるいは期待されている金額に関するいかなる詳細をも告げられなかった。しかし、外務省の高官は、僅 かに生き残っている女性被害者への個人補償の支払いに加えて、日本の侵略の結果として、殺害されたすべての者のために補償の支払いが朝鮮民主主義人民共和 国政府によって要求されると確認した。しかしまた、何名かの官吏は、補償の支払いよりも、生存被害者個人及び朝鮮民主主義人民共和国政府に対する日本政府 による謝罪の方が、象徴的により重要であろうとも指摘した。

74.最後に、朝鮮民主主義人民共和国政府、及び調査団が訪問中に面接した学者、報道関係者と被害者は、アジア平和友好基金に強硬に反対し、拒絶の声をあ げた。特に、同基金は、「国家補償を逃れるための計略あるいは偽計」であると解釈されている。日本政府は同基金の設置によって、犯した行為の法的責任を免 れようとしている、と繰り返し主張した。同基金の設置及び生存被害者に対する「償い金」の支払いのために、民間から募金するという日本政府の行為は、「被 害国」に対する侮辱であると受け取られており、同基金の即時撤回が求められている。

75.朝鮮民主主義人民共和国における全ての会合で特別報告者と国連は、関係政府間の調停者として行動し、日本が責任を認め、また国際司法裁判所を通じて問題解決することに同意するよう、日本政府に対して勧告をすることについて、強い希望が表明された。

76.結論として、特別報告者は、軍事的性奴隷制問題がどのように解決されるべきであるかについて、朝鮮民主主義人民共和国の社会の全ての部門でほとんど一致した見解があり、かつそのような観点で、日本政府に対する要求が表明されたものと結論づけることができた。

 
■大韓民国政府の立場

77.特別報告者は、生存女性被害者の証言を聴聞し、多くの元「慰安婦」を代弁する極めて活動的な非政府組織の連絡網と、「慰安婦」問題解決の為の可能な 方法について討議し、あわせて、この問題に関する日本政府に対する大韓民国政府の立場を理解するために、大韓民国を訪問した。

78.戦時の日本による占領から生じる請求権が1965年の大韓民国と日本の間の二国間条約によって処理されたので、大韓民国政府の日本に関する立場は、 朝鮮民主主義人民共和国のそれとは異なっている。しかし、特別報告者は、1965年条約が財産的請求を規律するに過ぎず、人身傷害を規律していないことに 留意した。特別報告者は、1965年条約は、「慰安婦」被害者への補償を十分に含んでいたのかどうかについて、政府官吏の意見を尋ねた。孔魯明外務大臣 は、二国間の国交を「正常化」する1965年韓日条約に基づき、日本政府により戦時中に被った財産的損害について補償が支払われたことが強調された。その 時点では、軍事的性奴隷問題はとりあげられていなかった。1993年3月、同問題に関する最初の公的論文の後に、金泳三大統領は、大韓民国は、日本政府か ら「慰安婦」問題に関していかなる物質的補償をも要求しないと公的に保証した。

79.日本の法的責務に関する政府の立場に関しては、司法省と検察庁の高官は、特別報告者に対して、50年前に犯された犯罪について、日本政府が補償すべ き法的責任が実際にあるのかどうか、及び戦争終結に際して締結された二国間及び国際的諸条約が「慰安婦」問題をも処理済みとしているかどうかを定めるのは 大変困難であると述べた。しかし、補償を得る手段として、個人が日本国内の民事裁判所に提訴した民事訴訟に関しては、何の異議もないことが表明された。

80.この関係で、特別報告者は、朝鮮民主主義人民共和国政府の立場と異なり、大韓民国政府による金銭的補償の要求はなされてこなかったと判断する。しか し、また特別報告者は、政府による「慰安婦」被害者への補償要求がないとはいえ、大韓民国政府が非政府組織と女性団体の生存被害者擁護活動を支持している ことに留意した。これに加えて、特別報告者は、政府が厚生省を通じて、「生活保障法」を1993年に制定し、無料医療及び生活費を支給し、元「慰安婦」を 保護してきたことに満足しつつ留意した。

81.また特別報告者は、大韓民国政府が(日本政府に対し)現存する文書の公開及び「慰安婦」制度に関する真相究明を公式に要求してきた、との情報を得た。

82.これに加えて、特別報告者は、「女性被害者の名誉を回復するために」、例えば生存女性被害者全員に対する日本の首相の個人的書簡などの方法で、日本による公式の謝罪が(韓国政府により)求められている、との情報も得た。

83.女性のためのアジア平和友好基金設置に関する大韓民国政府の立場については、同外務大臣は、特別報告者に対して、基金は大韓民国と被害者の希望に応 えるために日本政府が誠実に努力したものだと感じられたと述べた。にもかかわらず、彼は、この分野における非政府組織の活動を支持し、その要求が実現する ことを希望すると表明した。

84.大韓民国訪問中、特別報告者は、どちらかというと慎重な立場を取る政府とは対照的に、政治家、学者、非政府組織の代表及び女性被害者自身など、政府以外の社会の各界の人々は、もっと強い要求を主張したことを認めた。

85.女性に関する国会の特別委員会の委員長や他の議員を含め、国会議員は、特別報告者に対して、国会の外交委員会が大韓民国政府に、日本政府に対して軍 事的性奴隷制に関する戦争犯罪の国家責任を承認し、公式な謝罪、かつそれにともなう補償の支払いを行うよう要求すべきだと勧告したことを明らかにした。こ れに加えて、歴史教科書の修正と全被害女性を記念する追悼碑建立も求められた。

86.これに加えて、特別報告者は、「慰安婦」問題のために活動する非政府組織と女性団体の代表と面会する十分な機会を得た。特に、韓国挺身隊問題対策協議会、韓国太平洋戦争犠牲者遺族会及び大韓弁護士協会は、貴重な情報を特別報告者に提供した。

87.これら市民社会組織の立場は、生存被害者自身の要求を密接に反映しているが、日本政府による公式の謝罪、「全ての元慰安婦女性の名誉と尊厳の回復の ために」犯された戦争犯罪に関する国家責任の承認、この問題に関する全ての文書と資料の公開、生存被害者個人に支払われるべき日本政府による補償、及び日 本の国内裁判所に提起された民事訴訟を通じて補償を求める個人請求の解決を可能にする日本政府による特別立法措置を含んでいる。

88.特別報告者は、女性のためのアジア平和友好基金に関して非政府組織代表の意見を尋ねた。同基金は、このグループから、民間から寄付を募ることで、日 本政府がその国家責任を免れるためにとった方法と見られており、その無条件撤回が要求されている。特別報告者は、被害者自身とその擁護者に対して最大の困 難をもたらしているのは、償いのためにする個人など民間からの募金活動であるとの情報を得た。

89.さらに、国際的役割を果たすものとしての国連に対して、国際司法裁判所または常設仲裁裁判所を通じてなど、国際的圧力によってこの問題の適切な解決をもたらすよう繰り返し要請がされた。

90.また興味深いことだが、1995年3月、韓国労働総連盟は、性奴隷としての「労働」に対して補償がなかったので、強制労働を理由として、「慰安婦」問題の解決を求める訴えを、国際労働機構(ILO)への通報制度に対して行ったことを指摘しておく。

 
■日本政府の立場――法的責任

91.一般的に、国際法の下では、被害者の権利や侵犯者の刑事責任の承認がなされることは稀である。しかし、これらの権利や責任は、現代国際法とりわけ国際人道法の構成要素の一部をなしている。

92.特別報告者が日本訪問中、日本政府は、元「慰安婦」被害者及び彼女等のために国際社会によって主張されている一定の要求に対する論議が記載された書 面を、特別報告者に提出した。日本政府は、被害者に対する道義的責任以外の法的義務は全くないと考えている。しかしながら、特別報告者が確信するところで は、日本政府は、第二次大戦中に軍事的性奴隷制の下におかれた女性に対し法的責務及び道義的責務の両者を負っている。

93.日本政府は、1993年8月、「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」と承認した。[13] 日本政府は、第二次大戦中の「慰安婦」の徴集及び連行を承認したのである。また日本政府は、女性の意思に反して行われた徴集に、軍関係者が直接関与したこ とも承認した。[14] さらに、日本政府は、「本件は、……多数の女性の名誉と尊厳を深く傷けた問題である」とも述べた。[15]

94.大韓民国及び日本を訪問中に非政府組織と学者から提供された文書によると、第二次大戦中、慰安所の設置、その施設の利用及び運営、並びに同施設の監 督及び規制について、日本帝国軍に責任があったことは明らかである。慰安所に関して、大日本帝国軍将校によって命令が下されていたことを示す詳細な文書が 提供された。慰安婦の徴集及び連行のための前線将校による特別の請求を含む命令原文のコピーも提供された。[16] さらに、特別報告者は、「慰安婦」に関し て日本政府の管理する全ての文書が開示されたと同政府から告げられた。

95.特別報告者は、大部分の女性は、自らの意思に反して慰安所に置かれたこと、日本帝国軍は、大規模な慰安所網を設置し、規制し、かつ監督したこと、か つ日本政府は慰安所に責任があることについて完全に確信を得た。これに加えて、日本政府は、国際法上これが示唆するところから発生する責任を取る覚悟をす べきである。

96.日本政府は、1949年8月12日のジュネーブ諸条約及びその他の国際法文書は、第二次大戦期間中には存在しなかったから、同政府は、国際人道法違 反について責任がないと主張する。この点に関して、特別報告者は、旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷設置に関する事務総長報告書(S/25704)の34、 35パラグラフに次のような記載があることについて、日本政府の注意を喚起したい。
「事務総長の見解では、“nullumcrimesinelege”すなわち、『法なくして、犯罪なし』の原則の適用は、特定の条約に対しては、すべての 国家による遵守を求めることができず、いくつかの国家だけによる遵守が求められるという問題が起きないよう、国際法廷は、疑いもなく慣習国際法の一部であ る国際人道法規則を適用すべきよう要求する………。
戦争被害者の保護のための1949年8月12日ジュネーブ諸条約、1907年10月18日の陸戦の法規慣例に関するハーグ第■条約及びその付属規則、 1948年12月9日の集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約(ジェノサイド条約)、並びに1945年8月8日国際軍事法廷条例に具体化されているよう に、疑いもなく慣習国際法の一部となった通常の国際人道法のその部分は、武力紛争に適用可能な法である」

97.事務総長によれば、国際人道法の一定の観点は、疑いもなく慣習国際法の一部とされているのであるから、特別報告者は、国家は、特定の条約の加盟国でなくとも、これら国際人道法原則の違反につき有責とされ得ると考える。

98.ジュネーブ第四条約第27条は、戦時の強姦が国際戦争犯罪であることに、改めて反復言及している。同条は、「女子は、その名誉に対する侵害、特に、 強かん、強制売いんその他あらゆる種類のわいせつ行為から特別に保護しなければならない」と定めている。1929年に効力を発生したが、日本は批准しな かった戦場における軍隊中の負傷軍人の状態改善に関するジュネーブ条約は、その3条で、「捕虜は、その身体及び名誉を尊重される権利を有する。女性は、そ の性にふさわしいあらゆる配慮をもって取り扱われなければならない……」と定めている。

99.国際軍事法廷条例第6条(C)及び東京法廷条例第5条は、殺人、殲滅、奴隷化、追放、及び戦前又は戦時中に住民に対して加えられたその他の非人道的行為を人道に対する罪であると定義している。

100.この関係で、国際法委員会が第46会期の活動報告書で、「委員会は、慣習国際法上の戦争犯罪という範疇が存在するという広範な見解に同意する。そ の範囲は、1949年ジュネーブ諸条約の重大な違反の範囲と同一ではないが、重複する」としていることは重要である。[17]

101.“rationetemporis”、すなわち、時間的適用制限原則のために、1949年ジュネーブ諸条約が慣習国際法の証拠ではないとされ、かつ1929年ジュネーブ条約については、加盟国でなかったが故に日本に対して適用可能でなかったとしても、日本は、1907年陸戦ノ法規慣例ニ関スルハー グ条約及びその付属規則の締約国であった。すべての交戦国が条約の締約国でない場合は(第2条)、同規則は適用可能ではなかったが、その条項は、当時機能 していた慣習国際法の明白な実例である。ハーグ規則第46条は、家族の名誉及び権利を保護すべく国家を義務づけている。家族の名誉とは、強姦のような恥辱 的行為を受けることのない家族内の女性の権利を含むものと解釈されてきた。

102.日本は、1904年の醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買取締ニ関スル協定、1910年の醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止条約、1921年の婦人及児 童ノ売買ニ関スル禁止条約を批准した。しかし、日本は、1921年条約第14条の特権を行使し、朝鮮をこの条約の適用除外とする旨宣言した。しかし、これ は、朝鮮人でないすべての「慰安婦」がこの条約の下で日本がその責務に違反したことを主張する権利があることを示唆する。国際法律家委員会(ICJ)は[18] 、多くの事例でそうだったように、被害者がひとたび朝鮮半島から日本に連行された場合は、彼らに条約は適用可能になると論じている。これは、朝鮮女 性の場合でさえも、多くの事例で、この条約の下で生じる国際責務に日本が違反したことを示唆する。また、この条約は当時存在した慣習国際法の証拠であると も言える。

103.日本政府は、特別報告者に渡された書面で、もし仮に国際法上の責任があったとしても、これらの責任は、賠償・請求権の処理を扱ったサンフランシスコ講和条約[19] 及びその他の二国間平和条約・国際協定で処理されたと主張する。日本政府は、これらの協定で、日本が誠実にその責務を果たしてきており、 すべての賠償・請求権の問題は日本と上記諸協定の締約国との間で解決済みであると主張する。

104.また日本政府は、その特別報告者への書面で、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(1965 年)[20] 第2条第1項は、「両締約国及びその国民の財産、権利及び利益………に関する問題が、………完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認す る」とされていると論じる。第2条第3項は、「一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であって………他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措 置……に関してはいかなる主張もできないものとする」と定めている。日本政府は、実際、総額5億米ドルが支払われたと指摘する。

105.基本的に、日本政府は、すべての請求権は二国間諸条約で解決されているので、日本は個人被害者への補償を支払うべく法的に拘束されていないとの頑固な立場を取っている。

106.また日本政府は、1951年のサンフランシスコ講和条約第14条(a)に「日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支 払うべきことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損害及び苦痛に対して完全な 賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在十分でないことが承認される………」と定められていると指摘する。

107.国際法律家委員会(ICJ)は、1994年に公表された「慰安婦」に関する調査団報告書で[21]、日本政府があげる諸条約には、個人による非人道 的取扱に関する請求権を含む意図は、決してなかったとしている。ICJは、(今問題となっている条約中の)「請求権」(“claims")という文言は、 不法行為(tort)による請求権を含まないし、かつ合意議事録または付属議定書でも定義されていないと論じている。ICJは、戦争犯罪及び人道に対する 罪から生じる個人の権利の侵害に関する交渉はなされなかったとも論じている。ICJはまた、大韓民国の場合、日本との1965年協定は、政府に対して支払 われるべき賠償に関するもので、被った損害に基づく個人による請求権を含んでいないと判断している。

108.特別報告者の見解によれば、サンフランシスコ講和条約も二国間条約も、人権侵害一般に関するものでないばかりか、特に軍事的性奴隷制に関するもの でもない。当事国の「意図」は、「慰安婦」による特定の請求を含んではいなかったし、かつ同条約は日本による戦争行為の期間中の女性の人権侵害に関するも のでもなかった。したがって、特別報告者の結論として、同条約は、元軍事的性奴隷だった者によって提起された請求を含まないし、かつ日本政府には未だに国 際人道法の引き続く違反による法的責任がある。

109.特別報告者に日本政府が提出した文書は、国際法の通常の理論によれば、国際法は、条約によって認められない限り、原則として国家間の関係を規律するので、個人は国際法上の権利義務の主体とはなれないと述べている。

110.特別報告者の見解では、国際人権文書は、国際法によって承認された個人の権利の実例である。例えば、国連憲章第1条は、「人権及び基本的自由を尊 重するように助長奨励すること」における協力を国連の目的の一つに含んでいる。世界人権宣言は、市民的及び政治的権利に関する国際規約並びに経済的社会的 及び文化的権利に関する国際規約と共に国家に対する関係で個人の権利を定義しており、それ故、個人は、国際法の保護を受ける権利があるものとして、しばし ば国際法の主体である。

111.また日本政府は、侵犯者を訴追し、かつ処罰すべき国際法上の義務について論じている国際人権組織に懸念を表明した。これは、国家の一般的義務では ないと理解されている。不処罰問題は、実体法的問題とは認められていない。しかし、第二次大戦後に開かれたニュールンベルク法廷も、東京法廷も、戦争犯罪 を犯した者に対して、一般的免責を与えなかった。戦争犯罪の故に個人を訴追することは、可能性あるものとして国際法上未だに存在する。

112.また、軍隊の構成員は、適法な命令にのみ従うよう拘束されているに過ぎないことに留意することも重要である。彼らは、命令に従った場合であっても、戦争に関する規則及び国際人道法に違反する行為を犯したなら、その責任を免れることはできない。

113.上述したように、人道に対する罪は、殺人、殲滅、奴隷化、追放、及び戦争前または戦争中に犯されたその他の非人道的行為と定義されてきている。 「慰安婦」の場合における女性及び女児の誘拐及び組織的強姦は、明らかに、文民である住民に対する非人道的行為であり、人道に対する罪を構成する。慰安所 を設置・運営したことに責任のある者の訴追を始めるために当然なすべきことを行うのは、日本政府の義務である。時間の経過のため、情報が不足しており、訴 追は困難であろうが、にもかかわらずなお、可能な限り訴追を試みることが政府の義務である。

114.日本政府の意見によれば、個人は国際法上何らの権利もないから、個人には国際法上補償への権利はなく、補償のようないかなる形態の賠償も、国家間のみにしか存在しないということになる。

115.世界人権宣言第8条は、「何人も、憲法及び法によって付与された基本的権利を侵害する行為につき権限ある国内法廷による効果的な救済への権利があ る」と定める。市民的及び政治的権利に関する国際規約第2条第3項は、個人の効果的救済への権利を国際的規範とするために、(権利侵害に対する)効果的救 済を求める者は何人でも、権限ある司法的、行政的、または立法的な当局によって、または締約国の法的制度によって定められたその他の権限ある当局によっ て、決定を受ける権利がなければならないと定めている。

116.またすべての人権文書は、国際人権法違反からの効果的救済の問題に対応している。その権利が侵害された個人及び人の集団には、賠償への権利を含めて、効果的救済への権利があることが認められている。

117.国際法上の適正な補償への権利は、広く認められているもうひとつの原則である。特別報告者がその予備報告書において留意したとおり、ホルジョウ工 場事件は、具体的に明確な損害額が確定できない場合であっても、いかなる協定違反も責務を生ぜしめるとの法原則を確立した。[22]

118.人権委員会はまた、個人の賠償への権利の問題を解明することに関心を表明している。その決議1995/34で、同委員会は、差別防止少数者保護小 委員会が、同小委員会の基本的自由と人権の重大な侵害被害者の原状回復、賠償及びリハビリテーションへの権利に関する特別報告者の最終報告書 (E/CN.4/Sub.2/1993/8,chap.IX)が提示した基本的原則及び指針に考慮を払うよう奨励した。

119.同特別報告者は、彼の報告書14パラグラフで、「重大な人権侵害の結果として、個人と集団の双方が被害者とされることがしばしばあることを否定で きない」と述べている。彼は、現行国際法の枠組みの中で、効果的救済と賠償への個人の権利について詳細に論じている。世界人権宣言、市民的及び政治的権利 に関する国際規約、あらゆる形態の人種差別撤廃条約、アメリカ人権条約、人権と基本的自由の保護のための欧州条約、拷問及びその他の残虐な、非人道的な及 び体面を汚す取扱い又は処罰を禁止する条約、強制的失踪からのあらゆる人々の保護に関する宣言、独立国内の原住民及び部族民に関するILO169号条約並 びに子供の権利に関する条約が、すべて同報告書に引用されている。これらの国際文書は、国際法上、個人が効果的救済と賠償への権利をもつことを認め、かつ受容している。

120.同特別報告者は、重大人権侵害の被害者の被害回復に関する基本的原則及び指針の提案において、「人権および基本的自由を尊重し、また尊重を確保す る国際法上の義務に違反した場合には、すべての国家が被害回復を行う義務を負う。人権の尊重を確保するための義務には、違反行為を防止する義務、違反行為 を調査する義務、違反行為者にたいし適切な手段をとる義務、被害者に救済を提供する義務を含む」[23] としている。

121.基本的原則及び指針の提案にはまた、被害回復は、被害者の必要と要望に応じ、侵害の重大性に比例したものであるべきであり、かつ原状回復、賠償、 更正及び満足並びに再発防止の保証を含まなくてはならないとされている。これらの被害回復の諸形態は以下のように定義される。

(a)原状回復は、人権侵害の以前に被害者に存在していた状況を再現することを意味し、とりわけ、自由、市民権または住居、雇用もしくは財産を回復することを必要とする。

(b)賠償は、肉体的または精神的被害、苦痛や苦しみおよび感情的苦悩、教育を含め機会を喪失したこと、収入および収入能力の喪失、更正のための合理的な 医療その他の経費、財産または事業に対する損害、社会的評判または尊厳に対する被害、及び救済を得るための法的または専門的援助にともなう合理的な費用及 び報酬などのような、人権侵害の結果生じた何らかの経済的に評価可能な損失に適用される。

(c)更正は、法的、医学的、心理学的及びその他のケアー、並びに被害者の尊厳と社会的評判を回復するための諸措置を提供することを意味する。

(d)満足並びに再発防止の保証は、継続的違反行為の停止、事実の検証、真相の全面的公開、事実の公的承認及び責任の受諾を含む謝罪、違反に責任がある人 物を裁判にかけること、被害者を追悼し敬意を表すること、教育のカリキュラムと教材に人権侵害に関する正確な記録を含めること。[24]

122.同特別報告者が付言するには、被害回復は、直接の被害者、及び適切と思われる場合には、肉親、扶養家族または直接の被害者と特別の関係にあるその 他の個人によって請求できる。また、個人に被害回復を行うことのほか、国家は被害者集団が、集団的請求を行い、集団的な被害回復を手に入れることのできる ように、十分な保障をしなければならない。

123.法的責任を主張しようとするいかなる試みも遡及的適用であると暗に反論する日本政府の基本的主張に対しては、国際人道法は慣習国際法の一部である との反論がなされるであろう。この点で、「この条のいかなる規定も、国際社会の認める法の一般原則により実行の時に犯罪とされていた作為又は不作為を理由 として裁判しかつ処罰することを妨げるものではない」と定めている、市民的及び政治的権利に関する国際規約第15条第2項に留意することが有益であろう。

124.時効があるに違いないとか、あるいは第二次大戦後約50年も経ったという議論もまた、適切でない。被害者の権利尊重の立場から、犯罪に関する法、 政策及び慣行は、時効を認めない。この関係で、原状回復への権利に関する特別報告者は、その報告書で、「人権侵害のための実効的救済が存在しない間の期間 に関しては、時効は適用されてはならない。重大人権侵害の請求権に関しては、時効に従うものとされてはならない」[25]と述べている。

 
■日本政府の立場――道義的責任

125.日本政府は、法的責任を受諾していないが、しかし、多くの声明で、第二次大戦中の「慰安婦」の存在について道義的責任については受諾しているよう に思われる。特別報告者は、これを歓迎すべき端緒と考える。特別報告者に日本政府が渡した文書には、いわゆる「慰安婦」問題について道義的責任を受諾する 声明や呼びかけ文が含まれている。河野洋平官房長官による1993年8月4日付談話は、慰安所の存在及び慰安所の設置・運営に旧日本軍が直接・間接に関与 したこと、及び募集が私人によってなされた場合でも、それは軍の要請を受けてなされたことを受諾した。談話はさらに、多くの場合「慰安婦」は、その意思に 反して集められたこと、及び慰安所における生活は「強制的な状況」の下での痛ましいものであったことをも承認した。

126.その談話で、日本政府は、「その出身地のいかんを問わず、………数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対して 心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」とした。その談話で、日本政府は、「我々は、歴史研究と歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、 同じ過ちを決してくり返さないという固い決意」を表明した。

127.盧泰愚大韓民国大統領と宮沢日本首相の協議の結果として日本政府は特別研究を指示した。元軍関係者及び元「慰安婦」が、日本政府による詳細な聞き取り調査に出席した。警察庁及び防衛庁を含む重要な政府施設もこの研究の対象に含まれた。

128.1993年8月4日、日本政府は、これは特別報告者にも渡されたが、その日時点までに行われたこの研究の成果を文書にして公表した。同文書は、 「各地における慰安所の開設は当時の軍当局の要請によるものである」とした。同文書によれば、「慰安所の存在が確認できた国又は地域は、日本、中国、フィ リピン、インドネシア、マラヤ(当時)、タイ、ビルマ(当時)、ニューギニア(当時)、香港、マカオ及び仏領インドシナ(当時)」である。日本政府は、日 本軍が直接慰安所を運営した事実を、以下のように認めた。「民間業者が(慰安所を)経営していた場合においても、旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰 安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍は慰安所の設置や管理に直 接関与した」。

129.また同文書は、「慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍と共に移動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられた」とし た。同研究は、募集は多くの場合民間業者によってなされたが、募集者は、「或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で」「本人たちの意向に反して」集め る手段をとったとの結論に達した。さらに同研究は、官憲等[訳注4]が直接募集にあたった場合もあるとした。最後に同研究は、日本軍が「慰安婦」の移送を承 認しかつ便宜を図り、また日本政府が身分証明書を発給したとしている。

130.日本政府の成員個人は、反省の意を表明してきた。1994年8月31日になされた談話で村山富市首相は、「いわゆる従軍慰安婦問題は、女性の名誉 と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います」と述べた。同じ文脈で、彼は平和 友好交流計画を第二次大戦後50周年に当たり発足させると公表した。この計画で、国民が「過去の歴史を直視」できるように、研究支援とアジア歴史資料セン ターの設立をしていきたいとした。それはまた、日本とアジア地域諸国の間の対話と相互理解を促進する交流事業を設立することに資するであろう。特に「慰安 婦」に焦点を絞っているのではないが、同事業は首相の言う「侵略行為に対する、深い反省の気持ち」に基づいているとのことである。

131.最後に、五十嵐広三官房長官は、1995年6月14日の談話で、村山首相の声明を補足し、与党戦後50年問題プロジェクトの協議に基づき、過去の 「反省」に立って、女性のためのアジア平和友好基金を設置する試みがあると述べた。首相官邸の責任ある官吏は、特別報告者に対して、その主要な目的は次の 事業を含み、生存女性被害者への賠償の支払いにとどまらないとする基金の活動の詳細を説明した。
(a)元戦時性奴隷の苦痛への国民的「償い」を行うため、民間から基金が募金すること。
(b)医療、福祉など元「慰安婦」被害者に役立つような事業に対し、政府の資金等により基金が支援すること。
(c)基金の事業を実施する折、政府はすべての元「慰安婦」にその率直な反省とお詫びの気持ちを表明すること。
(d)過去の「慰安婦」制度に関する歴史資料を整え、「歴史の教訓」とすること。特別報告者が聞くところによると、これら及びその他の近代アジア史に関する文書は、提案されているアジア歴史資料センター[訳注5]で公開されるとのことである。
(e)アジア地域、ことに「慰安婦」被害者が連行された諸国の非政府組織による、人身売買及び売春など現代的形態の女性に対する暴力の根絶の分野における事業を支援すること。

132.特別報告者は、基金が民間から募金する理由を尋ねた。彼女が告げられたところでは、1995年6月14日に五十嵐官房長官が発表したとおり、基金 の設置は、日本政府が日本国民と共に「お詫びと反省の気持ちを………分かち合っていただくため、幅広い国民参加の道をともに探求していきたい」[訳注6]と 解釈されるべきである。加えて、同基金は、「慰安婦」問題に関係のある諸国と地域との相互理解を促進し、あわせて、日本国民が「過去を直視し、正しくこれ を後世に伝える」ようにすることを意図している。これが、政府が基金のために民間募金を募ることを決定した理由である。政府自身も5億円(約570万米ド ル)を投入するが、これは基金の運営費並びに上記の女性被害者のための医療及び福祉事業に当てるためである。

133.特別報告者は、日本訪問後、日本政府から追加情報を受領したが、これによると、記載時点で、大部分は個人からであるが、合計100万米ドルの募金 を受け取ったとのことである。特別報告者は、労働組合、企業及び私的機関が募金過程に貢献することが期待されていること、及び基金は非営利団体の地位とし ての法人格を受けるであろうことも知らされた。

134.上記によれば、特別報告者は、国民基金を、「慰安婦」の悲運に対する日本政府の道義的懸念の表現として作り出されたものと見る。しかし、それは、 これらの女性の状況に対するいかなる法的責任をも否定しようとする明確な意思表明であって、これは、民間から募金をしようとしているところに強く反映して いる。特別報告者は、道義的観点からの行為を歓迎しはするが、しかし、それは、国際公法上の「慰安婦」の法的請求を免れさせるものではない。

135.特別報告者は、国連婦人開発基金による、女性に対する暴力に関する活動計画に日本政府が貢献する用意があるという情報を興味深く受け取ったことを 指摘しておく。これはもっとも歓迎すべきことであり、女性に対する暴力の被害者を保護する一般原則に日本政府がコミットしたことを示している。

 
■勧告

136.本特別報告者は、当該政府との協力の精神に基づいて任務を果たし、かつ女性に対する暴力とその原因及び結果のより広範な枠組みの中で、戦時の軍事 的性奴隷制の現象を理解するよう試みる目的のために、以下のとおり勧告したい。特別報告者は、特別報告者との討議において率直であり、かつ日本帝国軍に よって行われた軍事的性奴隷制の少数の生存女性被害者に対して正義にかなった行動をとる意欲をすでに示した日本政府に対し、協力を強く期待する。

A.国家レベルで

137.日本政府は、以下を行うべきである。
(a)第二次大戦中に日本帝国軍によって設置された慰安所制度が国際法の下でその義務に違反したことを承認し、かつその違反の法的責任を受諾すること。
(b)日本軍性奴隷制の被害者個々人に対し、人権及び基本的自由の重大侵害被害者の原状回復、賠償及び更正への権利に関する差別防止少数者保護小委員会の 特別報告者によって示された原則に従って、賠償を支払うこと。多くの被害者が極めて高齢なので、この目的のために特別の行政的審査会を短期間内に設置する こと。[訳注7]
(c)第二次大戦中の日本帝国軍の慰安所及び他の関連する活動に関し、日本政府が所持するすべての文書及び資料の完全な開示を確実なものにすること。
(d)名乗り出た女性で、日本軍性奴隷制の女性被害者であることが立証される女性個々人に対し、書面による公的謝罪をなすこと。
(e)歴史的現実を反映するように教育内容を改めることによって、これらの問題についての意識を高めること。
(f)第二次大戦中に、慰安所への募集及び収容に関与した犯行者をできる限り特定し、かつ処罰すること。

B.国際的レベルで

138.国際的レベルで活動している非政府機構・NGOは、これらの問題を国連機構内で提起し続けるべきである。国際司法裁判所または常設仲裁裁判所の勧告的意見を求める試みもなされるべきである。

139.朝鮮民主主義人民共和国及び大韓民国は、「慰安婦」に対する賠償の責任及び支払いに関する法的問題の解決をうながすよう国際司法裁判所に請求することができる。

140.特別報告者は、生存女性が高齢であること、及び1995年が第二次大戦終了後50周年であるという事実に留意し、日本政府に対し、ことに上記勧告 を考慮に入れて、できる限り速やかに行動を取ることを強く求める。特別報告者は、戦後50年が過ぎ行くのを座視することなく、多大の被害を被ったこれらの 女性の尊厳を回復すべきときであると考える。


[原注]
1. G.ヒックス『従軍慰安婦-日本軍の性奴隷たち』ハイネマン・アジア,シンガポール,1955,■■,24,42,75ページ.
2. 前出23ページ.
3.前出■■ページ.
4.前出115ページ.
5.前出19ページ.
6.前出29ページ.
7.前出20,21,22ページおよび全体を見よ。
8.前出23-26ページ(および「慰安婦」自身の証言の各所)。
9.前出25ページ.
10.吉田清治『私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行』東京,1983.
11.前出24-25ページ.
12.特別報告者は、朝鮮民主主義人民共和国政府が1905年の「乙巳五条約」および1910年の「併合条約」を法的に有効と考えてはいない事を記しておく。
13.1993年8月4日の内閣官房長官談話。
14.前出.
15.前出.
16.吉見義明教授により特別報告者にわたされた文書をみよ。参考のための閲覧可能。
17.国際法律家委員会の第46会期活動報告『公式総会報告,49会期,付録10号』(A/140/10)10パラグラフ,74ページ.
18.U.ドルゴポール,パランジャペ『従軍慰安婦-未決の試練』(邦訳『国際法からみた「従軍慰安婦」問題』明石書店)国際法律家委員会,ジュネーブ,1994.
19.プリチャード,ザイド『東京戦争犯罪裁判』第20巻,ニューヨーク,ガーランド,1981
20.国際連合『条約集』第583巻,■8473,258ページ.
21.ドルゴポール,パランジャペ前掲書168ページ.
22.常設国際司法裁判所(P.C.I.J.),Aセクション,■17,29ページ.
23.E/CN.4/Sub.2/1993/8,56ページ,2パラグラフ.
24.前出57ページ,9-11パラグラフ
25.前出58ぺージ,15パラグラフ

[訳注]
1.原文は、徴集された女性を「朝鮮人」としているが、典拠となったヒックス『従軍慰安婦――日本軍の性奴隷たち』の独断と思われるので、訳文から「朝鮮人」を削除した。
2.前注に同じ。
3.原文には、徴集に関わった者として、schoolteacherが加えられているが、明らかなミスなので削除した。
4.訳文にある「官憲等」は、原文では「管理者と軍関係者」とされている。明らかなミスなので訂正した。
5.原文は「現代日本・アジア関係センター」となっているが、明らかな誤りなので訂正した。
6.括弧内は、8月31日の村山首相談話からの引用であるが、官房長官の趣旨でもあった。
7.原文のadministrative tribunalは、英国で発達してきたもので「行政審判所」(『英米法辞典』東大出版会)と通常訳され、行政が設置する中立的な審査機関を言う。日本で は公正取引委員会、労働委員会などに当り、ここでは「行政的審査会」の訳語を適当なものとして選んだ。勧告は、被害者の年齢を考慮して、時期を限ってこの 特別の審査機関を設置するよう求めている。その任務の大半は被害者の認定となろう。administrative tribunalの設置勧告は、すでに19■年8月の人権小委員会の勧告にも含まれており、毎日新聞(8月19日)は「行政審査機関」と訳している。
外務省の仮訳は、これを「行政裁判所」と誤訳しており、明治憲法下(第61条)で定められ、戦後憲法によって禁止(76条)された司法機能をもつ行政裁判 所を連想させるものとなっている。しかし、administrative tribunalは、すでに述べたように英国で発達した法律専門用語であるほか、日本でも「行政審判」の語で行政法上定着したものでもある(『講義・行政 法■』青林書院新社)。tribunalが「正規の司法体系外で司法的機能を行使する機関に用いられることが多い」(『新英和中辞典』研究社)ことから も、「行政裁判所」と訳すことは不適当であろう(「裁判所」にはcourtが通常対応する)。

 

[出典] クマラスワミ報告書 [戦後責任ドットコム]

 

 ※参考資料

解決編 4 国際社会の声 | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」

中国、「(デイリーNKの)北朝鮮の華僑100人逮捕説はでたらめ」

 

12月14日、デイリーNKが北朝鮮の保衛部が中国人華僑100人余りを逮捕して調査を行っており、最近朝中関係の悪化で、北朝鮮駐在中国大使の監視と尾行がなされたと報道したことと関連し、中国側の反論が行われている。

 

まず反論報道をしたのは、中国国営環球時報だ。

環球時報は16日、「朝鮮が100人以上の華僑を逮捕したと?朝鮮人は不可能だとする」は、タイトルの報道で「この報道はあまりに不合理で、ありえない」と一蹴した。

 

16日聯合ニュースの報道によると、環球時報は、遼寧省社会科学院の呂超(リュー・チャオ)研究員の言葉を借りて、「朝鮮に住む華僑は1万人にしかならない。もし華僑が100人逮捕されたとすれば、その割合はかなり大きい。(朝鮮が)華僑を対象に、このように大規模な行動をする可能性はありえない」と報道した。

 

呂超(リュー・チャオ)研究員は、「このような報道は9月にも(韓国メディアが)出した事がある」として、「モランボン楽団が初訪中公演をキャンセルし帰国した時点で、一部の言論が、朝中関係を仲違いさせるためにこのような噂を出したと思われる」と付け加えた。

 

呂超(リュー・チャオ)研究員は、「華僑100人逮捕説」を流布したデイリーNKが「脱北者」を主なソースにして流言を報道するだけでなく、大多数の報道が朝鮮を悪魔化する目的に偏っていて、信頼性と客観性が欠けている媒体だと批判した。


また、朝鮮駐在の中国大使館も、デイリーNKの報道が根拠のないうわさに過ぎないと主張した。

 

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17日「ニューシス」は、中国メディア人民網を引用して、北朝鮮駐在の中国大使館が噂と関連して「華僑の違法行為は、個々の事案であり、全体的な華僑スパイ説や100人の華僑逮捕説はデマ」だと伝えたと報じた。

 

そして大使館側が「現在、約3000人の華僑が平壌や清津、新義州などの地域に居住しており、これらの法律を順守して懸命に働いている」として、「(華僑は)中朝の間の伝統的友誼を継承して発揚するうえで重要な役割をしている」と伝えた。

 

デイリーNKは今年初め、北朝鮮の建軍節4月25日から2月8日に変わったと誤報を出すなど、不正確な報道をして物議をかもしたことがあって、中国側の主張にいっそう信頼性が増しているのが実情である。

 

※関連記事:「北朝鮮建軍節変わった?」デイリーNKの誤報事件

 

環球時報と朝鮮駐在の中国大使館の反論について、デイリーNK側は複数回の検証を経た信頼できる情報源であり、追加報道についてはまだ進展がないと伝えた。

 

[出典] NK투데이 » 중국, '북한의 화교 100명 체포설은 엉터리'