日本女性学研究会による『忘却のための「和解」』書評

 

鄭栄桓(チョン・ヨンファン)『忘却のための「和解」―『帝国の慰安婦』と日本の責任―』(世織書房 2016年3月)1800円+税


1 『帝国の慰安婦』、何が問題か
2 日本軍「慰安婦」制度と日本の責任
3 歪められた被害者たちの「声」
4 日韓会談と根拠なき「補償・賠償」論
5 河野談話・国民基金と植民地支配責任
6 終わりに=忘却のための「和解」に抗して

本書は、朴裕河(パク・ユハ)『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』(日本語版は朝日新聞出版 2014年)に対する批判の書である。

本書の1「『帝国の慰安婦』、何が問題か」で、鄭氏は、まず、昨年末の被害者不在の「日韓合意」に対して日本のマスコミが高く評価した背景には、被害者たちを譲歩させることで「慰安婦」問題を「解決」としようという「和解」論の浸透があったと述べる。この『帝国の慰安婦』も、日韓対立を「慰安婦」イメージの誤った修正により調停し、「和解」を図ろうとするものだったから取り上げたのだと鄭氏は言う。

朴氏の前著『和解のために』は、韓国の「反日ナショナリズム」を批判した(具体的には、韓国の挺隊協を批判し、日本の「国民基金」を評価すべきだとした)ことが日本のリベラル知識人に高く評価され、『帝国の慰安婦』も非常に高く評価されている。しかし、鄭氏は本書で、そのような評価は誤りであり、『帝国の慰安婦』は、先行研究を理解しておらず、史料などの解釈においても、「恣意的」と評価せざるを得ないような飛躍があると主張している。

その際、同氏は、批判の前提として、著者の朴氏の主張をできるかぎり引用して、『帝国の慰安婦』の論旨を明確にすることを心がけたという。なぜなら、『帝国の慰安婦』が何を主張しているか自身が論争の争点になっているからだ。そんなことが争点になっている原因について、鄭氏は、同書には矛盾する論理が遍在しているうえ、重要な概念を独特の意味で使っているので、「論旨」を読み取るのが非常に難しいからだと述べる。

2「日本軍『慰安婦』制度と日本の責任」以後が、『帝国の慰安婦』の具体的主張に対する批判だ。

朴氏自身は「『帝国の慰安婦』は、けっして日本を免罪しようとした本ではなく、人身売買業者の問題に触れたために、そのようなレッテルを貼られたのだ」(要旨)と主張しているが、鄭氏は、そうではないことを述べていく。

まず、鄭氏は、『帝国の慰安婦』が歴史修正主義として批判するものは、「慰安婦=自発的な売春婦」論に限定されており、今日的な日本軍の責任否定論(=「軍は公娼施設の利用者にすぎず、軍の関与は『良い関与』であり、公娼施設の女性は合法だから『性奴隷』ではなく、犯罪があったとしても業者の責任だ」云々)には及んでいないことに注意を促す。それは、朴氏の主張自体が、今日的な意味での日本軍の責任否定論(全否定ではないが)になっているからだ――というのが鄭氏の見方だ。

鄭氏は、『帝国の慰安婦』の日本の責任論の問題点について、以下のように批判している。:『帝国の慰安婦』は、日本軍の責任を、「慰安所」制度を「発想」して「需要」を作り出し、人身売買を「黙認」した責任に限定している。そのため、朴氏は、日本の法的責任は否定しており、業者の「だまし」「誘拐」しか問題にしない。しかし、日本軍は、単に「慰安所」制度を「発想」したのではなく、吉見義明氏も述べているように、「慰安所」制度の創設・維持・運用・管理の主体が日本軍なのである。しかも、朴氏は、日本軍の「よい関与」論(不法で強引な募集を取り締まった)を支持しているために、「黙認」の責任すら結果的に否定されることになる。また、日本軍の「発想」についても、「自然」かつ「戦争」一般の問題へと解消される

また、鄭氏は、『帝国の慰安婦』には、いっけん「慰安婦」の連行に日本に直接的な責任があると主張しているように読める箇所があるが、そうではないという。たとえば、朴氏は、朝鮮人「慰安婦」が「動員」されたと述べているが、朴の「動員」概念は、「自発的」に売春を選択せざるをえない状況に置かれたという意味でしかない。

朴氏は、「慰安婦」を、〈監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された〉という意味での「奴隷」ではないと主張しているが、鄭氏は、その主張には、以下の問題があるとする。(1)国際法における「性奴隷制」概念に対して無理解である、(2)挺隊協も国際法上のそうした「性奴隷制」概念の構築に関与しているにもかかわらず、朴氏は、あたかも挺隊協が、女性が「いかなる方法・手段・目的」で移動してきたかという、「性奴隷制」概念とは異質なものを重視しているかのように事実を歪曲している、(3)「性奴隷制」概念を「性奴隷」イメージの問題にすりかえている、(4)自らの「性奴隷」概念への無理解を棚に上げ、自説への批判者があたかも「売春」従事者を差別しているかのような論点のすり替えをおこなっている。

朴氏は、朝鮮人「慰安婦」における未成年者募集は例外的なものであり、それなのに少女像のようなものを建てるのは、売春に対する差別感情があるためだと述べている。しかし、鄭氏は、朝鮮人「慰安婦」の徴集時の年齢は20歳以下が多く、それは、日本「内地」とは異なる植民地支配下の朝鮮人「慰安婦」の重要な特徴であると指摘する。

また、朴氏は、「慰安婦」制度に関する日本の法的責任について、現在の被害者たちの個人請求権を認めないだけでなく、もともと法に反する制度であったことも否定している。しかし、鄭氏は、当時の刑法においても国際移送目的の誘拐や人身売買が犯罪であることなどは既に指摘されており、朴氏には、これまでの研究に対する無理解があると批判している。

また、朴氏は、挺身隊に行ったのは自発的な志願だったが(そのような内面が植民地化で形成されていた)、韓国ではこうした点はナショナリズムゆえに無視されてきたと言う。しかし、鄭氏は、そのような議論は史料的に成り立たないことを示す。また、鄭氏は、朴氏が、娘が挺身隊に連れて行かれないように泣いて訴えた親がいたということから、何の根拠もなく、そこには親や娘や業者の嘘=民族の嘘があったとし、日本を免罪したことを批判している。

3「歪められた被害者たちの『声』」では、朴氏が「慰安婦自身の声にひたすら耳を澄ませた」と述べ、評者たちもその点を高く評価していることに対して、鄭氏が反論している。

朴氏は「千田夏光は、朝鮮人『慰安婦』を愛国的存在として理解した」と言っているが、鄭氏は、千田夏光『従軍慰安婦』のどこにもそのような主張は書かれていないと述べる。同書で「お国のために働ける」と語っているのは日本人女性であり、そう語ったのも、募集の際や戦場に着いた当初だけの話にすぎない。むしろ千田氏は朝鮮人と日本人との差異を示唆している。また、小野田寛郎氏が「[朝鮮人慰安婦は]明るく楽しそうだった」と述べたことについて、朴氏は「それは『愛国』の笑みだった」と言っているが、鄭氏は、それには何の根拠もないと述べる。こうした事例から、鄭氏は、朴氏は検証すべき仮説をあたかも証明された命題であるかのように用いて個々の事例を演繹的に解釈しており、「女性たちの声にひたすら耳を澄ませる」こととは程遠いと批判している。

また、朴氏は古山高麗男の小説を根拠にして、慰安婦が日本兵を「同族としての軍人」だと捉えたと述べている。しかし、鄭氏は、古山の小説の中でも、それは兵士たちの意識でしかないことを指摘し、そのような議論は、1990年代に被害者の証言が登場する以前の「慰安婦」認識への回帰であると批判する。また、朴氏は、日本軍の責任否定論者は「慰安婦」が「同志」だった記憶を消し去りたいかのように述べているが、鄭氏は、そうではなく、日本政府が「おわび」をせざるをえなくなったとき、否定論者は、「慰安婦も当時は日本人として戦争に協力したではないか」と反発したと述べる。

さらに、朴氏が、ある元「慰安婦」が、兵士を糾弾するのではなく、「運命」という言葉で許すかのように言っていると述べたことに対して、鄭氏は、その証言をした黄順伊さんの発言の前後を読むと、(1)彼女の力点は「運命」にあり、「許す」とは一言も言っていない、(2)証言の最後には「日本の軍人のことを考えると本当に恨めしい。恨めしいのは恨めしいけれど、あの軍人もみんな死んだはずだよ」と語っている、(3)黄さんはカミングアウトした後も、日本に謝罪と補償を求め続けた、という事実を提示している。その一方、朴氏は、「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」と話す元「慰安婦」に対しては、「屈服自体を目指す支配欲望」があるという人格否定の言葉を投げつける。鄭氏は、以上の事実からも、朴氏は「女性たちの声にひたすら耳を澄ませる」のではなく、自らの政治的立場を証言により「代弁」させたとみなさざるを得ない、と指摘する。

以下の章は簡単に済まさせていただくが、4「日韓会談と根拠なき『補償・賠償』論」では、朴氏が、(1)そもそも元「慰安婦」女性に日本に対する請求権はなく、(2)仮にあったとしても、日韓会談で韓国政府によって元「慰安婦」たちの個人請求権は放棄されており、(3)かわりに韓国政府が受け取った「経済協力」は日中戦争以後の戦争に関する「賠償」であった、と主張したことに対して、いずれも根拠がなく、むしろ真逆の主張を展開する研究を「論拠」にした主張だと批判する。

5「河野談話・国民基金と植民地支配責任」では、『帝国の慰安婦』は「慰安婦」問題を単に戦争犯罪としてではなく、より広く植民地主義を批判したかのように評価する意見に対して、鄭氏は、『帝国の慰安婦』はむしろ植民主義イデオロギーに親和的であると主張している。すなわち、日本人「慰安婦」との「愛国」的動機の共通性や兵士との「同志的関係」を強調する一方、未成年者徴集に代表される「慰安婦」制度の植民地主義的性格を否定しているからである。この章では、『帝国の慰安婦』が歓迎されたのは、「大日本帝国」の歴史を修正するだけでなく、「戦後日本」の歴史を(「慰安婦」たちが告発したような、植民地支配を反省しなかった歴史を)植民地支配を反省してきた歴史に修正するという、「二つの歴史修正主義」が日本に存在するためではないか、とも指摘されている。

6「終わりに=忘却のための『和解』に抗して」では、『帝国の慰安婦』による最大の犠牲者は日本軍によって「慰安婦」にされた被害者であること、それゆえ彼女たちが『帝国の慰安婦』を告発したことにも相応の根拠があるとする。鄭氏は、日本社会が『帝国の慰安婦』を絶賛するのは、日本のナショナリズムの表出ではないかとする。すなわち、同書は、問題の弥縫的対応でしかない「国民基金」を被害者が拒否することに対して、韓国の「反日ナショナリズム」だ、とひと括りにして批判して、戦後日本を肯定したからこそ、歓迎されたのではないかと言う。

以上は、本書の筋だけをご紹介したので、鄭氏の批判が正しいか否かは、本書の『帝国の慰安婦』の記述に即して批判している箇所を、同書と照らし合わせてご確認いただく必要がある(ただし、まだそのような作業によって鄭氏の議論を批判しえた人はいないようだ)。

なお、鄭氏は、少なからぬフェミニストたちの間で『帝国の慰安婦』が受け入れられていると述べているが(p.47)(1)、同書に批判的なフェミニストもまた多い。ただし、フェミニズムの観点からの『帝国の慰安婦』に対する批判や評価は、まだ本格的にはおこなわれていないのではないか? その点は今後の課題だと思う(鄭氏自身も、本書でジェンダーの観点から見て重要な指摘をしているが、フェミニズムがご専門というわけではない)。

また、「反日ナショナリズム」をどう捉えるか、という問題もあるように思う。私は中国が専門だが、「慰安婦」問題にタッチしているような中国のフェミニストは、「反日デモ」に見られるような反日ナショナリズムには批判的だ。男性中心性や暴力性を持っているからだ(2)。もちろんそれは、今日ではベトナムに対する韓国の加害をも視野に入れているような挺隊協やその「国民基金」批判などとは異なるから、「反日ナショナリズム」としてひと括りに批判するのはいけないという鄭氏の指摘こそが重要だと思う。ただ、こうした問題は、大きく言えば、ナショナリズムとフェミニズムとの関係をどう捉えるか(もちろんその関係は多様で、歴史的にも変化してきた)という問題ともつながるので、より広い考察につなげていくこともできるだろう。

(1)なお、当然ことながら、鄭氏も、『帝国の慰安婦』の中に書かれていることをすべて誤りだと言っているのではなく、たとえばフェミニズムに関わる論点としては、朴氏が、「慰安婦」に「仮に売春の前歴があったとしても、それは植民地支配の構造ゆえに生まれたものであるから、植民地にくみこんだことを問題にしなればならない」(要旨)と述べている点などは同意している(p.50)。

(2)拙稿「2012年における反日デモ、日本軍の性暴力問題と中国のフェミニスト」中国女性・ジェンダーニュース

 

(遠山日出也)

 

[出典] 日本女性学研究会 - タイムライン | Facebook

  

忘却のための「和解」―『帝国の慰安婦』と日本の責任

忘却のための「和解」―『帝国の慰安婦』と日本の責任

 

 

 

ニューヨーク・タイムズ「北朝鮮、狂うどころかとても理性的」(聯合ニュース)

 

専門家たち、《弱小国が自己保護・国家利益を守る行動》

北朝鮮が核実験やミサイル発射など、相次ぐ挑発を強行する背景には生存のための理性的な思考があるという分析が出た。

ニューヨークタイムズ(NYT)は10日(現地時間)「北朝鮮は狂うどころかとても理性的だ」というタイトルの記事で北朝鮮の挑発の根底にある原因を分析した。

戦争の脅威と間欠的な韓国攻撃、風変わりな指導者、無謀な宣伝などを見ると、北朝鮮が非理性的な国家なのか、またはそんなふりをしているのか疑問になる時が多い。

最近の北朝鮮の5回目の核実験で、北朝鮮の非理性的態度が再び俎上に上がったが、政治専門家らは概して「北朝鮮は極めて理性的な国家」という答えを出している。

国家が理性を備えたということは指導者が常に最高かつ最善の道徳的選択をするということを意味はしない。自己保護を最優先に置き、国家利益に沿うのが理性的な行動だと専門家らは解説する。

弱く孤立した国家である北朝鮮が、弱肉強食の国際社会の中でいつ屈服させられるかも知れないという不安から、「好戦性」カードを理性的に切ったと分析した。

アメリカ南カリフォルニア大学の政治専門家デビッド・C・カンは、北朝鮮の指導者たちの国内外での行動が嫌悪感を抱かせることがあっても、理性的に自国の利益をよく考えていると強調した。

金正日時代の2003年に報告書を通じて上記の通り主張したが、金正恩が政権を執った今も有効な分析だと説明した。

専門家のデニー・ロイ(イースト・ウェスト・センター北東アジア政治・安全保障問題)も「「狂人国家」や「無謀な攻撃」などの北朝鮮に貼るレッテルが自国の利益を守るのに効果がある」と話した。

専門家たちは「狂人理論」(Madman Theory)で北朝鮮の行動を説明した。好戦性と予測不可能性で武装し、敵に狂人と見せることで交渉を有利な局面に導こうとするという論理だ。

NYTは「残酷性と冷静な計算は相互排他的なものではなく、互いに協調関係にある」と伝えた。

朝鮮半島を一触即発の戦争危機状態に追い込むことが、北朝鮮が体制維持のための唯一の方法として見ているという指摘が多い。

米国のイラク侵攻などを目撃した北朝鮮は米軍基地と韓国を先制攻撃できるという能力を見せなければならなかった。この過程で北朝鮮は核プログラムをアメリカの侵攻から脱することができる手段として掲げた。

NYTは北朝鮮の戦略が《力の弱い国家が大国を敵として向かい合ったとき、平和を実現するための理性的な方法》だと分析した。

NYTはまた、北朝鮮が核プログラムに執着するしかない理由を軍事と政治的な側面から分析した。

公式的には停戦状態である朝鮮半島で北朝鮮は、旧ソ連の崩壊で冷戦体制がなくなると危機に追い込まれた。また唯一後ろ盾である中国が西側との関係増進に乗り出し、北朝鮮の孤立感はさらに大きくなった。

韓国が1990年代に入って民主化と経済の繁栄が本格的に行われ、北朝鮮の立場もますます弱まった。

北朝鮮指導部はこれに先軍政治で突破口を開けようとした。敵の軍事的脅威により、経済的貧困と反逆者処断などは北朝鮮住民たちにとって受け入れなければならない要因として認識された。

NYTは、先軍政治を土台にした核実験とミサイル発射は、不規則で時には失敗もしたが、国際社会の危機感増幅と自国の利益を得る上で効果的だったと解説した。

 

[原文] <北 핵실험> NYT "북한, 미치기는커녕 너무 이성적"

※ [New York Times] North Korea, Far From Crazy, Is All Too Rational

 

正義記憶財団「慰安婦被害者は日本の見舞金を拒否」(ニュースイズ記事)

 

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【ソウル=ニューシス】クォン・ヒョング記者=31日午前、ソウル鍾路区の日本大使館前に設置された少女像が雨に濡れている。 2016.08.31

 

○韓日外交長官合意案に強く反発
○金福童ハルモニ「カネでは許せない」
○和解・癒し財団の即時解散主張も

 

 韓日政府が慰安婦被害者全員に「傷の癒し」の名目の現金を支給することを決定したことについて、被害者のハルモニたちと市民団体が、両国政府を強く糾弾し、和解・癒し財団の解散を要求した。


 日本軍性奴隷制の問題解決のための正義記憶財団は、31日午前10時30分、ソウル鍾路区中学洞の旧日本大使館前で記者会見を開き、韓日両国の慰安婦被害者への見舞金支給の決定を糾弾した。

 

 この日の記者会見には、慰安婦生存被害者の金福童(90)・吉元玉(89)ハルモニも参加した。

 

 正義記憶財団は、「韓国政府は、和解・癒し財団を設立して、法的賠償金ではない「癒し金」の名目で見舞金10億円を日本政府から受け取り、日本軍性奴隷制問題を集結しようとしている」として、「それでも、慰安婦被害者に対する法的責任はいまだに残っている」と批判した。

 

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【ソウル=ニューシス】クォン・ヒョング記者=31日午前、ソウル鍾路区の日本大使館前で開かれた「12.28韓日合意強行を糾弾と正義の解決を要求する記者会見」に出席した「慰安婦」被害者ギム・ボクドンさんが発言している。 2016.08.31

 

 先に外交部は、去る25日、韓日両国が和解・癒し財団の予算で被害者全員に現金(生存者1億ウォン、死亡者2000万ウォン)を支給することを決定した、と発表した。昨年12月28日にソウル鍾路区の外交部庁舎で行われた韓日外交長官会談の合意に基づく措置だ。

 

 これに対して、金福童・李容洙ハルモニら慰安婦被害者12名は、ソウル中央地方法院に、大韓民国政府を相手どって各々1億ウォン規模の損害賠償訴訟を提起した。 京畿道広州のナヌムの家に住む慰安婦生存被害者のハルモニ6名も、見舞金を受け取らないと表明した。


 正義記憶財団は、「国際社会の常識上、日本政府は、慰安婦問題に対する犯罪事実の認定・公式謝罪・法的賠償・真相究明・歴史教育などを履行しなければならないのに、韓日合意は、この中の何一つとして実現できていない」として、「韓国政府は、合意をただちに無効にし、和解・癒し財団を即刻解散せよ」と要求した。


 発言に立った金ハルモニは、「この間、慰安婦問題の解決のために市民団体が苦労してきたことを、政府がぶち壊した」と述べ、「政府が勝手に見舞金を受け取ると決定したことに腹が立つ。1億をもらっても許すことはできない」と訴えた。

 

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【ソウル=ニューシス】権現区記者=31日午前、ソウル鍾路区の日本大使館前で開かれた「12.28韓日合意強行を糾弾と正義の解決を要求する記者会見」に出席した「慰安婦」被害者ギムボクドンさんが発言している。 2016.08.31

 

 さらに金ハルモニは、「安倍政府は、記者会見を通じて被害者に謝罪し、私たちに対する名誉回復と賠償をせよ」と要求した。


 被害者訴訟の代理人を務める民主社会のための弁護士の会の李サンヒ弁護士は、「今回の損害賠償訴訟の提起は、去る2011年の『韓国政府が日本政府の(慰安婦問題に対する)法的責任を追及しないことは違憲』と憲法裁判所が明示した義務を政府が放棄したことによる措置」だとして、「日本政府に対しても訴訟を提起する予定」だと表明した。

 

 記者会見に続いて、12時に同じ場所で、全国保健医療産業労働組合の主管で組合員200名などが参加する中で、第1246回水曜デモが行われた。

 

 保健医療労組は、「慰安婦問題は、日本の公式謝罪と法的賠償がなされてこそ解決できる」として、「(韓日政府は)この問題を後世に正しく教育し、再発防止のための後続措置を履行せよ」要求した。この日、保健医療労組は、組合員が募金した2100万ウォンを、正義記憶財団の設立推進基金として伝達した。

 

 午後3時には、愛国国民運動大連合が、日本大使館前で韓日合意の無効化を求める内容の記者会見を開く予定である。 

 

ニュースイズ 李ヘウォン記者  2016.8.31

[出典] 정의기억재단 "위안부 피해자 日위로금 거부":: 공감언론 뉴시스통신사 

 

「民衆の声」記者手帳ー国情院は北の従業員たちをどこに隠したのか?

 

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国家情報院による企画脱北説が提起された、北朝鮮海外レストランの従業員 ⓒ統一部提供

 

政府当局が中国浙江省寧波の北朝鮮食堂「柳京」から「集団脱北」したと明らかにした支配人と従業員など13人が最近、国家情報院の調査を終え、北朝鮮離脱住民の保護センター(旧​​合同新聞センター)から出てきたと最近伝えられた。

当局は、「脱北従業員が社会に出て行った。みな一緒に暮らさず、本人の意思に基づいて住む場所を選んで暮らすことになった」とだけするだけで、他の情報は確認させなかった。統一部が管轄する北朝鮮離脱住民支援事務所(ハナ院)も経ていない。

 

彼女たちの入国ニュースが伝えられた当初から、あちこちで「企画脱北」疑惑が提起された。総選挙をいくら残されていない時点で、公式発表が行われたうえ、「韓流を憧れた」など、脱北の動機が異例であるという点、多数にもかかわらず勤務地離脱から脱北審査、入国まで経由する実務的プロセスは非常に速く、迅速に進んだ点などによるものであった。

 

これまで見られた当局の態度も非常に奇妙た。脱北者たちは通常、将来は北に残っている家族を連れてくるという目的があるので、自分たちの身元が明らかになることを望んでいない。しかし当局は、入国直後すぐにマスコミを通じて発表し、同時に彼らの個人情報がインターネット上にすべて公開された。
民主社会のための弁護士の会(以下、民弁)が提起した人身救済請求事件では、裁判所が従業員をすべて出席させろと命じると、「北の家族が危険だ」との辻褄があわないと返答と、民弁に対する従北論であった。

 

このように、国家情報院をはじめとする当局は、これらの情報の露出を極度に制限して保護センターに収容してきた。ハナ院に送らないまま彼女たちを社会に送り出したという事実は簡単に納得できれない。既存の脱北者の社会でも、彼らを排除させるという意図としか見ることができない。通常、自由意思で北朝鮮を脱出した人々の場合、国家情報院保護センターからの同じ脱北者と交流しながら、ハナ院を経て一緒に社会に出る。社会に出ても、継続的な交流をしながら生きていく。

しかし12人の従業員の場合は違う。彼らの保護センターから隔離された状態で調査を受けた可能性が高い。ハナ院で他の脱北者と交流する機会さえ剥奪された。これは通常、偽装脱北やスパイ容疑が疑われるか、または高位層の場合、つまり法的に国家安全保障に著しい危険を招く恐れがある場合にのみ該当する。
北朝鮮食堂で働いていた20代前半の女性が、当局の発表に​「自由意思」で脱北したのであれば、彼女たちの国家安全保障にどのようなリスクを与えるというのか、独創的な発想を駆使してもまったく説明が難しい。

 

当局がこれまで徹底した管理で隠蔽していた彼女たちを社会で外部と接触しながら、他の脱北者のように自由な生活をさせるだろうか?その可能性は皆無だ。 12人を自分の好みの各地に送ら住まわせた当局の言葉は、すぐに個別に保護観察をするという言葉に相違ないように見える。

 

韓国を全く知らない彼女たちに「希望の各地」がどこにあるかも疑問である。そこが国家情報院が管理する安全家屋なのか、外部接触が不可能な他の未知の場所なのかは全くわからない。
これは、当局が彼女たちを見知らぬ場所で離れて住ませるのであるが、自身か他者の意思であるか南に来て、長期間にわたる国家情報院の圧迫を克服した後、また互いに助け合いながら将来を図ろうとした彼女たちにとっては非常に過酷な仕打ちではないかと思う。

 

これが果たして「自由を求めてきた」人々に対する適切な待遇なのか、合理的な疑心を持たざるをえない。

 

北の従業員のために「企画脱北」疑惑を継続的に提起してきた民弁は▲合理的な法的手続きを経て、保護センターからすぐ社会に送り出されたか▲現行法に合わせて定着支援金を支給したのか▲国家情報院の安全家屋やその類の場所で収容されていなければ、彼らが住んでいるところはどこなのかなどを確認する内容の申請を、人身救済請求事件を担当している裁判所に出す予定である。

 

[出典] [기자수첩] 국정원은 北종업원들을 어디에 숨겼나 - 민중의소리

【コラム】日本の10億円、必要ない(金昌録)

 

日本軍「慰安婦」関連の韓日合意の実体がより明確になった。去る12日、岸田外相はユン・ビョンセ外交長官と通話をした後に行なった記者会見で、日本政府が出す10億円は《医療と介護》のためのものだと明らかにした。

 

また、《少女の像問題の適切な解決に向けて日韓合意の着実な実施を要求》すると釘を刺した。マスコミの報道によると日本側は去る9日の韓日局長級協議で、《医療と介護》に限定して、《一つ一つ領収書を提出させる案》を出したという。また、日本側が《賠償金に該当しないということを確認したものとみられる》との報道も出た。

 

整理してみよう。第一に、10億円は「賠償金」ではない。政府は《事実上賠償金の性格》だと主張するが、金を出す側が賠償金ではないと言うのに、どうしてその金が賠償金になれるだろうか? 第二に、10億円は日本政府の同意を得なければ執行することができない金だ。政府は財団が決定できると主張するが、すでに金を拠出するという決定が出るまで局長級協議と外交長官の電話会談を経なければならなかったし、合意自体にも当財団の事業は《韓日両国政府が協力して》するようになっている。第三に、10億円は少女像の撤去のための誘い水だ。岸田外相が釘を刺したように、10億円の支出が完了すれば、《日本側の責務は終わったことになる》。当然、少女像について《適切に解決されるよう努力する》との合意を韓国側に守るように迫ってくるだろう。政府はずっと《少女像の問題は民間で自発的に行なった》ので、《政府で指図する事案ではない》と主張してきた。しかし、12日付外交部報道資料にも《両長官は合意の忠実な履行を再確認》したとなっている。10億円が来たら、政府は少女像撤去に乗り出さざるを得ない構造だ。

 

1965年の請求権協定で出された無償3億ドルの性格について日本政府は、《新しい国家の出発を祝う》心で与える「独立祝賀金」だとした。そして2015年の合意で出す10億円の性格については《医療と介護》に向けた「治癒金」だという。3億ドルにも10億円にも「加害者」は存在しない。「寛大な人道的支援者」がいるだけだ。それでも1965年には《貧しい大韓民国なのでしかたがない》と言い訳する余地はあった。しかし、今はそれさえも不可能だ。さらに、今回は《一つ一つ関連の領収書を提出》しろと要求する、本当に几帳面な「人道的支援者」でもある。

 

日本軍「慰安婦」韓日合意が誤ったものであるという事実はすでに明白に確認された。日本から10億円を受ける名分も実利も理由もない。朴槿恵大統領は《慰安婦問題は、歴代政府では一度もまともに扱っていない》とした。 しかしこれは事実ではない。金泳三政府は被害者を支援するための法律を制定した。金大中政府は日本の国民基金を拒否する被害者を積極的に支援した。盧武鉉政府は日本軍「慰安婦」問題は《反人道的不法行為》に関するものなので請求権協定にもかかわらず、《日本政府の法的責任が残っている》と宣言した。

 

歴代政府の措置はこの4半世紀の間、「真の解決」を訴えてきた高齢の被害者たちと、彼女らの訴えに応えた世界中の市民たちの献身的な努力の結果だ。10億円の《治癒金」を受けて済む問題だったら1995年国民基金の「慰労金」で解決したはずだ。それを拒否して20年以上「公式謝罪と法的賠償」を叫んできた被害者らの悲痛な叫びを「和解と治癒」という似合いもしない美名のもとでごまかそうとするのは、単に「没歴史」なだけだ。

 

10億円は必要ない。間違った合意のために絶えず浮き彫りになっているこのすべての議論は、当初から必要ない。大韓民国の法律によって、大韓民国の予算で被害者たちを支援して記念事業をすればいい。11兆ウォンの補正予算を審議する国会がそのうち100億ウォンを日本軍「慰安婦」問題に割り当てれば、それですべて終わる議論だ。

  

[시론]일본의 10억엔, 필요 없다 - 경향신문

『帝国の慰安婦』は「誰のための和解」を叫ぶのか(イム・ギョンファ)

 


* 2016年7月14日 「教授新聞」に載せられた書評<朴裕河は被害者の内面を「発見」したのか?>(ハングル、http://www.kyosu.net/news/articleView.html?idxno=32745)を若干変更したものです。

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去る7月に朴裕河の『帝国の慰安婦』に対する全面的な批判書である『誰のための「和解」か:『帝国の慰安婦』の反歴史性』が「青い歴史」から出版され、再び『帝国の慰安婦』事態をめぐる論争が熱くなった。「ナヌムの家」の「慰安婦」被害者らが2年前の2014年6月に日本軍「慰安婦」を日本軍の「同志」であり、戦争の「協力者」として表現した『帝国の慰安婦』の記述が名誉毀損に該当するとして民事・刑事上の訴訟を提起し本格化したこの論争で、『誰のための「和解」か』の出版が持つ意味について簡単に論じたい。

 

朴裕河の『帝国の慰安婦』は、日韓の間で「慰安婦」問題が解決されず、紛争の中心にあるのは「慰安婦」が誰であるかについての理解が不足していたからだという問題意識から書かれた本である。「日本軍に強制連行された無垢な朝鮮人少女たち」という「慰安婦」イメージは支援団体などによって歪曲されたもので、被害者の記憶そのものではないというのだ。その歪曲されたイメージを克服する代わりに、朴裕河が提示したのが『帝国の慰安婦』論である。朝鮮人「慰安婦」は、日本軍との関係で日本人「慰安婦」と同じ立場にあり、戦争遂行に協力する「愛国」的存在として日本軍と「同志関係」にあり、自らも「同志意識」を持っていたと主張する。さらに解放後は、自身の協力を他者化して、完全な被害者だと想像しようとする「植民地の後遺症」のために、被害者自らが『帝国の慰安婦』だった記憶を隠蔽したという。これらの批判は、「慰安婦」問題の解決のための運動が日本の敵対のみ表象する慰安婦イメージを強調し、国民基金と和解して日本を許した慰安婦を排除したという主張につながる。すなわち、『帝国の慰安婦』論では、「日本軍に強制連行された無垢な朝鮮人少女たち」は敵対(不和)の表象で、帝国の慰安婦は和解の表象で機能しているのである。

 

これに対して韓国の世論は、学問と表現の自由を擁護する立場から起訴自体に反対する意見が圧倒的だった。しかし、本の内容を巡っては、「慰安婦」被害者の名誉を毀損するか、または「慰安婦」問題の解決のための現実的な方策であるかをめぐって、反対派と擁護派が論戦を繰り広げ深刻な混乱状態がもたらされた。 『帝国の慰安婦』への批判がほとんどなく、擁護派が大多数である日本の状況とは対照的ではあるが、韓国での議論も主に解釈をめぐる舌戦にとどまっており、しっかりとした検証作業に裏付けられたものではなかった。著者の朴裕河も、反対派の主張に対して「誤読」や「歪曲」、「解釈の違い」で退けていった。


このようなメディア状況の中で、『誰のための「和解」か』の著者である在日同胞の歴史学者・鄭栄桓は、日本軍「慰安婦」問題を理解するために必要とされる多方面に豊富な知識をもとに、実証的かつ徹底的に 『帝国の慰安婦』の検証作業を行った。これは、韓国と日本で出版された『帝国の慰安婦』のテキストを比較分析し、テキストに引用された出典をすべて検証し、先行研究を参照し著書の研究史としての位置を見定め、テキストの論旨を確定していく非常に困難な作業であった。

 

上記作業を通して鄭栄桓が明らかにしたのはまず、『帝国の慰安婦』にある多数の誤謬である。資料解釈の初歩的な誤謬だけでなく、証言の取捨選択と恣意的な解釈、相互に矛盾した主張の共存、論理的飛躍、先行研究の主張の歪曲など、実に多岐にわたっている。しかし鄭栄桓の作業はこれらの検証にとどまらない。彼は資料の調査や読解、論証をすべて犠牲にしてまで著者が表明しようとした政治的メッセージが何かを重点的に明らかにした。つまり適切な検証手続きなく、日本社会で保守とリベラルの対立の構図を超えて、この著書がこのように絶賛されたのには、朴裕河が提示した『帝国の慰安婦』論が日本社会が望むイメージと合致した点を挙げる。

 

鄭栄桓は、朴の主張が資料の誤読、証言の恣意的解釈、研究成果の誤った理解などにより導出された憶測に過ぎないことを明確にした。さらに「第3の声」などと命名して、まるで「慰安婦」被害者の声を聞き「慰安婦」イメージの新たな認識や新しい解決策を提示したように包装された『帝国の慰安婦』論は、1980年代以前に「兵士たちの声」で構築された「愛」「慰安」「運命」「愛国」「同志」などのキーワードによる「慰安婦」認識への回帰である。このような「兵士たちの声」は、1990年代以降にアジアの被害女性たちの証言が相次ぎ、構造的な暴力システムとしての「慰安婦」制度が究明され根元から覆された。朴裕河は、これら被害者の声は背後の支援団体によって歪曲された声であるとして、彼らの真の「声」ではないとしながら、被害者の主体性と自発性を尊重するような語法を駆使する。しかし、実際は「兵士たちの声」を復権させる試みに過ぎなかったということを明らかにしたのである。

 

「慰安婦」問題に対する日本の責任についても、『帝国の慰安婦』が試みたのは、植民地支配の責任を問うたことでは決してなかったと鄭栄桓は言う。朴裕河は大日本帝国の論理の範囲内で「慰安婦」問題を再解釈しようとした。だから、日本人「慰安婦」と「愛国」的動機の共有、兵士との「同志関係」などを強調して、未成年者の徴集に代表される「慰安婦」制度の植民地主義的な性格を努めて否定しようとしたのである。そういう意味では朴裕河は、むしろ日本の「帝国意識」に訴え、朝鮮を「統治」した者として、以前に「同志」であった(旧)植民地「臣民」を慰労しなければならないと訴えていると読み取った。


それにもかかわらず、『帝国の慰安婦』が日本社会で絶賛されたのには、「二つの歴史修正主義」が作用したというのが、この本の核心的な主張だ。日本軍「慰安婦」問題が提起されたのは、大日本帝国の責任と同時に「戦後日本」の責任でもあった。 「慰安婦」問題は、冷戦体制の中でアジアの加害責任に直面せずに過ごすことができた戦後日本の歴史を問い直す象徴的な出来事であったのだ。しかし朴裕河は、日本の「戦後史」を戦争責任、植民地支配の責任に向き合い反省してきた歴史だと描いている。したがって『帝国の慰安婦』論とは、「日本軍無罪論」による「大日本帝国」肯定願望と、「戦後日本」の肯定願望という「二つの歴史修正主義」にとらわれた人々の欲望が生んだ産物なのである。鄭栄桓は、日本社会の内部にある「二つの歴史修正主義」を根本的に問い直す作業こそ『帝国の慰安婦』事態の本質だと言う。


鄭栄桓のこのような分析は、これまでの『帝国の慰安婦』論争に重要な指針を提供するものだ。何よりも鄭栄桓は、「慰安婦」問題の解決のための運動に対する朴裕河の解体議論が被害者にもたらす致命的な危険性を示した。朴裕河は、民族や民衆、階級などの「巨大な議論」だけでなく、女性の人権運動のような運動の言説も解体しながら、運動勢力の「人質」にされた「個人」の解放を主張し、まるで被害者の主体性(agency)を重視するような主張をする。これにより、慰安婦制度自体は犯罪でなく、法的責任を問うことができないと主張する朴裕河が描く慰安婦とは、貧しい女性たちが「移動」により経済力を備え、家父長制的共同体の拘束から解放されて再主体化された個人である。したがって反日民族主義や女性の人権意識に基づいた「慰安婦」問題の解決の動きに利用されている「慰安婦」を「運動から解放」させ、欲望を持つ個人に戻さなければならないという。これらの主張は、資本主義社会における個人に対する幻想だけでなく、運動から個人を切り離すことにより加害者(強者)の責任を希釈させ、権力に対する社会的抵抗の求心点を解体しようとする著者の政治的欲望の発露に過ぎない。最終的には朴裕河が運動を批判するのは、運動から排除されたサバルタンの声に耳を傾けるためではなく、加害者の不法に目を閉じ、被害者の連帯運動を解体するだけだ。

 

鄭栄桓が『帝国の慰安婦』から算出した「二つの歴史修正主義」も、朴裕河が駆使したポスト・コロニアリズム分析の致命的な欠陥を露出させる。朴裕河は、植民地主義の遺産の拒否と持続という二つの属性を内包するポスト・コロニアリズムをひたすら「協力」の記憶を隠蔽しようとする被害者たちの「植民地の後遺症」詮索に活用する。そのため、帝国主義戦争の暴力の犠牲者を根拠なく協力者(加害者)であると考えている誤謬を犯している一方で、それと同じ大きさで敗戦後も持続する日本の帝国主義に目を瞑る。これは、ポスト・コロニアリズムが加害者/帝国主義の合理化に悪用されることを教えてくれる事例である。


朴裕河の解体議論の極地を示すのは、上記の批判に対して安易に記す「解釈の違い」、つまり言語論的転回論である。 『「言語論的転回」後の歴史に「事実」も「真実」もない。ただ特定の視角から再構成された「現実」だけがある』との、ポストモダニズムが生んだこの見解は、事実も真実も否定したなまま、特定の視野の個々の主体者の現実の絶え間ない亀裂をもたらした。そして今、事実や真実の否定は、まさに被害者の記憶の忘却であり、意思疎通の拒否に示されている。しかし『誰のための「和解」か』が、韓日間の歴史認識問題で最も重要なことは、事実に基づき日韓の国家間の理解を超えて、より普遍的な歴史認識に到達しようとする誠実さと責任感であることを悟らせてくれた。

 

[出典] ‘제국의 위안부’는 ‘누구를 위한 화해’를 외치는가 

 http://blog.naver.com/limkyounghwa/220779130070

   

忘却のための「和解」―『帝国の慰安婦』と日本の責任

忘却のための「和解」―『帝国の慰安婦』と日本の責任

 

 

“동아시아 평화를 훼손”하는 것은 누구인가

"이러한 책의 주장이 한국사회에 받아들여질 경우, 동아시아 평화를 현재 이상으로 훼손하게 될 것이다.(201677)

 

 최근 한국에서 간행된 나의 저서 망각을 위한 화해’: 제국의 위안부와 일본의 책임의 한국어판에 대한 박유하의 평가다.

 

 박유하는 7월 11일에 내 책에 대한 반박만을 위해서 신문기자 간담회를 연다고 한다. “이 책의 주장에 심각한 문제가 있고, 특히 인용이나 논지전개에서 지극히 자의적인 방식으로 저의 책과 이른바 양심적인 현대일본지식인들마저 왜곡하고 있음을 밝히려한다고 한다. 위에 인용한 동아시아 평화를 현재 이상으로 훼손한다는 문구는 기자간담회 안내문에 박유하가 쓴 것이다. 일본 미디어를 향한 호소도 염두에 두고 있을 것이다.

 

 내 책이 한국에서 간행된 것에 대해 박유하는 상당히 당황한 듯하다. “적지 않은 매체가 36세 재일교포 연구자의 왜곡된 인식을 대단한 통찰이자 인식인 것처럼 전해, 그의 말을 한국사회가 믿게 되었을 뿐 아니라 나를 사기꾼 취급하는 사태가 벌어지고 말았다”(2016년 7월 6)는 인식인 듯하니, 당황하는 것도 무리는 아니다. 재일조선인 애송이가 하는 말을 한국 미디어가 평가하는 것이 마음에 들지 않겠지만, 스스로가 뿌린 씨앗이다. 박유하가 취해야 할 일은 스스로의 저작에 성실히 마주하여 비판에 정면으로 답하는 길 이외에는 없다. 하지만 박유하는 내 책이 한국에서 출판된 것을 자아성찰의 기회로 삼기는커녕 내 입국거부나 출판기념회를 둘러싸고 상식적으로는 믿기 힘든 언동을 반복하고 있다.

 

 이미 보도된 대로 졸저의 간행에 맞춰 서울에서 7월 1일에 출판기념회가 개최되었는데, 나는 한국정부에 또 다시 입국을 거부당해 행사에 참가할 수 없었다. 이로 인해 당일 오전에 기자회견을 했고 나는 중계로 항의 의사를 표시했다. 기자회견에 앞서 출판기념회 실행위원회는 입국 거부에 대한 항의성명을 발표했다. 성명에 대한 찬동 서명에는 600명에 달하는 분들이 항의의 의사를 표시해 주었다. 원래는 한국 분들을 중심으로 시작된 서명이었는데 적지 않은 일본 거주 분들도 서명해 주었다. 항의 의사를 함께 나타내 주신 것에 다시 한 번 감사의 마음을 표하고 싶다.

 

 7월 1일 출판기념회에는 박유하 본인이 촬영진과 함께 나타났다(자세한 것은 한겨레보도 참조). 이 때문에 나는 누구를 위한 화해인가의 요지를 설명하고 구체적으로 몇 가지 질문을 했다. 하지만 30분 가까운 시간을 낭비했으면서도 박유하는 여전히 오독하고 있다는 말을 반복할 뿐, 내 질문에 아무런 대답도 제대로 하지 못했다. 일본의 미디어는 논의의 내용은 전하지 않고, 그 자리가 험악해졌다는 것을 소개하는 기사만을 내보내고 있다. 하지만 오히려 내 입장에서 보면, 박유하의 언동은 참가자들을 격앙시키기에 충분했는데도 주최자나 참가자는 최대한 정중히 대우했다고 생각한다. 질문에 답하지 않는 박유하의 자세를 보다 못한 참가자들이 빨리 질문에 답하라고 재촉하는 목소리가 났지만, 당연한 반응일 것이다. 나도 입국을 못하고 겨우 중계로 연결된 독자와의 대화 시간을 허접한 대화로 박유하가 빼앗은 것(지정토론자를 제외하면 회장에서 발언할 수 있었던 것은 단 한 사람이었다), 그럼에도 불구하고 전혀 성실한 응답을 하지 않는 박유하의 오만불손한 자세에 평상심을 잃었지만, 귀중한 자리를 준비해 준 주최자를 위해서도 참았다. 애당초 출판기념회에 촬영진을 데려와서 촬영을 하는 신경을 나는 이해할 수 없지만(자신의 다큐멘터리용인 듯하다), 그것은 덮어두자.

 

 최근의 박유하의 언동 중에서 도저히 좌시할 수 없는 것은 내 입국 불허 가처분에 대한 발언이다. 근래 박유하는 내 입국 거부 판단이 타당하다는 듯이 암시하는 발언을 반복했다. 거부 처분 직전인 6월 28일에 박유하는 다음과 같이 썼다.

 

정영환씨는 한국과 북한에서 정치적 활동을 했다는 이유로 한국입국이 불허된 사람이다. 국가가 개인의 이동의 자유를 관리하는 일에 나는 비판적이지만, 이들의 담론이 한일화해에 대한 강한 두려움을 내비치는 건 그래서일지도 모르겠다.

사실, 정영환의 두려움을 이해 못 할 바는 아니다. 하지만, 남들이 나를 빼고(그의 표현에 따르면 망각하고) 화해할까 봐 두려워하기보다는, 재일교포사회와 일본과의, 혹은 북한과 일본과의 화해를 모색하는 편이 훨씬 생산적이다.(누구를 위한 불화인가」 2016년 6월 28)

 

 박유하다운 문장이다. “국가가 개인의 이동의 자유를 관리하는 일에 나는 비판적이지만이라며 노골적인 반공주의자로 여겨지지 않도록 예방선을 치는 한편, 내가 한국이나 조선민주주의인민공화국에서 정치적 활동을 했기 때문에 입국이 불허되었다는 한국정부 당국의 설명을 그대로 흘리며, 그래서 한일화해에 우려를 표명하는구나 하며 근거 없는 추론을 제시한다. 이 글을 읽는 사람은 나의 화해비판이 조선민주주의인민공화국과 모종의 관계가 있는 듯한, 그리고 입국 불허에도 상당한 이유가 있는 듯한 인상을 품을 것이다. 하지만 박유하는 넌지시 말할 뿐이므로 그 책임은 이 글을 읽은 독자에게 전가되는 것이다. 제국의 위안부와 마찬가지로 극히 무책임한 문장이다.

 

 이 투고에는 상당한 비판이 있었던 것으로 보인다. 박유하는 다음날이 되자 다음과 같은 변명을 했다.

 

나는 국적을 갖지 않는 것을 택한 조선적 분들을 훌륭하다고 생각하는 사람이다. 그 정점에 작가 김석범 선생이 있고, 내가 조선적의 의미가 무엇인지 알게 된 것도 그 분을 통해서였다.

내가 언급한 건 오로지 한국정부의 판단이다. 쓰여 있지 않는 비난을 굳이 읽어내 비난하는 이들의 행위는, 위안부는 원래 일본인이 대상이었고 국가에 의해 이동당한 가난한 여성이라는 의미로 조선인 위안부는 가라유키상의 후예라고 썼더니 그건 매춘부라는 뜻!’이라면서 판금[삭제 요구를 가리킬 것이다]을 요구한 지원단체와 하등 다를 바가 없다.(2016년 6월 29)

 

 조선적자인 김석범을 존경하는 내가 조선적자를 차별할 리가 없다고 말하고 싶은 모양이다. 자신은 정영환이 아니라 정부를 비판했다고 쓰기도 했다. 지금도 고소한 것이 위안부피해 당사자라는 것을 인정하지 않는 그 자세에는 놀라지 않을 수 없는데, 어이가 없는 것은 위의 문장에서 의도한 것이 한국정부 비판이라는 변명이다. 이 글을 읽고 박유하가 나의 입국 불허 가처분을 비판했다고 생각할 독자는 아마 지구상에 한 사람도 없을 것이다. 자신에 대한 비판을 멋대로, 깊이, 비틀어 읽기라고 비난하며 냉전후유증으로 병들어 있는 우리사회의 단면일 것이다라고 하는데, 이 또한 제국의 위안부와 마찬가지로 만약 박유하의 진의가 독자의 이해와 다르다면, 그 책임은 글쓴이인 박유하 자신에게 있다.

 더욱이 박유하는 이 투고에서도 내 입국 불허가 타당한 듯한 암시를 지속하고 있다. 박유하는 투고 말미에서 정영환문제(!: 인용자)에 대한 참고자료로 조관자 선생의 논문을 올려 둔다. 재일교포/조선적에 대해 말하려면 이 논문은 필수적으로 읽혀야 할 것이다. 입국제한문제에 관해서는 특히 6절이 자세하다.”고 하면서 조관자의 논문(조관자, 재일조선인 담론에 나타난 기민(棄民)의식을 넘어서: ‘정치적 주체성을 생각하다, 통일과평화7/1, 2015의 링크를 달았다.

 

 조관자는 서울대학교 일본연구소 조교수로 일본어 저서도 있는 조선근대사상사 연구자다. 박유하가 참조할 것을 추천한 조관자 논문 제6절에는 내 입국에 관한 다음과 같은 기술이 있다. 주와 함께 인용한다.

 

이라크 전쟁으로 고양된 반미 운동의 현장에서 조선적의 재일조선인들이 북한의 반미, 통일 구호와 일치하는 내용을 그대로 외치는 경우도 있었다.54)(209)

 

54 필자는 재일조선인 정** 씨를 일본에서 본 적이 있다. 2006년 겨울로 기억하는데, 당시 대학원생이던 그가 도쿄의 어느 한 출판기념회에서 평택의 반미집회에 참가한 경험을 피력했다. 일본에 거주하며 마침 정** 씨의 연설을 듣게 된 필자는 북한을 자유롭게 왕래하는 재일조선인 청년이 평택 주민들 앞에서 북한의 어법으로 미군철수를 외치는 장면을 머릿속에 떠올렸고, 한국의 변화와 정권의 관용성에 놀랐던 기억이 난다. 노무현 정권에 대한 보수진영의 탄핵심판이 국민적 반발 속에서 수포로 돌아간 정치 국면에서, 2005년부터 북한은 한국의 인터넷 공간 등에 반미 민족주의 평화 공세를 적극 펼치고 있었다(필자는 당시 오마이뉴스등에서 북한의 인터넷 부대를 포함한 해외동포의 필치가 느껴지는 댓글들이 폭발적으로 증가하는 것을 감지했다). 필자는 정**씨가 결코 위협적이거나 무모한 사람이 아니며, 그의 학술 활동은 허용되었어야 한다고 생각한다. 그러나 북한의 반미 민족주의가 남한에서 생생하게 재현되는 것을 탈분단으로 생각할 수 없으며, 지금까지 전개된 조선적의 통일표상과 통일운동을 수긍할 수 없기 때문에, 조선적의 정치활동을 제한하는 정부의 입장에 기본적으로 동의한다.(210-211)

 

 혹시나 해서 설명해 두는데, 이것은 공안경찰의 보고서가 아니다. 서울대학교 연구소 기요에 실린 버젓한 학술논문이다. 말할 필요도 없이 여기에서 말하는 **는 나를 가리킨다(논문의 기초가 되었던 학회 발표에서는 이름도 실려 있었다고 한다). 조관자의 이논문은 박유하가 말하는 재일교포/조선적에 대해 말하려면 이 논문은 필수적으로 읽혀야 할종류의 질을 가진 것이 아니라, 위의 인용을 보아도 알 수 있듯이, 치안당국의 시점에 동일화한 입장에서 쓰인 극히 이데올로기색이 짙은 재일조선인론이며 솔직히 말해 연구로서의 가치는 제로다.

 

 여기에 언급되어 있는 것은 내가 처음으로 한국에 입국한 2005년의 일을 가리킨다. 한국에 간 것은 서울대학교에서 개최된 어떤 국제 심포지엄에서 발표를 하기 위해서였다. 그리고 이 심포지엄 관련 행사로 당시 미군기지 이설 예정지로 되어 있었던 평택 필드워크가 기획되었다. 나도 여기에 동행하여 지역에서 반대운동을 하는 사람들과의 교류회에도 참가했고, 짧은 시간이었지만 감상을 발언했다. 일본에서 태어나고 자란 처지라 내 땅이라는 감각을 실감으로 느낀 적이 없어서 여러분들의 땅에 대한 마음은 상상할 수밖에 없다는 내용의 발언을 했다고 생각한다. “북한의 반미, 통일 구호와 일치하는 내용등의 엄청난 것은 아니다.

 

 더욱이 조관자는 글에도 있듯이 이 행사에도 필드워크에도 동행하지 않았는데, 나의 일본에서의 발언을 통해 북한을 자유롭게 왕래하는 재일조선인 청년이 평택 주민들 앞에서 북한의 어법으로 미군철수를 외치는 장면을 머릿속에 떠올렸다고 한다. 조선적의 재일조선인들이 북한의 반미, 통일 구호와 일치하는 내용을 그대로 외치는 경우도 있었다는 기술의 근거는 조관자의 상상인 것이다. 더욱이 그 학술활동은 허용하지만(당연하다), “조선적의 정치활동을 제한하는 정부의 입장에 기본적으로 동의한다고 주장하며 사실상 내 입국 불허를 시인하고 있다. 조관자 논문의 나에 관한 기술은 이상과 같은 것이다.

 

 박유하가 조관자 논문을 참조하도록 지시함으로써 한국의 독자에게 무엇을 시사하고 싶었는지는 명확할 것이다. 박유하는 처음에 내 입국 불허 가처분을 옹호하는 듯한 인상을 독자에게 주었고, 그것을 비판받자 자신은 한국정부를 비판했다고 무리한 변명을 하면서도 동시에 내 입국 불허를 시인하는 논문의 참조를 독자에게 요구한 것이다. 얼마나 박유하가 내 입국 불허에는 그럴만한 이유가 있다는 인상을 주고 싶었는지를 알 수 있다. 서두에서 인용한 동아시아 평화를 현재 이상으로 훼손하게 될 것이라는 내 책에 대한 평가도 그렇지만, 요 며칠 동안 박유하는 일관되게 내 입국문제를 국가의 안전보장이나 치안의 시점에서 생각할 것을 암시하고 있다. 논쟁의 상대에 대한 이러한 수단을 사용한 보복은 절제해서 말해도 비열하다고 평하지 않을 수 없다. 거듭 이 자리를 빌어 항의한다.

 

 과연 동아시아 평화를 훼손하는 것은 내 책인가, 그렇지 않으면 박유하의 이러한 자세인가. 대답은 명확하지 않을까. 서두에서 소개한 바와 같이, 7월 11일에 박유하는 기자간담회를 한다고 한다. 안이한 반공주의적 딱지 붙이기에 기대지 말고 스스로의 저서에 대한 비판에 대해 성실히 응답할 것을 요구하고 싶다. 이것은 나와 박유하 사이의 문제에 머물지 않는다. 무엇보다 제국의 위안부에 의해 명예를 훼손당했다고 주장하는 피해자들이 존재한다는 것을 잊어서는 안 된다.

 

(정영환)

 

원문: 「東アジアの平和を毀損する」のは誰か

朴裕河VS鄭栄桓、「慰安婦」評価めぐり激突(ハンギョレ新聞)

 

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1日、ソウルのプルン歴史アカデミーで開かれた『誰のための和解なのか』翻訳出版記念講演会で入国が禁止された著者、鄭栄桓氏がライブ動画で講演会に参加している。発言しているのは『帝国の慰安婦』著者の朴裕河氏=チェ・サング世界同胞連帯事務局長提供

 

雨脚が激しくなるなか、多くの人が集まった。1日午後6時、「誰のための和解なのかー『帝国の慰安婦』の反歴史性」(イム・ギョンファ訳/青い歴史)の翻訳出版記念講演会が開かれたソウル鍾路区・社稷路の「青い歴史」アカデミーは、収容制限を超えた50人の聴衆でいっぱいになった。

 

 ある参加者が語ったように、最初から"異常な講演会"であった。講演会の主人公である「誰のための和解なのか」の著者で明治学院大准教授の鄭栄桓(チョンヨンファン)氏(36)の姿はこの場になかった。在日同胞3世の鄭氏は、今回の講演会のため入国申告書を提出したが「不許可」にされた。国籍表記欄の「朝鮮籍」が不許可の理由であろう。鄭氏はライブ動画で参加者と向き合うことになった。講演会の最後に発言の機会を得たし、聴衆は著者チョン教授に彼の入国禁止が大韓民国という国がどのような国なのか、もう一度考えて作られたとし、「本コンテンツだけでなく、その点についても、本当に感謝している」と述べた。

 

鄭氏の代わりに、この場には同書が批判した『帝国の慰安婦』著者で世宗大教授の朴裕河(パクユハ)氏が参加した。出版社「青い歴史」によると、パク教授は鄭栄桓教授入国不許可の事実がマスコミに報道されたあとチョン教授の本が自分の名誉を毀損したとして、Facebookやカフェなどを介して一般の人たちに事前に告知された講演会自体が、自分のために「非難」と主張し、自分自身を講演会に招待ほしいと要求した。「青い歴史」はそもそも招待が別になくて関心を持った方は誰でも参加することができると答え、朴裕河教授は彼女のドキュメンタリーを撮影する人たちと共に参加した。

 

この奇妙な出版記念講演会は、趙慶喜・聖公会大東アジア研究所研究教授の司会で予定された時刻に開始された。講演会実行委員会の委員として参加したチョン・ヨンスン「民主社会のための弁護士会」(民弁)会長に続き、委員長である徐勝・立命館大学コリア研究センター研究顧問が祝辞を行った。徐勝氏は、鄭栄桓先生の入国禁止措置が「国内法的にも国際法的に瑕疵があると思う」とし、「非人道的であり、民族的損失である「朝鮮籍」同胞入国不許可の規制を直ちに解除せよ」と促した。彼は講演会実行委員会の役割は終わるが、今後連絡会議を別に作り、行政訴訟など必要な措置をとると明らかにした。

 

続いてカン・ヘジョン韓国挺身隊問題対策協議会実行委員の司会で始まった講演会の講演者は3人。 20分ずつの講演の最初のスピーカーは朴露子オスロ大学教授であった。英国など欧米列強の帝国主義侵略史を肯定する英歴史学者ニーアル・ファーガソンに至るまでの歴史修正主義の系譜を示し、「この席に朴裕河教授も参加したが」という言葉とともに、『帝国の慰安婦』を歴史修正主義分派に属す本であると明確に規定した。彼は1960〜70年代まで「大英帝国」が文明をリードした英国のように、帝国主義とファシズム、資本主義の歴史を擁護する歴史修正主義の登場は全世界的な現象であるが、「日本と韓国の歴史修正主義はさらに一歩進んでいる」という特殊性があると述べた。例えば欧州でもユダヤ人集団虐殺であるホロコーストの存在自体を否定する人々が極少数いるが、「いくら歴史修正主義者でも、被害者を加害者に置き換えるケースはない」として、被害者の元慰安婦ハルモニ(おばあさん)らをこうして追い込み、侮辱するのは「世界の他の国ではほとんど見当たらない」と指摘した。

 

「慰安婦」問題の法的な側面を研究してきた2番目の講演者・金昌録(キムチャンロク)慶北大教授は「慰安婦」を帝国の一員として見て、それらの「補償」を放棄したり、日本の法的責任を消滅させたのが韓国政府との朴裕河教授の主張を挙げて、自身の論文を誤って引用した朴教授の問題点は、「その法的論理を理解していなかったということ、そして帝国の論理をそのまま受け入れたということだ」と指摘した。


そして鄭栄桓教授の番になった。スーツ姿の彼はテレビ画像から、闊達で鮮やかな韓国語で、自身の本の内容が、朴裕河教授の本自体の分析と、それが日本でおさめた異例の成功の理由を探っていることであると述べた。彼は日本の政界と知識人社会から喝采を浴びた『帝国の慰安婦』がどのように間違っているかを本のページ数を示しながら取り上げた。続いて、批判に対していつも自身の本を「誤読」したと反論する朴教授の主張こそ、根拠のないことだと指摘した。

 

例えば朴教授は自身の本で引用した日本人ルポライター千田夏光の『従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発』(1973)で朝鮮人「慰安婦」と日本軍が「同志関係」[実際には「愛国」的存在を示す事例と鄭氏は主張:訳者注]だったことを示す事例に引用した朝鮮人慰安婦の話者(89ページ)は、実はすべて日本人慰安婦たちが話をしていたり、それを伝えた業者たちの話者だったとパク教授に「その本の中で、朝鮮人慰安婦の話があれば教えてほしい」と話した。

 

 彼は朴教授が「同志関係」、「同志意識」の実証事例として取り上げた古山高麗雄の小説(98ページ)の内容にも事実とフィクション(フィクション)を同列に扱うことの適切性に疑問を提示しながら、たとえその描写が体験に基づいてものも朴教授が引用した朝鮮人慰安婦ハルエなどの話は、実は日本人兵士の言葉であり、著者自身の言葉であることを確認しながら、「それは『軍人と自分を同一視』する(朝鮮人)「慰安婦」の姿ではなく、『慰安婦と自身を同一視』する(日本人の)『私』であった」と指摘した。

 

また、『帝国の慰安婦』日本語版のみに記された、朝鮮人慰安婦がすべてのことを「運命」と諦めて相手を恨んでも糾弾もせずに許して和解に導くという主張を裏付けるために引用した黄順伊さんの証言も「過剰解釈」であるだけでなく、むしろ朴教授の主張を崩しかねない重要な部分は、引用から除外してしまうなど「証言の簒奪」(109ページ)を行ったと指摘した。

 

そして日本軍無罪論と業者責任論の延長線上で、韓国人の家父長的な純潔主義と批判するためにフェミニズム的な観点を押し出しながら、朴教授が例示した「平和の少女像」に関連する慰安婦平均年齢の誤認も指摘した。朴教授は、日本の敗戦後に米軍の尋問を受けた時の年齢は25歳(実際は23.1歳)で、実際は連れて行か当時は20歳未満がほとんどだったのだ。(名前を明らかにした被害者52人のうち46人が20歳未満の未成年者であり、韓国政府申告者175人のうち156人が未成年者)(66ページ)。そして、韓国政府が拒否することにより、慰安婦被害者たちの「補償」の機会を奪ってしまったと朴教授が主張した部分についても、実は被徴用者の未収金の箇所を慰安婦問題に誤認した結果であり、日本が「補償」したということも根拠のない言葉という点(116 、125ページ)などを短いが明確に指摘した。鄭教授の指摘は、「帝国の慰安婦」で繰り広げられた朴教授の主張の根幹をなす重要な内容に対する反論である。

 

 鄭教授は、朴教授に他人の批判を「誤読」とだけ主張せず、そのような主張の根拠を教えてほしいと依頼した。そして自分が見るに、既存の研究レベルに満たないだけでなく、問題自体を正しく理解していない『帝国の慰安婦』が日本で絶賛されているのは、日本社会がそれを望んでいるからで、和解の障壁は、韓国ではなく日本が原因だと付け加えた。

 

 続いて、権赫泰(グォン・ヒョクテ)聖公会大教授、ヤン・ヒョンア・ソウル大教授、翻訳者のイム・ギョンファ延世大国学研究院教授などの指定討論者が朴教授が話している「反日民族主義」と民族主義の実体、何のためのどんな「和解」なのか、なぜ朴教授は鄭教授が在日朝鮮人であるとの属性を強調しているのかなどについて、質問を投げた。 

 

 鄭教授は、日本の「反日ナショナリズム」[批判:訳者注]は、1980年代の中曽根康弘政権以来、日本が新たな「国際国家」を指向しながら、これに対する周辺国の反発を意識して国益の次元で「謝罪論」が浮上したものであり、『帝国の慰安婦』はそのような脈絡でも「最も極端な植民地近代性論」であるとした[訳者注:実際には鄭氏のコメントにおいて「反日ナショなリズム」批判と「植民地近代性論」への言及は別の事柄としてなされている]。

また、安倍政権の最近の動きは、河野談話と村山談話まで包摂する左右合作的側面があるとして、『帝国の慰安婦』に歓呼する日本国内の動きを「右派の策動とのみ見てはいけない」と強調した。

 

 講演会後に懇談会形式で行われた聴衆との質疑応答で最初の質問者は、朴裕河教授であった。


 朴教授は「昨日(6月30日)この集会を知り参加するかどうかを、今日(1日)の午後になってようやく決めた」として、「すべての批判は、本人の目の前ですることが正しい」と奇妙な論理を展開した。メールで参加要求をしたという朴氏は、自身に「発言の機会をくれ」、「どれだけくれるのか」、「何分くれるのか」と何度も質問した。鄭栄桓教授の問題提起に対する答えや反論を聞きたかった参加者たちは、「そのまま話しなさい」と話し、講演会実行委員も質問に答えるよう依頼した。

 

 そのようにして時間が経過した後に朴教授は、鄭栄桓教授の主張は、自身に対する名誉毀損であり、鄭教授のすべての主張に対して反論をすることができるとして、昨年「歴史批評」などで書いた自身の文章について語った。そして自身の本が「日本でどのような評価を受けたのか見て」ほしいと、その評判は「日本の責任に対して批判的な人々、考えが間違っている日本人たちが送ってくれたと思うなら、大きな誤解」だとした。

 

 そこで鄭栄桓教授が「『歴史批評』に書いたものはしっかり読んた」と、「日韓会談の際、個人請求権を韓国政府が自ら放棄したの主張は『歴史批評』への寄稿文で間違っていると私はすでに指摘したが、それに対する考えを聞かせてほしい」と話した。また、古山高麗雄の小説の過剰解釈の部分の話も依頼した。

 

 再びマイクを握った朴教授は、「私はそんな悪い人ではない」としながら、自分は慰安婦補償問題を「放棄したと書かなかった。日韓代表同士の会話でそんな言葉が行き来したという話」だと述べた。自身の批判や質問への説明や反論を望んでいた鄭教授は、その時点で「これ以上申し上げる言葉はありません」と対話を諦めた。

 

 朴教授は「千田の話はそう読むことができる私の解釈」で、「帝国に動員された慰安婦」の話を「日本からの評価は正確に読んでくれた」と語った。そして、「重要なのは誰と連携してどのような東アジアを作っていくかということだ。アジア女性基金が作られた当時は、日本人が謝罪意識を持っていた。ところが、20年が過ぎた今、日本国民の中で謝罪意識がなくなった。運動をしてきた方はどのように思いますか?両国の敵意が大きくなって、日本の若者たちは韓国がますます嫌いになると話している」と付け加えた。

 

 複数の疑問が湧いた。日本人の謝罪意識を引き出すためには、過去の歴史は埋めなければならないというのだろうか。それこそ「和解」は、真相究明と再発防止ではなく、ただ忘却を通してのみ実現できるというのだろうか。問題は、過去の歴史を忘れない韓国人にあるというのであろうか?

 

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1日夕方、ソウル鍾路区市職員公園前「青い歴史」アカデミーで開かれた<誰のための和解か>翻訳出版記念講演会場。入国禁止された著者の鄭栄桓明治学院大学准教授が、リアルタイム動画を通して講演会に参加している。写真チェ・サング世界同胞連帯事務局長提供 

 

「合理的に歴史を清算してきた日本」対「感情的に無理な要求だけを掲げる韓国人の反日民族主義」という『帝国の慰安婦』が設定した対立構図が、その演繹的思考の結果であると鄭教授と参加者は指摘した。


 その原因がすべて韓国側にあると見るような朴教授と、日本の「知的衰退」と不道徳性、結果的にそれを煽る誤った内容の『帝国の慰安婦』など朴教授の著作が問題の核心だと見る鄭教授と支持者たち。彼らの間にある認識のギャップは、意味ある会話自体が不可能なほど大きく広がっていた。


 このように質疑応答の時間は、朴教授が質問者として乗り出し、それに終始し、さらには進展がなかった。


 鄭教授は日本で一人でブログに記事を書いてきた自分を韓国でこのように評価してくれて本まで翻訳出版してくれたことに心から感謝しながら、「朴裕河教授のホームページもあり、『帝国の慰安婦』も公開されているので、私の本(「誰のための和解か」)と比較してください。どちらの側に立ってほしいという話ではない。私のだけを見ずに、両方を読んで比較してほしい」と話した。

 

 この日の会議を主催して場所を提供した「青い歴史」アカデミーの関係者は、「朴教授がこれまでしてきた言葉を繰り返すのではなく、鄭教授の質問に正しく答え​​て意味のある議論が行われれば、発言時間などはいくらでも、夜通し提供することもできた」として、「朴裕河教授は自分が何を間違っているかどうか自体を知らないようだ」と話した。

 

 講演会を見守った歴史問題研究所の歴史学者チャン・シンは、「『帝国の慰安婦』をめぐるこれ以上の学術論争は何の意味を持たず、生産的にすることもできない」と述べた。「『帝国の慰安婦』現象や朴裕河現象があるだけで、最初から学術論争の対象になるもので​​はなかった。むしろ幾人かが指摘したように、『帝国の慰安婦』を利用したり支持する日本と韓国の「知識社会」を分析する方がはるかに生産的だ。」

 

ハン・スンドン先任記者

 

[原文] 박유하 VS 정영환, ‘위안부’ 평가 두고 화상 격돌 http://www.hani.co.kr/arti/culture/book/750694.html) 

 

※講演会および懇談会の動画(合計時間:3時間6分12秒)(ハングル)


누구를 위한 화해인가 출판기념회 2016.7.1

・朴露子教授講演 15分
・金昌録教授講演 34分
・鄭栄桓教授講演 55分
・懇談会 1時間40分 

忘却のための「和解」―『帝国の慰安婦』と日本の責任

忘却のための「和解」―『帝国の慰安婦』と日本の責任

 

 

 

[評論]人は越えられなかった理由(イ・ミョンウォン)

 

在日朝鮮人歴史家である鄭栄桓教授の著作「誰のための和解か - 『帝国の慰安婦』の反歴史性」が韓国で出版された。この本は、「忘却のための和解 -『帝国の慰安婦』と日本の責任」というタイトルで、今年3月に日本で出版されたことを翻訳したものである。この本は、朴裕河教授が『帝国の慰安婦』で繰り広げた主張の妥当性の問題を緻密な文献対照と方法論に対する批判を通して、実証的・歴史的・批判的に論証している。

 

『帝国の慰安婦』批判に加え、著者がこの本で緻密に論証しているのは、日本のいわゆる進歩的・リベラル陣営の知識人が陥っている二種類の「肯定的願望」の問題である。


一つは、大日本帝国に象徴される戦前の帝国主義・植民地主義の忘却傾向にある。他の一つは、戦後日本が平和国家という肯定と、これらの希望の形が実際に歪曲している歴史的・思想的ねじれである。


実際に戦後日本の知識人たちの天皇制ファシズム体制に対する批判的言説を検討してみると、明治維新以降、日本の帝国主義的侵略と植民地主義の問題については目を閉じて、ただ1937年日中戦争以降、または1941年に米国との太平洋戦争過程でのファシズム的傾向だけを限定的に批判の対象とする傾向を確認することができる。その一方で、このファシズムの原因を軍部の独走から探し、天皇からは戦争責任から免除することを自然に与えるが、これこそが「大日本帝国肯定願望」と呼ばれるものである。


戦前日本の植民地主義・帝国主義の侵略責任を忘却した結果は、日本の戦後認識にも大きな歪みをもたらした。1990年代半ば以降、日本ではいわゆる歴史修正主義の激しい流れが台頭し始めた。この過程で南京大虐殺、日本軍慰安婦、沖縄集団自決などの帝国主義・植民地主義の責任は隠蔽・歪曲・否定される。鄭栄桓教授が集中的に分析している日本軍「慰安婦」問題だけに限って見ても、日韓外交文書や知識人の言説などを介して強化されているのは、戦前と戦後の日本のどちらも肯定しようとする日本的ナショナリズムである。


彼は、朴裕河の『帝国の慰安婦』が日本の知識社会の中で劇的な歓声と賞賛の対象となっている知識社会学的文脈にも注目する。これは、日本のリベラル知識人でさえ、戦前の植民地主義・帝国主義というコンプレックスから抜け出し、日本が平和憲法に基づく平和国家になったことを肯定しようとする「二重の肯定希望」の結果である。このような思想界の隠蔽された文脈を検討しながら、日本軍「慰安婦」問題に対する日本の知識人たちの議論を分析することで、事態の本質が明瞭に解明されるというのが鄭栄桓教授の立場であるようだ。

 

そう見ると、この本は、表面的にはいわゆる「<帝国の慰安婦>事態」を批判的に論証しているように見えるが、深層では日本の戦後思想界の盲点を根本的に脱構築している著作である。このような著作が在日朝鮮人の歴史家によって記されたのは、いくつかの面で必然であり皮肉だ。必然の観点から見ると、まるで「クラインの壺​​」のように、彼は韓国と日本両国で内部であり部外者の存在で、すなわち「間の主体」としてのアイデンティティを自己化することができたことを意味する。一方で皮肉もある。韓国と日本の一方へのアイデンティティの帰属を拒否した理由で、本が越える国境を人は越えていないからである。在日朝鮮人が置かれている半難民的状況の本質は、日韓両政府が歴史的に隠蔽してきた棄民政策の同質性も問うている。

 

f:id:eastasianpeace:20160703235746p:plain  イ・ミョンウォン(文学評論家、慶熙大学マニスカレッジ教授)

 

[原文] [크리틱] 사람은 넘지 못한 이유 / 이명원 : 칼럼 : 사설.칼럼 : 뉴스 : 한겨레

 

 

미군의 조선인 포로 심문 기록의 ‘발견’?: 『마이니치 신문』 6월 10일자 기사에 대해

 『마이니치 신문610일자에서 미군의 심문조서를 미국립공문서관에서 발견했다며 아래와 같이 보도했다.

 

미 조서 발견 일본의 지배 가혹함 기록 위안부 지원이나 인신매매로 인식

http://mainichi.jp/articles/20160610/ddn/001/040/004000c

조선인 포로: 미국의 심문조서 발견일본 지배의 가혹함 기록

http://mainichi.jp/articles/20160610/k00/00m/010/117000c

조선인 포로 심문: 미국 반일의식 고무 노렸나?

http://mainichi.jp/articles/20160610/k00/00m/010/118000c

조선인 포로 심문: 조서의 개요

http://mainichi.jp/articles/20160610/k00/00m/010/119000c

 

 기사에 따르면 과거에 아시아여성기금의 자료위원회는 미군에 의한 조선인 포로 심문 기록 중에 포로의 회답만을 발견했다. 이것은 그 후 소재 불명으로 되었는데, 2016년에 들어 발견되었다고 한다. 또한 올해 3월 아사노(浅野) 씨와 마이니치 신문은 새로 미군이 어떠한 질문을 했는지를 나타내는 자료를 발견했다고 한다. , 이 기사는 자료 1포로의 회답과 자료 2미군의 질문이라는 두 자료를 다루고 있는데, 후자가 이번에 발견되었다는 것이다.

 

 기사에 게재된 아사노하타()기미야(木宮)구마가이(熊谷) 씨의 자료 해석도 쉽게 납득하기 힘든 부분이 있지만, 그 이전의 문제로 이 마이니치보도에 대해서는 한국의 연구자로부터 연구 윤리보도 윤리를 묻는 비판이 제기되었다. 즉 아사노 씨 및 마이니치 신문발견했다는 자료 2는 이미 공표되어 있으며, 이번 발견보도는 타당성을 결여했다는 것이다. 중요한 지적으로 보이므로 아래에 소개하고자 한다.

 

 지적한 것은 성공회대학교 강성현 연구교수(사회학)이다(*1). 강성현 씨에 따르면, 마이니치 신문610일자 보도가 의거한 두 종류의 자료는 각각 아래와 같다.

 

자료 1“Composite Report on Three Navy Civilians, List no. 78 dated 28 Mar, 45, Re Special Questions on Koreas”

자료 2Special Questions for Korean PWs, 1945. 4. 4.

 

 앞에서 언급한 대로, 자료 2가 이번에 마이니치 신문과 아사노 씨가 발견했다고 하지만, 강성현 씨에 따르면, 이 자료는 이미 2012월에 서울대학교 인권센터 일본군 위안부미국자료조사팀이 공표하여 KBS뉴스와 연합 뉴스에서 보도되었다. 또한 그 후에 제작된 KBS 다큐멘터리 끌려간 소녀들, 버마 전선에서 사라지다에서도 언급되었다고 한다. 강성현 씨는 서울대학교 인권센터 팀의 일원이었다.

 

 강성현 씨는 자신의 facebook에서 이번 발견보도에 대한 논평으로 자료 2이미 본 조사팀이 20151월에 발굴해 한국 언론에 공표했다. 이것을 가지고 마치 올해 3월 자신들이 새롭게 발굴된 것처럼 쓰고 있는 것은 이 중요한 시점에 의도적이었든 비의도적이었든 왜곡이다. 그 내용도 악의적이라며 엄중히 비판하면서 아사노 교수와 마이니치 신문의 연구 윤리 및 보도 윤리를 문제 삼았다.

 

 실제로 인터넷에 남아 있는 기사를 보아도 20152월에 KBS과 연합 뉴스는 조선인 포로에 대한 미군의 질문(資料2도 포함해서 국사편찬위원회와 서울대학교 인권센터가 발굴했다고 보도했다(*2). 2015227일자 연합 뉴스보도의 일부는 다음과 같다.

 

태평양전쟁 당시 일제가 조선인 여성을 군 위안부로 강제동원한 사실을 미군이 인지했음을 입증하는 미국 측 자료가 제96주년 3·1절을 앞두고 공개됐다.

 

국사편찬위원회(국편)와 서울대 인권센터는 미국 국립문서기록관리청(NARA)과 맥아더기념 아카이브에서 조사·발굴한 일본군 위안부 관련 자료 가운데 일본군 포로 심문과 관련한 문건들을 27일 공개했다.

 

이들 기관에 따르면 태평양전쟁기 미군은 포로 심문을 전담하는 조직을 지역 또는 전역(戰域)별로 뒀다. 연합군 번역통역부(ATIS), 동남아시아 번역심문센터(SEATIC), 전시정보국(OWI), 전략첩보국(OSS) 등에서 이들 조직을 운용했다.

 

미군은 포로 가운데 기술·전략적으로 중요 정보를 갖고 있다고 판단되는 포로는 미 캘리포니아주 트레이시(Tracy) 기지로 이송해 재심문했다.

 

당시 미 전쟁성이 194544일 트레이시 기지에 하달한 '조선인 포로들에 대한 특별 질문'(Special Questions for Korean PWs) 문건에는 당시 미군이 일제의 군 위안부 강제동원 사실을 이미 알고 있었음이 드러난다.

 

30개 문항 중 18번째 문항을 보면, 미군은 포로에게 '일반적으로 조선인들은 일본군이 위안부로 일하도록 조선 소녀들을 충원하는 것을 알고 있는가? 이 프로그램에 대한 보통의 조선인 태도는 어떠한가? 포로는 이 프로그램 때문에 발생한 어떤 소란이나 저항을 알고 있는가?'라는 질문을 조선인 포로에게 하게 돼 있다.

 

국편 관계자는 "30개 항목 중 군 위안부 관련 항목이 포함된 것은 미군이 이미 군 위안부 제도에 대해 상당한 정보를 축적하고 이 문제를 중요하게 취급했음을 뜻한다""조선인의 저항이 있었는지 물은 것은 대()일본군 심리전에서 조선인과 일본인 간 갈등을 활용할 수 있다고 봤기 때문"이라고 말했다.

 이 보도에서도 이번에 아사노 씨와 마이니치 신문발견했다는 자료 2의 미군에 의한 질문항목은 20152월에 국사편찬위원회와 서울대학교 인권센터에 의해 공표된 자료와 동일한 것임은 명백하다.

 

 물론 기출 자료를 이용하여 그 해석을 공표하는 것이 비난받을 만한 일은 아니다(당연한 것이다). 하지만, 이번 보도는 명백히 질문항목의 발견을 중요한 보도 가치의 하나로 제시하고 있다. 상당한 일도 아닌 한 기출 자료의 해석이 전국지 1면을 장식하는 일은 상상하기 힘들다. 자료의 발견이 이 기사의 가치를 뒷받침하고 있음은 명백하다.

 

 강성현 씨의 지적대로 아사노 씨와 마이니치 신문이 자료를 발견했다는 보도는 위의 한국의 자료조사와 공표 사실을 무시한 것이라고 할 수밖에 없다. 아사노 씨나 마이니치 신문20152월 한국 미디어의 보도를 몰랐던 것일까. 알고 있으면서 굳이 발견이라고 보도했다고 생각하고 싶지는 않지만, 설령 몰랐다 하더라도 자료 발견을 보도하기 위한 최소한의 입증 절차를 결여했다고 하지 않을 수 없으며, “연구 윤리와 보도 윤리를 의심받아도 어쩔 수 없을 것이다. 마이니치 신문사는 속히 사실관계를 확인하고 발견보도를 정정해야 하지 않을까.

 

*1 강성현 610일자 마이니치 신문기사에 대한 논평

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1156978337692100&id=100001398346271&pnref=story

 

*2 KBS와 연합 뉴스의 보도는 아래와 같다.

 

[단독] “버마 위안부는 모두 조선인일본군 심문입수KBS

http://m.news.naver.com/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=056&aid=0010135985

[취재후] 버마 전선의 위안부, “그들은 모두 조선인KBS

http://m.news.naver.com/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=056&aid=0010135977

"미군, 조선인 일본군 포로에 위안부 문제 물었다"聯合ニュース

http://m.news.naver.com/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=001&aid=0007435347

위안부 문제 관련 진술 담긴 미군의 포로심문 문건聯合ニュース

http://m.news.naver.com/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=001&aid=0007435353

위안부 문제 관련 문항 담긴 미군의 포로심문 문건聯合ニュース

http://m.news.naver.com/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=001&aid=0007435350

 

추기(6/12)

 

 강성현 씨는 앞의 논평의 속편을 자신의 facebook에 투고했다.

 

강성현 610일자 마이니치 신문기사에 대한 논평 (2)

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1157319550991312&id=100001398346271

강성현 610일자 마이니치 신문기사에 대한 논평 (3)

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1157352484321352&id=100001398346271

 

 논평 (2)에서 강 씨는 다음과 같이 지적했다.

 

무엇보다 자료를 새로 발굴했다고 공표하면서, 과연 그러한가 그 옆을 살피지 않는 것도, 결과적으로 의도했던 그렇지 않았던 간에 이런식으로 마이니치에 기사화한 것은 연구 윤리에서 책임질 부분이 있다고 보인다.

솔직히 말하면, 일본군 '위안부' 연구자로서 언론에 공표된 한국의 자료 조사 발굴 상황을 확인하지 않았다는 것은, 그가 연구자로서 불성실하다는 증거이거나 아니면 한국 정도는 보지 않는다이다. (혹은 만약 한국에서 조사 발굴된 것을 확인했음에도 불구하고 올해 3월 자신이 발굴했다고 말한 것이라면, 이는 더 심각한 문제이다. 그렇지 않았으리라 믿고 싶다.

 

(정영환)

 

원문: 米軍の朝鮮人捕虜尋問記録の「発見」?――『毎日新聞』6月10日付記事について