解決編 2 日本政府の見解 | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任

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解決編 | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任

 

2 日本政府の見解

-1 河野談話とは? 村山談話とは?

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談話を読み上げている河野洋平官房長官(1993年8月4日)

河野談話」とは、1993年8月4日に河野洋平官房長官(当時)が発表した「慰安婦関係調査結果に関する河野内閣官房長官談話」のことです。これまで、歴代内閣が継承してきた日本軍「慰安婦」問題についての日本政府の公式見解です。

 

河野談話」の意義

この談話では、重要なことをいくつか認めています。まず、日本軍「慰安婦」問題について、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」と認めたことが重要です。「軍の関与」という言葉を用い、責任の主体をややあいまいにしている問題もありますが、政府の責任は避けられないとしているのです。このため、元「慰安婦」の方々に「心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と謝罪したのです。

 

つぎに、強制の定義については、「本人たちの意思に反して行われた」こととし、「慰安所における生活は強制的な状況の下での痛ましいものであった」と、慰安所での強制を認めたことも重要です。

 

第3に、慰安所の設置・管理と「慰安婦」の移送についても、日本軍が「直接あるいは間接に」関与したことを認めています。

 

0614第4に、「慰安婦」の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当ったが、その場合も「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例」が数多くあり、「官憲等がこれに加担したこともあったことが明らかになった」と、業者による誘拐・略取などが数多くあり、軍・官憲の加担もあったと認めたことも重要です。

 

第5に、歴史研究・歴史教育に関して、「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい」とし、「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」と内外に宣言したことも重要です。

 

書映「慰安婦」バッシング河野談話」の問題点

問題があるとすれば、このような問題を起こした主体は、日本軍だったのか、慰安業者だったのかという問題をあいまいにしていることでしょう。慰安所の設置は軍が決定し、「慰安婦」の徴募も軍が決定してから開始されます。慰安所の建物、規則、食料など必要な施設や品々なども軍が用意します。軍が主役であることは明白なのですから、そのことをはっきりと認めるべきでしょう。

 

第2に、「慰安所における生活は強制的な状況の下での痛ましいものであった」ということを認めたのは当然ですが、もう一歩踏み込んで、日本軍「慰安婦」制度は性奴隷制度だったと認めるべきでしょう。

 

第3に、日本軍の責任を認め、謝罪するのであれば、被害者への補償を、民間の募金によるのではなく、日本政府が直接行う道を開くべきでしょう。

 

第4に、「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」と約束しておきながら、日本政府の責任を否定する発言に対して、政府が一度も反論しないのは大問題です。

また、河野談話の約束にもかかわらず、中学校の歴史教科書から「慰安婦」の記述がすべてなくなったのは、その約束が反故にされたことに等しいですね。約束したことはきちんと守るべきでしょう。

 

村山談話とは

なお、日本の敗戦50周年にあたる1995年8月15日には、「戦後50周年の終戦記念日にあたって」という村山富市内閣総理大臣談話(村山談話)が発表されました。これは閣議決定されたものですが、つぎのような歴史認識を表明しています。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛をあたえました。

「植民地支配」と「侵略」というふたつの過誤を認めたのです。そして、つぎのような反省と謝罪を述べています。

私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

この反省と謝罪の言葉はまっとうなものだと思います。歴代の内閣は、この村山談話を継承していますが、この談話が口先だけでなく、心から守られていけば、アジアと世界の平和と共存を保障する大きな力となるでしょう。

 


河野談話(「慰安婦」関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話)

1993年8月4日

いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般、その結果がまとまったので発表することとした。

今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

我々はこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

 

村山(カラー)_s村山談話(「戦後50周年の終戦記念日にあたって」)

1995年8月15日

 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

2-2 安倍政権と2007年の閣議決定

2007年閣議決定は「河野談話」を修正?

第1次安倍内閣は、日本軍「慰安婦」問題について、国会議員質問主意書に答える答弁書をいくつか閣議決定しています。その際、1993年の河野談話を否定ないし修正したかのような言説が一部に流されています。

 

たとえば、安倍晋三氏は2012年の自民党総裁選挙で、「安倍政権のときに「強制性はなかった」という閣議決定をしたが、多くの人は知らない。河野談話を修正したことを、もう一度確定する必要がある」と河野談話の見直しに言及したと報道されています(『朝日新聞』2012年9月16日)。

 

2007年の閣議決定とは

事実はどうでしょうか。安倍首相は、辻元清美衆議院議員の質問に対して、2007年3月16日に答弁書内閣衆質166第110号、下記資料を参照)を送付しています(内閣衆質166第110号)。この答弁書は、河野談話の発表までに「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と述べています。

「軍や官憲によるいわゆる強制連行」というのは、軍や官憲による暴行・脅迫を用いた連行(軍・官憲による略取)という意味ですが、そのことを「直接示すような記述」はなかった、といっているだけです。証言はなかったとはいっていません。慰安所における強制や、軍・官憲が選定した業者による略取・誘拐・人身売買についてもなかったとはいっていません。

また、この時までに政府が把握していなかった、軍・官憲による略取を「直接示すような記述」が数多くあることは、Q&Aを見てください。なお、河野談話発表の前年には、『朝日新聞』(1992年7月21日夕刊・同年8月30日朝刊)が、軍・官憲による略取を「直接示すような記述」があるスマラン事件の調査結果(→ Q&A 2-6「スマラン事件で日本軍は責任者を罰した?」へ飛ぶ)を公表しているので、なかったというのはおかしいですね。

 

河野談話」を継承した2007年の閣議決定

さらに、この答弁書では、河野談話について、「官房長官談話は、閣議決定はされていないが、歴代の内閣が継承しているものである」「政府の基本的立場は、官房長官談話を継承しているというものであり、その内容を閣議決定することは考えていない」と述べています。改めて閣議決定はしないけれども、河野談話は継承すると閣議決定されているのです。

2-3 国民基金

日本政府は、「慰安婦」問題に法的責任はないが、道義的責任は「女性のためのアジア平和国民基金」(1995年~2007年。略称はアジア女性基金ともいうが、以下では国民基金)で果したと主張しています。

以下、国民基金の内容、被害者・被害国政府、国連・国際社会がどう評価したかをみていきましょう。

 

女性のためのアジア平和国民基金」(国民基金) とは

2-3図式:国民基金の「償い」事業-11993年8月、日本政府は、「慰安婦」制度に関する事実認定と「お詫びと反省」を表明した「河野談話」を公表し、その気持ちの表し方を検討するとしました。その日本政府が1995年7月19日に「道義的責任」を果たす「償い事業」として官民合同で設立したのが、「補償に代わる措置」としての「女性のためのアジア平和国民基金」でした。理事長には原文兵衛(元参議院議長)、村山富市(元首相)が就任し、理事には和田春樹(東大教授)、大沼保昭(同)、赤松良子(元文部大臣)など著名人が名を連らねました。  

 

 その内容は、「慰安婦」制度被害者を対象に、①日本国民から集めた民間募金による「償い金」(200万円)、②「総理のお詫びの手紙」、③日本政府が国庫から出す医療・福祉支援事業(120~300万円)を被害者に実施するというものでした。

 

同基金によれば、日本国民から実際に集まった募金約5億6500万円(目標10億円)、政府資金による医療福祉支援金約7億5000万円ですが、これらに基づき、①②③を韓国・フィリピン・台湾の被害者285名に、生活状況を改善する医療福祉支援をオランダ79名に実施し(2002年終了)、インドネシアには高齢者福祉施設整備事業を行い、2007年3月に解散しました。

 

基金関係者「国民基金は失敗した」

 では、アジア各国の被害者は、国民基金をどう受け止めたのでしょうか。国民基金関係者によれば、フィリピンとオランダでは「被害者の大多数が基金の事業を受け入れ」ましたが、韓国と台湾では「基金の事業は被害者の過半によって拒否されたままに終わ」り、基金事業を受け取った被害者も「社会的な認知を得られないまま」だった、「(基金は)韓国と台湾においては和解にいたることに失敗した」と評価しました。

 

被害者が拒否した理由

では、韓国や台湾の被害者たちは、なぜ国民基金を拒否したのでしょうか。その大きな理由は、国民基金が「補償に替わる措置」であって「補償」ではないこと、つまり国民基金の「償い事業」では「国家責任が曖昧」であるというものです。

 

2−3画像2 姜一出

日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク「日本軍「慰安婦」被害者の声に応え今こそ立法解決を!~同時証言集会inおおさか2009~姜日出ハルモニ『死んでも私の恨(ハン)を解きたい』と訴える」http://www.ianfu-kansai-net.org/shougen_shukai2009.html

韓国の被害者・姜日出さんは、日本の証言集会(写真参照)で、「日本の政府は責任をちゃんと取らないで、国民のせいにしています。国民からお金を集めてそれを国民基金としてお金を渡すとか、それはおかしな話です。ある人はもらったり、もらわなかったりで、人々に亀裂がおきました。私はもらいませんでしたが。日本政府はなんでこんなことをしてしまったのでしょうか」と語りました。慰安所をつくったのは国家の組織であった旧日本軍だから国家が法的責任をとるべきなのに、国民からお金を集めて「償い金」として支給する国民基金のやり方は「おかしい」として、国民基金を拒否したのです。また受け取りをめぐって被害者どうしに亀裂や悲しみをもたらしました。

 

韓国政府、台湾政府も、国民基金を受け取りたくないという被害者の立場や意向を尊重して、被害者たちの生活を支える政策を取ってきました。

 

国連・国際社会の評価

国連や国際社会は国民基金をどう評価したのでしょうか。国連マクドゥーガル報告(1998年)は、被害女性への「法的賠償をするという日本政府の責任が、国民基金では果たされるわけではない」「国民基金の『償い金』支払いは、第二次大戦に起こった犯罪についての法的責任を認めたものではない」と国民基金を退けました。

国民基金解散後の2007年7月に、アメリカ下院本会議は日本政府への「慰安婦」謝罪決議を採択しましたが、国民基金に対し「公人及び民間人の努力と情熱」を認めつつも解決とはみなさず、「明解かつ曖昧さのない形で」の公式謝罪と歴史的責任を果たすことを求めました。同年11月のオランダ下院本会議、カナダ下院の各決議でも同様です。国民基金から被害者が支給を受けたオランダでも、個人補償の追加措置を求める決議を行いました。

同年12月のEU議会決議(27カ国)はさらに踏み込んで、日本政府に「歴史的、法的な責任」を果たすことを要請し、被害者・遺族への賠償を行うこと、個人が政府に賠償を求める権利を認めることを求めています。

このように、被害者たちも、被害国政府も、国連・国際社会も、国民基金を謝罪として不十分と認識して、被害者への明確な謝罪と法的賠償を求めています。

 

<<参考文献>>もっと詳しく知りたい場合は、以下がおススメです。

村山富市(理事長)「アジア女性基金解散記者会見における理事長発言要旨」(2007年3月6日)

ゲイ・マクドゥーガルVAWW-NET Japan訳『戦時性暴力をどう裁くか-国連マクドゥーガル報告全訳』凱風社、1998年

金富子・中野敏男編『歴史と責任』青弓社、2008年

和田春樹「日韓関係危機の中の慰安婦問題」『世界』2012年12月号

VAWW RAC編、西野瑠美子・金富子・小野沢あかね責任編集『「慰安婦」バッシングを越えてー「河野談話」と日本の責任』大月書店、2013 年