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解決編 3 アジア各国政府見解 | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任

Fight for Justice

Fight for Justiceサイトがアクセスできなくなる時があるため、バックアップ的に記載いたします。本サイトは下記です。

解決編 | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任

 

3 アジア各国政府見解

3-4 中国政府の対応

日本の敗戦から1990年代まで

1931年の満州事変から日本の敗戦までの15年に及ぶ日中戦争が終わった後、中国政府は日本軍による強かんや「慰安婦」犯罪を戦犯裁判で裁き、実際に明らかになった犯罪も少なからずありました。同時に詳細な戦争被害の実態調査を行いましたが、その訴えは賠償請求には生かされませんでした。性暴力被害は国家、民族、村落、家族の“恥”とみなす意識が残り、被害女性たちは沈黙を強いられました。

 

1990年代初頭、アジア各国で次々と「慰安婦」被害者が名乗り出るようになり、中国政府は1992年に万愛花さんが「戦後補償に関する国際公聴会」(東京)に参加することを許可しました。1995年から始まった山西省の被害女性たちによる日本政府への賠償請求訴訟も容認しましたが、この年に北京で開催された国連の世界女性会議には、被害女性や関係者の立ち入りを許しませんでした。天安門事件につながる民主化運動を警戒して、国際的なフェミニズムや人権運動を危険視していたのです。

 

中国政府を変えた 女性国際戦犯法廷と右派のバックラッシュ

中国政府に変化が見られるようになったのは、1998年から女性国際戦犯法廷(「法廷」)の準備が始まって以降です。「法廷」に向けて8人の検事団を結成し、2000年3月には上海で初の「慰安婦」問題国際シンポジウムが開かれました。2000年12月の「法廷」は大きく報道され、「慰安婦」問題への関心は高まりました。その後、各地で被害調査や慰安所跡の保存運動が行われるようになり、「慰安婦」資料館が上海や雲南に誕生。桂林や南京では新たな被害者の名乗り出もありました。こうして中国政府は、「慰安婦」問題を「戦争遺留問題」のひとつに挙げるようになったのです。

 

日本での右派によるバックラッシュが強まるようになると、中国政府は日本政府批判を強めました。2007年3月に当時の安倍晋三首相が「慰安婦」の強制連行を否定した時、李肇星外相は「歴史の事実を認めて責任を負うべきだ」と批判しました。

 

2010年3月、日本の最高裁判所海南島の被害女性による日本政府への謝罪と賠償を求める訴えを、「『日中共同声明』で中国人の個人賠償請求権は放棄された」という理由で棄却した時には、外交部(外務省)の秦剛報道官は、「『中日共同声明』は両国政府の間で結ばれた政治文書であり、日本の裁判所による一方的な解釈は無効だ」として、「日本は責任感を持って、中国の慰安婦賠償問題を適切に取り扱うべきだ」と述べています。

 

安倍首相が「村山談話」を見直す考えを表明したことについて、2013年1月の外交部の定例記者会見で華春瑩報道官は、「『村山談話』は日本政府が過去の植民地支配と侵略について、被害を受けたアジア各国の人々に示した厳粛な認識と承諾であり、各国が注目し、重視している。日本が歴史を鑑として未来に向かうという精神にのっとり、問題を適切に処理することを期待する」と述べました。

 

国連での発言

中国政府の「慰安婦」問題への態度は、国連での発言でも明確になってきました。すべての国連加盟国を対象に人権状況を審査する人権理事会の「普遍的審査」(UPR)に基づく対日作業部会が開かれた2012年10月31日、中国は日本軍性奴隷制(「慰安婦」問題)について、「日本は誠意ある対応を取っていない。過去の問題に責任ある対応を取り、被害者に補償すべきだ」と強く批判しました。中国が人権理事会でこの問題を指摘するのは異例のことでした。日本を対象にした作業部会は2008年に続き2回目ですが、前回はこの問題に言及はしても、直接的な表現は控えていたのです。

 

そして2013年3月14日には国連人権理事会で、日本政府が問題解決に向けて責任ある措置を取るよう求めた劉振民大使は、「日本は日本軍性奴隷制(『慰安婦』問題)を謝罪し、賠償すべきだ」との意見を述べました。

 

中国社会に広がる被害女性への理解と支援

中国政府による被害女性への直接的な支援はありませんが、女性たちが住んでいる山西省では2004年から、地方政府が最低生活保障を行ってきました。裁判の敗訴に怒った民間の慈善団体や篤志家の基金会による生活支援も始まりました。

 

2007年から、被害女性の裁判や医療支援をしてきた日本の市民団体や個人によって日本軍の性暴力パネル展の開催が提起されるようになると、2009年からは山西省武郷の八路軍紀念館(中国政府が指定する教育基地)が、2011年には北京・盧溝橋の中国人民抗日戦争紀念館(国家A級博物館)などでの開催が認められました。

 

これらのパネル展を観た中国の人々からは、性暴力の問題を「民族の恥」や「国恥」とせずに被害女性の勇気を称える声が高まってきており、自国の加害責任に向き合って被害者支援を行ってきた日本の市民への関心や共感、中国政府にこの問題への積極的な取り組みを求める声もあがっています。メディアやネットによる呼びかけで、高齢となった被害女性への支援カンパも行われるようになりました。この20年間で、中国政府と社会には確実な変化がみられるようになったのです。

テープカット

2009年11月、中国山西省・武郷の国立博物館八路軍紀念館」で初めて開催された日本軍性暴力パネル展の開幕式。ここでは1年半の開催期間中に18万人の来館者があった。