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日本の歴史教科書を非難するには…われわれの現実があまりにも恥ずかしい

韓国の教科書問題

Oh my News  徐ブウォン   2014.8.29

일본 역사교육 욕하기엔... 우리 현실이 너무 민망하다 - 오마이뉴스

 <連載:子どもたちは私の先生 20>国定教科書の推進は全体主義化の明らかな兆候

  夏休みが終わり、新学期を迎えた教室はひときわ騒がしい。授業の雰囲気も自習する様子も、浮かれているかのように慌ただしい。生徒それぞれに違いはあるが、例年の経験でみると、1週間ほどの適応期間が必要だ。このような時は、散漫な雰囲気を締めるのだとむやみに授業の進度を上げても、かえって逆効果しか生まない。夏休みに経験したことを自由に発表させることの方が、はるかに教育的である。

 大多数の生徒たちは、家と塾、読書室を「巡礼」する。リスがふるいの枠を回るような日常で、休みだと言っても特に変わりはないと言う。あえて探すとすれば、学校で過ごす時間が短くなり、その代わりに塾で過ごすということくらいだ。ある子は、これだったら「休み」という言葉をなくそうと言った。「勉強を休む」という意味がすでに無実化しているというのだ。

 そんな中、ある生徒が手をさっと挙げた。家族と一緒に海外旅行に行って来たと威張っている。修能(修学能力試験)を目前に控えた高校生とその家族が海外旅行に行くということは、われわれの教育の現実では極めて稀なことである。すぐに周りから「お前、大学あきらめたのか?」という言葉が聞かれるのが普通だが、その経験談を聞く同い年の生徒たちのほとんどが、その顔は羨ましさであふれている。

 

高校生が日本で見た衝撃的な3つの場面

 「両親と一緒に日本の長崎へ旅行に行ってきたのですが、驚いたことが3つありました。一つは、ひだの入ったスカートと白い靴下と黒の鞄など、同年輩の子たちの制服姿でした。もう一つは、今でも小さな古い電車がぎしぎしと音を立てて都心を走っていることです。過去と現在が道路の上で常に交錯している感じというか、とても不思議でした。

 それよりもっと衝撃的な経験は、そこで会った日本の学生たちが受けている歴史の授業の場面でした。ガイドの話では、遠く東京から来た学生の団体観光客で、広島と北九州などにある戦争の遺跡を巡っている途中だということでした。ところが、日本人の引率者が子どもたちに原爆による被害ばかりを説明するだけで、平和公園が作られた契機と当時の歴史など本当に教えなければいけない内容は言及さえしないと、ガイドが怒っていたのです。

 『世界で初めての原爆による最大の被害者が日本であるという事実を忘れるな』としか教えていないと、もうちょっとで言い争いが起きるところでした。それを見て、日本は後の世代に、公園の名前でさえ、平和の価値を強調することよりも、自分の国にとって耳触りの良い内容ばかり教えようとしているのだなあ、と思いました。実際、日本国民のほとんどは、自分たちが太平洋戦争の加害者ではなく被害者だと思っているとのことです。正しい歴史教育がどれほど重要かを、よその国に行って学んできたというわけです。」

 その言葉に、生徒たちは一様に、「××のような日本×ら」と怒りを爆発させた。私は平和を愛する良心的な日本人も少なくないと言ったのだが、生徒たちは逆に、日本の味方をするなと非難した。現政権になってますます最悪の段階に至っている韓日関係を解決しようとするなら、未来の世代の学生どうしの歴史と文化の交流が活発になることが根本的で唯一の代案であると、授業の度ごとにしつこく強調してきたが、このことさえも今すぐには容易ではないというあり様だ。

 生徒たちは、国家間の相互交流には正しい歴史教育が前提でなければならないと、口を揃えて言った。歴史的事実に対して歪曲された認識を持っていては、相互の出会いが増えれば増えるほど争いが激しくなるだけだ。言ってみれば、人体実験をした731部隊はおろか、数十万人を殺戮した南京大虐殺も知らず、帝国主義の侵略戦争を原爆でしか記憶していない彼らと、初めから何の対話が成り立つのかというわけだ。

 

ベトナム戦争の実情を知らない子どもたち…問題は教科書

 では、われわれの歴史教育はどうなのか。彼が長崎旅行で見た姿を反面教師とするためには、われわれの「下帯」も見ておくのが道理である。自らを戦争の最大の被害者と規定し、戦争犯罪人愛国者であるかのように持ち上げて追慕する彼らの厚顔さを罵る前に、われわれの歴史の中で彼らと「似ている点」を見つけて省察することがまず大切だ。他人を批判しようとするなら、われわれ自らが堂々としているべきではないだろうか。

 程度の差はあれども、どの国も歴史記述は自国中心主義的な性格を帯びざるを得ない。歴史的事実を多様な観点から見て解釈することが歴史学の核心であるとしても、誰かの言葉のように、「歴史には国境がなくても、歴史学者には祖国がある」ためだ。言わば、多分に扇動的な言辞である「自虐史観」は、純粋な意味では決して存在し得ないものなのだ。

 一例として、ベトナム戦争への派兵について、わが国の歴史教科書の記述を見てみよう。周知のとおり、わずか半世紀前に起きた事件で、国内外の史料の量が膨大なだけではなく、関連する証言も数多く残されており、このことを記録するのに問題となるものはほとんどない。しかし、驚くことに、聞いたことはあると言いながら、ベトナム戦争の実情を正しく知っている生徒はほとんどいなかった。

 再言するまでもなく、歴史教科書の記述がとても貧弱なためである。修能でほとんど出題されない部分であるうえ、まるで付録のように教科書のいちばん最後の単元に書かれていて、授業でまったく取り上げられないまま終わるのが常である。以下は、ある高校の韓国語教科書に掲載されたわが国に関連するベトナム戦争の記述内容である。他のところはよく知らないが、8種類の別の教科書も大同小異だろう。

 

 「朴正熙政権は、米国の要請でベトナムに戦闘部隊を派兵し、国軍の戦力増強と経済開発に必要な技術および借款の提供を約束された。ベトナム戦争への参戦によってわが国の将兵が多数犠牲になったが、これによって建設業界の海外進出と人力の輸出などが活発になり、経済成長に大きな助けとなった。

 

 市中の百科事典とインターネットのポータルサイトの記述も特に変わりはない。「米国の要請によるわが国のベトナムへの戦闘部隊の派兵は、軍事および経済開発と関連した措置であり、わが国の軍隊の現代化と経済発展に大きな影響をもたらした。」そのどこでも「主語」はすべて「わが国」であり、結論は伝家の宝刀のように「経済成長」である。

 われわれのせいで莫大な人命と財産の被害を被ったベトナムに対する謝罪と反省さえ感じられない。歴史的にベトナムは、われわれにいかなる被害も与えたことがなく、交流を通じて、よくある利権争いさえしてこなかった国だ。ただ「友邦国の米国の要請と外貨稼ぎの目的」という理由以外には、どんな説明もできない恥ずかしい「加害」の歴史だった。

 

恥ずかしい歴史も結局はわれわれの歴史である

 誇らしい歴史もわれわれの歴史であり、恥ずかしい歴史もわれわれの歴史である。「平和を愛する白衣民族」という顔から火が出るような「クリーシェ」(Clicher)のために、必死になって知らんふりをしている歴史は、ベトナムだけなのだろうか。隠して隠してそのまま覆われてしまおうかというものでも、国家が率先して記憶して省察し、被害者に許しを求める姿勢を見せる時、それはもはや恥ずべき歴史ではなく、誇らしい歴史なのである。

 それにもかかわらず、政府は突拍子もなく、またもや国定教科書推進のカードを切った。昨年、教学社の教科書採択が勃発した後に予想された手順であり、それほど驚くべきことではないが、セウォル号特別法の制定問題によって政局の混迷と社会的葛藤が頂点に達した中で飛び出したものだけに、その正当性が疑わしい。ニューライトの教科書の勃発に伴う嫌がらせという話から全教組に対する不信の表れという解釈に至るまで、意見が乱れ飛んでいる。

 しかし、歴史教育に対する政府の国定教科書の推進案は、国際的な物議を醸している最近の日本政府の姿と特段変わるところがない。各国の極右勢力は、互いに悪口を言い合いながら似通っていくものだと言うが、両国の政府は、歴史教育に関してまるで約束でもしたのかのように、まったく同じ手続きを踏んでいる。保守政権が成立するや待ってましたとばかりに「自虐史観」が勢いづくという点からしてそっくりだ。

 日本の場合、数年前に扶桑社版の教科書の採択が微々たるものであると、政権を取った右翼勢力が次善策として、教科書の執筆基準となる「学習指導要領」と「検定基準」を強化した。歴史教科書の内容を政権の統制下に置こうという発想である。慰安婦問題などに無責任な姿勢で一貫し、あらゆる手段と方法を動員して平和憲法を修正しようとする動きも同じ脈絡なのだ。

 

教科書の記述に政府が介入?日本と同じではないのか

 わが国はどうか。数年前に出版された「代案教科書」が特に注目を浴びられないと、ニューライトは、教学社の教科書執筆陣に大挙して押しかけた。しかし、教学社の教科書が「内容不足」という辱めを受け、採択する学校がほとんどないとなると、突然、政府が韓国史の編纂組織を立ち上げると表明するに至る。歴史教科書の記述に政府が直接介入するという意味だ。日本政府と全く同じではないか。

 それでも足りず、政府は完全に国定教科書の体制に変えるというから、日本の中の極右勢力より「一枚上手」だと言わなければならない。歴史認識に関する限り、朴槿恵<パク・クネ>政権と安倍政権は「敵対的同志」の関係だという世間の評価は、さほど見当違いでもないようだ。ファシズム的社会は、画一的な国家主義的歴史教育に基盤を置いている。政府の唐突な国定教科書推進の方針が、われわれの社会が全体主義へと向かっていく明らかな兆候だと見なされる理由である。

 数十年前にすでに破棄された国定教科書体制への回帰について、日本に家族旅行をした彼は、このように言った。

 「すべての学生が歴史を国定教科書でしか学べないとしたら、長崎の平和公園で会った偏った見方の日本の学生たちと少しも変わる所がないでしょう。まさか政府の対策というのは、『目には目、歯には葉』ということですか?」