極右高校生はどのようにして誕生するか

극우 고등학생은 어떻게 탄생하는가 : 한겨레

ハンギョレ新聞 チョン・インソン記者 2015.2.19

受能の選択比率5.2%の選択科目「法と政治」ドイツ・フランスは必修科目…

抽象的な韓国の教科書に比べ 諸外国は直接的な活動と論争が中心

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韓国の「法と政治」の教科書(左)が抽象的な概念の説明に趣旨しているのとは違って、ドイツ(中)とフランス(右)の教科書は、現実に合う資料で成り立っている。ドイツの教科書は、授業時間に政党を作って選挙戦をやってみることができるようになっており、フランスの教科書は、フランスに実際に存在する様々な労働組合の歴史と性向、会員数まで詳しく説明している。

 

 権威主義は、政治的無関心を食べて育つ。政治的無関心は、一晩で韓国社会に根を下ろしたのではない。私たちは、「正しい生活」「道徳」「倫理」など、国民としての徳性と義務を強調した科目に慣れている。一方で、市民としてどのような権利をどう行使できるかについての教育は、相対的に不足している。このことは、政治に関心を持たない市民の責任を全面的に問いにくくする理由だ。<ハンギョレ21>は、韓国の学校、特に高校生が政治を理解するのに十分な教育がなされているのか、調べてみた。

 

 「最近、政治に関心を持つ子どもたちは、大きく2つに分類されます。(親の影響で)進歩的な考えを持つ子がいるかと思えば、「日刊ベスト」のような極右サイトで見た過激な言葉を使う子がいます。考えが異なる子どもたちが授業時間に討論を共にできないため、その状態が続いているのです」(元高校教師)

  政治は、葛藤を公論の場で解決していく過程である。葛藤が生じる度に暴力的に闘うことはできないから、社会制度を通じて差異を縮める。しかし、私たちの政治は、葛藤を制度的に解決していく通路と言うよりは戦場に近い、と批判されている。政治に失望した人々は、勝手気ままに他人に向かってヘイトスピーチをしたり、自家製爆弾を投げつけるなど、過激な方法で意見を表明する。<ハンギョレ21>が会ったある元教師は、子どもたちも例外ではないと言う。

 

  作ってみよう、「1週間に授業は1日だけ党」

  現在、高校における政治教育は、「社会」「生活と倫理」などの科目の一部の単元と、「法と政治」科目で行われている。1987年の民主化運動以後、高校の教育課程に「政治」科目が独立的に作られたが、2009年の教育課程で「政治」科目と「法と社会」科目が「法と政治」科目に統合された。学習の負担を減らすために選択科目を縮小し、政治関連の内容の比重も減らしたのだ。すべての学生が選択科目の「法と政治」を学習するわけではない。2015年度の大学修学能力試験(受能)の受験生のうち「法と政治」を選択した学生は約5.2%(約59万人中3万1056人)だった。ある教師は、「理系の学生の場合、1年の「社会」を最後に、一生、政治や法に対して学ぶことはない」と語った。

 それでは、「法と政治」を受講する学生は、政治の効用を実感できているのだろうか。そうではない。高校教育が入試中心でびっしりと組まれているためだ。ソウルのある高校で「法と政治」を担当する張某氏(50)は、「私も『生活のすべてのことを決定するものが政治』だと強調する。しかし、子どもたちに今すぐ重要なことが受能の点数であるため、授業を進めるので精一杯だ」と語る。彼は、「教育が子どもたちを政治から遠ざけているのではないかとも思う」と付け加えた。

 他の国々では、早くから政治教育の重要性を認識していた。第2次世界大戦後、全体主義に対する批判意識が高まったドイツでは、1952年に連邦政治教育院を設立し、国民の政治教育を担当させている。また、小・中等のすべての教育課程で「政治教育」を設置している。フランスは、1998年に「市民教育」を中学校の必修科目に指定している。イギリスも2002年から「市民教育」が中学校の必修科目になっている。

 韓国との違いは、教科書の内容に大きく現れる。<ハンギョレ21>の取材の結果、韓国の「法と政治」の教科書の相当部分は、抽象的な概念の説明で埋められていた。政党の役割と機能を記述しながらも、韓国の政党の種類と歴史、各政党の理念と議席数などは説明されていない。一方、フランスやドイツなどの教科書は、新聞記事と写真などの資料に満ちている。フランスの中学4年の「市民教育」の教科書は、政治参与と政党に関する内容の単元で、フランスの各政党の歴史と理念、綱領、議席の現況を示している。ドイツの中学校の「実際の政治2」の教科書の選挙を扱う単元は、「1週間に授業は1日だけ党」「動物保護者党」など架空の政党と選挙戦を展開して選挙を行う活動を、授業時間に経験することができる。選挙制度などの概念の説明は、各単元の最後に簡単に扱っている。 

 

「統合に役立つか、葛藤の費用を減らすのか」

  京畿道ウィワンのモラク高の教師である金ウォンテ氏(57)は、「フランス、ドイツなどの教科書は、わが国のように誰かが『社会とはこんなものだ』と決めてくれはしない。学生たちが現実を目で確認して自ら概念を構成するようになっている」と語った。4年前まで高校で政治を教えていた朴某氏(38)も、「学生たちに『利益集団というものがある』とだけ言うのと、自動車整備士になりたいと言う子に『君が加入して活動できる利益集団が何か、一度調べてみなさい』と言うのは、同じではない」と語った。

 政治を正しく理解するのに適切でない記述も、国内の教科書の様々なテーマで発見された。特に、選挙制度や政党体制の長短を記述して、『(国家的)統合に役立つか』と『(社会の葛藤の費用を含む)費用を減らすことができるか』という2つの価値を主な基準にするものが目につく。民主主義は必然的に葛藤を伴い、これを制度的に解消する過程で一定の時間と費用を必要とするのだということを見過ごしたテーマのように見える。無条件な統合を強調する権威主義の時代の影が、教科書に残っている。

 「公益」の意味についての説明なしに「政党は、政治権力の獲得という目標を公開的に掲げ、公益を図ることによって国民の支持を得る」と書き、特定の階層の利益を代弁する政党を否定的に認識させる部分もあった。利益集団についても、「各集団の特殊利益を達成しようとする利益集団の活動が度を過ぎると、公益と衝突することがある」と書いてあった(天才教育<法と政治>教科書p.76)。朴サンフン・フマニタス代表は、「民主主義において『多数』とは、単一の多数ではなく、『少数たちの総合』である。政党と利益集団が追及する部分的利益を『集団利己主義』と決めつけ、『国家全体の利益』(公益)だけを言い始めれば、多様な階層的な差異を国家政策に反映できなくなる」と指摘した。

  巨大両政党が権力を独占する現在の政党体制を擁護する記述もあった。二大政党制国家では「事実上、二つの主要政党が政局を主導するために政局が比較的安定して運営」されると説明する一方で、多党制の国家では「どの政党も単独で優位を占められないと、小政党が乱立して政局が不安定になる恐れがあり、政治的責任の所在が不透明になり得るという短所がある」と説明している(<法と政治>p.60)。崔テウク翰林大教授は、「多党制の国家のうち、政局不安の問題を経験した国はほとんどない。むしろ、政権が交代する度に国家の政策の基調が急激に変るのが二大政党制の短所だ」と指摘している。このような教科書を通して政治を学んだ学生たちは、既存の巨大両党を中心とする政党体制に問題意識を持つことが困難だということである。

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政治を通して葛藤をコントロールできることを、生活の中でも学校教育でも経験したことがない市民は、政治に関心を捨ててしまったり過激な方法で意見を表明する。昨年12月10日、いわゆる「従北」人士を懲らしめるとして、トークコンサート場に乱入して手製爆弾を投げつけた高校生が代表的な例だ。

 

 ドイツ「論争的学問は授業も論争的に」

  政党組織を強化するために不可欠な政党の公選権行使を否定的に見るテーマもあった。教科書は、比例代表制について「わが国のように、比例代表候補を有権者ではなく政党が定めるようになると、国民の意思がそのまま反映されなくなるばかりでなく、候補者の選定過程で不正腐敗が発生する可能性もある」と説明している(<法と政治>p.67)。これについて崔テウク教授は、「比例代表制の目的は、代議民主主義の核心主体である政党に(選択を)委ねるものだ。各政党の理念と政策を最もよく具現化する候補者を各政党が調べて選ぶことも、これに該当する」と語った。

 政治学界が重要な研究テーマとしている経済政策、経済発展、国家―企業の関係、労働、地域統合などのテーマを教科書がまったく言及しないという問題もある。ドイツが1976年にボイテルスバッハ・コンセンサス(※1)を通して「学問と政治の領域で論争的なものは、授業でも論争的に提示しなければならない」と明示したことと対照的である。蔡ジンウォン・慶煕大フマニタスカレッジ教授は、「戦後ドイツでは、『全体主義はダメだ』という政治圏の超党的な合意があった。一方、韓国では、権威主義に対する反感が葛藤を回避する雰囲気へとつながっていった。教育にもこの差が反映している」と説明している。

 韓国にも変化の動きはある。京畿道教育庁(※2)は、一部の現職教師とともに「ともに生きる民主市民」という名の「認定教科書」を開発・発行した。この教科書は、兵役拒否、原子力発電、労働市場の流動化などの論争的懸案に対する賛反の立場を提示する資料からなっている。京畿道の一部の学校は、別途に時間を編成したり、社会、道徳、生活と倫理、韓国史、法と政治などの授業の中途にこの教科書を活用している。 

 民主市民教育が今よりも体系的に行われるための法案と条例の必要性は、1990年代の後半から台頭した。しかし、関連法案が国会に発議されても、政治圏の無関心の中で、毎回自動廃案になった。李オンジュ・新政治民主連合議員は、去る1月23日、民主市民教育支援法案を発議した。学生だけではなく、すべての年代の国民が民主市民としての役割を忠実に果たすことができるよう、民主市民教育の独立機構を作ることが、法案の主な内容だ。ソウル市は、昨年、「民主市民教育に関する条例」を公布し、京畿道も条例公布のための議論を進めている。 

 

政治教育は「人性+市民性」

  いまだ課題は残されている。政治教育において「人性教育」を中心とする保守陣営と「市民性教育」を強調する進歩陣営の間の意見の違いは、簡単には狭まっていない。蔡ジンウォン教授は、二つの間のバランスを強調する。「セウォル号事件一つをとってみても、原因を社会構造に求めることもでき、(船長たちの)人間性に求めることもできる。結局、政治教育は、(人性教育と市民性教育が)ともに扱われなければならない」と語った。

 

参考文献:

・「主な外国の学校市民教育の内容研究―米国・英国・フランス・ドイツ・スウェーデンを中心に」、金ウォンテ他、民主化運動記念事業会、2006年

・「高校の政治教育の知識と教育内容の関係に関する研究―韓国政治学界報と政治教科書の比較を中心に」、チョン・ヘオン、仁荷大学、2014年

・「民主市民教育の活性化と方案の研究」、カン・ヨンヘ他、韓国教育開発院、2011年

 

 ※1:ドイツで政治教育をめぐる保革の対立が激しかった1976 年に、バーデン・ヴュルテンベルク州の政治教育センターが呼びかけた政治教育学者の会議で合意された政治教育に関する3原則。

1.圧倒の禁⽌。いかなる⽅法によっても、⽣徒を期待される⾒解をもって圧倒し、

⾃らの判断の獲得を妨害することがあってはならない。

2.学問と政治において議論のあることについては、授業においても議論のあるも

のとして扱わなければならない。

3.⽣徒は、政治的状況と⾃らの利害関係を分析し、⾃分の利害に基づいて所与の

政治的状況に影響を与える⼿段と⽅法を追求できるようにならなければならない。

 

※2:京畿道は、2010年の教育長選挙で「進歩派教育長」が当選し、体罰や頭髪規定の全面禁止など生徒の人権保障、受験競争中心から人間教育中心への教育改革、無償給食の提供などに取り組んでいる。この「進歩派教育長」は、2014年の選挙で全国14の自治体に広がった。