『帝国の慰安婦』書籍の出版等禁止及び接近禁止の仮処分決定

 ソウル東部地方裁判所が2015年2月17日、『帝国の慰安婦』が被害者の名誉を毀損しているとして出版停止と接近禁止を求めた裁判において、「著書内容のうち34カ所を削除しなければ出版、販売、配布、広告などをできない」と一部訴えを認めた仮処分決定を下しました。その決定文を以下に記します。
 
目次(Webページ用)
 
ソウル東部地方裁判所 第21民事部 決定
事件:2014カハプ10095、本の出版など禁止と接近禁止の仮処分
原告:1.イ・オクソン 2.キム・グンジャ 3.キム・スンオク 4.ユ・フイナム 5.カン・イルチュル 6.チョン・ボッス 7.バク・オクソン 8.キム・ウェハン 9.キム・ジョンブン 
原告訴訟代理人:法務法人 弁護士 ヤン・スンボン、ホン・ジャンミ
訴訟代理人法務法人 チヒャン 弁護士 イ・サンヒ、バク・ガプジュ、キム・スジョン、ジョン・ヨンスン、ベク・スンホン
訴訟代理人法務法人 ヘマル 弁護士 キム・ジングク、ジャン・ワ二ク
訴訟代理人法務法人 ソミョン 弁護士 チョン・ジェフン、パク·ミンジョン
被告:1. パク・ユハ、2. チョン・ジョンジュ
被告訴訟代理人弁護士:キム・グァンギ
 
主文
1. 被告は、別紙1「図書目録」に記載の本の別紙2「引用目録」の下線部分を削除しなければ、書籍を出版、発行、印刷、複製、販売、配布、および広告をしてはならない。
2. 原告の残りの申請を棄却する。
3. 訴訟費用のうち1/10は原告が、残りは被告が各負担する。
 
申請趣旨
[主位的申請趣旨]
1. 被告は、別紙1「図書目録」に記載の本(以下、「この事件の本」とする)の出版、発行、印刷、複製、販売、配布、広告をしてはならないし、
2. 被告・朴裕河は、原告と原告以外の日本軍慰安婦被害者に接近および取材をしてはならない。
 
 理由
1.基礎事実
 記録および質問全体の趣旨を総合すると、次のような事実が証明される。
 a) 原告は、1932年頃から1945年頃まで、中国、東南アジアなどに設置され、日本軍慰安所で日本軍兵士などのために強制的に性行為を強要された人々であり、被告・朴裕河はこの事件の本の著者であり、被告チョン・ジョンジュは自身が運営する書籍出版社「プリワイパリ」を使用して2013年8月12日、この事件の本を出版した。
 b) この事件の書籍には、別紙3「申請リスト」に記載のような内容が含まれている。

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2. 当事者の主張
 a. 原告らの主張要旨
 ①被告は、この事件の本で日本軍慰安婦は募集に応じて自主的に性を提供した売春をしたなど、日本軍慰安婦を日本軍の「同志」であり、戦争の「協力者」と表現し、日本軍による慰安婦強制動員の事実を否定して、日本軍慰安婦たちに対して日本国が直接の法的責任を負わないと主張するなど、公然と虚偽事実を記載して原告の名誉を毀損し人格権を侵害しており、②被告・朴裕河は原告をはじめとする日本軍「慰安婦」被害者に継続的に接近して、意図した質問への回答を聴取した後、これを恣意的に解釈して、自分の主張を裏付けるため、上記根拠として歪曲して使用する蓋然性があるので、回復が困難な損害を防止するため申請旨記載のような仮処分を求める。
b. 被告らの主張要旨
 1)この事件の本の出版、配布などの禁止を求める部分について
 a) 表現の自由の制限は厳しい要件の下で限定的に認められるが、この事件の書籍は学術書として表現の自由および調査の自由の領域に属するため、原則的に公開禁止などの事前抑制がされてはならず、この事件の本は被告・朴裕河の学術的な意見を含んでいて、原告が問題視する表現は事実の歪曲に該当しない。
 b) 日本軍慰安婦は、少なくとも数万人に達し、個々の被害の程度が同じでないので、この事件の本のために原告一人一人の名誉が毀損されない。
 c) たとえこの事件の書籍の内容が原告の名誉を毀損したとしても、被告は、日本軍慰安婦問題の解決策を提示するために、この事件の書籍を執筆・出版したのであり、その内容が事実であり、その目的はもっぱら公共の利益のために該当し違法性はない。
 2)接近および取材禁止を求める部分について
 被告・朴裕河は原告の意思に反して原告に接近した事はなく、原告以外にも接近禁止を求める対象となる日本軍「慰安婦」被害者が特定されないため、原告が他人への接近禁止を求める権限はない。

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3. この事件の本の出版禁止などを求める部分に関する判断(被告らに対し)
 a. 関連法理
 1)名誉は生命、身体と一緒に非常に大きい保護法益であり、人格権としての名誉権は
所有権の場合と同様に、排他性を持つ権利とするので、人の品性、徳行、評判、信用などの人格的価値について社会から受ける客観的な評価である名誉を違法に侵害された者は、損害賠償または名誉回復のための処分を求めることができる以外に、人格権として名誉権に基づいて、加害者に対して、現在行われている侵害行為を排除するか、または将来に起こる侵害を予防するために侵害行為の禁止を求めることもできる。
 ただし、表現行為に対する事前抑制は、表現の自由を保障し、点検を禁止する憲法第21条第2項の趣旨に照らして厳格かつ明確な要件を備えた場合にのみ許可されるため、出版物の発行・販売等の禁止は、上記のような表現行為に対する事前抑制に該当するため、原則として許されないだろうが、但しそのような場合にも、その表現内容が真実ではないか、それが公共の利害に関する事項として、その目的がもっぱら公共の利益のためのものではなく、また被害者に大きく顕著に回復しがたい損害を与える恐れがある場合には、そのような表現行為は、その価値が被害者の名誉を優越しないことが明らかであり、またそれに対する有効な適切な救済手段として禁止の必要性も認められるので、これらの実体的な要件を備えたときに限り、例外的に事前禁止が許容される(最高裁判所2005.1.17 チャ2003マ1477 決定などを参照)。
 一方、表現行為の事前の禁止は、上記のように例外的に厳しい要件の下認められなければならないという点では、上記各要件の証明の責任は、被害者だと主張する原告にあるのが相当である(最高裁の2005.1.17 チャ2003マ1477 決定、最高裁判所2013年3 28.宣告 2010タ60950 判決などを参照)。
 2)学問の研究は、既存の思想と価値について疑問を提起して批判を行うことで、これを改善したり、新しいものを創出しようとする努力であるため、その研究の資料が社会で現在受け入れられている既存の思想や価値体系と矛盾したり、抵触するとしても、容認されなければならない(最高裁判所2007.5.11 31.宣告2004も254判決などを参照)。また、良心の自由、言論、出版の自由、学問の自由などは、私たちの憲法が保障する基本的な権利であるが、全ての制限がないわけではなく、憲法第37条第2項により国家の安全
保証、秩序維持または公共福利のために必要な場合には、その自由と権利の本質的な
内容を侵害しない範囲内で制限することができるものであり(最高裁判所2010.12.9。
宣告2007ト10121判決などを参照)、人格権としての個人や団体の名誉保護という法益と、学問の自由の保障という法益が衝突した時にその調整をどのようにするかは、
具体的な場合の社会的な様々な利益を比較して、学問の自由より得られる利益、価値と人格権の保護によって達成される価値を比較衡量し、その規制の幅と方法を定義しなければならないものであり、公的な関心事である歴史的な事実に関する表現に対しては、被害者の名誉に劣らず、歴史的事実の探求や表現の自由も保護されるべきであり、また真実かどうかを確認することができる客観的資料にも限界があり、真実かどうかを確認することが容易ではない点も考慮しなければならない(最高裁判所1998 2. 27.宣告97タ19038判決などを参照)。
 3)他人の名誉毀損は事実を指摘する方法で行われることもあり、意見を表明する方法で行われることもあるが、ある意見の表現が、その前提として、事実を直接的に表現した場合はもちろん間接で迂回的な方法によっても、その表現の全趣旨に照らしてどのような事実の存在を暗示し、またこれにより、特定の人の社会的価値ないし評価を侵害する可能性がある場合は名誉毀損になるだろう(最高裁判所2002年1 22.宣告2000だ37524判決などを参照)。そして、ここである表現が事実を指摘するのか、それともただ単純に意見や論評を表明するのか、または意見や論評を表明するものであればそれと同時に、黙示的であってもその前提となる事実を指摘しているのかそうであるかの区別は、当該表現の客観的な内容と併せて、一般人が普通の注意でその表現に接する方法を前提に、そこに使用された語彙の通常の意味、全体的な流れ、文の接続方式などを基準に判断しなければならず、さらに当該表現が掲載されるより広い文脈や背景となる社会的流れなども一緒に考慮しなければならない(最高裁判所1999.2.9.宣告98タ31356判決、最高裁判所2008.1. 24.宣告2005タ58823判決などを参照)。

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b. 日本軍慰安婦の「性奴隷」であり「被害者」としての地位
 1)疎明事実
 記録および質問全体の趣旨を総合すると、次のような事実が疎明される。
 a) 日本軍は1932年上海事変当時、日本軍兵士によりレイプ事件を頻繁に起こしながら、地元の人々の反発や性感染症などの問題を招くと、その防止策として、いわゆる「慰安所」を設置し「慰安婦」を置き始めて、1937年 7月から日中戦争で兵力を中国に多数送りながら占領地に軍慰安所を設置し、1937年12月の南京大虐殺の後、その数が増加した。日本軍は、1941年からアジア太平洋戦争中、東南アジア、太平洋地域の占領地域でも軍慰安所を設置した。日本軍慰安婦の数は8万人から10万人、または20万人程度と推定されており、そのうちの80%は朝鮮女性であり、残りはフィリピン、中国、台湾、オランダなどの女性たちである。
 b)1992年1月、日本の防衛庁防衛研究所図書館で日本軍が日本軍慰安婦徴集に直接関与した関係公文書が発見され、被害者が出現することにより、日本国政府は真相調査に着手した。 1993年 8月 4日、日本国政府は、慰安所の設置、管理、および日本軍慰安婦の移送について、日本軍が直接あるいは間接的に関与しており、日本軍慰安婦の募集について軍の要請を受けた業者が主としてこれを担当したが、その場合にも、甘言や強圧等により本人の意思に反して募集された事例が多数あり、さらに官憲などが直接加担した場合もあり、慰安所での生活は、強制的な状態の下での悲惨なものであったことを認め、問題の本質が重大な人権侵害であったことを承認し、謝罪する内容の河野洋平官房長官の談話を発表した。
 c)国連人権小委員会は、日本軍慰安婦問題についての継続的な研究活動を行ってきたが、国連人権委員会の決議1994/45に基づき、1994年3月4日「女性のための暴力特別報告者」に任命されたラディカ・クマラスワミ(Radhica Coomaraswamy)が1996年1月 4日に作成した報告書では、第二次世界大戦時に日本軍が慰安所制度を設置したのは国際法違反として、日本国政府が法的責任を負うという点を確認して、国家次元の損害賠償、保管中の関連資料の公開、書面による公式謝罪、教科書改訂、責任者の処罰などを勧告する6項の勧告を提示し、1996年4 19.第52回国連人権委員会では、上記報告書の採択決議があった。
 また、1998年8月12日の国連人権小委員会では、ゲイ·マクドゥーガル(Gay J. McDougall)特別報告官の報告書が採択されたが、上記の報告書では「強姦センター(rape center, rape camp)」とみなせる慰安所で強制的に性的奴隷状態に陥らせた日本軍慰安婦に対して日本国政府の法的賠償責任を認め、慰安所設置に責任がある者の処罰の問題と日本国政府の賠償が迅速に行われるべきという点が強調された。
 一方、国連人権理事会は、2008年6月12日、日本軍慰安婦問題について、各国の勧告と質疑を盛り込んだ作業部会報告書を正式に採用しており、国連B規約人権委員会は、2008年10月 30日ジュネーブで日本国の人権に関する審査報告書を発表し、日本国政府に対して日本軍慰安婦問題の法的責任を認めて被害者が受容できる形で謝罪することを勧告した。
 d)韓国の憲法裁判所は、日本軍慰安婦が日本国と日本軍によって強制的に動員され、その監視の下、日本軍の「性奴隷」を強要された反人道的犯罪行為に対して日本国に持つ賠償請求権は、憲法上の財産権問題に限定されず、根本的な人間としての尊厳と価値の侵害と直接関連しており、このような賠償請求権が「大韓民国と日本国との間の財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する協定」に消滅されたかどうかについての両国間の解釈上の紛争を、上記の協定が定めた手順に従って解決せずにいる大韓民国政府の不作為は、上記被害者の大きい憲法上の基本権を侵害しており、違憲であると判断した(憲法裁判所2011. 8. 30.宣告2006ホンマ788決定)。
 e)原告は、日帝によって強制的に動員され、性的虐待を受けて慰安婦としての生活を余儀なくされた被害者(日帝下、日本軍慰安婦被害者の生活安定支援と記念事業等に関する法律第2条第1号)としての地位を認められ、政府に「日本軍慰安婦被害者の生活安定支援対象者」として登録された人々であり、慰安婦に動員された時の状況と、慰安所での生活について、次のように述べている。
 (1)原告イ・オクソンは「15歳だった1942年7月頃、朝鮮人男2人が「つべこべ言わずついて来い」と口を覆われ、トラックに乗せられ拉致されて、中国延吉の日本軍部隊内の兵舎で強姦された。平日の少ない時は1〜2人、通常10人程度を、週末には30〜40人の軍人を受けた。慰安婦たちが言うことを聞かなければ所有者は、軍人(MP)を呼んで暴行し、着るものも食べるも惨めな水準で、兵士たちがご飯を残せば慰安婦たちはそれを食べ、兵士がそれさえも残さなければ飢えた。」と述べている。
 (2)原告パク・オクソンは「18歳だった1941年の工場に就職させてくれるという言葉に軍隊テントが被せられた列車に乗って中国に行くされた、列車を降りた後は軍隊の車に乗って日本軍部隊とはちょっと離れたところに位置する慰安所で一日に10〜15人以上の日本軍人を相手にし、軍人病院で身体検査を受けた。洗濯をしにいく時も兵士たちが監視した。」と述べている。
 (3)原告カン・イルチュルは「16歳だった1943年秋頃、報国隊を選抜する日本巡査に強制的に連れて行かれ、故郷サンジュから中国瀋陽を経て牡丹まで拘束され、牡丹に降り軍隊車に乗って、軍部隊の中で軍医から婦人科検査を受けた。病気の時も軍人を相手にしなければならなかった。腸チフスを患うと、兵士たちは私を乗せて殺そうと山に連れて行ったこともあった。」と述べている。
 (4)原告キム・クンジャは「17歳だった1942年、軍服を着た男から中国琿春に強制的に連行された。多くは一日に40人程度の兵士を相手にして、毎週金曜日に軍医が性病検査などをした。生理の時も休まず、兵士たちがたくさん来る日に40人を相手した。日本語を聞き取れず、日本軍将校に殴られて鼓膜が破れた。」と述べている。
 (5)原告キム・スンオクは「20歳だった1942年頃、工場に行けばお金を稼ぐことができるというある朝鮮人の言葉にどこに行くかも知らないまま、中国牡丹江に行った。逃げたら捕まり殺されるため、逃げようと考えられなかったし、一緒にいた慰安婦の中には自殺した女もいる。」と述べている。
 2)判断
 日本軍慰安婦の「強制動員」に関連しては、上で見たように、日本軍の直接的な暴力、拉致などにより、10代半ばから後半の年齢で慰安婦に強制連行されており、「慰安婦」輸送過程で日本軍が直接介入し、又は軍医が直接これらの健康状態を検診したと明らかにしている証言が多数存在する。また、被告が、この事件の本で述べているように日本軍慰安婦を募集するにあたり、民間業者などが詐欺、人身売買などのような具体的な募集行為を担当した場合が多かったとしても、日本軍慰安婦たちが軍部隊などに付属された慰安所に連行されて初めて、自分が置かれた状況を知り抵抗をされると、日本軍などが暴力、脅迫などを介して、これを制圧しただけでなく、日本軍が直接慰安所を設置・運営し、これを制御し、植民地体制下で憲兵と警察等との連携を通じて、数万人以上の慰安婦を効率的に動員し、その輸送過程にも深く介入したという点で、日本国と日本軍の慰安婦強制動員の事実を否定することはできず、これは先に見たのと同じ国連人権小委員会の各種報告書や河野洋平官房長官の談話などでも認められた歴史的事実に該当する。また、日本軍慰安婦たちはしっかりとした衣食住を確保たり休憩時間を持つこともできないまま、一日に多くは20〜30人の軍人を相手にしなけれおり、これを拒否すると殴られたり、ひどい場合には、殺害されたれたりした。
 このような事実に照らしてみると、原告などの日本軍「慰安婦」は日本の売春婦とは質的に異なり、ほとんどが10代〜20代前半の女性として、本人の意思と関係なく、日本国と日本軍によって慰安婦に強制動員され、その監視の下で戦時状況の中国、東南アジアなどに設置されて慰安所に閉じ込められて、最小限の人間らしい生活も保障されないまま一日に数十人の軍人を相手にして性的快楽の提供を強要された「性奴隷」に相違ない「被害者」としての性質を持っている。

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c. 原告などの日本軍慰安婦に対する日本国の法的責任
 前述のように、日本軍は原告などの日本軍慰安婦の強制連行、上記慰安所の設置・運営等に直接・間接的に広く関与したが、慰安婦動員の過程に立っての強制性、動員された慰安婦の規模、慰安所での「性奴隷」生活実態等に照らして見るとき、日本軍による日本軍慰安婦強制動員、慰安所設置·運営などは、奴隷制を禁止した国際慣習法と1930年に締結され日本国が1932年批准した強制労働の廃止を規定した国際労働機関(ILO)第29号条約等に違反するだけでなく、ニュルンベルク国際軍事裁判所条例及び当該裁判所の判決によって承認された国際法の諸原則、すなわち、人道の罪に該当する類例を探すのが困難な反人道的な不法行為(犯罪行為)といえる。また、民間業者が詐欺、人身売買などを介して慰安婦を直接募集した場合においても、日本軍は慰安所を設置・運営して、慰安婦を国外に送る過程に広く関与するなどの行為によって、民間業者の上記のような略取、誘引行為に対しても、刑法上の共犯者としての責任を負担する。したがって、日本国は国家機関である日本軍の上記のような不法行為により、原告などの日本軍慰安婦たちが経験した身体的・精神的苦痛に対してこれを賠償する責任があり、これは根本的な人間としての尊厳と価値の侵害と直接関連するとするものといえる。
 
 一方、大韓民国政府と日本国政府との間で締結された1965年6月22日、「国交正常化のための日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」とその付属協定の一つである「大韓民国と日本国との間の財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する協定」(以下、「請求権協定」という。)は、日本の植民地支配賠償を請求するための交渉ではなく、サンフランシスコ条約第4条に基づき、日韓両国間の財政的・民事的な債権債務関係を政治的合意によって解決するためのもので、請求権協定の交渉過程で日本政府は、植民地支配の不法性を認めないまま強制動員被害の法的賠償を基本的に否定し、これにより日韓両国政府は日帝の韓半島支配の性格について合意に至らなかったが、このような状況では、日本の国家権力が関与した反人道的不法行為や植民地支配と直結された不法行為による損害賠償請求権が請求権協定の適用対象に含まれると見るこが難しい点などに照らしてみると、日本の国家権力が関与した反人道的不法行為または植民地支配と直結した不法行為による損害賠償請求権が請求権協定の適用対象に含まれていたと見るのは難しい。さらに、たとえ日本軍慰安婦の請求権が請求権協定の適用対象に含まれる場合でも、国とは別の法人格を持つ国民個人の同意なしに個人請求権を直接消滅させることができると見ることは、近代法の原理と矛盾するという点などを考慮すると、日本軍慰安婦の個人請求権自体が請求権協定だけでは当然消滅すると見ることもできない(最高裁判所2012.5 24.宣告2009多22549判決、憲法裁判所2011. 8. 30.宣告2006ホンマ788決定を参照)。

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d. この事件の本の原告らの人格権を重大に侵害する内容として削除を命令した部分
 1)被告は、この事件の本で日本軍「慰安婦」を誘拐したり、強制的に連行した事例がもしあったとすれば、これは民間業者によって行われ、公的に日本国や日本軍が「強制連行」の主体ではなく、慰安所運営の過程での監禁、抑圧も民間業者によるものであり、日本軍慰安婦の中には、元々から売春業に従事していた人もいただけでなく、慰安婦としての生活は、基本的には対価が予想されることだったので「強制的売春」の本質を持つと主張し、当時の日本軍慰安婦は日本軍の士気を高揚するために動員されて「愛国」した存在として日本軍に対して「協力者」あるいは「同志的関係」にあった述べる。
 つまり、被告が執筆・出版したこの事件の本の別紙2「引用リスト」の下線部分(以下、「この事件引用部分」という。)は、日本軍による慰安婦強制動員の事実を否定することで、日本軍慰安婦募集における営利性や非強制性を強調したり、日本軍「慰安婦」たちが本人の意思に反して強制的に動員されて性行為を強要された「性奴隷」に相違ない「被害者」という本質を無視したまま、日本軍「慰安婦」を19世紀後半の海外売春に従事した日本国の女性を指す「からゆきさんの後裔」と言ったり、日本軍慰安婦の痛みが日本人娼婦の痛みと変わらず、日本軍慰安婦の本質が「売春」にあり、日本軍慰安婦たちは募集に応じて「自発的に行った売春婦」と表現しており、日本軍「慰安婦」が日本帝国の一員として日本国の「愛国心」や慰安婦としての「自負心」を持って、日本人兵士たちを精神的に慰安する慰安婦としての生活を送り、これにより、日本軍との戦争を行う「同志」の関係にあり、「日本人」として日本軍に「協力」したなどの内容である。
 しかし以前に見たように、この慰安婦強制動員と慰安所運営等における日本国の幅広い広い範囲での関与事実、日本軍慰安婦の「性奴隷」であり「被害者」としての地位等に照らしてみると、このような内容は、原告の社会的価値ないし評価を著しく大きく阻害する事実の歪曲であるか、少なくとも暗黙的に、その前提となる事実歪曲により原告の人格権と名誉権を非常に侵害している。また、上記のような内容は、真実でなかったり、公共の理解に関する事項として、その目的が専ら公共の利益のためのものではなく、また、被害者に重大で顕著に回復しにくい損害を与える恐れがある場合にあたるため、被告が持つ表現の自由、学問の自由などと比較衡量しても、原告は被告を相手にこの事件引用部分を削除しない場合、この事件の本の出版、配布などの禁止を求める被保全権利があり、この事件の下線部分を削除しないまま、この事件の書籍が継続して販売・配布される場合は、原告の名誉や人格権に回復することが困難な損害が発生する恐れがあるため、その保全の必要性も認められる。
 2)これに対し、被告達は、この事件の本のために原告一人一人の社会的評価が阻害されないため、原告が直接被告らに対し、この事件の本の出版禁止などを求める被保全権利がないと主張する。
 いわゆる集団表示による名誉毀損は、名誉毀損の内容がその集団に属する特定の人のものと解釈するのは困難で、集団表示による非難が、個別の構成員に至る時は非難の程度が希釈されて、構成員一人一人の社会的評価に影響を与える程度に至らないと評価された場合には、構成員一人一人の名誉毀損が成立しないとするものであるが、構成員一人一人に対するとされるほどにその数が少なかったり、当時の周囲の状況などから見て、集団内の個々の構成員を指すものと考慮することがあるときは、 集団内の個々の構成員が被害者として特定されなければならず、その具体的な基準としては、集団の大きさ、集団の性格と集団内での被害者の地位などを挙げることができる(最高裁判所2006.5. 12.宣告2004タ35199判決などを参照)。
 この事件について見ると、日本軍慰安婦問題が本格的に議論されたのは1990年11月16日に韓国挺身隊問題対策協議会の発足と1991年8月の日本軍慰安婦被害者である金学順の公開記者会見以降だが、大韓民国政府は、1993年6月11日、「日帝下日本軍「慰安婦」に対する生活安定支援法」を制定し、「日本軍慰安婦被害者」の登録を通じた支援事業を開始し、その時から現在までに「日本軍慰安婦被害者」で、政府に登録した日本軍慰安婦は238人程度に過ぎず、現在生存している「日本軍慰安婦被害者」は、53人である点、韓国社会の日本軍「慰安婦」一人一人への関心などを考慮すると、原告を含む日本軍「慰安婦」一人一人が名誉毀損の被害者に特定されていると見なければならない。従って、これに反する被告らの主張は受け入れない。

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e. この事件の本の残りの部分の出版禁止などを求める申請に関する判断
 記録および審問全体の趣旨を総合して認められる次のような事情を総合し、原告の人格権(名誉権)と被告が持つ表現の自由、学問の自由とを比較衡量してみると、原告が現在までに提出した資料だけでは被告らに対し、別紙3 の「申請目録」のうち、この事件引用部分を除いた残りの各部分を含めて、この事件の書籍全体の出版、配布等の禁止のような表現行為の事前禁止が、例外的に許可することができる要件を満たしてしたかについての釈明が十分になされたと断定しにくく、他に命ずる資料がない。
 1)この事件の書籍の中には韓国と日本などで行われている日本軍「慰安婦」問題解決ののための運動の展開など原告の人格権(名誉権)と無関係な内容が含まれているだけでなく、(特にこの事件の本の第3部)、その内容や前後の文脈、記事の趣旨等に照らしてみると、被告朴裕河の単純な意見の表明で見えるだけで、債券者の名誉を毀損する具体的な事実を指摘したものを見ることは困難か、比喩的表現に過ぎないものが多数存在する。
 2)この事件の書籍は、被告朴裕河の日本軍「慰安婦」問題についての研究内容を、その主な内容としており、表現の自由を保障し、検閲を禁止する憲法第21条第2項および学問の自由を保証する憲法第22条の趣旨等に照らしてみると、これらの出版物の発行・販売等の事前禁止は、非常に厳格な要件の下でのみ行う必要がある。
 3)原告をはじめとする日本軍慰安婦に対する社会的関心も、日本軍慰安婦問題の歴史的な意味等に照らして見ると、この事件の本に込められた内容は、原告と同じ日本軍「慰安婦」被害者の名誉を毀損するかの問題にとどまらず、自由な議論と批判を通じて社会的議論が行われるべき領域に対応し、被告がこの事件本を執筆・発行した主な目的や動機は、原告を直接誹謗するためのものというよりは、日韓両国の間の日本軍「慰安婦」問題解決のために相応の案を提示するためのものと見られる。
 4)一方、被告が日本軍慰安婦強制動員と慰安所の設置・運営等の日本国の法的責任を否定して、日本国の韓半島と韓国人の植民支配が合法だった記述している部分について見る。
 先にe項で説明したように、日本国は原告などの日本軍慰安婦たちが受けた物理的、精神的損害について、これを直接賠償する責任を負担するとするだろうし、大韓民国制憲憲法は、その前文で「悠久の歴史と伝統に輝く私たちの韓国民は、三一運動で大韓民国を建設し、世界に宣言した偉大な独立精神を継承し、民主独立国家を再建するにあたり」と記し、附則第100条では、「現行の法令は、この憲法に抵触しない限り、効力を有する。」とし、附則第101条 "が憲法を制定した国会は、檀紀4278年8月15日以前の悪質な反民族行為を処罰する特別法を制定することができる。」と規定した。また、現行憲法もその前文に "歴史と伝統に輝く私たちの国民は、3·1運動に建立された大韓民国臨時政府の法統と不正義に抵抗した4·19民主理念を継承して」と規定している、このような大韓民国憲法の規定に照らしてみると、日本植民地時代、日本の朝鮮半島支配は、規範的な観点から、違法な強占に過ぎず、日本の違法な支配による法律関係の中で大韓民国の憲法精神を両立することができないのは、その効力を排除されるなければならない(最高裁判所2012.5.24.宣告2009タ22549判決などを参照)。
 それにもかかわらず、被告は、この事件の本で日本軍慰安婦の募集において民間業者の責任を強調しながら、日本国が原告などの日本軍慰安婦たちに直接的な「国家の責任」を負わないこと、たとえその責任があるとしても請求権協定を通して消滅し、日本国の朝鮮半島の植民地支配は、法的に有効であると叙述している。
 しかし、前述の法理に照らしてみると、上記のような記述には、具体的事実の指摘というより、法律の専門家ではない被告朴裕河の単純な意見表明として憲法上保障される
学問の自由や表現の自由の保護領域内にあると見られ、このような見解について裁判所が事前的にその表現を禁止するよりも、自由な議論と批判などを通じて市民社会が自らの問題を提起し、これを健全に解消することが好ましく、韓国社会の市民意識は十分にこれらの解決が可能なほど成熟したものと見られる。また、被告が主観的に日本国の原告に対する「国家責任」を否定しても、原告らの社会的価値ないし評価が客観的に低下するという断定するのも難しい。
 5)また、d項で見てきたように、この事件の本の原告の名誉と人格権を著しく侵害する内容の一部を削除しなくては、この事件の本の出版、配布などを禁止する仮処分を命じており、このような仮処分的にも原告は仮処分の申請の目的をある程度達成することができるものと見られる。

3. 接近および取材禁止を求める部分に関する判断(被告朴裕河について)
 まず、原告へのアクセスと取材禁止を求める部分について見ると、原告が現在までに提出した資料だけでは、被告朴裕河が原告の意思に反して原告に接近したり取材をするという点を証明するのが不足し、ほかにこれを証明する材料がないので原告らのこの部分の申請は受け付けない。
 また、原告以外の日本軍慰安婦被害者たちへの接近と取材禁止を求める部分について見ると、原告がこの部分適用で接近および取材禁止を求める対象は、政府に登録された「日本軍慰安婦被害者」の中で、原告を除いた残りの被害者を意味するように見えるので、その対象は特定されており、たとえ被告朴裕河が上記の残りの日本軍「慰安婦」被害者たちの意思に反してこれらに接近または取材をしたと仮定しても、これは原告を除いた残りの日本軍「慰安婦」被害者たちに属する権利なので、原告が自分の権利に基づき、任意にその侵害の禁止を求めることができないといえるので、原告らのこの部分の適用は理由がない。

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4.結論
 すると、原告の被告に対する出版禁止などの仮処分申請は、上記認定の範囲内で理由がありこれを引用し、残りの申請は理由がないのでこれを棄却し、原告の被告朴裕河への接近禁止等の仮処分申請は理由がないのでこれを棄却することにして、主文のとおり決定する。
 

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2015年 2月17日
 
裁判長 
 判事 コ・チュンジョン
 判事 ファン・ビョンホ
 判事 チェ・ユニョン
 
別紙1 図書目録
題目:帝国の慰安婦
著者:朴裕河
出版社:プリワイパリ
ISBN:9788964620304

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別紙2 引用目録
順番 内容
1 19 千田は「慰安婦」を「軍人」と同様に、兵士の戦争遂行を自分の体を犠牲にしながら助けた「愛国」した存在であると理解している。 国家のための軍人の犠牲に対する補償はあるのに、なぜ慰安婦はないかとのことが、この本の関心事であり主張でもある。そして、結論から言えば、そのような千田の視角は後に出てきたどんな本よりも慰安婦の本質を正確に探りあてていたのであった。
2 32 「からゆきさんの末裔」。「慰安婦」の本質は、実はここにある。
3 33 「慰安婦」の本質を見るためには、「朝鮮人慰安婦」の苦痛が日本人の娼婦の苦痛と基本的には変わらない点をまず知る必要がある。
4 38 それに応じて業者に依頼する場合もあっただろうが、一般的な「慰安婦」の大半は「からゆきさん」のような二重性を持った存在だったと見なければならない。
5 38 しかし、「慰安婦」を「誘拐」して「強制連行」したのは、少なくとも朝鮮の地では、そして公的には、日本軍でなかった。
いわば需要を作ったのが、すぐに強制連行の証拠となるものではない。
6

61

彼女たちが「皇国臣民ノ誓詞」を覚え、何の日であれば「国防婦人会」の服を来て着物の上に帯を巻いて参加したのはそのためであった。それは国加が勝手に課した役割だったが、そのような精神的な「慰安」者としての役割 - 自分の存在の(多少無理な)誇りが彼女たちが直面している厳しい生活を耐えさせることができる力になったことは十分に想像することができる。
7 62

 「応募した時もそうだったが、このような体になった私の兵士たちのために働くことができある、国のために身を捧げることができると考えて彼女たちは喜んでいた。そうだったので、自由になり内地に戻っても再び体を売る仕事をするしかないということを知っていたので、女性は兵士たちのために全力を尽くすことができたのです。もちろん、お金も儲けたかっだろうけど。(26ページ)」

もちろん、これは日本人慰安婦の場合だ。しかし、朝鮮人慰安婦も、「日本帝国の慰安婦」だった以上、基本的な関係は同じだったと見なければならない。

8 65

家族と故郷を離れて遠い戦場で、明日は死ぬかもしれない軍人を精神的ㆍ身体的に慰安し勇気を引き立ててくれる役割。その基本的な役割は、数々の例外を生んだが、「日本帝国」の一員として要求された「朝鮮人慰安婦」の役割はそのようなものであり、そうであったので愛も芽生えことができた

9 67

そうだとしても、そこにこのような愛と平和ができたのは事実であり、それは朝鮮人慰安婦と日本軍の関係が基本的には同志的な関係だったからであった。問題は、彼女たちには大切な記憶の痕跡を彼女たち自身が 「すべて捨て去った」という点である。 「それは放っておけば問題になるかと思って」という言葉は、そのような事実を隠蔽しようとしたのが彼女たち自身だったということを示す言葉でもある。 

10 99

ビルマのヤンゴン(ラングーン)にいて、戦争終盤に爆撃を避けてタイに逃げた慰安婦も日本軍の案内で、日本まで来て帰国した場合である。これら「戦争犯罪者」、つまり戦犯たちがいる所に行くされている理由は、これらのこの「日本軍」と一緒に行動し、「戦争を遂行した」彼女らだったからだ。たとえ彼女らが、過酷な性労働を強要された「被害者」といっても「帝国の一員」であった以上避けられない運命だった。

11 112

朝鮮人女性が慰安婦になったのは、今日でもまだ、他の経済活動が可能な文化資本を持たない貧しい女性が売春業に従事するようになったのと、同じ構造の中のことである。

12 120

慰安婦問題を否定する人々は、「慰安」を「売春」とだけ考え、私たちは「強姦」とだけで理解したが、「慰安」とは基本的には、その2つの要素を含んだものであった。つまり、「慰安」は、過酷な食物連鎖構造の中で、実際にお金を稼ぐ者は少なかったが、基本的には収入が予想できる労働であり、その意味では「強姦的売春」であった。あるいは「売春的強姦」であった

13  130

アヘンは、一日一日の痛みを忘れるための手段だっただろう。しかし、証言によると、ほとんどは「主人」や商人を通じた直接使用だった。軍人と一緒に使用した場合は、むしろ楽しむためのものであったと見なければならない。

14  137

日本人、朝鮮人、台湾人「慰安婦」の場合、「奴隷」的ではあっても基本的には軍人と「同志」的な関係を結んでいた。つまり、同じ「帝国日本」の女性としての兵士を「慰安」することが彼女たちに付与された公的な役割だった。彼女らの性の提供は、基本的には日本帝国の「愛国」の意味を持っていた

15  158

そのような意味で見たとき、「そのようなこと有意義な業務に従事していた女性が自ら望んで戦場に慰問に行った」とか、「女性が本人の意思に反して慰安婦になることになることはなかった」(木村才蔵)の見解は、「事実」として正しいかもしれない。

16  160

むしろ彼女たちの「笑顔」は、売春婦としての笑顔ではなく、兵士を「慰安」する役割を付与された「愛国処女」としての笑顔と見なければならない(「和解のために」)。

17  160

 植民地人として、また「国家のために」戦うとの大義名分を持っている男性のために最善を尽くさなければならない「民間人」「女性」として、彼女たちに許可された自尊心 - 自分の存在の意義、承認 - は、「国家のために戦う兵士たちを慰めてくれている」(木村才蔵)との役割を肯定的に内面化する愛国心だけだったかもしれない

18  190

 個人として「慰安婦」のもう一つの記憶が抑圧されて封鎖されてきた理由もそこにある。日本軍人と「恋愛」もして「慰安」を「愛国」すると思うこともあった慰安婦たちの記憶が隠蔽された理由は、彼女たちがいつまでも日本に対して韓国が「被害民族」であることを証明してくれる存在であったからである。 「慰安婦」たちに個人としての記憶が許可されなかったのも、そのためである。彼女たちは、まるで解放後の生活をスキップもしたように、いつまでも「15歳の少女被害者」であるか、「戦う闘士のハルモニ」にとどまっている必要があった。

19  191

 しかし、国が軍隊のための性労働を当然視されたのは事実だが、その時に法的に禁止されていなかった以上、それについて「法的責任」を問うのは難しいことである。また、強制連行と強制労働自体を国家と軍に指示していない以上(日本軍の公式規律がレイプや無償労働、暴行を制御する立場であった以上)強制連行に対する法的責任を日本の国家にあるとは言い難い。つまり、慰安婦たちに行われた暴行や強制的な無償労働に関する被害は、1次的には業者と軍人個人の問題として問うしかない。

20  205

しかし実際に、朝鮮人慰安婦は「国家」のために動員され、日本軍と一緒に戦争に勝とうと彼らを守り、士気を鼓舞した彼女たちでもあった。大使館前の少女像は、彼女たちのような姿を隠蔽する。

21  206

彼女たちが解放後帰ってこなかったのは、日本だけでなく、私たち自身のためでもあった。すなわち、「汚れた」女性を排斥する純血主義の家父長的認識も長い間彼女たちを故郷に帰ってこないようにした原因だった。しかし、そこにあるのはただ性的に汚れた記憶だけではない。日本に協力した記憶、それも彼女たちを帰ってこないようにしたものではないだろうか。いわば「汚れた」植民地の記憶は、「解放された韓国」には必要なかった。

22  206

そんな、「被害者」少女のマフラーを与え靴下を履か与え傘をさしてくれた人が、彼女たちが日本の服を着て日本名を持つ「日本人」として「日本軍」に協力したという事実を知ったら、同じ手で彼女たちを指差しするかもしれない。

23  207

 協力の記憶を消去し、一つのイメージ、抵抗して闘争するイメージのみを表現する少女像は、協力しなければならな慰安婦の悲しみは表現できない。

24  208

 ホロコーストは、「朝鮮人慰安婦」が持つ矛盾、つまり被害者であり協力者であったとの二重的な構図がない

25  215

しかし、日本政府は謝罪した2012年春にも再び謝罪を提案した。そして、これからも挺対協が主張する国会の立法が行われる可能性はない。その理由は、1965年の条約は、少なくとも「強制連行」という国家暴力が朝鮮人慰安婦に関して行われたことはないということ、あるとすれば、どこまでも例外的な事例であって、個人の犯罪で提供されざるを得ずそういう「国家犯罪」と言うことはできない点にある。

26  246

 1996年時点で「慰安婦」とは根本的に「売春」の枠組みの中にあった女性たちであることを知っていたのだ。

27  265

 朝鮮人慰安婦は同じ日本人女性としての同志の関係であった。

28  265

 その理由は、「朝鮮人慰安婦」が「戦争」を媒介とした、明確に被害者と加害者の関係に分けることができる存在ではなく、植民地支配下で動員された「帝国の被害者」でありながら、構造的には一緒に国家の協力(戦争遂行)をするようにされた「同志」の側面を帯びた複雑な存在だったからであった

29  291

 「朝鮮人慰安婦」とは、「このようにして朝鮮や中国の女性たちが日本の公娼制度の最下層に編入され、アジア太平洋戦争期の『慰安所』の最大の供給源」(110ページ)とされて、生じた存在であった。

30  294

 彼らがそのように戦場まで一緒に行くようになったのは、同じ「日本帝国」の構成員、「娘子軍」と呼ばれる「準軍人」のような存在だったからである

31  294

彼女たちが「娘子軍」と呼ばれたのは、彼女たちが国家の勢力を拡張する「軍隊」の補助の役割をしたからである。

32 294 

 「朝鮮人慰安婦」は、被害者であったが、植民地人としての協力者でもあった。

33  296

 そして、「自発的に行った売春婦」というイメージを私たちが否定してきたことも、やはりそのような欲望、記憶と無関係ではない。

34 306 

 中国やオランダのような日本の敵国の女性の「完璧な被害」の記憶を借りて上書きし、朝鮮の女性たちの「協力」の記憶を消した少女像を介してそれらを「民族の娘」にするのは、家父長制と国家の犠牲者だった「慰安婦」を再び国家のために犠牲にすることであるだけだ。

 

※決定文には53項目の原告の申請目録がありますが、この記事では省きました。

 

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