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「慰安婦」問題と日本の民主化(岡野八代)

出典:「慰安婦」問題と日本の民主化(岡野八代)(立命館言語文化研究23巻2号 2011年10月)

 ■目次

 1)国民基金とWAMの比較検討

  1-1)背景

  1-2)国民基金デジタル記念館とWAMとの比較検討

  1-3)国民基金の時代錯誤的な政治的効果

 2)「慰安婦」問題で問われているのは、日本の民主化である。

 

 本稿は70年代の韓国民主化運動の象徴的存在であった金芝河にまつわるエピソードを引きつつ、元日本軍「慰安婦」制度の被害者が求めているのは、「日本の民主化」である、とする宋連玉さんの主張を引き取りながら、「女性のためのアジア平和国民基金」(以下「国民基金」と表記)をめぐる議論を検証していく。そして、東京で開催された女性国際戦犯法廷から10年がたち、金学順さんのカムアウトから20年を迎えようとするなかで、いまだ解決をみない日本軍性奴隷制度問題によって問われているのは、日本における民主主義それ自体であることを明らかにしたい。

 

その目的を果たすために、本報告ではまず、政府主導で進められた国民基金と、東京にある民間のミュージアムである「アクテイブミュージアム 女たちの戦争と平和資料館」(以下、WAMと表記)のネット上での展示を比較する。その比較のなかで、政府が主導した国民基金がどのように旧日本軍性奴隷制度と向き合ってきたのか、日本における多くのフェミニストや活動家たちが求める法的責任と、政府のいう道義的責任とはなにが異なるのか、政府のいう道義的責任を国民基金が果たしている/果たしたとすれば、その帰結としてなにが(今・現在の)日本に生じているのかが明らかにされるだろう。ここで問われるのは、サイト上で多くの従軍慰安婦問題に関する資料を提供し英語で政府の主張を内外に発信する国民基金の、その政治的帰結である。

 

こうしたネット上の展示比較を通じて見出される結果を引き受け、結論部分においては短かくではあるが、国民基金の活動を理論的に支えた国際法学者の大沼保昭著『慰安婦問題とは何だったのか』においてなされた、 NGO 活動とフェミニズムに対する批判を反駁し、法的責任をとることこそが、日本の民主化を推し進めることに他ならないと主張する。この主張は、多くの日本国民が信じているのとは異なり、日本軍「慰安婦」問題に法的責任を取り得ていない日本はいまだ民主化されていないことをも、証明することになるだろう。

 

1)国民基金とWAMの比較検討

 

まず、政府主導で行われた国民基金の政治的帰結を明らかにするという目的を達成するために、ここでの議論をさらに三つに分けて報告したい。
第ーに国民基金とWAMの二つの展示が創設された背景を手短に紹介する。第二に、二つの展示を具体的に比較検討しながらそれぞれの展示に見られる特徴を明らかにする。
そして最後に、国民基金の政治的帰結とは、アイロニックであるだけでなく、時代錯誤的でさえあることを指摘し、隠ぺいの政治が現在もなお遂行されているることを明らかにする。

 

1-1)背景


周知のように、日本軍「慰安婦」問題が広く日本社会に知られるようになったのは、1991年に金学順さんが日本政府に責任をとるよう公に訴えたことに始まる。それ以後、金さんの声に反応した多くの活動家、歴史家、そしてフェミニスト研究者は、過去の戦争犯罪に対して、いかにして現在のわたしたち日本国民が責任を果たすべきなのかについて議論をしてきた。
元日本軍「慰安婦」とされた女性たちの訴えに呼応する形で、日本におけるフェミニストと活動家たちの多くは、とくに韓国の活動家・フェミニストたちと連携しながら、一人一人の被害者に対して法的・政治的責任を果たすよう日本政府に要求してきた。彼女たちにとって、個々の被害者に対して法的に補償することは、被害者の尊厳と正義を回復するための第一歩、しかもそれなしには、その他の解決に向けた福祉事業ほか諸政策の意味が奪われるであろう、不可欠の一歩なのである。

他方で旧本軍「慰安婦」問題に法的な責任をとるべきであるという被害者自身の主張にもかかわらず、日本政府はこの問、新たないかなる法的・政治的責任をも認めてこなかった。国民基金設立の契機となる、1994年の「いわゆる従軍慰安婦問題について第一次報告」においても、すでにこの立場は貫かれている。

 

いわゆる従軍慰安婦問題を含め、先の大戦にかかわる賠償財産・請求権の問題については、日本政府としてはサン・フランシスコ平和条約、二国間の平和条約及びその他の関連する条約等に従って、国際法上も外交上も誠実に対応してきている。4)

 

この立場にたてば、すでに法的政治的責任を日本政府は果たしているのであり、したがって、個別の被害者に補償することは法的に不可能である。
しかしながら、戦後50年を迎える準備をしていた当時の政府与党内の日本社会党議員のなかには、日本は被害者個人に補償すべきであると主張する者が存在していた。1995年当時、第二次世界大戦における日本の帝国主義・植民地主義を肯定し、現在もなお東アジアに対する蔑視を隠そうともしない愛国主義者を抱える自由民主党と、政権に与するまでは自衛隊の存在を違憲とする党是を譲らなかった日本社会党との連立政権内における深刻な対立は、戦後50周年記念の準備に向けて問題を早急に解決しなければならないという政治的な要請によって、妥協策を見出す方向で急速に鎮静化がはかられた。
こうして1995年、「道義的責任」を果たすために、国民基金が設立される。しかし国民基金はたとえば英語名、あるいは基金側が使用する略称と正式な日本名にみられる微妙な意味の違いにも象徴されているように、創立当時より、ある種の分かりにくさが存在し、そこにはすでになにかを隠ぺいしようとする意志さえ感じさせられる。英語名また基金自身が使用する通称ともなっている、「アジア女性基金」(The Asian Women's Fund)は日本における正式名称の意味を正確には伝えていない。すでに示してきたように、その正式名称は「女性のためのアジア平和国民基金」であるが、基金側の呼称は、政府によって設立されたことではなく、むしろ民間による設立であることを強調しているといってよいだろう。じっさいに、1995年8月15日に全国紙に掲載された「アジア女性基金設立にあたっての国民への呼びかけ」を読む限り、基金はー財団法人であり、その母体は、国民のヴォランタリーな意志・好意である。しかしながら、のちに詳細にするサイト上の展示では、基金は政府と国民との協力の下に設立されたことが強調されている。
ともあれ国民基金は、第二次世界大戦時における戦争犯罪に対しては、もはやいかなる法的貢任も存在しない、と主張し続ける保守的な政党である自由民主党と、性奴隷制度については、個々の被害者に対する法的補償が必要であると主張する日本社会党との聞の政治的な妥協の産物であった。
この妥協については、先ほど引用した「いわゆる従軍慰安婦問題について第一次報告」の一節のあと、以下のように道義的責任への言及がなされることにも、その一端が表れている。そこには、法的な問題としては解決済みという態度を崩さず、なおなんらかの事業をしなければならない、と考える政府の妥協案として、「道義的責任」という考えが浮上してくる経緯がよく表れているといえる。

しかし、本問題は、戦後50年を機会に、今日までの経緯と現実にかんがみ、我が国としては、道義的立場からその責任を果たさなければならない。そのため、こうした気持ちを国民ひとりひとりにもご理解いただき、分かち合っていただくために幅広い国民参加の道を求めていこうということなのである(強調は引用者)。

こうして、政府側からすると困難な妥協案を取り付け、当時としては最善の努力をしたと理解される一方で、1995年以降、政権与党に返り咲いた自由民主党によって選出された歴代首相たちは、日本軍「慰安婦」問題に対しては、無関心であるか、あからさまな敵意を表すようになりさえした。


「慰安婦」問題に対して、その典型的な反応として記憶に新しいのは、安倍晋三元首相がとった態度である(在任期2006年9月ー2007年9月)。彼はその在任中、合衆国議会で議決された「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」に対して、「決議案は客観的事実に基づいてない」、「決議があっても謝罪することはない」との見解を述べた。また、安倍内閣当時の外務大臣だった麻生太郎は、やはり合衆国の決議に対して、「非常に残念である」と公式に強い不快感を表している。


すでに指摘したように、多くの活動家やフェミニスト研究者にとって、政府が法的責任を果たすことは、性奴隷制問題解決にむけて不可欠なことであった。というのも、法的な責任を果たすことによってのみ、日本社会におけるこうした反動的な政治状況を変革しまた国際社会において国家としての政治的意志を表明できるからである。この点については、本稿の最後にさらに詳しく論じることにしたい。
ここまでの議論をまとめると、国民基金がいかに「心からのお詫びと反省の気持ちを表すために設立されたとしても(第一次報告)。同基金は他方で、補償問題についてはすでに解決済みという日本政府の不変の立場を認めている限り、さらにまた、基金はあくまでも法的なカテゴリーからすれば、一民間財団であるかぎり、いっさいの責任はもはやとる必要がないとの態度を示す、国家の代表である政治家たちの出現や発言を食い止め、批判する力はそもそもなかったのである。

 

1-2)国民基金デジタル記念館とWAMとの比較検討


さて、ここからは、二つのサイトの展示を比較検討してみよう。というのも、(日本政府は性奴隷制度の個々の被害者たちにいかなる責任を果たすべきなのか)、という問題をめぐってここまで見てきた二つの相対立する見解は、この二つのサイトの展示の違いに非常によく表れているからである。
WAMは、故松井やよりさんの遺志を受け継ぎ、2005年に東京新宿区早稲田に設立された、世界でも珍しい私設の、女性のための平和資料館である。WAMは、「何よりもまず被害女性たちに出会ってほしい」という思いの下に、「慰安婦」問題の解決を願って設立された。WAMのこの設立意図は、たとえば、実際のWAMの入口に、被害者一人ひとりの顔写真が展示されていることにもよく表れているともいえる。


WAM設立には五つの目的が掲げられおり、それぞれは「戦時性暴力に焦点をあてる」「被害だけでなく、加害責任を明確にする」、「過去・現在の資料の保存・公開だけでなく。未来へ向けての活動の拠点にする」、 「国家権力とは無縁の民衆運動として建設・運営する」、そして、「国境を超えた連帯活動を推進する」である。


この五つの目的は、常設展示ほか毎年開催される特別展示にもよく反映されており、たとえば、2010年度の展示タイトルは、「女たちの声が世界を変える」であり、このタイトルの下に、戦時性暴力の被害者たちの証言がいかに国際社会にこだまし被害者たちの尊厳と正義を回復するための国際的な法的・政治的運動に寄与しているかを伝えようとしている。


その展示を通じて、WAMは、被害女性たちの「勇気ある証言」に耳を傾けるよう訴える。WAMの特徴をあげるとすれば、それは、わたしたちに〈なぜこうしたことが起こり、また起こり続けているのか〉を自問し、そして(いかにわたしたちは不正義をただし、非ー暴力的な世界を作ることができるのか)を考えるよう促す、その展示方法である。元「慰安婦」とされた女性たちの顔からなる WAMのサイトのバナーにも見られるように、WAMの展示は、<わたしたち>を見つめているのであり一一決してその逆ではない。そして、<わたしたち>が彼女たちの声--決して発せられなかった声(=沈黙)も含めてーーに応えるのを待っている。


WAMの展示の特徴は。以下三つあげることができょう。
①その展示は、個々の犠牲者たちの過去から現在にいたるまでの生そのものを伝えようとしている。サヴァイヴァーたちは、「慰安婦」とされてしまって以来、現在にいたるまでどのような苦難を被ってきたのか残念なことに、多くの方々は「現在」お亡くなりになられているのだが一一過去だけでなく、彼女たちの現在にも焦点があてられる。
②WAMは、政府の立場からは批判的距離をとる。なぜならば、政府は、個人賠償をはじめ歴史教科書における事実の記述や、さらなる公的な真相解明など、被害女性たちの要請に応えていないからだ。

③それゆえわたしたちがWAMから聞き取るメッセージとは、日本社会だけでなく国際社会の一員として、「慰安婦」にされた方々の尊厳を回復するためには、日本社会の現状をこそ変革しなければならない、ということである。こうした WAMのスタンスはしたがってしばしば右翼からの攻撃を惹起するのである。

 

では国民基金の展示からわたしたちは何を見てとることができるだろうか。まず強調しておかねばならないのは、基金のデジタル記念館は、2007年の3月に設立されている、という事実である。すなわち。記念館が開設されたのは、基金がすでにその活動を終了させた時点なのだ。この事実がなにを意味しているのかについては、1-3)において、また触れることにしたい。そしてなにより、記念館の展示は、WAMの展示とは好対照を示している。

第一にわたしたちが気づかされるのは、トップページから入り、その次のベージに、1995年の終戦記念日に公式に謝罪した、元日本社会党党首・当時の首相であった村山富市のあいさつが基金の初代理事長として掲載されていることである。かれは、記念館に訪れる者に向って、基金は「政府と国民の協力によるものだと説明する。先述したように本記念館では、あくまで基金は政府と国民の共同事業であることがさまざまな形で強調される。またWAMは、被害者の個々の人生に光を当てるのに対して、基金の記念館では、現代の女性ー般の問題をも対象にしていると、その設立意図が述べられている。

さて、デジタル記念館は、1991年に政府主導で発掘され、92年と93年に発表された多くの公式文書が展示されている。この公式文書が、展示の中心といっても過言ではないだろう。たとえば「慰安婦とは」という展示コーナーでは、まずは、当時の陸軍省や警察当局、あるいは大将の写真が並べられており、多くの公式文書が展示される。公式文書によって、歴史的背景を説明することは非常に重要ではあることは確かだが、後に論じるように、そこには別の意図を感じざるを得ないのも確かなのである。


そうした意図は、「慰安婦とは」というコーナーでは中心的に扱われていない、被害者自身の声が、「アジア女性基金の償い事業」のなかで主に紹介されていることからも伺える。「被害者の声」には、韓国、フィリピン、そして台湾における被害者の証言が紹介されているが。その後に、「被害者の声ー償い事業を受け取って」というコーナーが続く。しかしながらそれは、被害者自身の声、ではなく当時の理事長の一人であった下村満子による描写である。彼女は、償い金と首相からの手紙を手渡すために1997年に被害女性と会うのだが、被害女性の反応を下村自身の視線から描いている。そのうえで下村は、彼女自身が被害女性に何を言ったのか、そして何を感じたのかを以下のように述べる。

こちらもすごい衝撃で、畳の部屋で和食のテーブルに向かい合ってすわっていたんですけど、途中で私は向こう側に行って、彼女を抱いて、ごめんなさいね、ごめんなさいね、って。一緒に泣いてしまいました。私もなぜそう言ったのかわかんないんですけど。彼女を抱きしめて、ただひたすら「ごめんなさい」と泣いて言い続けました。そしたら彼女がわんわん泣きながら、「あなたには何の罪もないのよ」って。「遠いところをわざわざ来てくれてありがとう」というような趣旨のことを言って、でもずっと興奮して泣いていて。しばらくお互い抱き合いながらお互いそういう状態でいて。


この下村の言葉が示唆するように基金の展示は、政府と基金がこれまで何をしてきたのか、であって、被害者の苦悩がどのようなものであって、今現在被害者の思いはどのようなものなのかといったことを中心とはしていない。
じっさい、展示がなにを意図しているのかについては、先ほどの村山の挨拶のなかでも明示されている。2007年3月の記念館設立の挨拶を村山は次のように結んでいるのだ。

 

私たちは、慰安婦問題にかんする私たちの認識と基金の償い事業の歩みを記録して、歴史の教訓とするために、デジタル記念館「慰安婦問題とアジア女性基金」を立ち上げることにしました。ここを訪れる方々がこの歴史を忘れることなく、アジアと世界において、和解と協力のために努力する気持ちをかためてくださるようにお願いいたします。

 

あえて村山の言葉を換言するならば、この記念館が記憶に残されることを望んでいるのは、かれら自身の活動なのである。
さて、簡単にではあるがこれまでみてきた記念館と、WAMとの違いはすでに明らかであろう。先ほど三つに分類したWAMの三つの特徴と比較対照しながら、やはり記念館の三つの特徴を指摘してみたい。
①基金の展示が焦点をあてるのは、個々の被害者ではなく、いかに基金と政府がこの問題に応えてきたかである。そこでは、政府の償い金を受け取った被害者の声だけが取り上げられているために、あたかもそこに描かれていない被害者たちもまた基金の活動に対して感謝しているかのような印象を残す。
②基金はそもそも、政府の立場、すなわち<法的に問題は解決済み〉という立場を支持するために、記念館を含めた基金の活動が、あたかも日本政府が国際的な義務(=国際法上の義務)を超えた努力を積み重ねてきたかのようなイメージを与える。つまり、日本政府はもはやいかなる責任を負う必要がないにもかかわらず、なお「道義的に」必要だと考える政府は、一層の解決にむけた努力を続けている、という印象を与えてしまうのだ。先ほどわずかに触れた、公式文書を開示する別の意図がここに表れていると考えるのは、穿ち(うがち)すぎであろうか。つまり。法的にすでに解決した問題について、政府はなお公的文書を発掘する努力をし、真実究明に努めていることを、記念館は展示し続けているのである。しかし、実際に記念館にて展示されている資料は、1991年に発掘された資料にのみ基づいているのである。
③それゆえ、日本政府と国民は、被害者の声に真摯に耳を傾けている、とのメッセージが、記念館の展示全体から発せられることになる。じっさい、すでに両者は、「償い金」5億6千5百万円、その他の福祉事業のため、7億5千万円という金額を支出し、さらに償い事業が始まった、1996年当時の橋本首相以下、小渕、森、小泉といった歴代首相は、「お詫びの手紙」を被害者に対して送っているのである。

 

1−3)国民基金の時代錯誤的な政治的効果


さてここでは、<従軍「慰安婦」問題を通じて日本の民主化を問う>という本稿の目的のために、基金が残した記念館が、わたしたちの目から覆い隠してしまっているものは何か、そして、基金が解散したさいに、記念館が設立されたことによって何が現在起っているのか、についてまとめておきたい。
すでに指摘したように、WAMの展示は、日本政府がいまだ被害者の主張に応えていないために、わたしたちが平和に向けて現在何をするべきなのかどのような未来を構想するのかを、わたしたち自身に問うていた。ところが逆に国民基金の記念館は村山の言葉にみたように、わたしたち(=国民基金の賛同者と政府)の現在の認識と国民基金の過去の事業を記録するために設立された。それゆえ、記念館は、個々の元「慰安婦」にされた人たちの歴史ではなく、12年間の国民基金の記録を残すことを目的にしているかのようである。


第一に、記念館の展示は、政府によって収集された公式文書一91年に収集され、92、93年に公開、97年に出版されたものを見せることによって、記念館を訪れる者たちの眼を政府の努力に向けさせる一方で、個々の被害者たちの過去や現在については、目を逸らせてしまう。

第二に、償い事業に自発的に参加した個々の国民の「道義的責任」に焦点が当てられるために」政府の法的責任については、そこではまったく問われることがない。そして、最終的に、基金の展示は、今なお主張されている、現在の被害者たちの様々な主張そのものから、本サイトを訪れる者たちの意識を逸らしてしまうのだ。

以上のことから明らかになるのは、国民基金が従軍「慰安婦」問題に今後与える政治的な影響は、皮肉なものであるだけでなく、文字通り極めて時代錯誤的なものとならざるを得ない、ということである。
記念館は、いかなる法的責任について認めようとしない政府の頑強な立場は受け継ぎながら、その展示においては、たとえば前外務大臣麻生太郎といった、本問題に対してあからさまに嫌悪感を示す政治家さえ、基金の事業に協力したかのような展示をする。つまり、皮肉なことに、戦時性奴隷制の被害者たちの芦に一切耳を傾けなかった政治家たちが、記念館の展示では、彼女たちに敬意を表したかのように登場するのである。記念館では。2007年基金解散後、基金側が慰安婦問題に関して政府に申し入れをしたさいの、当時の外務大臣麻生を以下のように紹介している。

麻生大臣は、 12年間のさまざまな困難な中での基金関係者の努力に対し敬意と謝意を表明しました。また。基金解散後も。基金事業に体現された日本国民と政府の慰安婦問題に対する真撃な気持ちが今後も引き継がれていくよう、努力していきたいと述べられました。 

記念館が、その多大な資金を背景にして、ほぼすべての展示を英訳し全世界的にそのメッセージを発しているとすると、これほど皮肉なことはないと言わざるを得ない。さらに深刻な問題は、記念館は国民基金が解散したと同時に設立されたという事実にも関わり、あたかも、犠牲者が「償い金」と首相の手紙を受け取ったことで問題が解決されたとの印象を与えてしまうことにある。繰り返しになるが、多くの被害者の声、さらには国際人権委員会からの度重なる勧告にもかかわらず、日本政府は一貫して、その法的責任を認めないでいる。しかし皮肉にも記念館に展示された公式文書こそが、まさに日本政府が真撃にその政治的責任を果たした「証拠」を形成しているのだ。


じっさい事業には政府から7億5千万円が供出されており、国会には、10回以上、「慰安婦」問題早期解決に向けた議員立法が提出されており(もちろん、すべて廃案)、2007年の基金解散の「感謝の会」には多くの議員が顔を見せている。
今日なお、多くの被害者は、政府にその立場を変えるよう要求しているのに対して、記念館は、今後もなおサイト上で世界に向けて、日本政府の対応が真撃であったことを発信し続けている。じっさいには、記念館は2007年国民基金解散後一度も更新されていないにもかかわらず、である。WAMの展示がわたしたちに、未来に向けて何ができ何をすべきか自問するよう問いかけるのに対して、国民基金の展示は、その活動を停止した時点で、わたしたち国民の現在と未来にとるべき道を閉ざしてしまっているのだ。それは。(国民基金の解散は、日本における「慰安婦」問題の解決だった)と主張していることとなんら変わらない。未来に向かう変革を求める元「慰安婦」とされた被害者の声を聞きとらず、問題を過去のものとして展示し続ける記念館は、こうした時代錯誤的な効果を生み続けているのである。

 

2)「慰安婦」問題で問われているのは、日本の民主化である。

 

さて、以上のように国民基金の記念館の展示にみられた時代錯誤的な政治的効果が、いったいいかに、日本の民主主義と関係しているのであろうか。
ここからは、国民基金の理事を務めた大沼保昭『慰安婦問題とは何だったのか』の議論に反駁を加えながら、この時代錯誤的で、自閉的な国民基金の態度が、いかに日本の民主化の道を閉ざそうとする意志と通じているのか、について明らかにしたい。

 議論に入る前に、本報告における民主主義の定義を、千葉真 『「未完の革命」としての平和憲法』を参考にしながら、簡単に示しておきたい。民主主義とは一見すると、多数決主義に結びつけられ多数者の暴走を食い止めるために権力の制御や抑制を果たす憲法の役割を重視する立憲主義と、対立的に考えられる場合が多い。だが、千葉によれば、「今日では、多数決主義や画一化された人民の意思の絶対化というモメントは、もはや民主主義の核心にある事柄とはみなされていない」。そうではなく、「人々の対話、審議、討議、参加、自由と平等、自己統治、差異への権利、共通善、多元主義、自己相対化、複数性、少数者や社会的弱者のエンパワーメント、アカウンタビリティーなどが、民主主義の核心に横たわる重要なモメントとして広く論議されている」。[千葉 2009:67]。本報告の関心から、こうした千葉の民主主義理解を理解すれば、現在の<わたしたち>の在り方を批判的に問い返すことこそが、民主主義の重要かつ不可欠なモメントなのである。
民主主義(=人民主権)の本来的な意味を憲法制定権力にみるならば、人民の権力は、「憲法創造の源泉であると同時に憲法への脅威」でもある[ibid.:75]。したがって、たしかに日本は、1946年以降、現在の国際社会においても画期的な民主的憲法をもつものの、その具現化に向けてより一層の努力をし、つねに、日本社会の現状と理念を体現する憲法との聞で、現在の<わたしたち>の在り方を自問し続けていくことなしに、民主主義は成立しえない。民主主義とはこの未来に向けての<わたしたち>の問いなおし、という投企なしに、あり得ないのである。


 さてこうした民主主義理解を基にすると、先ほど引用した、村山元首相のいう「私たちの認識と基金の償い事業の歩みを記録して」歴史の教訓とするという言葉が、<わたしたち>そのものの間い直し、という民主主義の精神からいかにかけ離れているのかがわかるはずだ。ここからは「裁判で被害者の主張を実現することはできない」と国際法学者の立場で断言する大沼の『慰安婦問題とは何だったのか』を論じることで、本報告の目的を果たすことにする[大沼 2007:145]。


 大沼は本書において、国家の法的責任を問うNGOが、いったいどれほどの成果を被害女性たちのためにもたらしたのか、と疑問を呈し、被害者の物質的な支援もまた尊厳を回復する一つの道だと述べる。彼女たちに対する物質的支援の必要性において、異論を唱える者など、そもそもいないだろう。しかし、政治を「限られた資源の最適配分を定める技」と規定する大沼は[ibid.: 11]、被害者の尊厳をあまりに軽視しているだけでなく、先ほど定義しておいた、わたしたもの政治の核心である民主主義の本質を理解しようとしていない、と言わざるを得ない。
その根拠として、以下三点を指摘し本稿の結論にかえることにしたい。
 まず大沼によれば、彼が批判するNGOらの主張は、「法的責任は道義的責任に優る」という価値序列を想定する誤謬に陥っているという[ibid.:157-165]。ここで確認しておかなければならないのは、法的責任を政府に果たさせることは、裁判闘争で勝利することによっても可能かもしれないが、そのことは、政府が法的責任を担うこととは同じではない、という点である。また、従軍「慰安婦」問題の解決方法として、たしかに裁判闘争も手段のーつとして選ばれているが、あたかも裁判闘争が、解決へと至る最短の道であるかのようになってしまっているその根源には、大沼も正しく指摘するように、政府見解として<法的に解決済みだから、国家補償はできない>と主張し続ける政府の態度が存在している。なによりもこの政府の見解を反駁するためにこそ、裁判を通じて、法的にみても解決済みではない、と訴えてきたのである。


 だが、ここで重要な点は、法的責任、あるいは国家賠償への道は、特別立法などの立法行為、すなわち政治的行為によっても可能である、という点である。換言すれば、大沼も述べるように、除斥期間や時効といった法的枠組みのために、司法的枠組内で戦後補償問題を解決することは、日本だけではなくドイツにおいても、現状では不可能だとされていることを考えれば、むしろ法的責任とは立法行為を通じて、すなわち最も民主的な政治的行為によって果たされるのが筋である。つまり、日本政府は、ドイツ政府がそうだったように、<道義的責任があるのだから、国際法上法的に責任をとる義務はなくとも、政治的な責任をとるために、特別立法を行う>と日本国民を含め、対外的にも説得を続けることが可能だったのである。そして、NGO活動家やフェミニストたちが主張したのは、まさにこうした民主的な道筋ではなかったのか。

 

 しかしながら、日本の場合は、民主的に世論の力を動員し政治家を動かし政府に法的責任を認めさせたり、特別立法を国会で成立させたりすることは、「できないものは、できない」状態である[ibid.:112]。「日本が遂行した一五年戦争の侵略性を認めようとしない自民党多数派の歴史観の根深さ、「慰安婦」問題で謝罪することへの反発の強さは」一一ここからは、大沼の判断にわたしは強く異論を唱えたいがー、わたしたち市民の日にも、そして、被害者の女性たち、とりわけ沈黙を破ることができないできなかった女性たちにとっては、日の目を見るほどに明らかである[ibid.16]。だからこそ、にもかかわらずではなく一被害者はじめ彼女たちを支援する多くの者たちは、政治的責任を含んだ、あるいは正確に言うと、まさに政治的責任としての法的責任を政府に問うているのではないか。しかし、この政治的責任追及に対しては、大沼の言うように、多くの政治家は強く反発するが故に、取り上げない、すなわち、政治家たちの強固な反対にあうために、司法の領域だけが唯一被害者たちの声を届けられる一裁判には勝利しないが、事実認定ができる一一場となってしまっているのだ。

 法的責任を政府にとるよう迫る者たちは、裁判闘争という形でのみ、法的責任を追及しているのでもなければ、道徳的責任よりも法的責任を優ると主張しているのでもない。最も民主的な行為である立法行為(や、政府による事実の解明、歴史教育など)といった、政治的責任を含めた広い意味での法的責任こそが、国民の償いの前提となっている、と主張しているのだ。それは、「できないものは、できない」と諦める<わたしたち>の在り方を変革する、きわめて民主主義的な闘争なのである。

 第二に、<誰のための>償いか、という点について、大沼は本書の中で、あたかも挺対協こそが被害者の本音を抑圧し、「国民基金」は被害者たちの本音を聞きとろうと努力したという。たしかに。法(=正義)を求めることは、すべての被害者たちの利益と幸福感とは一致しないかもしれない。法は、あまりに形式的かつ抽象的である。だが、本書のなかで、かれが、戦後責任への取り組みが必要なのは、「日本国民が正当な誇りをもって生きていくためにこそ」であるといい[ibid.:7]、世界各国からの非難決議に対して、「日本は個々の元慰安婦に総理のお詫びの手紙を送り、金銭的な償いも行ってきたと主張できるのは」「国民基金」の成果であるとするとき[ibid.:130]、被害者の尊厳の回復という法(=正義)に求められた最低限の国家責任を無視してまでも、日本はとにかくなにかしたのだ、という主張でもって戦後日本の誇りを保とうとしていると思われても、仕方がない。すなわち、国家賠償ではなし国民基金による償いを大沼が主張するのは、日本国民のため、なのだ。ここでも明らかとなるのは、現在の<わたしたち>の在り方をなんとか肯定し、形式的で抽象的な法を尊厳の回復という形へと具現化しようとするわたしたちの未来にむかう運動を阻害する、反民主主義的な欲望である。

 

 最後は、第二の点と関わって、多くの論者がすでに批判しているように一一そして、大沼自身も気づいているように[ex.ibid.: 118.9]一一、「国民基金」の主体はいったい誰なのか、理解不能な点である。民主主義の重要な役割とは、千葉も指摘しているように、筋道をたてて、その政治的判断が道理にかなっていることを、公的に説明説得すること、つまり、アカウンタピリティーの実践である。しかし、政府は、国民基金が、道義的責任を果たすための政治的事業の一環として、日本の市民を含めた世界に向かつて、積極的に発信するどころか、大沼が述べるように、公的に一一公開性・公式に・自らの主張を普遍的なものとして提起するという、広義の「公的な」という意味において一一ーは「不作為」を重ねるのである。そして、国民基金は、公的にはー財団法人に過ぎないのだ。

 この点について、大沼自身、興味深い例を挙げている。一貫して「国民基金」の償いを拒否してきた被害者が、総理のお詫びの手紙の内容を聞いて、「日本の総理がそんな手紙を書くはずがない」といったというのだ[ibid.:194]。大沼は、それは政府の広報不足と、NGOの頑なな「国民基金」に対する拒絶のせいだとしている。しかし政府の代表として総理が謝罪をするのであれば、せめて「国民基金」設立以後の政治家の妄言の数々に対して、政府として公的に批判しその態度を被害者に示さなければならない。しかしながら、政府はそうした批判を行うどころか、常にほとぼりが冷めるまでやり過ごしてしまう。道義的責任という心からの深い反省の意を示す責任を負っているはずの一一そう自ら言うのであるから一一政府が、一市民の発言とは異なる、公的な政治的責任を担っている政治家たちの妄言を野放しにしているのだから、「日本の総理がそんな手紙を書くはずがない」と思うほうが、通常の判断ではないだろうか。少なくとも、自ら「慰安婦」であったと名乗り出た彼女たちは、大沼が思う以上に、じっと日本社会を見つめてきたはずである。

 大沼の議論に代表されるように国民基金には、民主主義の核心として千葉が取り上げる、「自己相対化」のモメントがいっさいない。<わたしたち>を間いなおすという民主主義の実践に欠かせないのは、<わたしたち>を外から眺める他者の視線に対して常に開かれてある、ということである。こうした民主主義の実践がもつ可能性を閉じてしまったことこそが、国民基金のもっとも大きな、負の政治的効果だといえるのではないだろうか。
大沼が主張するように、日本政府に法的責任を求める運動が、韓国と日本の対立を招いているのではない。被害者たちの尊厳回復の基盤としての法(=正義)の存在について、否定し続ける日本政府と、その日本政府をいつまでも変える力のない一一わたしも含めた一一日本社会における民主主義の不在こそが、韓国と日本の深い溝を作りだしているのである。

 

 

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1)宋連玉はつぎのように主張する。『「国民基金」とそれを支持する人びとから、韓国の運動団体が正義の暴力を振りかざし、日本の償い金を受け取ることを反対している。と本末転倒Lた批離がなされるが。当事者のさまざまとと要求を都合よく選別して応えようとするのはむしろ「国民基金」側の人びとである。当事者の思いを大切にしたいと言いながら、その思いの核心ともいえる「日本の民主化」要求には応えようとしないばかりか、早々と断念したと言い放つ』[宋 2009:233、強調は引用者]。


2)もちろん、ハパーマスの言葉を援用するならば、民主主義とは未完のプロジェクトに他ならない。つまり、民主主義とは永久運動にも等しく、民主的であることを目指すならば、つねに現在の制度的な不備に対して批判的、改良的であらざるを得ない、という意味では、現存するどの国家も、いまだ〈完全な〉民主国家ではない。しかし本報告で日本を民主国家ではないというのは日本が、<構成員内外からの制度的不備に対する批判に対して応答責任を果たす>という民主主義の本質を裏切っている、という意味である。すなわち、日本は完全には民主的ではない、という主張ではなく、民主主義の本質と照らし合わすならば、殊に従軍「慰安婦」問題に対する政府の対応は、日本が非民主的な国家である、ということを示しているという主張である。

たとえば、立憲主義思想史を読みなおすなかで、日本の平和憲法を「未完の革命」として捉えようとする、[千葉 2009」も参照。そこでは、民主主義の行き過ぎを統制する機能を、立憲主義の議論に見ょうとする法学的理論に対して民衆の「構成的権力」は「憲法的規範化に抗う」という機能も果たしていることが積極的に評価されている。すなわち、「構成的権力は、自ら樹立した訟法体制との弁証法的緊張を常に保持しつつ、民主主義を将来にむけて具現化していく制度上の規範概念としLて理解されている」[ibid.:74]。

 

3)そうした意見の代表的なものとして以下の西野の発言を挙げておく。「とはいえ、私は国民が償いの気持ちを表すことが関連していると言っているのではない。戦後の長い間「慰安婦」問題を放置してきた責任は、戦後世代の国民にもあるからだ。このような暴力が繰り返されないためにも、国民の自覚を促す取り組みは重要なことだと思う。しかし国家責任が明確に示され、「慰安婦」問題に対する事実認識と問題意識が国民に共有されることが国民の償いの前提ではないか。それを飛び越えて「償い」を国民の共有意識とすることはできないだろう 」。[西野 2007:43、強調は引用者]。


4) 1994年に発表された、「いわゆる従軍慰安婦問題について第一次報告」から引用。政府はこの報告書を受けて、政府と国民が協力して、国民基金を設立することを決定した。「デジタル記念館慰安婦問題とアジア女性基金」http://www.awf.or.jp/2/foundation.html を参照(the final visit on 2nd Nov、2010)。なお強調は引用者。


5)日本における国会議員の排外主義的で反動的な愛国主義の動向は、日本会議の出版物の内容を知ることによって、おおよそ理解できる。htto:/www.nipponkaigi.org/publication を参照(the :final visit on Nov、2010)。


6)たとえば、基金の一員として事業を当初より支えてきた大沼でさえ、政府の「不作為」について次のように批判している。「アジア女性基金は、日本政府が日本国の責任をはたすためにつくった組織であるにもかかわらず、制度的にはー財団法人とされた。[大沼 2007:119]。また、大沼のように「基金と政府による償いを国民参加の国家総体の償いとして積極的に意義づける考え」は、基金内ではむしろ少数派であり、むしろ国家補償が望ましいが、それが不可能だからせめて民聞の基金で償い事業をする、という消極的な意見が多数派であった。大沼は、基金の失敗の第一の原因を、基金の理念と被害者の実像を伝える広報活動の致命的な弱さ」をあげている[ibid.:111]。

 

7)呼び掛け文の一部を引用しておく。「基金は、これらの方々[慰安婦制度の被害者]への償いを示すため、国民のみなさまから拠金を受けて彼女たちにこれをお届けすると共に、女性への暴力の廃絶など今目的な問題への支援も行うものです。私たちは、政府による謝罪と共に、全国民規模の拠金による「慰安婦」制度の犠牲者への償いが今どうしても必要だ、という信念の下にこの基金の呼びかけ人となりました。

http://www.awf.or.jp/6/statement-08.html (the final visit on 2nd Nov,2010)

 

8)こうした理解については、[大沼 2007:esp. 7-19]を参照。大沼の当時の判断によれば、将来、村山内閣以上にこの問題に好意的に取り組む内閣ができるとは思えない。せっかく村山内閣の下でぎりぎり取り付けたこの案を拒否すれば、元「慰安婦」への償いを実現する機会は二度とめぐってこないだろう。[ibid.: 16-17]。


9)安倍晋三については、「新しい歴史教科書をつくる会」を支援してきた議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(1997年結成)の初代事務局長を務めたことからも分かるように、「慰安婦」問題に対しては、つねに否定的攻撃的であった。安倍の「慰安婦」問題に対する基本的な認識は、かれもメンパーの人である日本会議編『首相の靖国神社参拝は当然です!』のなかでの、 『朝鮮人慰安婦や労働者の「強制連行」はなかった』という主張と同様だとみなしてよいであろう。そこでの記述によれば、「そもそも慰安所はあくまで民開業者の経営で、軍の関与は性病の予防や慰安婦の募集に強制がないよう指導するなどの点に限られていた」。また、朝鮮半島からの「強制連行」については、「かつて白人がアフリカで黒人に対して行った人間狩りのようなものではなく、全国民(日本人・朝鮮人・台湾人)が整然と動員に応じた」[日本会議 2005:41]。なお同書は、「韓国は日本と戦争したことがないのに、何故靖国問題で厳しく日本を追求するのですか?」という問いを立て、日韓併合し当時一つの国家であったため、「韓国と日本は戦争していたわけではなく」。「当時の韓国人が日本人として共に連合国軍と戦ったのはまぎれもない歴史的事実です」と論じている。なお、歴史教育、教科書問題をめぐる安倍の政治的スタンスについては、[金 2006]に詳しい。


10)政府調査によって明らかにされた文書は、すべて『「従軍慰安婦」関係資料集成』として、デジタル記念館内の次のアドレスよりダウンロード可能となっている。 http://www.awf.or.jp/pdf/0051_1.pdf (the final visi t on 2nd Nov. 2010)


11) http://www.awf.or.jp/3/oralhistory-05.html (the final visit on 2nd Nov 2010)より、そのまま引用。


12) http://www.awf.or.jp/3/dissolution.html (the final visit on 2nd Nov 2010)より、そのまま引用。 

 

13)ここからの報告は。すでに[岡野 2009]として発表したものを基にしている。


14)条約上解決済みという政府の見解も、民法上の請求権としては時効や除斥期間によって、そうした訴えは無効であるという見解は、法理論上すでに批判されている。実定法は国境と時間の制約を超えて、正義を実現することが可能かという理論的な問いかけについては、[高木、南、松本、水島 2004]を参照。


15)民法の専門家の立場から、戦後補償問題の司法的解決に立ちはだかる時効や除斥期間の難問に、理論的に果敢な挑戦をしているものとしては[松本 2002]を参照のこと。


16)大沼はこの後、次のように続けている。 「反発の強さは、一般の市民には見えない。多くのNGOや学者にもほとんど見えない。こうして、国家補償派の学者やNGOは、「もうすこし時聞があれば」といった希望的観測にもとづく批判を基金にあびせ、実現の見込みのない目的を掲げて突き進んだのである。[大沼 2007:112]。大沼の NGOや国家補償を唱える研究者に対する見解に、わたしは強く反論したい。政府内政治家たちの国家補償に対する反対がいかに強固であるかについては、91年以降、政府に訴え、政治家たちの妄言を浴びせられ続けてきた、彼女たちこそが実感してきたのではなかったか。日本軍〈慰安婦〉問題に対して彼らの反発が強いからこそ、それに対して、研究上も運動としても、強く反論を加えてきたのである。


17)主体の一貫性のなさが、ドイツと日本の戦後補償の在り方の最大の相違点である。大沼は、ドイツの「記憶・責任・未来」基金よりも、法的請求の放棄を求めないという点で、「国民基金」のほうが「優れたものとなった」と判断しているのだが[大沼 2007:4S]一むしろそのことは、償いの主体が日本政府ではないことの証左である。ドイツの「記憶・責任・未来」基金は、基金設立のための法律を制定し(2000年)、その基本法の前文には、ドイツ連邦議会が政治的ー道義的責任を自覚していることが明記されている。すなわち、ドイツの基金は法に基づいて施行されている国家賠償を為すのだから被害者に国家賠償をめぐる請求権を放棄するよう求めることは、道理に適っている。翻って、大沼自身、法的解決については現実的でないとの判断を繰り返し述べているにもかかわらず、「国民基金」を受け取っても、「日本政府の法的責任を追及する裁判は続行できるから、被害者自身の利益のために受け取ってはどうですか、という助言を行ってきた」基金を許価することに[ibid、142]、わたしは、かれが考える道義的責任とはいったいどんな責任なのかと、混乱するばかりである。

 

参考文献表

千葉真 2009 「未完の革命」としての平和議法立憲主義思想史から考える(岩波書店)。

金富子 2008「慰安婦」問題と脱植民地主義歴史修正主義的な「和解」への抵抗」金富子中野敏男編『歴史と責任一一「慰安婦」問題と一九九〇年代(青弓社)所収。

-2006 「慰安婦」問題へのバックラッシュ インパクション155号。

日本会議編 2005 「首相の靖国神社参拝は当然です!」 (明成社)。

西野瑠美子 2008「慰安婦」被害者の「尊厳の回復」とは何か 女性国際戦犯法廷が求めた正義と「国民基金」:「歴史と責任」所収。

大沼保昭 2007 「慰安婦」問題とは何だったのかメディア NGO政府の功罪(中公新書)。

岡野八代 2009 『<和解>の政治学一大沼保昭 「慰安婦」問題とは何だったのか』を読む インパクション171号。

松本克美 2002 『時効と正義一一消滅時効除斥期間論の新たな胎動』(日本評論社)。
宋連玉 2009『脱帝国のフェミニズムを求めて』(有志舎)。
高木喜孝、南典男、松本克美、水島朝穂 2004 『戦後補償裁判の現在と未来を考える』法律時報76巻1号。

 

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