「忘れられないように助けてくれ」

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ハンギョレ21 ソン・ホジン記者  2016.2.2 

映画「鬼郷」14年目にして市民の力で2月24日に全国で封切り…チョ・ジョンネ監督、「映画の上映の度に少女が帰って来るという気持ち」

 

 連れて行かれた人々を元の場に戻してあげないと故郷を訪れることができない、遠くへ行ってしまった10代の少女たちがいる。日本軍の慰安所に連れて行かれた彼女たちのうち、相当数が異国で死んだり捨てられたりして、ごく少数が戻って来て、傷を負ったまま生きてきた。チョ・ジョンネ監督の「鬼郷」は、1943年に15歳前後で慰安所に連れて行かれた少女たちの過去に光を当て、1991年を生きる若い母子が、異国で亡くなった慰安婦被害者の少女たちの霊魂を故郷に連れて帰るという内容の映画だ。15歳観覧可。

 この映画が構想されてから14年目にして公開が迫っている。7万5270人の市民が11億6122万ウォンの制作費を後援して「鬼郷」を立ち上げた。市民後援者の数は、世界映画史上最大の規模だ。「ハンギョレ21」も、18ヵ月間この映画に関する話題を報道し、制作費の調達のためのオンラインファンディングに取り組み、「鬼郷」の公開に協力した。ここに「鬼郷」を制作した人たちを紹介する。歴史的・文化的証拠として残そうとこの映画に参加した人たちだ。 f:id:eastasianpeace:20160211103513j:plain

映画「鬼郷」のポスターの前に立つチョ・ジョンネ監督。インタビューを終えた翌日の1月21日、彼は「鬼郷」を引っ提げて米国の現地紙社会のために出国し、2月1日に帰国した。

 

 去る1月19日、映画「鬼郷」チームのささやかなパーティーが開かれた。ケーキの上に「2.2.4」と書かれた3つの数字が飾られていた。チョ・ジョンネ監督(43)がロウソクを消し、俳優とスタッフが心を一つにして拍手をした。その日は、全国公開の日付(2月24日)が書かれたポスターがマスコミで紹介された日だった。2月24日という日付を受け取るまで、14年がかかった。監督は、「感動的で感激していながらも、劇場公開という海へ乗り出すために、新たに始めるという気分」だと語った。

2002年、鼓手を揺さぶった一枚の絵

 14年の出発点は、一枚の絵だった。大学時代(中央大演劇映画科)に国楽同好会でも活動していたチョ監督は、創作パンソリ唄者「パダソリ」の専属鼓手(太鼓をたたく伴奏者)だった。パダソリの一員として慰安婦被害ハルモニが住んでいる「ナヌムの家」を訪れ、公演と奉仕活動をした。そして、姜日出ハルモニが美術心理治療の過程で描いた「燃やされる乙女たち」という絵を2002年に見た。慰安婦として連れて行かれた少女たちが山中に掘られた穴で燃やされる様子を目撃した記憶、そこで死ぬ直前に突然戦闘が始まり、辛うじて脱出して、恐怖で真っ青になった表情で隠れている自分の姿を描いた絵だった。

 「絵を見て衝撃を受けました。慰安婦被害者の方たちがどこかで生きていると漠然と考えていたのが、たくさんの人々があのように虐殺されたということを知ったのです。消耗品のように、物品のように扱われ、簡単に殺されてしまったことに驚愕しました。」

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監督は、姜日出ハルモニが描いた「燃やされる乙女たち」を2002年に見て、「鬼郷」を構想した。

 

 彼は変な夢を見た。

 「衝撃を受けたためか、体調もすごく悪くなりました。そして、明け方に夢を見たのです。穴で燃やされて死んだ少女たちが、ある時に起き上がるのですが、血まみれになった服が白い服に変わり、傷跡もなくなっているのです。足をさっと上げて女たちが空に舞い上がるのですが、何と言うか壮観でした。亡くなった人たちが、今、すごく故郷に帰りたがっているのだな、そんな思いを強く感じました。その時から、これを映画に具現化したいと思うようになりました。」

 その決心が、監督としての彼の人生をどれほど長く辛いものにするのか、予想すらできなかった。夢を見た後、彼は、異国で死んだ若い少女たちが蝶になっても故郷に戻って来る「鬼郷」の大枠を書き下した。

 霊魂の帰郷を願いながらタイトルを鬼神の「鬼」、故郷の「郷」と決めた。以後、内容を具体的に整理した後、2008年から投資者を募り始めた。彼は、知人であれ知らない人であれ、映画について話をする機会があれば「鬼郷」の内容を紹介し、この映画を必ず作りたいのだと語った。

 チョ監督を知る映画関係者は、彼を惜しむ気持ちから思いとどまるよう説得した。「慰安婦の紹介は、韓国映画界で最後に残った金脈のような素材だが、興行性が著しく低く、多くの監督が映画化できなかったもの」だと助言した。「この映画を作って(失敗した後に)監督生活を終わりにしたいのか」という心配もした。

 投資者たちの反応はもっと冷たかった。彼が出したシナリオを見もしないことも多かった。「監督がマイナーにしかいないので分からないようだが、アイドル歌手でも俳優に使うとか。素材もマイナーだし。この映画は100%ダメだ」と断定する人もいた。

「監督生活を終わりにしたいのか」と引き止める

 「戦争になれば、どっちみち女性はやられるものではないか」というひどい言葉も聞いた。「若者がこんなことをするな。慰安婦ハルモニたちは偽物だということを知らないのか。身体を売りに行った女たちだ」と話す人もいた。この人は、首都圏の市長の予備候補として出馬した経歴もあった。チョ監督は、怒りを堪えていたが、「ハルモニに謝ってください」という言葉を投げかけて、その場を立った。

 転機は2013年に訪れた。投資の意向があるという中国の人物と連絡が取れ、チョ監督は、中国人の配役を加えてシナリオを一部修正した。中国の女性も慰安婦として動員されたため、その人が「鬼郷」に関心を示したのだ。投資の可能性が熟し、契約のために中国の北京まで行った。しかし、先方が「主人公を中国人にしなければ投資しない」という条件をいきなり出してきた。受け入れられない提案だった。

 中国側の大きな投資が水泡と化し、この映画を共に準備した人々も多くが離れていった。その時、監督は、「これはダメな映画なのか」と自問した。「慰安婦被害ハルモニをお招きできなくて申し訳なかった。すべての出口が閉ざされたようで自信を失い、鬱の症状も出た」と回想する。当時の彼を見たある関係者は、「監督の目から光が消えたように意欲が感じられなかった」と語った。

 しかし、よくよく見てみると、最後まで自分を信じてくれる妻がいつも同じ場にいた。2009年に初めて会い、無鉄砲にも日本軍の配役を引き受けてほしいという提案を受け入れてくれた後、「鬼郷」チームに合流してくれた実の弟のようなパートナー(イム・ソンチョルさん)も離れずにいた。そうして、彼は元気を出さなければと思った。

心が乱れると「ナヌの家」を訪れる

「ナヌの家」の銅像の前で、「私の生涯が終わってハルモニたちに再びお会いする時、笑顔で走って行くことができるように、私を起き上がらせてください」と祈った。

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 慰安婦関連行事(上)に積極的に参加してきた彼は、2014年 10月、慶尚南道の居昌で「鬼郷」の宣伝映像を撮影した。

 

 以後、彼は、「もっと身体を低くして『助けてくれ』と話をして回った」と語った。「『助けてくれ』という言葉は、後に『鬼郷』のスタッフとして合流した人々も、共通して監督から聞いた話だと口を揃える。

 「『助けてくれ』と言ったのは、その言葉が、慰安婦被害ハルモニたちが私に言った言葉だったからです。映画を作れと命令したのではなく、『私たちがされたことが忘れられないように助けてくれ』とおっしゃったのです。」

 彼は、心が乱れると、慰安婦被害ハルモニが住んでいる「ナヌムの家」を訪れた。そこには、生前に彼が会ったが今は世を去った「ナヌムの家」入口に銅像が建てられたハルモニたちもいる。銅像の前で「私の生涯が終わってハルモニたちに再びお会いする時、笑顔で走って行くことができるように、私を起き上がらせてください」と祈った。

 年老いたハルモニたちに代わってこの映画が国内外を巡る「文化的証拠」となることを願っていた監督は、これ以上制作を遅らせることはできなかった。生涯を終える慰安婦被害ハルモニが増えていた。

 投資者に無視された彼を起き上がらせたのは市民だった。彼は、「鬼郷」のあらすじと映画の関連映像をインターネットにアップし、これを見た市民たちが少しずつ後援金を送り始めた。その後援金を元手にして、2014年10月に慶尚南道居昌のソドトゥで「鬼郷」を紹介する短い映像を撮り、インターネットに公開した。この映像がまた市民の関心を呼ぶきっかけになった。

 「ハンギョレ21」も、この映画の製作費の調達に賛同した。インタ―ネットのポータルサイトであるダウムカカオと協力して、「ニュースファンディング」(現ストーリーファンディング)を始めた。2014年12月 18日から44日間行われたこのファンディングで2億ウォン余りが集まり、「鬼郷」制作陣の後援口座にも市民の後援金が押し寄せた。貯金箱に集めたお金を母親と一緒に募金した幼稚園児、一日に千ウォンずつ365日間で36万5千ウォンを集めて募金した家族もいた。

 監督は、このような後援金と、日本軍役を兼任したイム・ソンチョルPDが集めてきた市民投資金を合わせて、2015年6月に撮影を終えた。「手伝いに来てくれたタッフが、この映画の主人に変わっていった」とチョ監督は感謝した。俳優のソン・スクさんらも「出演料はいらない」と撮影に参加した。

 しかし、コンピュータグラフィック、色補正、サウンド補強などの後半作業のための制作費不足に再び直面した。「ハンギョレ21」は、第2次ニュースファンディングを始め、市民たちは約3億ウォンを集めた。

「日本国民も見るべき映画」

「この映画を家だとすれば、市民が煉瓦を一つ一つ集めてくれたのです。」

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2015年4-6月、「鬼郷」の本撮影を進め(上)、その年8月15日に「ナヌムの家」で「鬼郷」のハイライト映像を上映した(中)。去る1月17日のソウル劇場での試写会を最後に、後援者第1次全国試写会を終えた。

 

 海外の関心も相次いだ。「ニューヨークタイムズ」は、所属記者を直接韓国に派遣した。慰安婦をテーマにした映画が国民の後援方式で制作される過程を、昨年3月に1面を割いて報道した。公開もされていない韓国映画をこのように大きく報道することは異例のことだ。

 米国連邦議会で日本の謝罪を求める慰安婦決議案を主導したマイク・ホンダ議員が、昨年7月末の決議案通過8周年行事に、「鬼郷」のハイライト映像を議員会館で上映するよう手伝った。映像を見たホンダ議員は、「たいへんなパワーを持った映画だ。日本国民も見るべき重要な映画だ」と語った。

 監督は、昨年12月から今年1月中旬まで、国内の後援者のために第1次全国試写会を行った。市民の後援で映画を完成させ、その後援金で全国の劇場を借り切って試写会を開いたことは、映画界で初めてのことだ。1月29日現在、この映画を後援した市民は7万5270人だ。後援金の金額は11億6122万ウォンに達する。市民後援者の規模は、世界の映画史上で最大の記録だ。

 後援者の名前が記されたエンディングクレジットの長い行列を見て、「涙がグッときた」と言う観客が多かった。この映画の配給社は、ポスターに「国民が作った映画」という文言を記した。

 先に映画を見た人たちの評価も好意的だ。試写会でこの映画を見たある観客は、「果たして完成するのか疑問を感じながら後援したが、本当に完成して驚いたし、思ったより完成度が高くてまた驚いた」という文をネットに残した。別の観客は、「普通の映画は劇場から出るとその感動や興奮が離れていくものだが、『鬼郷』は、時間が経つほど悲しみが染み込んでくる」という評価を残した。

 途中で座り込んでいたら、ここまで来ることはできなかっただろう。14年間、妻も「やっとのことで維持する生活」を耐えてくれた。監督の父は、撮影期間中に俳優たちを乗せて移動する「運送スタッフ」として参加した。監督の母は、映画の編集が完了する頃に癌の手術を受けた。今は癌との辛い闘いを克服している。

 「大型制作社でもなく、有名な監督でもありません。いくら私がこの映画を善意で作ったと言っても、あれほど多くの方々が助けてくれるとは予想できませんでした。この映画を家だとすれば、市民が煉瓦を一つ一つ集めてくれたのです。」

 監督は、「映画が1回上映される度に、他郷で亡くなった一人の霊魂が戻って来るという気持ちで映画を作った」と言う。「そして、この映画が上映される度に、儀式を執り行う気分」だと語った。

 映画は、最近、韓日両国の慰安婦問題合意がなされた直後に封切りされることになった。彼は、「(慰安婦)被害者が共感できないのに合意をここらへんで理解しろと言うのは暴力」だと言う。彼を惜しむ映画人は、慰安婦問題の合意に対する政府の態度のために、劇場がスクリーンをたくさん提供しないのではないかと憂慮する。

観客の熱望ほどスクリーンを提供してくれることを

 チョ・ジョンネ監督の願いがある。試写会でこの映画を見た観客の反応ほど、そしてこの映画の封切りを待っていた観客の熱望ほど、劇場のスクリーンが相応に提供されることを、彼は願っている。

 

数字で見る「鬼郷」

14 映画が初めて構想されてから劇場封切りまでかかった年数

75,270 制作費を後援した市民の数。世界の映画史で最大の後援規模

1,161,225,837 市民が集めた後援金の総額(1月 29日現在)

500,000 12歳の子どもが「『鬼郷』を(歴史的)証拠として残す」と、お年玉とお小遣いを集めた通帳を解約して投資した金額

2015.3.15 世界的言論の「ニューヨークタイムズ」が、「鬼郷」が国民の後援で制作されていると1面を割いて報道した日

2015.7.28 米国連邦議会の議員会館で「鬼郷」のハイライト試写会が開かれた日

18 2015年12月から2016年1月まで第1次全国後援者試写会を行った回数

1+1 慰安婦被害者を演じた俳優が撮影部のスタッフとして働くなど、俳優が1人2役をすることも

4 主人公の「チョンミン」(慰安婦被害者)を演じた16歳のカン・ハナは在日同胞4世

46 2016年1月29日現在、生存している被害者ハルモニの数。映画が本格的に撮影された2015年だけでも9人の被害者ハルモニが亡くなった