国家責任を理解できない「歪んだ法論理」(金昌録教授)

 

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日本軍'慰安婦'被害者の女性たちと民主社会に向けた弁護士会が1月28日午前、ソウル麻浦区延南洞「平和の家」で、日本軍'慰安婦'問題に関する韓日外交長官会談が国際人権基準と国連勧告に合致するのかを問う国連請願書提出のための記者会見を行った。金ミョンジン記者 

 

【土曜版】ニュース分析 'なぜ?' 金昌録(キム・チャンロク)教授より朴裕河教授へ

▶日本軍「慰安婦」強制動員の実態を立体的に眺めるため研究者たちが寄稿を寄せている。歴史学界の研究成果を紹介したキル・ユンヒョン<ハンギョレ>記者の記事に続き、「強制連行論はもちろん、人身売買論も'法的'責任だけを求愛する限り、法を違反しない空間では無力になるしかない」と朴裕河・世宗大学教授(文学)の主張を紹介した。今回は、日本軍「慰安婦」問題に関する日本の法的責任を論じた論考を金昌録・慶北大学法学専門大学院教授が送ってくださった。


日本軍「慰安婦」問題の核心は、朝鮮半島をはじめアジア地域の多くの女性たちを強制的に連れて行き、「性奴隷」を強要した国際法違反の犯罪に対し、日本が責任を負うべきだと主張である。その責任は犯罪に関するものであるため法的責任であり、日本という国家が負わなければならないので国家の責任だ。日本はその責任を果たすため、事実認定、謝罪、賠償、真相究明、慰霊、歴史教育、責任者処罰をしなければならない。 これが過去25年間重ねて確認されてきた常識だ。


「請求権協定」の本質


1980年代末から日本軍「慰安婦」問題を提起した韓国の市民団体が、1990年代初めから名乗り出て、被害者であることを明らかにしたハルモニたちが、街で講演場で法廷で訴えてきたのが、法的責任だ。 1994年の国際法律家委員会報告書、1996年の国連人権委クマラスワミ報告書、1998年の国連人権小委員会マクドゥーガル報告書、2001年の「2000年日本軍性奴隷戦犯女性国際法廷」最終判決文などが改めて確認したのが、まさにその国家の責任である。


1990年代初め、日本政府の最初の反応は「民間の業者」が行ったことなので責任がないということだった。しかし、1992年に証拠資料が公開されると、直ちに政府スポークスマンである加藤官房長官が軍の関与を認め、「謝罪と反省の気持ち」を表明した。以降実施した資料調査と被害者の証言聴取をもとに1993年には河野官房長官が談話を発表した。「河野談話」は、「甘言、強圧などによる、本人らの意思に反して募集」し、「官憲などが直接加担」しており、「強制的な状況の下での過酷な」生活を強要したと明らかにした。特に朝鮮半島については、日本の「支配下にあったため」、つまり構造的な強制性が作動したため、「全体的に見て本人たちの意思に反して」強要したと明記した。これは、日本の法的責任が存在するという事実を明確に認めたものだ。


しかし日本政府は、法的責任は1965年の韓日'請求権協定'によって解決されたと主張した。代わりに'道義的責任'を負うとして「国民基金」を作って被害者たちに「賠償金」ではなく、「慰労金」を支給すると乗り出した。「国民基金」は、「道義的責任は認めるが、法的責任は決して認めることのできない」と、不誠実な態度であったため、多数の韓国人被害者たちによって拒否され、結局は失敗に終わってしまった。


さらに、韓国政府は2005年に韓日会談関連文書を開示し、日本政府とは正反対に「日本軍慰安婦問題など、日本政府・軍など国家権力が関与した反人道的不法行為については請求権協定により解決されたものと見ることができず、日本政府の法的責任が残っている」との立場を明確にした。2011年に憲法裁判所は、日本政府の「法的責任」が存在することを前提とし、韓国政府が日本政府との解釈上の紛争を解決しないことは違憲と宣言した。2012年に最高裁判所は、条約に関する最終解釈権を持った機関として、「日本の国家権力が関与した反人道的不法行為」は、「請求権協定」の適用対象でないともう一度確認した。


どちらの主張が妥当なのだろうか? 日本政府の主張は、初めから無理筋であった。韓日両国政府が認めているように、「請求権協定」は、領土の分離、つまり一つだった地域が二つに分かれたことによる財政的・民事的債権・債務関係を解決するためのものだった。例えば、日帝強占期に朝鮮半島に進出した日本銀行に朝鮮人が入った預金を日帝の敗北でその銀行が日本に帰ってしまった状況で、どのようにするだろうかという日常的な金銭問題を処理するためのもので、反人道的不法行為を対象にしたものでなかった。何よりも日本政府としては1992年になって初めて日本軍「慰安婦」問題を認めたことから、以前には問題自体が存在しなかったことだ。 しかし日本政府の主張は結局、問題が存在してもいなかった1965年に、問題が解決されたということになる。これはそもそも論理的に成立しがたい主張なのだ。

 

すべての道は「業者」に通じる


日本は決して間違いを行った国ではないという信念に結集した日本の右翼には、とても不愉快な状況だった。それで彼らは「河野談話」を形骸化させて法的責任の存在自体を否定することにより、その状況を脱しようとした。そんな彼らが注目したのが、朝鮮半島の場合、「強制連行」の証拠文書が発見されなかったということだ。彼らには日帝強占期の朝鮮半島には構造的な強制性が作動していたために敢えて強制連行する必要がなく、強制連行をした違法事実を記録した文書は初めから存在し難く、さらに日帝の多くの公文書が焼却・廃棄されており、そもそも問題が'連行'に限られたものではないという事実は重要ではなかった。「強制連行の証拠はない。それで狭義の強制性がなかった。だから強制性がなかった」という度重なる論理飛躍を通じて犯罪がないと言い張れば済むことだった。「政府が発見した資料では、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は発見されなかった」と、2007年に安倍内閣の閣議決定はそこから出たのだった。

 

昨年12月28日に朴槿恵政権は、その安倍内閣と「最終的・不可逆的解決」に合意してしまった。日本政府が認定した事実は、せいぜい20年前の'国民基金'水準で、強制性という面では1993年の「河野談話」よりはるかに後退したものであるにもかかわらず、お墨付きを与えてしまった。そして加害国の日本政府は舞台から降りてきて、「強制連行はなかった」と騒ぎ回っても、被害国である韓国の政府はその挑発に対して正面対応もできないまま、むしろ自国の被害者や市民たちが反対する財団をどうにか設立しようとして、以前にはなかった葛藤をもたらしている惨憺たる光景が我々の目の前に広がっている。法的責任が重要だという事実、安倍政権の日本がそれを形骸化させるため、執拗に祈祷してきたという事実をきちんと得られなかった外交事件の結果だ。


『帝国の慰安婦』は、日本軍「慰安婦」に関するこのような'法的責任'を妨げている。多くの人によって指摘されたように、部分の全体化、例外の一般化、恣意的な解釈と引用、極端な晦渋、根拠のない仮定から出発した過度な主張など、数多くの問題点に満ちた『帝国の慰安婦』はすでに学術書としての基本を備えているのか疑わしい本だ。しかしこの本の最も大きな問題点は、「歪んだ法ドグマ」である。


『帝国の慰安婦』は、「朝鮮人慰安婦は、敵国の女性とは違って、日本軍と同志的関係の中で愛国をしたのだ」と主張する。その根拠は彼らが「帝国の一員」、「国民」、「日本人」だったためだという。 再びその根拠は1910年のいわゆる「併合条約」が「両国の合意」によるものだからだと記述する。その条約が、強迫によって締結されたものであるため、そもそも無効だという韓国政府の公式立場には、我関せずのようだ。


『帝国の慰安婦』は、「請求権協定を通じて日本は補償をして、韓国は権利を消滅させた」と主張する。しかし日本政府自らは補償をしたことがない。1965年には日本軍「慰安婦」問題自体を認めなかった。韓国政府が日本軍「慰安婦」の権利を消滅させたという証拠はどこにもない。むしろ、韓国政府と憲法裁判所と最高裁判所の公式立場は、日本政府に日本軍「慰安婦」問題に関する法的責任が残っているというのにだ。それでも明確な根拠を提示せず、韓国の行政部と司法部が「不正確な情報」に振り回されたと主張する。


従って、『帝国の慰安婦』のすべての道は「業者」に通じている。『帝国の慰安婦』は'業者の責任'を強調するために使われた本としても過言ではないほど、'業者の責任'にこだわっている。しかし、果たして誰が業者に責任がないとするのか。責任の本質は日本の国家責任ということだけだ。『帝国の慰安婦』はその本質を否定しようとしたのが、業者の責任がアルファでありオメガであると主張する。「慰安所」を企画し管理した日帝の大きな不法には目をつぶって、末端の実行行為に加担した業者の小さな違法にのみ集中する。さらに、'業者'は'軍属'だとしながら、つまり日帝の国家機関だとしながら、責任は日本という国家ではなく、個人に問わなければならないと言い張っている。これは、日本軍「慰安婦」問題の本質が日本の国家責任であることをまったく理解できない、努めて否定しようとする結果以外の何ものでもない。

 

幹を否定し、葉だけがふわふわと浮かぶ


もちろん、『帝国の慰安婦』の著者は文学者に過ぎず、法学者ではない。だから法に対する理解が不十分でことができる。しかし、だからといって法律の誤った理解に満ちた過度な主張が免責されることはできない。「1910年の条約は強迫によって締結されたものであるためそもそも無効であり、1965年'請求権協定'にもかかわらず、日本政府に日本軍'慰安婦'問題に関する法的責任が残っている」いうのが韓国政府の公式立場なのも、これといった根拠を提示することもなく、日本政府と同様の主張を展開するのは度がはずれている。日本政府自らが補償をしたことがないと言っても、「補償をしたことは間違いない事実」だと言い張り、日本政府より先行する。


著者は、「法的責任のドグマから抜け出さなければ」と訴えながら、自身は果てしなく「歪んだ法ドグマ」に陥っている。帝国主義国家が強要した条約を掲げて、'性奴隷'被害者に、「協力者」、「加害者」、「無意識的な帝国主義者」との地位を強要する。日帝が植民地'法'によって行ったのだから問題にすることができないと主張する。植民地支配の国家主義、男性中心主義、近代資本主義、家父長制が問題だという、既に多くの学者たちが提示した、それ自体としては妥当な主張が、法的責任に限ってはひたすら「業者の責任」に矮小化されてしまう。そのような葉を強調するために幹を否定したため、葉だけが空中にふわふわと浮かぶ不思議な風景を作り出している。

 

犯罪を犯したなら認め、謝罪、賠償、真相究明、慰霊し、歴史教育を行い、処罰しなければならない。これが常識だ。日本政府はその常識の土台を壊そうとする。遺憾にも『帝国の慰安婦』は、日本政府よりさらに一歩踏み込んだ位置に立っている。法に対する誤った理解で出発した「歪んだ法ドグマ」に囚われながら。


『帝国の慰安婦』が作り出した不要な騒乱は、そろそろ終わらせた方がよい。

 

金昌録(キム・チャンロク)慶北大学校 法学専門大学院教授

 

[原文] 국가책임 이해 못하는 ‘뒤틀린 법 논리’ : 한겨레(2月19日)

 

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