「従軍慰安婦」問題と歴史像-上野千鶴子氏に答える(吉見義明)

目次

 はじめに
 1.「慰安婦」問題の初歩的誤解
 2.だれが文書史料至上主義か
 3.「慰安婦」制度は公娼制か
 4.国際法違反を問うことは強者の論理への屈服か


はじめに
 「新しい歴史教科書をつくる会」に属する人たちと私たちとの聞の「従軍慰安婦」問題に関する論争の評価については、これまで、どっちもどっちだ式の、両者をともに非難する言説が少なくなく、いささかうんざりしていた。
しかし、「記憶の政治学」により上野千鶴子氏が論争に参加したときは、これとは異なり、私たちの側に立って、しかも、たとえば私のいたらなさを批判しながら、加わってくださったと思い、「日本の戦争責任資料センター」主催のシンポジウムでは、それを「歓迎」したのだった。
しかしながら、その後、上野氏の「ポスト冷戦と『日本版歴史修正主義』」を読むなかで、そんな単純な問題ではないと思い知らされることになった。
このなかでは、上野氏はつぎのように記している。

「もとより本稿も『自由主義史観』派に反論を加える意図で書かれているものではない。それより気になるのは、それに対抗している『誠実』で『まじめ』な人々の、議論の組み立て方のほうである。」(『ナショナリズムとジェンダー』)

これを読んで、おやおやと思った
いうまでもなくここで「『誠実』で『まじめ』な人々」と冷笑的に揶揄されているのは、「慰安婦」問題の解明に取り組んできた鈴木裕子氏や私などのことである。
攻撃の中心的な矛先のひとつがどうやらこちらに向けられている。

 

上野氏の著作に学ぶものも少なくないので、どうしたものかとずいぶん悩んだが、反論すべきことはきちんといっておく必要があると考え、いまこの一文を書いている。幸い、上野氏はシンポジウムのなかで、内部の相互批判を恐れてはいけない、と述べているので、上野氏の誤解・歪曲を指摘しながら、本稿もその趣旨で書きたいと思う。

 

1.「慰安婦」問題の初歩的誤解

 

まず、最初に上野氏の大きな誤解・歪曲を指摘することからはじめよう。これは、すでに前田朗氏が明らかにしていることだが(「上野千鶴子の『記憶違いの政治学』」)、「慰安婦」問題の基礎的な論争点が上野氏にはわかっていないことである。それは、たとえば国家の関与とは何によって論証され、強制とは何によって論証されてきたか、というような初歩的なことである。上野氏のつぎの文章がそれをよく示している。

「『慰安婦』問題の歴史史料の発掘にもっとも精力的に貢献してきた良心的歴史家、吉見義明は『朝まで生テレビ』で小林よしのりらに問いつめられ、ついに日本軍関与を正式に証明する文書史料が『ない』ことを認めた。もし文書史料至上主義に立つならば『ない』と認めるほかない。吉見氏が発見し、一九九二年の日本政府による公式謝罪発言のもとになった防衛庁防衛研究所図書館で発見された文書は、『強制連行』の傍証にはなっても『強制連行』の事実そのものを裏付ける史料ではない、ということがほぼ共通の了解となった。」(「記憶の政治学」)

さほど長くないこの文章のなかには、重大な誤りがいくつもある。まず、一九九二年に私が発見した資料が強制連行の事実を直接に裏づける資料ではないということは、一九九二年当時もいまも当たり前のことであって、「朝まで生テレビ」で初めて明らかになったことではない。

つぎに、私が日本軍の関与を証明する文書資料がないことを認めたというのも大ウソである。私が見つけた資料がまさにそれを証明するものであり、だから政府は関与を認めざるをえなくなったのである。

さらに、強制連行を証明する文書資料(朝鮮にかんしてはアメリカ軍の公文書、戦地・占領地においては元軍人の日記や戦後の回想記、オランダの公文書)はある。

占領地においては奴隷狩りのような暴力的な連行を示す資料さえあり、植民地においては奴隷狩りのような暴力的な連行のケースを別にすれば、広義の強制連行を示す資料はある(吉見 1995:1997参照)。

また、問題は強制連行があったかどうかだけではなく、慰安所において強制があったかどうか、強制の有無にかかわらず未成年者の連行・使役があったかどうか(さらにいえば、植民地支配自体がもつ構造的な強制性)も問われているということである。そして、私は文書史料至上主義の立場に立ってはいない。

 

短い文章のなかにこれだけ間違いがあるとすれば、上野氏は「朝まで生テレビ」のビデオをきちんとみていないだけではなく、拙著『従軍慰安婦』すらほとんど読んでいないのではなかろうか。

同じような間違いは、シンポジウムでもくりかえされている。

念のために引用しておくと、つぎのとおりである。

「吉見義明さんが『朝まで生テレビ』という番組に出席して、小林よしのり一派の追及を受けた揚げ句、精いっぱいの誠実さでお答えになったのは、吉見さんが発見した従軍慰安婦についての公文書は、日本軍関与の『傍証』にはなっても、それの『証明』そのものにはならないという、実証歴史家としてあたう限り誠実なお答えでした。」(『現在進行形で続く被害者の沈黙を聞く』)

私がこんなパカな応答をするわけがない。これら公文書は日本軍の深い関与を証明するもの以外のなにものでもない。この時点でもまだ上野氏は、軍の関与の問題と強制連行の問題との違いが分からなかったのである。ところが、その後、おそらく前田氏の批判を読んでであろうが、この初歩的で重大な誤りに気づいて、つぎのように訂正することになった。

「『慰安婦』問題の歴史資料の発掘にもっとも精力的に貢献してきた歴史家、吉見義明は『朝まで生テレビ』…で小林よしのりらに問いつめられ、吉見自身が発見し、一九九二年の日本政府による公式謝罪発言のもとになった防衛庁防衛研究所図書館で発見された文書は、『強制連行』の傍証にはなっても『強制連行』の事実そのものを裏付ける資料ではない、ということを認める結果になった。」(『ナショナリズムとジェンダー』)

ここで、ようやく関与と強制連行とは違うことに上野氏は気づいたのだが、私が発見した資料は最初から強制連行を明らかにする資料として取り上げたものではないという、これも初歩的な問題が、相変わらず分かっていない。1991~1992年当時の基本的な争点は、責任が問われる行為ないし強制があっただろうということを暗黙の前提として、そのような問題に日本国家が関与していたかどうかが問題になっていたのであり、私が発見した資料は、まさに国家の深い関与を示すものであったから、政府がそのことを認めざるをえなくなったのである。つまり、この文章も全体が間違っているのである。

ところが、その後さらに、上野氏はつぎのように手直しをして、新たな過ちをおかすことになった。

「吉見義明氏が防衛庁防衛研究所図書館で発見し、のちに九三年八月の河野洋平官房長官の『謝罪』発言の原因となった公文書、一九三八年二月二十三日付内務省警保局長通牒は、小林よしのり氏の表現によれば、日本軍の『よい関与』を示唆したもので、その逆を証明しない。櫻井よしこ氏によれば『元慰安婦の女性の訴えはあるが強制連行を示す具体的な資料がない』ことは反対派も含めてほぼ共通の了解となっている感がある。櫻井氏がここで『資料』というのは『公文書』のことである。」(「ポスト冷戦と『日本版歴史修正主義』」)

残念ながらこれも事実誤認の集積である。河野官房長官談話の重要性は、「慰安婦」の徴募・使役の強制性を認めたところにあるが、それは、この警保局長通牒によったのではなく、他の文書資料や証言によったのである。また、この通牒は、私が防衛研究所図書館で見つけたものではなく、政府の調査により外務省外交史料館で見つかったものである。さらに、この通牒は、日本軍の関与を示すものではなく、内務省の関与を示すものである。上野氏は、軍と内務省との違いも分からないのだろうか(小林氏が取り上げているのは、一九三八年三月四日付陸軍省副官通牒である)。また、小林氏の「よい関与」という妄言を批判的に紹介しないのも納得できない。さらに、強制連行を示す具体的な公文書がないことは「反対派」も含めてほぼ共通の了解となっているという要約も不正確である。人身売買や、騙しによる誘拐があったことを記録したアメリカ軍の公文書や、オランダ人女性を暴力的に慰安婦にしたことを示す裁判資料はあるのである。

以上、ひとつの象徴的な事例だけを取り上げたが、このことからだけでも、上野氏には「慰安婦」問題の基礎的論争点がわかっていないといわざるをえない。上野氏がすべきことは、このように中途半端な手直しをくりかえし行うことではなくて、自らの誤りを認めることと、これら全文を削除することである。

 

2.だれが文書史料至上主義か

 

上野氏は、私に対して「文書史料至上主義」(『記憶の政治学』)というレッテルを張り、時代錯誤だと批判している。

シンポジウムでは、その卜ーンがやわらげられ、このような乱暴なきめつけが撤回されたと思ったのだが、それは私の誤解であった。

シンポジウムの発言を要約したものを読むと、吉見は「実証史家」だ(上野 1997b)とされているが、当日は「単純な実証史家ではない」と発言されていたようだ。

上野氏は「実証史家」と「文書史料至上主義」者とを同じものとして扱っており、吉見は「単純」ではないが、「文書史料至上主義」者だといっているのである。

しかし、「実証史家」と「実証主義者」とは違う。

また、「文書史料至上主義」者とは、実証のための実証を行う実証主義史家のうち、文書史料だけを信頼できるものと考える歴史家だが、いまどきそんな歴史家はほとんどいないだろう。藤岡信勝氏などは歴史家ではない。

他方、「実証史家」とは、理論や方法だけを扱う「歴史論理学」者と異なって、自ら設定した課題について実証をきちんと行う歴史家のことであり、私は後者はほめ言葉と思う。上野氏は私をほめようとしているのではないから、「実証史家」という言葉を文書史料至上主義者・実証主義者の意味で使っていると考えるほかない。

上野氏は、それをつぎのような特徴をもつ者として説明している。

 

第一に、歴史の「事実」はだれの目にも単一であると考えている。第二に、「事実」は、文書資料、物証、証言などによって裏づけられなければならないと考えている。第三に、そのなかでも「口頭の証言より文書資料、文書資料より物証という序列」づけをしている(「ポスト冷戦と『日本版歴史修正主義』」)。

 

この三つが、「歴史実証主義」の特徴だが、鈴木裕子氏や吉見もこれに含まれる、と上野氏はいう。
しかしながら、少なくとも私は、第一と第三の立場はとっていないのであり、これはあまりにもひどい断定であり、上野氏がいう「わら人形たたき」である(このようなひどい論難に対しては鈴木氏も当然反論されるだろう)。

まず、第一からみると、歴史そのものは、極めて多様な運動、出来事の集積であり、対象となる「事実」が多面的であるのだから、書かれた歴史は、同じ対象を取り上げても、単一になるとは限らない。
それをどのような視点から、どのように取り上げるかによって異なる。たとえば、アジア太平洋戦争についての歴史叙述が単一になるわけがないだろう。これは、「従軍慰安婦」についての叙述についても同様である。

たとえば、在日の元「慰安婦」宋神道さんのライフ・ヒストリーについても、川田文子さんによる記録とウリヨソン・ネットワークによる記録という二つの優れたヒアリングがあるが、日本人女性と在日の女性という聞き手の位置・立場の違いから、その記録はそれぞれ特徴的な、異なった側面を浮かび上がらせるものになっている(『もっと知りたい「慰安婦」問題』)。

 

このように、同じ対象を取り上げた場合でも歴史像は単一ではないということは、 歴史学の「常識」に属する事柄であり、それぞれの視点や史料の取り扱い方により、再構成された歴史像が、どのように「事実」に迫りえているか、どの程度の説得力があるか、総じて歴史家が文書・記録・証言・物証などによってどれだけ論理的・説得的に構成されているかが問われるのである。

 

第二に、「事実」は、文書資料、証言、物証などによって構成されなければならないということは、歴史学では当たり前のことである(念のためにいうと、証言は文書史料で裏づけられなくてはならない、ということではない)。いいかえれば、どのような歴史理論や方法論も、歴史という現実を分析するための道具であり、その道具を用いて、「現実」を説得的に分析し、再構成しなければ、いいかえれば実証をしなければ、何の意味もないのである。私は、社会学の実状は知らないが、社会学の理論や方法は現実社会を分析する道具ではないのだろうか。実証を行わない理論や方法の研究などがなりたつのだろうか。

 

別のところで上野氏は「実証史観の立場では、当事者の手記、日記、回想録、口述史等は、そのあいまいさや主観性、思い違いなどによって、文書史料を補完する二次的な史料価値しか認められていない」と述べている(上野 1997a)。「実証史観」というものがあるというのは初耳だが、それはともかくとして、このように主張している歴史研究者がいれば教えて貰いたいものである。どんなに偏狭な実証主義者でも、当事者の日記に二次的な価値しかないという者はいないだろう。手記や回想記についても一次的か二次的かは別にして、大きな価値を認めないものはいないだろう。『原敬日記』や『西園寺公と政局』や『昭和天皇独自録」などをみれば明らかではないか。現実にはいない者を批判しても意味がない。

上野氏は、「言論論的転回」以降は、「歴史に『事実 fact』も『真実 truth』もない、ただ特定の視角からの問題化による再構成された『現実 realityだけがある、という見方は、社会科学のなかではひとつの「共有の知』とされてきた。

社会学にとってはもはや『常識』となっている社会構築主義(構成主義)social constructionismとも呼ばれるこの見方は歴史学についてもあてはまる」と宣言している(『ナショナリズムとジェンダー』)。


しかしながら、少なくとも歴史学では、これは「常識」ではない(西川 1998 参照)。上野氏の立場にたてば、大事なことは、「それを構成する視点」であることになり、そうだとすれば、視点によって無数の「現実」があることになり、どの「現実」をとるかは、「それを構成する視点」の内のどれかを選ぶかによって決まってくることになる。これでは、不可知論になるか、どの視点を信ずるか、あるいは好むかという信仰や晴好の問題になってしまうではないか。

 

少なくとも学問であれば、複数の構成された「現実」のうち、どれにより説得力があるか、どれに根拠がないか、ということ、つまり実証性が問われなければならない。

 

第三に、櫻井氏はいざしらず、鈴木氏や私が「口頭の証言より文書資料、文書資料より物証という序列」づけをしているというのは、不当な論難である。もし、史料の取り扱いについて、このような序列づけをしている歴史研究者がいるとすれば、それだけで失格である。樫井氏や藤岡信勝氏や小林よしのり氏のような、「二次文献」をつまみぐいしただけの人たちを「実証史家」と同列に持ち上げるのも珍妙だが、鈴木氏や私をそれと同じ水準だと断定することも納得がいかない。私がいったいどこでこのような説を述べたというのであろうか。上野流フェミニズム社会学とは、相手をこのようにおとしめて批判することが許される学問なのであろうか。あるいは、吉見程度の研究者なら、「この程度の実証性の水準で応答しておけば足りる」(「ポスト冷戦と『日本版歴史修正主義』」)と考えたのであろうか。

 

そもそも、無前提に史料に序列をつけるという発想、あるいは歴史研究者がそのようにしていると想像する予断は、実証をしたことがない者の陥りやすい過ちである。ある史料にどのような価値があるかは、何を明らかにするかという課題との関係のなかでしか決まらないものである。たとえば、アジア太平洋戦争中の大本営発表は公文書であるが、日米間の戦争の「現実」を明らかにしようとする課題からみれば、史料的価値は一部をのぞいてほとんどない(公文書だから信用できる訳ではないということをよく示す有名な実例である)。しかし、天皇制国家の情報操作の解明という課題ゃ、当時の民衆が日米戦争の帰すうをどう捉えていたかという民衆の戦争認識の実態解明という視点からは重要な史料になりえるのである。あらかじめ史料に価値が内在しているのではない。

 

「口頭の証言より文書資料」というのも無意味である。たとえば、慰安所における強制の実態の解明という課題からいえば、被害者の証言が極めて重要であることは明らかである。被害者が語りはじめた現在では、それなしには実態はほとんど明らかにできないのである。しかし、加害者側の将校や兵士の当時の日記や戦後の回想のなかにも、実態解明に役立つものは数多くある。それらを集めることが論証性・説得性を高めることはいうまでもないだろう。

 

つぎに、「慰安婦」制度の創設・運営や、その指揮命令系統といった被害者がほとんど知りえなかった事柄については、被害者の証言から再構成することはほとんど不可能であり、この点では、軍・政府・総督府の公文書(記録を含む)、軍人の業務日誌や従軍日記、戦後の回想などによるほかないのである。

 

ところで、私は上野氏の力説する元「慰安婦」の証言の画期的意味について同意するが、これらの証言の意義は上野氏にしか分からなかったわけではない。実証をしない上野氏に、「慰安婦」制度とはどのようなものであったのかを再構成する際に、これらの証言をどう取り扱うべきであるか、という問題も考えてほしい。それは、証言の画期性・重要性という次元の問題ではなくて、個々の証言の真実性という問題である。つまり、証言という場合、だれの証言のことを、いつの証言のことを、証言のどの部分のことを想起しているのか、ということである。そのことを抜きにして、被害者の証言のなかにある誇張や誤断を指摘することが、直ちに「被害者の証言の『証拠能力』を否認すること」であり、「被害者の『現実』に対する最大の(最悪の)挑戦にほかならない」(「記憶の政治学」)とするのは、証言に対する信仰告白と変わらないであろう。

 

具体的にいえば、たとえば、日中戦争期に朝鮮の普通学校生徒であった少女が、警察に連行され日本内地で「慰安婦」にされたという証言は、当時内地には慰安所はなかったのだから、信じろというほうが無理であろう。

また、1942年にビルマに行った文玉珠さんを例にとると、多くの場合、彼女は、強制的に連行されたと述べているが、韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会による時聞をかけた丁寧なヒアリングでは、「私はもうだめにされた身体だと思っていたので、どうせのことならお金でもたくさん稼ごうと思って、すぐ承知しました」と語っている(だからといって、文さんのビルマでの生活に軍は責任がないということではない。彼女はビルマでは、あまりのつらさに自殺しようとして身投げをしている)。

このような、「現実」の再構成の努力をよく考えてほしい。

 

なお、ここで安丸良夫氏の論考について、ひとことふれておきたい。安丸氏は、①被害者の証言を史料として判定し、利用の対象とする基準や判定の正当性はどのように根拠づけられるのか、②そうした判定を行うと「証言」のもっとも切実な部分が失われる可能性がありうるのではないか、と述べている(「『従軍慰安婦』問題と歴史家の仕事」)。

 

①について、「慰安婦」問題では、これまで国家責任を明確にするために、犯罪の実態はどのようなものであったのか、国家はどこまで関与したのか、という問題を明らかにしようとしてきた。そして、とくに前者の問題を明らかにするためには証言がもっとも有力な証拠となるので、その真実性の再構成に努力してきたのである。だとすれば、判定は必要不可欠となる。その際、歴史研究者がその判定に特権をもつことになると安丸氏は考えているようだが、私はそうは思わない。そのような判定は行わなければならないが、その判定をする道はだれにも開かれており(現に元「慰安婦」のハルモニたちは、証言の真実性について相互に厳しい批判者である)、判定の正当性は論証の説得性にかかっていることになる。たとえば、一九三七年以前に台湾に「慰安婦」として連行されたという証言があれば、台湾に軍の慰安所が設けられるのは、戦争末期が殆どだから、日中全面戦争期以前にはありえないと判定できるはずである。証言のもつ真実性については、研究が進めばもっと級密になされるであろうし、その場合、先行研究は厳しい批判を受けるようになるであろう。しかし、これはいかなる研究でも同様であろう。

 

②のほうはより重大な問いを含んでいる。私のこれまでの研究が、証言が問いかけた問題に十全に答え、歴史の見方を根底から問い直したと思うほど倣慢ではない。しかし、拙著『従軍慰安婦』が、全体像の解明といいながら、「慰安婦」問題の「全体としての経緯や地域的・時期的な広がりの全貌ないし概略」を明らかにしたにすぎない(安丸 1998)という安丸氏の評価は納得できない。安丸氏が挙げている四つの論点のうち、「業者」の問題、売春システムとセクシュアリティの問題、民族差別と帝国主義の問題については、及ばずながら言及しているはずである。また、問題の焦点が当時も今も強制性と国家責任の解明にあるという点で、論証の中心がそこにあるということは、当然のことではないだろうか(四百字詰め二百数十枚程度の新書ではおのずから制約がある)。

 

したがって、証言についても、実態はどうであったかということの検討が中心になっている。安丸氏は、佐倉宗五郎義民傳を例として、これが「佐倉宗五郎その人をめぐる史実の根拠にはならないが、百姓一撲をめぐる広範な人びとの表象としては歴史のなかで大きな意味をもってきたのであり、そのゆえにまた百姓一揆にかかわるある真実を伝えてきたのである」(「『従軍慰安婦』問題と歴史家の仕事」)と述べている。この「ある真実」が重要であるということはよくわかるが、今、問題になっているのは、これとは次元の異なる事柄ではないだろうか。

 

「慰安婦」問題では、いま「佐倉宗五郎その人をめぐる史実」に相当するものが問われているのであり、史実とは関係のない「慰安婦談」が今後どのような「真実」を伝えることになるかは問われていないのである。

 

とはいえ、元「慰安婦」の証言の真実性だけ取り出せば済むという問題でないことは承知している。
これは、すでに、松村高夫氏が、イギリスのオーラル・ヒストリーの成果を紹介するなかで、「untrue つまり真実でないということと、false、偽りということとは別」であり、「いくらしゃべったことがuntrue、事実ではなくとも、偽ってしゃべった、記憶を違えてしゃべった、あるいは期待を込めてしゃべったということの社会的意味、歴史的意味というものを明らかにすることが、オーラル・ヒストリーのもう一つの重要な側面」であるとイギリスのオーラルの歴史家はいっていると述べている(松村 1987)ことと関連する。彼女たちがなぜこのような証言をしたのか、現にしているのか、ということを歴史学の問題として考えなくてはならないということであり、この点は、今後の課題としたい。


安丸氏の論文で見逃すことができないのは、どっちもどっちだという議論に流されやすい部分である。
私がいいたいのは、この論文のリードに「『慰安婦』の強制連行をめぐって、『自由主義史観』の『実証』に吉見義明氏の『実証』を対置することは、歴史の全体像を抑圧することになりはしないか」とあることである。まるで私が「実証」を対置することしかしていないようではないか。
あるいは、この文章は編集部が勝手につけたもので、安丸氏に責任はないかも知れない。しかし、「自由主義史観」派の「実証」におされて、吉見は「軍による直接的な強制連行はこれら〔朝鮮・台湾〕の地域ではおそらくなかった、しかし、強制は慰安所のなかで日常的に行われていたのだから、この強制が核心的な問題だと、論争の焦点を組み立て直している」と安丸氏は述べている(安丸 1998)。これは、明らかな事実誤認だが、安丸氏のような優れた歴史家が、このように「自由主義史観」派の宣伝を信じているのは、ある意味でショックである。実際はどうか。

私の『従軍慰安婦資料集』(一九九二年)や「従軍慰安婦』(一九九五年)を見ていただければすぐに分かることだが、どこにも朝鮮・台湾で軍による直接的な暴力的連行があったとは書いていない。また、問題の吉田清治氏の著書や証言は一切引用していない。これは、この著書や証言には日時や場所を変えた場合もあるとのことで、虚と実の部分が判定不能であり、資料として使えないからである。また、『従軍慰安婦』の構成を見ていただければ分かることだが、第3章で徴募時における強制の問題と未成年者の連行・使役の問題を扱い、第4章で、慰安所における強制の問題を扱っている。「論争の焦点を組み立て直している」のではなくて、最初から「自由主義史観」派のような、いわゆる「実証」に対処できるようにしているのである。再検討していただければ幸いである。


3.「慰安婦」制度は公娼制か


上野氏は、「慰安婦」は公娼ではないとする立場にたつ者として、川田文子氏・倉橋正直氏や「韓国の支援団体」とともに、私の名を挙げ、藤目ゆき氏の論文を引用しながら、「『慰安婦=公娼』論〔小林よしのり氏らの議論〕と『慰安婦=非公娼』論とが、『同じ女性観』を共有している、と「藤目氏が厳しく批判している」と述べて、私を含めて批判している(上野 1998b)。これも不当な論難である。

まず、倉橋正直氏と私の立場がまったく異なることは、拙著『従軍慰安婦』を読めば明らかだろう。
川田氏もこのような不当な一般化には困惑しているだろう。「韓国の支援団体」と同じ考えを共有しているわけではない。韓国挺身隊問題対策協議会との二度の共同研究会では「慰安婦」制度は朝鮮民族抹殺政策の一環であったかなどをめぐって激しい議論をしてきでいるが、同様に「慰安婦」制度と公娼制が異なるものであるという論拠は、両者とも同じものではない。上野流のこのような大ざっぱな分類法でいけば、小林よしのり氏らの「慰安婦=公娼」論と藤目氏や鈴木裕子氏の「慰安婦=公娼」論は、同じ議論の表と裏にすぎないということになってしまうではないか。表面的な検討だけで概括されてはたまったものではない。

藤目氏の議論と私の議論の違いはどこにあるのだろうか。この点についてはすでに論じたが(吉見 1998)、念のためにくりかえしておくと、公娼制度を広義の国家管理売春制度と定義すれば、国内の管理売春制度も(当時も今も)、「慰安婦」制度も、ともに公娼制度ということになろう。そのことに異論はないが、しかし、「慰安婦」問題で、日本国家の謝罪と賠償が現実的な課題になっている現在、「慰安婦」制度と戦前・戦中の狭義の公娼制度との共通する側面と相違点をきちんと整理することが問われているのである。「過去は現在の問題関心にしたがってたえず『再審 revision』にさらされている」(上野 1998a)と高らかに宣言した上野氏が、現在の課題に無関心なまま、議論のための議論をして混乱を巻き起こすのはいかがなものだろうか。

他方、藤目氏の論文は、重要な論点を提起しているので、ここでも再論しておきたい。藤目氏は、私を直接名指ししてはいないが、「慰安婦」制度には、「拒否する自由」「廃業の自由」「外出の自由」も認められていない文字どおりの性奴隷制度であったという私などの議論は、「近代公娼制度の名目性に高い評価」を与え、「合法化された暴力たる公娼制度に対する批判を手控えるもの」だと批判 ている(藤目 1998)。

しかし、私は、狭義の近代公娼制度の名目性に高い評価をあたえてはいない。それは、娼妓は自由意志で「売春」をしているのだという外見をつくるために、政府が「廃業の自由」などを認めているにすぎず、そのような「権利」を実現する条件を欠いていた。一九五五年に最高裁判決が出るまで、前借金で縛って「売春」を強制するシステムは、むきだしの拘束がある場合をのぞいて、裁判所が事実上保証していた。このような買売春問題に関する無法状態を視野に入れなければ、歴史の実像は明らかにならないだろう。だから、公娼制度は事実上の性奴隷制度だといっているのである。しかし、「慰安婦」制度には、そのような名目的な「自由」すらなかった。たとえば、武漢兵砧の慰安所を管理していた山田清吉元大尉は、「妓は自分の身体で稼いで前借を返さねばならぬという拘束がある。何とも不合理な話なのだが、私にも特別の配慮のしょうがない」と述べている(山田 1978)。いうまでもなく「妓は自分の身体で稼いで前借を返さねばならぬという拘束」があれば、公娼制度のもとでも、直ちに公序良俗に反し違法としえたのだが、「慰安婦」制度では違っていたのである。

また、国家の関与の程度についてみても、両者には大きな違いがある。「慰安婦」制度では、女性の徴募にあたっても国家が業者を選定しているし、渡航・移動などでさまざまな便宜を供与している。慰安所の設置の決定は軍が行うし、慰安所の建物の接収・改築や料金・利用規則も軍が決定している等々。
公娼制度では、政府や府県は、このようなことまでは行っていない。

さらに大きな違いは、公娼制度が、平時に、主として日本内地や植民地・租借地などに置かれたのに対し、「慰安婦」制度は、戦時に、主として国外の戦地・占領地に設置されたことである。近代天皇制国家のもとでの平時の性暴力と、十五年戦争下という特有の時代の戦時の性暴力とは、共通面はあるものの違いは大きいのであり、この意味では、公娼制の一形態というとらえ方は、不十分だというほかはない。また、この点では、安丸氏の「戦争と性暴力はいつでも結びついているものだとか、公娼制の一形態だとかするよりも、ずっと複雑な論理で捉えなければならない」(安丸 1998)という見解に同意する。

 

4.国際法違反を問うことは強者の論理への屈服か

 

「慰安婦」問題で国際法(国際人道法)違反の問題を明確にしてきたことは、1992年以来、法学者・弁護士と歴史研究者が共同して解明した大きな成果のひとつである。これに対しても、上野氏は非難の声をくりかえし浴びせている。
たとえば、「第三に、国際法がその時代の列強間パワーポリティクスの妥協の産物であることは常識であるのに、国際法に依拠する議論は既存の国際秩序を正義ととりちがえる働きをする」などといっている(上野 1997a)。 

 

この文章はあまりにも一面的であり、前田朗氏の「妥協の産物であり、時代の歴史的制約もあったにもかかわらず、当時の国際条約が婦女売買や強制労働を禁止(または制限)していたことこそ重要なのである」(前田朗 1997 1998) という反論を受け、後につぎのように書き直している。

「国際法や国際政治を専門とする人々の『現実主義』は、結果として現状追認の保守主義に陥りがちな傾向がある。」(上野 1998a)

しかし、これでは、単なる一般論であって、なぜわざわざそんな分かりきったことをいわねばならないのか、訳が分からない。

上野氏は、国際人道法違反を問う者はすべて「現実主義」者であると考えているのだろうが、これも、不当なきめつけである。

私たちは、日本国家は、「慰安婦」制度を創設・運用することにより、当時の国際法如何にかかわらず、女性たちの人権を侵害したが、当時の国際法にも違反したという二段構えで、追究しているのである。
また、上野氏は無視しているようだが、国際法違反のうち、「人道に対する罪」は、当時の国際法には明確には存在せず、「ニュルンベルク国際軍事裁判」と「極東国際軍事裁判」で実定化されたものである。

なぜなら、当時の国際法の水準では裁ききれないような重大な犯罪行為が起こり、これを見過ごすことは許されないという判断があったからであり、新しい法理が事後に定立されたのである。

これだけでも、私たちが「当時の人権論」の水準だけで考えているというのは、不当な論難であるといえるだろう。

 

さらに、現在焦点になっているのは、国家の法的責任を日本政府に認めさせることができるかどうかという点にある。

日本政府は、「慰安婦」問題で「道義的責任」は認めるといっているが、それは法的責任は絶対に認めないということの日本的表現にほかならない。

また、被害者に医療費などを支給するといっているが、その裏には、償いのお金は一円たりとも払わないという強い姿勢が隠されている。

このようなときに、国際人道法の側面から日本政府の法的責任を追及する運動に対して、お前たちには「結果として現状追認の保守主義に陥りがちな傾向がある」と、高踏的に述べることにどんな意味があるのだろうか。

 

以上、上野千鶴子氏の最近の言説にたいして、反論を述べてきたが、私の願いは、上野氏の回転の速い優秀な頭脳を、それを証明するためだけに用いるのではなく、「慰安婦」問題の解決のために、「良心的」かつ「誠実」に用いていただきたいということである。本稿は、そのための内部の相互批判として書いたことをもう一度確認しておきたい。

 

引用文献
上野千鶴子 1997a「記憶の政治学」『インパクション』一 三号、一九九七年六月。
上野千鶴子 1997b「現在進行形で続く被害者の沈黙を聞く」『論座』三二号、一九九七年一二月。
上野千鶴子 1998a『ナショナリズムとジェンダ 』青土社、一九九八年。
上野千鶴子 1998b「ポスト冷戦と『日本版歴史修正主義』」『論座』三五号、一九九八年三月。
金富子・梁澄子ほか 1995『もっと知りたい「慰安婦」問題』明石書底、一九九五年。
川田文子  1993『皇軍慰安所の女たち』筑摩書房、一九九三年。
西川正雄 1998「御託宣と歴史学」『岩波講座世界歴史月報』一〇号、一九九八年七月。
藤目ゆき 1997「女性史からみた『慰安婦』問題」『季刊戦争責任研究』一八号、一九九七年二一月。
前田朗 1997「上野千鶴子の『記憶違いの政治学』」『マスコミ市民』三四六号、一九九七年九月。
前田朗 1998『戦争犯罪と人権』明石害賠、一九九八年。
松村高夫 1987「イギリスにおけるオ lラル・ヒストリー」『歴史学研究』五六八号、一九八七年六月。
安丸良夫 1998「『従軍慰安婦』問題と歴史家の仕事」『世界』六四八号、一九九八年五月。

吉見義明 1995「従軍慰安婦」岩波新書。一九九五年。
吉見義明 1997「『従軍慰安婦』問題で何が問われているか」中村政則ほか『歴史と真実』筑摩書房、一九九七年。
吉見義明  1998「『従軍慰安婦』問題-研究の到達点と課題」『歴史評論』五七六号、一九九八年四月。 

 

 出処:ナショナリズムと「慰安婦」問題 「従軍慰安婦」問題と歴史像 -上野千鶴子氏に答える(吉見義明)(2009年6月29日)

 

シンポジウム ナショナリズムと「慰安婦」問題

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従軍慰安婦 (岩波新書)

従軍慰安婦 (岩波新書)