【記者コラム】こんな無罪とは…朴裕河の場合(京郷新聞)

 

昨年、平壌で第7回労働党大会を取材中だったBBCの記者が金正恩労働党書記の失礼な報道をしたという理由で3日間抑留された。同じ頃に日本の産経新聞記者も、朴槿恵大統領に関する記事のために8ヶ月間抑留された。名誉毀損と出国禁止という法律用語を使ったが、本質は変わらない。

 

名誉毀損、この言葉が否定的に感じられるのは、政治権力が不当に使用しているためだ。政権は権力監視を個人攻撃だとして、損害賠償を要求し刑事罰を試みる。しかし、名誉毀損罪の罪罰を問うこと自体は悪ではない。名誉毀損は憲法が保障した人格権の侵害であり、人格権は表現の自由に劣らない基本的権利である。

 

言論(著述)による名誉毀損は、何によっても違法である。米国と英国では厳重な損害賠償責任を負う。数十億ウォンの懲罰的損害賠償が認められることも数多い。ドイツとフランスであれば、損害賠償に加え刑事犯として処罰される。ただし公益の目的があり、真実であれば責任を逃れる。真実の発見だけが人格保護より優先される。

 

朴裕河・世宗大教授の1審裁判が終わった。 『帝国の慰安婦』により慰安婦の名誉を毀損したとの民事と刑事裁判だ。まず、2015年民事裁判所が著書表現の削除要求を認め、2016年には慰安婦被害者に対する損害賠償を命じた。先月、刑事裁判所が名誉毀損容疑で無罪を宣告した。朴教授は「賢明な判断だ」と述べた。

 

問題の本もそれに反論した本も繰り返し読んだ私は、無罪判決文を求めた。名誉毀損を認めた2つの民事判決からどのように突破したのか気になったからだ。被害者が存命する歴史的事実をどこまで記述することができるかどうか、裁判所は厳しく論証するはずだった。アメリカ、ヨーロッパ、国連が関与した世紀の出来事であり、表現の自由に関する世界の裁判である。

 

判決文に目を疑った。これといった論証がなに一つ見あたらなかった。すべての叙述は、事実(fact)と意見(opinion)に分けられる。事実は、真実(truth)と虚偽(false)に分けられる。名誉毀損は、事実、つまり虚偽を記述した場合に該当する。意見は刑事処罰の対象ではない。しかし現実は、事実と意見が入り乱れた場合が数多くあり、そのため判事は事例を調査し、判例を研究する。

 

先に行われた2つの民事裁判は熱気があった。 2015年の名誉毀損表現の削除が要求された裁判では、民事裁判所は34箇所で(虚偽)事実と名誉毀損があるとした。 2016年の損賠賠償の裁判でも同様の作業を経て、名誉毀損と人格権の侵害を認めた。刑事事件は、すでに認定された34箇所を含めた35カ所の名誉毀損について争った。ところが、裁判所は30ヶ所を単純な意見だとした。論証はしなかった。

 

イ・サンユン裁判長は35ヶ所の表現が真実なのか虚偽であるかを分けもせず、歴史記述の限界点を明らかにもしなかった。そして判決文にはこう記された。 「不明瞭な概念や抽象的であいまいな表現、前後矛盾したものと見られる記述などが多数発見されたことなどに照らしてみると(中略)、被害者に対する既存の社会的評価に有意なほどの負の影響を与えることは難しい。 」

 

大雑把に言えば、朴教授の粗い研究と難解な表現のために名誉毀損を行うことに失敗したということだ。そのためか、「性急な一般化、過度な飛躍、論理誤謬」などの学界の評価も裁判所は認定した。こんなにも簡単な判決で、歴史的な紛争が整理されるのだろうか。


「名誉を保護してくれるとの信頼がない社会では、人々が意思形成過程に参加することを躊躇する。このような社会での表現の自由とは、他者を考慮せずに自身の意見を貫徹しようとする、個人等の専有物となる危険性がある。」これは、法科大学の憲法教科書の「表現の自由」についての解説である。結論に1行無罪と記すだけで、表現の自由が保護されるわけではないのだ。

 

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社会部 イ・ボンジュン

[原文] [기자칼럼]이런 무죄라니, 박유하의 경우 - 경향신문