石丸次郎の朝鮮半島報道の抱えている問題点(ZED氏)
『*[石丸次郎]』の検索結果 - bogus-simotukareの日記より、ZED氏が記された「石丸次郎の朝鮮半島報道の抱えている問題点 2006年総連・民団和解の件を例にして」を転載します。
石丸次郎というジャーナリストとその発言内容の何が問題なのか、という事を今一度おさらいしておきたいと思います。
現在の日本、とくに2002年の小泉訪朝以降は北朝鮮バッシングや在日朝鮮人に対する偏見を扇動する報道が全く珍しくなくなりました。むしろ日本のマスメディアに氾濫していると言って良いでしょう。ただそれでも、そうした右派の書いた北朝鮮バッシングや在日朝鮮人への偏見を煽る露骨な記事や発言は、こうした2002年以降の日本のひどい社会状況でも批判する人や機会がまだいくらかありました。石原慎太郎や橋下徹は言うに及ばず、拉致問題関連団体に対しても大手マスコミでは無理でも小さな媒体やインターネット上ではまだいくらか批判の声がある事はあったのです。
ところがこうした無数にいる日本の「反北朝鮮派言論人」の中でも不思議と批判的論評に晒される機会が極端に少ない(と少なくとも筆者には思われた)おかしな人間がいました。それこそが石丸次郎に他ならなかったのです。この男のシンパが書いた礼賛の言葉は嫌になるくらい聞いてきましたが、逆の評というものはこれまでまず聞いた事がありません。では石丸次郎の書いた記事や発言内容がそんなに優れていたのか? そんな事は全くありません。石丸次郎の北朝鮮関連記事などそうした腐るほどある「北朝鮮バッシング」のほんの一角でしかなく、記事の内容もそこらの右翼・保守派の評論家や記者が書いたものとさしたる違いはないのです。別の「反北朝鮮派言論人」の名前に誰でもいいから差し替えて発表したとしても、主張や内容面でほとんど見分けはつかないでしょう。
(中略)
こうした石丸次郎の朝鮮半島観に一貫して流れているのは「朝鮮半島問題は何もかも全て北朝鮮だけが一方的に悪い」という歪んだ意識に基づくものです。映画「送還日記」で石丸の旧友だった金東元監督もいみじくも語っていたように、転向後の石丸は朝鮮半島問題の原因と責任を何もかも北朝鮮だけにおっ被せて、他の原因、とりわけアメリカ(と同時に日本も)が南北朝鮮に及ぼしている軍事的・政治的・社会的影響を全く考慮しようとしません。これは他の凡百数多在る「反北朝鮮派言論人」達とも全く違う所のない点です。
考えてみると、かつてはここまで露骨な北朝鮮バッシング論客というのは基本的に右派・保守派メディアが主な活躍の場でした。ところが石丸の場合はそうでなく、むしろ比較的左派・リベラル系・市民派と見なされてきた媒体や団体で主に活動を続けてきたのです。サンデー毎日はもちろん、週刊金曜日もそう。一部の左派的市民団体の集会に呼ばれたりもしますし、何よりも石丸自身の所属する「本籍地会社」のアジアプレス自体が世間一般的にはそうした「市民派メディア」のイメージで見られているでしょう。つまり後の「佐藤優現象」の先駆者とも言えるほど、石丸は左派・リベラル系媒体で右派・タカ派的な北朝鮮バッシング報道・発言を繰り返してきたのです。今でこそ左派・リベラル系媒体でもひどい北朝鮮攻撃記事は珍しくありませんが、そうした現象はかなりの部分を石丸によって「開拓」されたと言って良いでしょう。北朝鮮報道に関する限り、石丸は佐藤優の「大先輩」と言う事が出来ます。
そもそも石丸はなぜそのような事、つまり左派メディアで右派・タカ派的な北朝鮮バッシング報道を敢行する事が出来たのでしょうか?
それは本人が左派・市民派・リベラル系媒体に出入出来るようなイメージ・虚像を、それこそ涙ぐましい、時には滑稽なほど必死になって作り上げてきたからです。今はそうでもないのですが、何年か前までは日朝国交正常化関連の集会に石丸が出て来る事は珍しくありませんでした(中略)し、その場でなんと「リムジンガン」を売ってたりする事までありました。
またこの男は時折適度に「良識的」なセリフを言って、自分が他の「反北朝鮮派」と違うのだという事をアピールしたりもします。例えば朝鮮高校の無償化適用を「拉致問題を理由に」除外するのは反対だ(注:ただし「教育内容を理由に除外」は石丸は賛成)などと言ってみせたり、佐藤勝巳のような歴史修正主義者とは一緒に行動出来ないなどと言って、その手の狂信的な極右系とは違うかのように振る舞う。
(中略)
そして何よりも在日朝鮮・韓国人に友人がいる事や、その人権を擁護しているかのように主張する事でしょう。石丸がこれまでに手を組んできたり持ち上げて利用して来た在日の著名人には朴斗鎮や辛淑玉、ぱぎやん(趙博)などがおり、2002年の「北朝鮮報道のあり方を考える会見」などはその最たるものでした。
(中略)
こうした涙ぐましい扮装が功を奏して、あれだけひどい北朝鮮報道を繰り返しておきながら単なる右翼と見なされる事を回避するのに成功し、左派・市民派・リベラル系媒体に活動の場を獲得するほど「良心的北朝鮮批判者」のように振る舞う事が出来たのでした。
もちろんこれは壮大な誤解、それも当人が意図的に作り上げた自己の虚像に基づいたものに過ぎません。虚像はどこまでも虚像です。にも関わらず、石丸次郎のシンパ・支持者達はこうした問題が全く目に入らないのかこの男を礼賛し、結果石丸はこれまでさしたる批判に晒される事もなく、現在に至るまで「北朝鮮報道の第一人者」という「尊称」を奉られてきました。その結果、どれだけ北朝鮮と日本の外交関係悪化や軍事的緊張を高めたり、日本国内における北朝鮮や総連・在日朝鮮・韓国人へのイメージ悪化と民族差別がひどくなるのに大きな影響を与えたか計り知れません。
昔のように右派・保守派メディアだけで北朝鮮バッシングをやる分には、まだ与える影響に程度がありました。ところが、本来ならば平和や対話を主張したり民族差別に反対するべきはずの左派・市民派・リベラル系メディアで、石丸のように右派・タカ派そのものの北朝鮮バッシング報道が行われれば、そちらの方がはるかに悪影響が大きいのは言うまでもありません。それまで北朝鮮バッシング報道を「右翼・レイシストのやる事だから」と思って相手にしなかった者でも、「左」の側から同じ事が報道されたら「やはり北朝鮮は悪い国であり、朝鮮人を日本社会から排斥するのはやむを得ない事なのか」と勘違いさせる危険がはるかに高いでしょう。
石丸はこれまで自身が民族差別に反対してきたかのように振る舞っていますが、実際にこの男のやってきた報道内容を考えればとてもそんな事は言えないはずです。あれだけひどい北朝鮮バッシング報道をして結果的に在日朝鮮人への偏見を高めるような真似をしておきながら、民族差別に反対してきたなどとんでもありません。口先の言い逃れとは違って、実際には石丸次郎こそ在日朝鮮人への差別・偏見を扇動してきた日本の言論人の代表的な一人です。
筆者がこれまで石丸次郎批判を繰り返して来たのは、この男の反北朝鮮報道が目に余るにも関わらず、それに対する批判や反論が他にほとんど見られない為でした。この男の「在日の人権を擁護するかのように振る舞いながら、実際にはそれを破壊するような報道ばかりをする。また、その口先だけの『良識派』ぶった装いで、従来なら右派メディアの独壇場だった北朝鮮バッシングを左派メディアでも大々的に行う事に成功し、北朝鮮との軍事的緊張を高めたり在日朝鮮人への差別・偏見を煽って社会的悪影響を及ぼす」という悪質な手口(注:石丸版「佐藤優現象」)をどうしても看過出来なかったからに他なりません。
そこで今一度、この男の報道内容がいかにそこらの右翼のアジビラと違いのない、今の日本ではありふれた北朝鮮バッシングの一つに過ぎないものかという事を御覧いただきたいと思います。サンプルとして例示するのはやや昔の出来事ですが、2006年の総連と民団の和解と結果的にそれが破談した出来事の記事にしました。これを石丸の書いた記事と、韓国で報道されたある記事とを比べてみる事にしましょう。
(中略)
まずは以下のリンク先記事を御覧下さい。これは当時石丸次郎が発表した「総連・民団和解」について述べた記事です。これはアジアプレスのホームページで今でも配信されていますがそちらは有料になっているので、阿修羅という掲示板に転載されていた方を御覧いただきましょう。
民団ー総連`歴史的野合`の舞台裏(石丸次郎の‘言わしてもらいます‘29)
http://www.asyura.com/0601/asia4/msg/822.html
次に御覧いただきたいのがやはり同時期に発表された韓国のウェブ新聞プレシアンに掲載された、この件に関する記事です。
(中略)
「民団-総連和解」白紙化 北朝鮮のミサイルの為だと?
「日本政府圧力」「民団内部葛藤」ですでに白紙化
6日午前、在日本大韓民国居留民団(民団)が、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)との和解宣言を白紙化したと発表した。民団が明らかにした直接的理由は「ミサイル」の為だ。
だが、「民団と総連の和解宣言白紙化」は先の6月24日に開かれた民団の臨時中央委員会で決定された事に変わりはない。事実上白紙化された状態で北朝鮮のミサイル発射が公式発表の契機となったのだ。ならば先の5月17日に電撃的な「和解宣言」以後に一体どのような事が起こったのだろうか
5月17日、民団・河丙オッ(ハ・ビョンオッ)団長は東京の朝鮮総連本部ビルを電撃訪問していわゆる「5.17宣言」を発表した。民団と総連が互いに和解して協力していくという内容であった。
だが発表されるや否や、民団内部の反発が大きかった。事実上「5.17宣言」は、民団の基盤組織を担当している保守的な地方団長達に共感を得る事が出来なかった中で飛び出した突然の措置であったからだ。
・民団-総連和解宣言は6月24日にすでに白紙化
日本の在日同胞社会の消息に精通したある人士は「和解宣言自体が、河団長が地方団長達との共感や合意なしに発表したものであった為、地方団長達は『民団は卑屈だ』という表現まで使って強烈に反発した」とし「これに先の6月24日臨時中央委員会で河団長が地方団長達の前で謝罪するに至った」と説明した。
6月24日中央委員会では170余名の中央委員が集まったが、一部強行保守派委員達は「河丙?は退陣せよ」「民団に親北勢力が浸透した」として執行部を猛烈に攻撃し、河団長の退陣を要求して中央代議員大会召集を要求した。
まだ河団長の退陣を骨子とした代議員大会召集の可否は決定していなかったものの、河団長は中央委員会で「事実上5.17共同宣言は白紙化された」として総連との和解を推進した5人の副団長を更迭した。民団内保守勢力に屈服したもので、5.17宣言はすでにこの時に無効化していたのである。
また、総連との和解に対する民団内部保守勢力の強力な反発は日本社会の極右化の動きと反北朝鮮、反総連の雰囲気とも無関係ではない。
北朝鮮と日本が「横田めぐみ遺骨」返還問題などで葛藤をもたらし始めて以降、総連は公式的に「総連」という名前を掲げて活動するのが難しいほどに日本国内で孤立している境遇だ。対外活動がほとんど中断されたと見ても差し支えないほどだと伝えられている。
・日本政府、極右勢力、執拗に民団攻撃
このような雰囲気は「5.17宣言」以後、民団も「反北朝鮮」の標的にした。5日の「時事ジャーナル」によれば、5.17宣言以降に日本右翼達は民団中央本部ビルの前で「民団は日本から出て行け」「竹島は日本の領土」という掛け声を上げて、3日間にあげずデモと街宣を実施して民団を圧迫した。
「産経」「週刊文春」など日本保守マスコミも河団長が「親北人士」だという色分け論を繰り広げて民団攻撃に出て来た。これらマスコミは河団長が総連系大学出身だと報道したが、事実確認の結果、河団長は東京法政大学生時代に総連系朝鮮学校で3年間英語教師として活動したのが全てである。河団長はこれまでの30余年間民団の主要人物として活動し、この前歴が問題になった事は一度もない。実際に民団所属在日同胞達も、韓国語教育などの為に子女達を総連系民族学校に送る場合が多い。
これよりもさらに深刻なのは、日本政府が民団に圧力を加え始めたという事だ。最も具体的な事例としては、横浜市が5.17宣言以降に、民団支部が所有する建物と敷地に対して取ってきた固定資産税減免措置を取り消して今年から270万円(約2500万ウォン)の税金を賦課すると通知してきた事が挙げられる。その間、民団の建物はマウル会館のように「公益施設」に分類されて免税の恩恵を受けて来た。日本政府が総連の施設に税金を賦課してきたのと同様の圧迫手法である。
日本の国会でも政府に対する質問形式で、民団に対して総連と同じ水準の制裁を取れると恫喝をし、日本国税庁と警察庁なども民団系企業家達に「税務調査」などの圧迫を課したと伝えられた。
ある消息通は「日本内民団系企業家の相当数がパチンコ屋を運営しているが、関係当局が税務調査に入ったらいくらでも潰す事が出来るほどに政府の圧力は致命的」と伝えた。
総連を目の上のタンコブのように見なしている日本政府と右翼などの勢力が「5.17宣言」以降「民団も総連のように追及出来る」と圧迫を加え、そうでなくとも総連との和解宣言に不満を抱いていた民団内保守層が強く反発に出て来たのだ。
ここに「横田めぐみ遺骨問題」で日本内反北朝鮮世論が逆巻いた時点でミサイルまで発射され、民団はこの時点で「ミサイル」問題で騒ぎたって総連との和解白紙宣言を公式化する機会にしたとの分析だ。
・同胞社会、朝鮮半島情勢によって右往左往
だがこうした「和解白紙化」によって、60年間続いてきた民団と総連の葛藤が解消するという期待すら水泡に帰するのではないかという憂慮の声が強い。
民団と総連は「親南」「親北」の主張を掲げて活動してきながら葛藤と緊張関係を続けてきた。だが、世代を重ねる毎に南北どちらかに片寄った主張は薄れ、それだけ新世代の民族性も退色していっているのが事実だ。したがって、民団であれ総連であれ既存の慣行を捨てて積極的な改革に出なければならないという声が大きい。河団長の推進した「和解宣言」もこのような脈絡から下された決断であった。
河団長は5.17宣言過程の非民主制、内部反発などによって総連との和解を白紙化したが、再び民主的手続きを経て総連との和解を試みるという意思を捨てていないだろうと知られている。だが北朝鮮のミサイル発射によって「和解再試行」の時点は遅らせる以外にないようだ。
韓日、朝日関係の風向きによって様子を見るしかない在日同胞達が大手を振って交われる日は果たしていつであろうか。
金ハヨン記者
(訳 ZED)
韓国語原文記事はこちら。原文でも読める方はぜひそちらでもお読み下さい。
http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=60060706172034&Section=
両者をお読みなって比較されればもう一目瞭然でしょう。いかに石丸次郎が「総連・民団和解」という出来事を貶めるのに躍起になっていたかを。「歴史的野合」「時の権力者へのゴマすり、おべっかともとれる言葉を並べ、締めくくりは金の無心」「財政難の民団」「在日朝鮮人100年の歴史の最大の悲劇である<北朝鮮帰国事業>」「メディアから訊かれたくないことがあまりに多かったからであろう」「このようなことを‘欺瞞‘というのではないか」といったあらん限りの罵詈雑言が並べ立てられており、その間に在日が日本社会の差別や本国の情勢にどれだけ翻弄されてきたかという歴史など一切考慮しない、まさに誹謗中傷の塊のごとき記事と言って良いでしょう。これを「右翼のアジビラ」と言わずして何と言うのでしょうか。
やはり同じ時期に産経や週刊文春などの日本右派メディアがこの件についてひどい誹謗中傷記事を垂れ流しましたが、それと石丸の記事にどれほどの違いがありましょう。櫻井よし子も当時同様に「総連・民団和解」を攻撃する記事を書いていましたが、上記石丸記事の執筆者名を「櫻井よし子」に入れ替えても全く違和感ありません。
挙句の果てには自身の在日シンパである朴斗鎮やぱぎやんの言葉を引用して正当化を図る。いかにも「俺には在日の支持者や友達がいるんだ。だからこの記事も民族差別に基くものじゃない」と言わんばかりです。石丸の記事によそが発表した同種同類の記事と違う点があるとすれば、こうした「私の周囲の在日韓国・朝鮮人の知人・友人たち」の声とやらを引用する形で「自分がいかに差別主義者ではないか」という「言い訳・弁明・言い逃れ」を試みているというくらいでしょう。
一方、プレシアンの記事はどうでしょうか。こちらは事実経過を丹念に追った丁寧な仕事であり、在日朝鮮・韓国人の置かれている過去の歴史や小泉訪朝以降の現況なども踏まえて「総連・民団和解」の件を記した良質な記事と言えます。
この記事には注目すべき情報がいくつもあるのですが、まず当時の民団団長であった河氏の履歴について。当時日本の右派メディアは河氏について「朝鮮大学を出た総連シンパ」という報道を繰り返し、今でもウィキペディアの氏に関する項目や、ネット右翼のサイト・掲示板ではそのように書かれていますが、それが全くの誤りであった事が明らかになっています。学生時代に朝鮮学校で3年間だけ英語の先生をやった、というだけであって、それ以外に河氏が朝鮮学校に在学したり総連の組織に在籍していた事などありません。これなどひどい謀略デマ情報以外の何者でもないでしょう。何も知らない日本人は勘違いしやすいのですが、総連と民団という組織の「政治的対立」はあれども在日の社会は狭いもので、日常の生活では双方の系列の人間が頻繁に交流しています。それは人間の営みとして当然の事でしょう。同じ家族・家庭の中で朝鮮籍・韓国籍が混在しているなど当たり前ですし、上記記事にもあったように韓国籍の親が子供を総連系の民族教育機関に送る事も当たり前です(もちろんその逆の例もあり)。河氏の場合もそうした当たり前の例に過ぎず、それを大幅に捏造して「総連・北朝鮮のシンパ」呼ばわりするなどとんでもない大嘘に過ぎません。
石丸次郎が自身の記事中でこうした河氏の履歴に関する怪しげなデマを引用しなかったのは、敵ながらあっぱれと、まあ褒めておきましょう。ただし石丸はそうした世間一般に広まっているデマを正して事実を書くような事もしてはいません。単に怪しげな情報だから扱わなかったか、事実を知っていても都合が悪いから黙殺しただけだと思われます。
さらに最も重要なのは、当時この「総連・民団和解」に対して日本政府や右翼からの凄まじい妨害や圧力や攻撃があったという事でしょう。いわば官民一体となった日本社会そのもの、「オールジャパン」でこの在日朝鮮・韓国人社会の和解を破壊したという事実です。小泉訪朝以後の拉致フィーバーから、北朝鮮への制裁と連動して総連の関連施設への税金減免措置などが解除されるといった圧力・弾圧が続いていますが、日本政府はそれと同じ事を民団に対してもやろうとしました。総連と和解しようとしている、という理由でね。もちろん総連系企業家(中略)に対する税務調査も当局は制裁・圧力の一環として繰り返してきましたが、それを民団系にまでやるぞという恫喝を国会質問で行いました。
まさに国家ぐるみの人権侵害・弾圧、民族差別政策そのものではありませんか。
また、右翼団体が民団の本部へ連日のように街宣を掛けていた事も日本ではほとんど知られていません。この時右翼は何と言って街宣をしましたか? 「民団は日本から出て行け」ですよ。このスローガンは単に民団という組織だけに浴びせられたものではありません。全ての在日に対して浴びせられた差別的言辞です。例え民団や総連のような既存の民族団体に良い感情をもっていない在日であっても、そのような事を言われれば怒るのが当たり前であり、そのように受け取る事が出来なければ人間としておしまいでしょう。そもそも自分達の内部対立を自主的に解消しようという行為を、何で日本人にあれこれ言われて妨害されなければならないのか!
やはり石丸次郎の在日シンパの一人である辛淑玉は、かつての自著で「日本人から『朝鮮に帰れ』と言われる事が一番傷付く」と言っていた事がありました。ところがどうでしょう。辛淑玉は石丸のシンパというだけでなく、南北首脳会談や総連と民団の和解に対して嘲笑し、極めて冷笑的な態度を貫いてきました。まさにその総連・民団和解の最中に右翼が民団に対して同様の事を言ったのです。辛淑玉はそれでも何の怒りも悔しさも感じなかったのでしょうか。後々まで辛淑玉は、総連・民団和解妨害派である石丸と何の疑問も矛盾も感じず共闘している事から、あの時の右翼のスローガンを己に浴びせられたも同然とは受け取っていないのは明白です。これはこの女がすでに在日としてどうかという以前に、人間としてすでにおしまい状態である事を端的に表しているでしょう。
当時の「総連・民団和解」において批判されるべき部分があるとすれば、河氏の手法が根回し不十分で拙速であった事、民団内部の保守派が想像以上に頑迷な化石頭であった事などでしょう。地方団長達への説得や根回しが不十分な為に、急速なトップダウン方式が反発されたのは政治的手法として確かにまずかったと思います。急ぎ過ぎた、という事はあったでしょう。あるいは本国の南北対話と和解、それと全く違う日本社会の逆風という情勢を考えれば、今のうちになるべく早く進めるべきという考えもあったのかもしれません。その点では非常に舵取りが難しく、結果が残念でなりません。また、民団内保守派も21世紀の現在においても今だにかつての軍事政権時代を懐かしんでそれを支持し、頑なに同胞同士の対立を旨とする姿勢には幻滅を禁じ得ません。その後、河氏は追い落とされ、再びそうした超保守派達が主導権を握った現在の民団では、日本の右翼と一緒になって総連への街宣攻撃を繰り返しているのですから。民族・同胞社会に対して真に害をなし、弓を引く者は果たして誰なのか?
細かな問題は他にあれども、総連と民団の和解という行為自体は在日社会において否定される謂れのない「社会正義」そのものです。それについては例え両組織に反発を持った在日であっても否定は出来ないでしょう。本来ならば。しかしながらそれは、そう思わない一部の例外的な在日達と、日本社会そのものの圧力によって頓挫させられました。
果たして石丸がこうした経過と背景をどれだけ詳細に報じたでしょうか。上記石丸の記事に、当時の日本政府や右翼の弾圧・圧力・妨害行為について一言でも触れていましたか? 何一つありません。それどころかこの件を単なる「民団の財政問題」に矮小化して、金目当ての下劣な行為のようにあげつらいました。さらに当時の盧武鉉大統領への表敬文書を「時の権力者へのゴマすり、おべっか」とまで中傷しています。民団が本国の南北和解に賛意を表するのが、石丸にとっては非常に気に入らなかったようです。どう見ても石丸次郎という男、朝鮮半島の平和や和解を望んでいません。挙句には「金の無心」とまで。では、石丸の言う通りに民団の財政が危機的状態だとして、そのような団体に税金面での圧力をかけてまで恫喝した日本政府の手口は汚くないのですか。これは明らかに民族差別であり、民族的迫害そのものです。「在日朝鮮人問題にも深い知識と関心を持ち、常に差別に反対」(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表・三浦小太郎談)してきた石丸がこのような日本政府の卑劣な行為を非難せず、報じる事すらしなかったのはなぜですか? 答は言うまでもないでしょう。
石丸次郎が「常に差別に反対」してきた? とんでもない。それが本当ならこの男に残された道は一つしかありません。それは筆を折る事です。