元朝日新聞主筆コラムと、浅井基文さんが指摘する日本の知識人の思想的問題点

元朝日新聞主筆の若宮啓文氏が『東亜日報』コラム(日韓は「共通の価値観」を捨てるな)にて、韓国社会に苦言を述べておられました。コラム・パラグラフの代表フレーズを拾って、論旨を箇条書きにすると下記の通りです。

 

1)中国が日本や韓国とは違った統制社会であることを感じざるをえなかった。

2)今年2月に行った(安倍晋三氏の)国会演説では、韓国は(基本的価値観を共有しない)「最も重要な隣国」と表現するにとどまった。

3)産経新聞ソウル支局長が名誉毀損罪で起訴され、産経の報道に批判的な日本人まで、韓国はいつから強権国家に戻ってしまったのかと嘆いている。

4)韓国の司法がとかく反日世論に迎合して、安倍首相は中国包囲を意識した「共通の価値観」の仲間に韓国を入れておくのは、もはや失礼だと思ったのかもしれない。

5)欧州での和解はドイツの謝罪とともに、フランスなどの「寛容」がセットとなって実現した。

6)最大の懸案は慰安婦問題だが、『帝国の慰安婦』が、誤解や曲解による激しい誹謗中傷が飛び交っているのは残念というしかない。

7)日本で評価が高いのは決して右翼が喜んだからではなく、解決を望む良識層の心をつかんだからにほかならない。

8)公権力が彼女(朴裕河氏)を起訴することになれば、韓国は「言論を封圧する国」という烙印を先進諸国から押されてしまう。

 

自身の考えと異なることから『帝国の慰安婦』に対する批判や議論を『誤解や曲解による激しい誹謗中傷』と決めつける若宮氏は、『共通の価値観』や民主主義を説くジャーナリストの態度とはとても思えません。ハンギョレ新聞のキル・ユンヒョン特派員が、自身の考えと異なる朴裕河氏の主張を補いながら正しくつかもうと試み紹介する姿勢を見習っていただきたいです。

  

[ニュース分析] 『帝国の慰安婦』論争第2ラウンド(1/3) : 政治 : ハンギョレ

[ニュース分析] 『帝国の慰安婦』論争第2ラウンド(2/3) : 政治 : ハンギョレ

[ニュース分析] 『帝国の慰安婦』論争第2ラウンド(3/3) : 政治 : ハンギョレ

 

若宮啓文氏ほどの立場とハングル能力があれば、「帝国の慰安婦」をめぐる下記のような情報を把握されているはずなのに、このようなコラムを記す事に欺瞞を感じます。

 

・朴裕河氏は「ナヌムの家」の「慰安婦」被害者に近づき、「ナヌムの家」の事前許可もなくNHKの撮影者を帯同させて、自身と「慰安婦」被害者の姿を撮影しようとしたこと。

 

・朴裕河氏の言動や著書に対して「慰安婦」被害者たちが憤り、被害者の意思に従い支援者たちが訴訟を進めた事に対して、朴裕河氏は「慰安婦」被害者たちのほとんどは著書も読めないし、自身の意思も示せないと記し侮辱を重ねたこと。

 

・訴訟で指摘された名誉毀損表現を「帝国の慰安婦」日本語版では、該当表現をソフトに書き換えたり、表現そのものを消していること。日本語版の修正作業に、朝日新聞社の記者、編集者たちが深く関わっていること。

 

・地裁仮処分判決では、表現の自由と名誉毀損とのバランスが考慮され、削除を命じられた表現の大部分は、被害者の名誉毀損に関わることに限定されたこと。

 

・判決で指摘された名誉毀損表現を、日本語版では変更・削除しているのに、ハングル版では名誉毀損の該当箇所を「●●●」などと書き換えて再出版準備を進め、被害者と支援者をかつての独裁政権の言論弾圧と同列に見せようと、再度愚弄していること。

 

・国連自由権規約委員会にて「被害者を侮辱あるいは事件を否定するすべての企みへの非難」のため、あらゆる措置をとるべきことを日本政府に勧告されていること。被害国の公職に近い者もその勧告を尊重すべきこと。

 

※関連ページ
『帝国の慰安婦』書籍の出版等禁止及び接近禁止の仮処分決定
『帝国の慰安婦』名誉毀損対象の引用目録と日本語版の表現
国連自由権規約委員会は日本政府に何を求めたか

 

またコラム全体が、安倍晋三政権の「価値観外交」、「中国包囲網」などの外交政策と同じ発想をしていて、米国>日本>韓国>中国との一次元的な座標のアジア観を感じさせます。

若宮啓文氏には、元外交官・浅井基文さんが日本の知識人の思想的問題点を指摘した厳しい助言を聞いていただきたいところです。

 

「中国脅威論」再考:私たちの思想的問題点を考え直す|21世紀の日本と国際社会 浅井基文のページ

 

『「中国脅威論」がかくも広範に共有される根っこには、日本人特有の思考上、認識上の問題があるのではないかという思いを強くするようになりました。具体的には5つの問題があります。

まず、私がもっとも重要な要素として考えていますのは、日本人の思想には普遍という要素が欠落しているという問題です。「普遍」というのは、要するに普遍的な価値とか、客観的な、俗的にいえば私たちの上に立って絶対的に存在すると認識される正義とか、価値とか、あるいは歴史的法則とか人類史的法則とか、そういうものを指します。
もう一つは歴史意識にかかわる私たち日本人の特殊性という問題です。具体的にいえば、時間という要素をどのように受けとめるかという問題です。
三つ目は、普遍という要素が日本の思想にはないことに基づいて、公と私についての日本人特有の受けとめ方が私たちの思考を支配してきたという問題があります。
四つ目は、これも普遍という要素とかかわるのですが、日本政治思想史の丸山眞男先生が強調していた「他者感覚」という問題があります。
五つ目も普遍という要素とかかわるのですが、日本人の国際関係のあり方についての見方の特殊性という問題です。』