マクドゥーガル報告書(第二次大戦中設置された「慰安所」に関する日本政府の法的責任の分析)

 

目次:

  I. 日本政府の立場
 II. レイプセンターの性格と規模
III. 実体法としての慣習的国際法の一般的規準
 A 奴隷制と奴隷売買
 B 戦争犯罪としてのレイプ
 C 人道に対する罪
IV. 実体法の適用
 V. 日本政府の弁論
 A 法律の遡及的適用
 B 奴隷制の禁止
 C レイプと強制売春
 D 韓国・朝鮮の立場
VI. 救済(REDRESS)
 A 個人的犯罪責任
 B 国家責任と補償責任
  1 個人補償
  2 補償を求める民事訴訟
  3 補償要求の調停に関する協定
 C 勧告
 1 犯罪の訴追を保証する一定の手続きの必要性
 2 法的補償を行うための一定の手続きの必要性
 3 補償の妥当性
 4 報告の必要
VII. 結論

 

はじめに


◆1
 一九三二年から第二次大戦終結までに、日本政府と日本帝国軍隊は、二〇万人を越える女性たちを強制的に、アジア全域にわたる強かん所で性奴隷にした。これらの強かん所はふつう、「慰安所」と呼ばれた。許し難い婉曲表現である。これらの「慰安婦」(1)たちの多くは朝鮮半島出身者であったが、中国、インドネシア、フィリピンなど、日本占頷下の他のアジア諸国から連行された者も多かった。この一〇年間に、徐々に、これら残虐行為の披害女性たちが名乗り出て、救済を求めるようになってきた。この付属文書は、第二次大戦中の強かん所の設置・監督・運営に対する日本軍当局の関与について、日本政府自身が行った調査で確定した事実のみに基づいている。日本政府が確認したこれらの事実に基づいてこの付属文書は、第弐次大戦中に「慰安所」で行われた女性たちの奴隷化と強かんについて、日本政府が現在どのように法的責任を負っているかを判定しようとするものである。責任を問う根拠はいろいろありうるが、この報告書は特に、奴隷制、人道に対する罪、戦争犯罪という最も重大な国際犯罪に対する責任に焦点をあてる。この付属文書はまた、国際刑法の法的枠組みを明らかにし、被害者がどのような賠償請求を提起できるか検証する。

1 この用語には, あからさまな侮蔑的含みがあり, その歴史的文脈のなかで, この特定の残虐行為にかかわる用語としてのみ使われる.この犯罪を描写する表現として, これほど婉曲的な用語が選ばれてしまったのは残念なことで, それはいろいろな意味で, 国際社会全体として, 特に日本政府が, この侵害行為の本質をいかに最小限にとどめようとしてきたかを示している.

 

第1章 日本政府の立場


◆2
 日本政府は、第二次大戦中の強かん所の設置・監督に日本軍が直接どの程度関与したかについて長年にわたって否定してきたが、一九九三年八月四日に内閣官房外政審議室が発表した「戦時『慰安婦』問題について」と題する公式調査と、同日の内閣官房長官談話で、「慰安所」設置に政府の関与があったことをやっと認めた(*)。この調査は、戦時中の記録資料の調査と、軍関係者と元「慰安婦」双方に対する聞き取り調査が含まれていた。本論で以下に論じるとおり、一九九三年の政府調査では、「慰安婦」に人格と性の自己決定権が認められていなかったことや、女性たちがまるで所有物のように健康を管理されていたことが浮き彫りになっている。

* E/CN.4/1996/137,annex

◆3
日本政府は最近、「慰安婦」の「問題」についてたびたび謝罪している(*)。最も注目すべきなのは、一九九五年七月の第二次大戦終結五〇周年に、村山富市首相が次のように述べた点だ。
「戦争の傷はいまだに深く……いわゆる『従軍慰安婦』の問題はそのような傷の一つであり、当時の日本軍の関与の下、女性たちの名誉と尊厳を深く傷つけた。これはまったく許し難いことである。わたしは、従軍慰安婦として癒されることのない精神的、身体的傷に苦しんだすべての人々に、深く謝罪したい」。(2)

* 日本政府の発表文では「お詫び」となっているが、英訳して公表したときにはapologyという訳語が使われたため、国際社会では日本が「謝罪した」と受けとめられている
2 1995年7月, 日本の村山富市首相の声明. アジア女性基金(公式のプログラム説明書)に再録. 人権委員会に第52会期に提出された, 女性に対する暴力と「慰安婦」の諸問題に関する日本の方針(E/CN.4/1996/137,annex)も参照.

◆4
 こうした謝罪や事実の確認にもかかわらず日本政府は、慰安所の「設置と運営」にかかわる日本軍の行為に対する法的責任を否定し続けている(*)。特に、人権委員会のラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力」特別報告者による報告書(**)に対し、日本政府はいくつもの実体的根拠をあげて法的責任を強く否定した。これらの根拠のうち最も重要なものは以下である。(†)
(a)国際刑法の最近の研究成果は、過去の行為に遡及適用できない。
(b)奴隷制犯罪の規定は、「慰安所」によってできた仕組みにそのまま適用できるものではないし、また奴隷制の禁止は、第二次大戦の時点で適用可能な国際法の下での慣習的規範としてはいずれにしても確立してはいなかった。
(c)武力紛争下の強かん行為は、一九○七年のハーグ第四条か付属書〔以下ハーグ陸戦規則〕によっても、あるいは第二次大戦時に有効であった国際法の適用可能な慣習的規範によっても、禁止されていなかった。
(d)いずれにせよ、戦争法規は敵国民に対して日本軍が行った行為にのみ適用されるものであり、したがって、日本国民や第二次大戦当時日本に併合されていた朝鮮半島の住民には適用されない。

* E/CN./4/1996/137 
** E/CN.4/1996/53/Add.1
† 同

◆5
 日本軍の「慰安所」への直接関与に対する謝罪に続いて日本政府は、一九九五年七月に「日本と世界の女性の人権を守るため」(3)の「女性のためのアジア平和国民基金」〔アジア女性基金〕を創設した。アジア女性基金は、「今日女性が直面する問題の解決のために努力する」女性の非政府組織〔NGO〕を支援し、女性に対しカウンセリング・サービスを提供し、調査や学術研究を支援し、女性に影響を与える問題を取り上げる会合や会議を主催し、また、「慰安婦」については、「日本人が感じている真摯な謝罪と後悔の念を伝えたいという望み」を、日本の民間から直接に募金で集めた「償い」金を通じて推進する(4)

3 前出アジア女性基金公式説明書.
4 同上.

◆6
 法的な損害賠償請求に関して日本政府は、「慰安婦」個々人には損害賠償の法的権利がないと主張する。あったとしても日本政府は、これらの女性の損害賠償請求権はすべて、日本とアジア各国との間で戦後締結された平和条約や国際協定によって、完全に解決ずみであると主張する。最後に日本政府は、第二次大戦中の強かん所に関する訴訟は民事であれ刑事であれ、すべて時効が適用されるため、現在では提訴期限が過ぎていて審理不可能であるとする(*)

* E/CN.4/1996/137

第2章 強かん所の本質と規模
◆7
 第二次大戦中にアジア全域にわたる強かん所の設置に、日本政府と日本軍の双方が直接関与していたことは、今や明白である。強かん所で日本軍によって奴隷化されていた女性の多くは一一歳から二〇歳であった。これらの女性たちは、日本が占領したアジアの各地で、監禁されて毎日何度も強かんされ、過酷な身体的虐待を受け、性感染症に冒された(5)。これら連日の虐待を生き延びたのは、こうした女性たちのわずか二五%であったといわれる(6)。日本軍は暴力、誘かい、強要、詐欺の手段でこれら「慰安婦」を確保した(7)

5 Karen Parker and Jennifer E Chew, "Compensation for Japan's World War IIwar-rape victims", Hastings International and Comparative Law Review, vol.17, 1994, pp.497,498-499
6 同上, p.199 and note 6 (第二次大戦中に14万5千人の朝鮮人女性が死亡したとする自民党国会議員荒船清十郎の声明を引用).
7 同上.

◆8
 政府機関やNGOによる予備的調査で、「慰安所」は三種類に大別できることが明らかになった(8)
(1)日本軍の直接的運営・監督下にあったもの。
(2)形式上は民間業者の運営であるが、事実上軍が監督して、軍人軍属だけが利用していたもの。
(3)民間業者が運営し、軍人に優先権があったが、一般の日本人も利用できたもの。
 第二類型の「慰安所」が最も多かったと考えられている(9)。これらの行為に日本軍が関与していたことについて、日本政府は「道義的責任」を認めてはいるか、法的責任については一貫して全面的に否定してきた(10)

8 The First Report on the lssue of Japan's Military "Comfort Women", Centre for Research and Documentation on Japan's War Responsibility, 31 March 1994, pp.3-4(日本の戦争責任資料センター「日本軍『慰安婦』問題に関する第一報告書」)
9 同上.
10 同上, p.5 ~ p.16およびE/CN.4/1996/137,annex. Report of the Committee of Experts on the Application of Conventions and Recommendations, lnternational Labour Conference (ILO条約適用専門家委員会報告および勧告), 83rd Session, 1996, report Ⅲ (Part 4A), 第103項~107項, 114項も参照.

◆9
 日本政府自身の報告書により、次のような関連事実が明らかになっている。
(a)慰安所設置の理由
「慰安所は、当時の軍部の要求に応じてさまざまな地域に設置された。当時の政府の内部文書によれば、慰安所設置の理由として、占領地域の住民に対する日本軍将兵の強かんその他の違法行為の結果反日感情が醸成されるのを防ぎ、性病その他の病気による土気の低下を防ぎ、スパイ活動を防ぐ必要性があげられている」(*)
(b)時期および場所
「一九三二年のいわゆる上海事変当時、現地に駐屯する部隊のため慰安所が設置されたことは、複数の文書に示されている。したがって、慰安所はその頃から第二次大戦終結時まで存在していたと見られる。戦争の拡大につれて慰安所は、規模、設置地域ともに拡大していった」(**)
(c)民間業者に対する軍の監督
「多くの慰安所は民間業者が運営していたが、地域によっては当時の車が直接運営する例もあった。民間業者が運営する場合でも、当時の日本軍は、開業の許可や設備の手当て、あるいは開業時間や料金を定めるなどの手段で、慰安所の設置・運営に直接関与し、設備利用についての注意や規則などを取り決めた」(†)
(d)健康状態についての軍の管理
「慰安婦の管理に関して当時の日本軍は、慰安婦と慰安所の衛生管理のために、避妊具の使用義務などを慰安所の規則に含めたり、性病その他の病気についての軍医による慰安婦の定期検診などの措置をとった」(††)
(e)移動の自由の制限
「慰安所によっては運営規則を定めて、休憩時間や休憩時間に出かけられる場所を限定するなど、慰安婦を管理した。いずれにせよ戦地では、女性たちが常時、軍とともに移動することを余儀なくされ、自由を奪われ、悲惨さに耐えなければならなかったことは明白である」(***)
(f)徴集
「多くの場合、軍部の要請を代行する慰安所管理者の依頼を受けた民間業者が、慰安婦を徴集した。戦争の拡大に伴って慰安婦への需要が高まったため、これら業者は多くの場合、甘言や脅迫の手段をとって女性を募集し、女性たちは自己の意思に反して応募することになった。なかには、行政官吏や軍要員が徴集に直接かかわる場合もあった」(****)
(g)移送
「女性たちは軍艦や軍用車で戦地まで運ばれ、日本軍の敗走の混乱の中で、その場に置き去りにされた場合も多かった」(†)

* E/CN.4/1996/137、P.14
** 同、P.14~P.15
*** 同、P.16
***** 同、P.17
† 同、P.16
†† 同

◆10
 日本政府が明記したこうした事実の数々を見ればわかるとおり、いわゆる「慰安婦」が民間業者の運営する買春宿で「働いていた」とする、これまで何度も繰り返されてきた主張とは逆に、多くが当時はまだ子どもであったこうした女性たちは、日本軍によって直接に、または、日本軍の十分な認識と支援によって、実際に、強かん所で奴隷にされていたのである。これら「慰安所」に自己の意志に反して収容された女性と子どもたちは、その犯罪の本質がまさに「人道に対する罪」という用語でしか表現できないほど徹底的に、強かんと性暴力を受けたのである。

 

第3章 実体的国際慣習法における優越的規範
◆11
 本論では、第二次大戦中の日本政府と日本帝国軍隊による「慰安婦」の奴隷化に対して適用しうる国際慣習法の規範を、特に奴隷制の禁止、戦争犯罪としての強かんの禁止、人道に対する罪の禁止に焦点をあてて検討する。

第1節 奴隷制および奴隷売買
◆12
 「慰安所」が創設されるよりはるか以前から、奴隷制と奴隷売買が禁止されていたことに疑いの余地はない。第二次大戦後のニュルンベルク裁判は、「国際法に明記されていなくとも、たとえば……民間人を絶滅させたり、奴隷化したり、国外追放することは国際法違反であるという暗黙の了解がそれ以前からあったこと……を明文化してはっきりと示した」にすぎない(11)。実際、特に奴隷制の禁止は明らかにユス・コーゲンス(強行規範)だと位置づけられている(12)。したがって、第二次大戦中の日本軍のアジア全域にわたる女性の奴隷化は、当時でさえも、奴隷制を禁止する国際慣習法の明確な違反だったのである。

11 R.Jackson, The Nuremberg Cases xiv-xv, 1971(citing The Final Report to the President on the Nuremberg Trials).
12 Parker and Chew (前注5)p.521 and note 135 および Bassiouni(本文注14)参照.

◆13
 一九世紀初頭には、多くの国々が、既に奴隷の輸入を禁止していた(13)。これに伴い、多くの国が奴隷制と奴隷売買を終結しようといくつもの国際協定を締結した(14)。一八五五年の国際的裁定の事例ですでに、奴隷売買は「すべての文明国により禁じられており、国際法に背くものである」としている(15)。一九〇〇年までには、基本的な形の奴隷制は、大半の国々でほとんど根絶されていた(16)。とりわけ日本は、一八七二年の段階で既に、ペルー人貿易業者たちを奴隷制犯罪を理由に敗訴としており、日本が歴史のなかで奴隷売買を禁じていると明言しているのは注目に値する(17)

13 Renee Colette Redman, "The League of Nations and the right to be free from enslavement: the first human right to be recognized as customary internationaHaw", Chicago-Kent Law Review, vol.70, 1994, pp.759,760; Slavery, report submitted by Benjamin Whittakel; Special Rapporteur of the SubCommission(United Nations publication, Sales no. E.84.XIV1), updating the Repot on Slavery by Mohamed Awad, submitted to the Sub-Commission in 1996(United Nations publication, Sales No.E.67.XIV2)を一般に参照.
14 Humphrey(本文注33).
15 The Lawrence, case cited in J.B.Moore, History and Digest of the International Arbitrations to which the United States has been a Party, vol.3, 1989, pp.2824,2825.
16 M.Cherif Bassiouni, International Crimes: Digest / Index of International Instrumets 1815-1985, vol.1, 1986, p.419および本文注141(奴隷制の国際的廃止の歴史的発展を詳述).
17 国際友和会「不処罰と『性奴隷制』に関する日本への勧告」1994年2月7日(日本政府への通知)参照.

◆14
 一九三二年以前に、奴隷売買・奴隷制、あるいは奴隷制関連の慣行を禁止する国際協定が少なくとも二〇締結されていた(18)。さらに、一九四四年当時の国際社会を代表する国々を見ると、日本を含むほとんどすべての国家が自国の国内法で奴隷制を禁止していた(19)。第二次大戦前には奴隷制に対する国際的非難が高まり、国際連盟で討議された一九二六年の奴隷条約は、奴隷制を「ある人に対して、所有権に伴う権能の一部または全部が行使される場合の、その人の地位または状況」と定義した。したがってこの条約は明らかに、遅くとも第二次大戦期には国際慣習法になっていた(20)

18 Bassiouni(本文注14).
19 同上, p.283~p.287. (1944年より前の段階で, 日本の刑法は奴隷化を特に規定してはいなかったが, 誘かいと監禁の犯罪が適用できる場合には奴隷化の犯罪はそこに包含されていたとする)
20 たとえば, 「日本軍『慰安婦』問題に関する第一報告書」(前注8) p.79参照. またRedman(前注13)p.763(奴隷条約は1937年に国際慣習法となったとする)参照.

◆15
 奴隷制禁止が慣習法であることは、戦争法規の中での民間人の取り扱いを定めた一連の法体系でも、等しく明白である。今世紀に採択された戦争法規のうちでも最も基本的な国際文書の一つである一九〇七年のハーグ陸戦条約では、民間人と交戦者を奴隷化と強制労働から守るという重要な保護規定を組み入れた。そのうえ、第二次大戦後のニュルンベルク裁判でナチス戦犯に対して下された判決で、ハーグ陸戦条約は明らかに第二次大戦までに国際慣習法として確立していたと確認された(21)

21 Finn Seyersted, United Nations Forces in the Law of Peace and War, 1966,pp.180-182 も参照.

◆16
 ニュルンベルク裁判憲章第六条(c)に従い、連合国は多くの戦犯を「戦争犯罪」で有罪とした。特に二ュルンベルク裁判憲章では、「占領地で、民間人を虐待すること、または奴隷労働その他の目的で移送すること」が戦争犯罪に含められた。東京裁判憲章第五条(c)にも同様の文言が含まれていた。繰り返すと、ここで重要なことは、日本人戦犯とドイツ人戦犯の訴追は、既存の規範に基づいて成文化された国際法に基づいていた(22)のであり、その規範には第二次大戦以前の段階で奴隷制を明白に禁止していたものが含まれるという点である(23)

22 Trial of the Major war Criminals Before the Internationarl Military Tribunal, vol.1, p.218.
23 1946年12月11日の国連総会決議95(Ⅰ)「ニュルンベルク裁判憲章で承認された国際法原則の確認」, Genera1 Assembly document A/64/Add.1 of 1946; Yvonne R Hsu, "'Comfort women' from Korea: Japan's sex slaves and the legitimacy of their daims for reparations", Pacific Rim Law and Policy Journal, vol.2, 1993, pp.97,110, 「日本軍『慰安婦』問題に関する第一報告書」(前注8)p.76参照.

第2節 戦争犯罪としての強かん
◆17
 奴隷制と同様、強かんと強制売春は戦争法規で禁止されていた。戦争法規に関する初期の権威ある法典で複数のものが戦時中の強かんや女性に対する虐待を禁じているが(24)、そのなかでも最も傑出しているのは一八六三年のリーバー法である。さらに第二次大戦後、多くの者が強制売春や強かんの罪を含む犯罪で訴追され、このような行為の不法性がさらに明確になった(25)。ハーグ陸戦規則はさらに、「家族の名誉と権利は……尊重されなくてはならない」(26)とした。既存の国際慣習法を成文化し、ハーグ陸戦条約にあった「家族の名誉」という用語をとり入れたとされる(27)ジュネーブ第四条約第二七条は、まさに、「女性は、女性の名誉に対する侵害、特に強かん、強制売春その他のあらゆる形態のわいせつな攻撃から、特別に保護されるべきである」と明記している。強かんの性格づけが暴力犯罪としてではなく、女性の名誉に対する犯罪とされている点は残念であり、不正確だが、少なくとも「慰安所」が初めて設置された時期には、強かんと強制売春が国際慣習法で禁止されていたことは、十分に立証されている(28)

24 一般に, Meron, 本文注25, Frits Kalshoven, artide 3 of the Convention (IV) concerning the Laws and Custom of War on Land, signed at The Hague, 18 0ctober 1907, in “Remembering what we have tried to forget”, ASCENT 1997, pp.16-30参照.
25 John A.Appleman,Military Tribunals and International Crimes, 1954, P.299(強制売春を犯罪と認めたインドネシア・バタビアでの1946年の青地鷲雄の事件を引用): Hsu(前注23)p.109~p.110, Meron(本文注25)p.426, note 13; Verdid 231 of the Temporary Court-Marcial in Batavia (「強制売春のために少女および女性を拉致すること」「売春を強制すること」「強かん」を戦争犯罪と認め, これらに基づいて複数の被告人を有罪とした)参照.
26 Hsu(前注23)p.107(国際法が「慰安婦」の虐待を禁じていたという論点を支持するものとして「家族の名誉」の文言を引用), 国際法律家委員会(本文注48)p.160(「家族の名誉の概念は, 家族の中の女性が強かんの屈辱的行為にさらされない権利を含む」)参照.
27 Pictet(本文注51)p.201, note 1 (ジュネーブ条約第27条の諸規定はハーグ陸戦規則第46条に由来するとする), Theodor Meron,Human Rights and humanitarian Norms as Customary Law(Oxfod: Clarendon Press, 1989), p.47.
28 例として, Hsu(前注23)p.111 and note 97 (ジュネーブ条約はそれ以前から存在する国際慣習法の成文化であり延長であるにすぎない, と論じる). Pictet(本文注51) p.205(女性の保護に関する規定は, 1929年の捕虜条約に導入された規定に基づく, とする)参照.

第3節 人道に対する罪
◆18
 人間を大量にまたは組織的に奴隷化することは、少なくとも過去半世紀にわたって人道に対する罪と認識されてきた。こうした犯罪が武力紛争中に犯された場合はなおさらそうである。ただし現在では、武力紛争と関連があるかどうかは、人道に対する罪を構成する必要要素だとはみなされていない。

◆19
 ニュルンベルク裁判憲章第六条(c)と、第二次大戦後にドイツ国内で戦犯訴追のために追加制定された管理委員会規則第一〇号には、人道に対する罪として「民間人に対して行われた奴隷化、強制移送その他の非人道的行為」があげられている。同様に、東京裁判憲章でも人道に対する罪として、奴隷化、奴隷労働のための強制移送などの非人道的行為があげられた。

◆20
 奴隷化に加えて、広範囲または組織的に行われた強かん行為もまた、人道に対する罪の伝統的枠組みのなかで「非人道的行為」の一般的禁止に含まれている(29)。これはニュルンベルク裁判憲章と東京裁判憲章にも規定されている。人道に対する罪を規定した最新の法規定によると、国内武力紛争であれ国際武力紛争であれ、紛争の過程で行われた民間人への強かんは、「その他の非人道的行為」という規定のなかに含めるのではなく、明確に人道に対する罪の一つにあげられるようになった。これら最近の法規定には、旧ユーゴ国際戦犯法廷規則第五条やルワンダ国際戦犯法廷規則第三条があり、両方とも、奴隷化と強かんを、人道に対する罪を構成する行為だと明記している。

29 本文中の論述参照.

◆21
 計画を立てたり、方針を決めたり、実行計画を練ったりしたことが証明されれば、それらは一般に、人道に対する罪の訴追要因として十分だとみなされるが(30)、大規模な侵害の状況に直面しているのに行動を起こさなかった場合も、それだけでこの必要要件を十分満たすことになる(31)。これに加えて、一定の地位にある軍人や市民も、人道に対する罪の責任を問われうる。

30 Meron(本文注25).
31 Rape and Sexua1 Assault (本文注10).

第4章 実体法の適用
◆22
 「慰安婦」の処遇は、通常の意昧での「奴隷制」と「奴隷売買」に相当し、「ある人に対して、所有権に伴う権能の一部または全部が行使される場合の、その人の地位または状況」とする一九二六年の奴隷条約の定義にあてはまる。前述のように、日本政府が自ら認めたところでも、これらの女性は「自由を奪われ」「意志に反して徴集された」。しかも、女性によっては金で買われており、したがって古典的な型の奴隷制に容易にあてはまる。しかし金銭のやりとりは、奴隷制の唯一の指標でもないし、最も重要な指標でもない。「慰安婦」はみな、自己決定権をほとんど奪われた体験があり、したがって日本軍は彼女たちを所有物のように取り扱ったわけで、これらの犯罪行為に対しては実行者とその上官の双方に奴隷化の刑事責任があることは明らかである。繰り返すと、「慰安婦」の場合、日本政府の調査でも明らかになったように、女性たちは人格的自由を奪われ、軍隊や軍需物資とともに戦地との間を移動させられ、性的自己決定権を否定され、将兵を性感染症から守るために性と生殖に関わる健康を所有物のように取り扱う、おぞましい規則に従わされたのであった。

◆23
 日本政府が法解釈として奴隷制の定義が適用できないと主張する可能性のある少数の事例でさえも、「慰安婦」たちは明らかに、強かんされ、少なくとも「許される形態の強制労働」の定義にあてはまらない状態で戦地に拘束されていた(32)。強制売春と強かんについて日本政府は、自国の行為は多くの女性たちの名誉と尊厳を深く傷つけたと認めている。女性たちに与えた損害は、明文では認めていないが、定期的な強かんなど性的行為の強制を含むことは明白である。したがってこうした行為は、戦争法規に違反する強かんと強制売春だと容易に位置づけられる。

32 「日本軍『慰安婦』問題に関する第一報告書」(前注8)p.76.

◆24
 これらの犯罪が大規模に犯されたことと、これら強かん所の設置・監督・運営に日本軍が明らかに関与していたことから、「慰安所」に関与したり責任のある立場にあった日本軍将校に対しては、同様に、人道に対する罪の責任を問うことができる。その結果日本政府自身もまた、日本軍の行動によって苦しんだ女性や少女たちの受けた損害に対し、損害賠償を行う義務を負い続けている。

第5章 日本政府の抗弁
第1節 法の遡及適用
◆25
 ニュルンベルク裁判当時、被告側と一部の研究者は、人道に対する罪はこの裁判の憲章で新たに定義された罪であり、したがって、被告人たちの行為は、行為の時点での国際法には違反していないため、人道に対する罪での訴追は合法性の原則(「法律なければ犯罪なし」)に反すると異議を申し立てた(33)。日本はアジア全域にわたって「慰安婦」の奴隷化と強かんで国際慣習法に違反する行為を行ったとする元「慰安婦」たちの申し立てについて、日本政府も同様の主張をしてきた(34)

33 Bassiouni(本文注26) p.114~p.139, Appleman(前注25) p46~p.53, Hsu(前注23)p.109, note 84を一般に参照.
34 「女性に対する暴力」特別報告者が提出した報告書追加文書1(E/CN.4/1996/53/Add.1)に関する日本政府見解. 人権委員会第51会期に日本政府が非公式に配布した文書. p.15~p.19, p.23.
〔国連人権委員会第53会期にクマラスワミ「女性に対する暴力」特別報告者の報告書が提出されたとき, 日本政府は真正面から反論して, 報告書の否決を要求した. 日本政府は「女性に対する暴力特別報告者が提出した報告書追加文書1に関する日本政府見解」と題する反論文書を人権委員会事務局に提出した. 反論文書は公式に受理され, 国連の公式文書番号も決まり, 一部の政府代表に配布された. ところが, 反論文書は「特別報告者は中立性・客観性を欠き権限を逸脱している」と非難し, 「報告書採択は人権委員会の信頼性を失わせる」と攻撃するなど. 特別報告者を不当に中傷するものであることが判明したため, 日本政府は急速, 反論文書を撤回した. 国会質問に対して, 日本政府は文書の存在そのものを隠そうとしたが, 隠しきれなくなるや「説明用の参考資料」にすぎないと答弁した〕

◆26
 第二次大戦中には強かんと奴隷化という国際犯罪は慣習的規範で明確には禁止されていなかったので日本軍の加害行為はその実行時には禁じられていなかったと日本政府は主張するが、その主張は前述のように簡単に論破できる。同様の議論は、五〇年前のニュルンベルク裁判で最初に主張されたときも説得力はなかった。今日でも、これまで述べた理由により、説得力はない。

第2節 奴隷制禁止
◆27
 奴隷制の国際慣習法による禁止は第二次大戦時までには明確に成立しており、第二次大戦後、刑事裁判の準備のために国際慣習法を明文化した東京・ニュルンベルク両裁判憲章に盛り込まれた。国際慣習法としての奴隷制禁止は、戦争法規の下でも単独でも、武力紛争の性質のいかんにかかわらず、また武力紛争でない場合も、実体的違反行為を禁止する。

第3節 強かんと強制売春
◆28
 日本政府は、一九○七年のハーグ陸戦条約の「家族の名誉」という用語を、「慰安婦」を保護する条項として解釈することに反論しようとして、この条約は「陸軍に対する指示という形で、国内法として条約加盟国に受け入れられうるような一般原則を文書化したものにすぎない」と論じた(35)。要するに日本政府は、第二次大戦中、強かん行為は、ハーグ陸戦条約やその他の戦争法規によって文書ではっきりと禁止されてはいなかったと主張している。先に論じたとおりこの解釈は、ハーグ陸戦条約が戦争法規を統括する国際慣習法として受け入れられていたことや、武力紛争中の民間人に対する強かんの国際的禁止を他の諸戦争法規が確認していることで否定される。その結果、「家族の名誉」という用語に含まれる強かんの禁止は、第二次大戦当時すでに拘束力をもつ国際法であった。

35 「女性に対する暴力」特別報告者が提出した報告書追加文書1(E/CN.4/1996/53/Add.1)に関する日本政府見解. 人権委員会第51会期に日本政府が非公式に配布した文書, p.24.

第4節 朝鮮の地位
◆29
 日本政府はまた、奴隷化と強かんを禁止する国際慣習法規範は自国内の民間人には適用されず、占領地域の民間人のみを守る戦争法規に基づくものであるとし、そのため朝鮮人女性はその規範では保護されていないと主張して、責任を否定しようとしてきた。根拠は、問題の時期には朝鮮は日本に併合されていたため、この規範は朝鮮人女性には適用できないというものである。

◆30
 日本はこれらの条件の下でも責任を免れない。前述のように、奴隷制の禁止は、戦争犯罪だけに基づくのではない。加害行為が行われた当時の朝鮮半島の領土的地位のいかんにかかわらずこれらの行為は、戦時にも平時にも適用されうる国際慣習法上の犯罪であり、また人道に対する罪であって、国際慣習法の重大な違反として明らかに禁止されていた。その結果これらの規範は、占領地の民間人であったか否かにかかわらず、朝鮮人女性にも等しく適用されるのである。

第6章 救済措置
◆31
 国際慣習法によれば、日本政府は「慰安婦」に加えられた残虐行為について、救済措置を講じなければならない。救済は、日本政府による元「慰安婦」への個人賠償の形を取るべきである。代わりに各国家が、自国民である元「慰安婦」のために損害賠償請求を起こすこともできよう。この場合、これらの国家は、不当な扱いを受けてきた被害者たちに対しその損害賠償金を配分するための仕組みを作らなくてはならない。先に示したとおり、これに加えて強かん所の設置・監督に責任のある政府・軍関係者を訴追しなくてはならない。

第1節 個人の刑事責任
◆32
 違法行為を行った日本軍の将兵個々人は、各自が生じさせた被害に対して個々に責任を問われなければならない。五〇年が過ぎたとしても、十分な証拠が得られる範囲内でこれらの個人を裁くことは可能であり、また裁かれなければならない。

◆33
 このような訴追の先例は古くからある。一九四六年、インドネシアのバタビアでオランダ政府が開いた臨時軍事法廷では、九人の日本兵が、少女や女性たちを強制売春と強かんの目的で誘かいしたことで有罪となった(36)。同様にフィリピン法廷も、日本軍将校一名を強かんで有罪とし、終身刑の判決を下した(37)。ニュルンベルク・東京両裁判も国際慣習法を適用して、個々の将校や命令を下した上官、およびドイツと日本の政府に対し、戦争犯罪と人道に対する罪を犯した責任があるとした。国連総会は一九四六年一二月一一日の決議九五(Ⅰ)号で、ニュルンベルク裁判憲章と東京裁判憲章に明示された国際法の原則は、国連加盟国があまねく認めた国際慣習法であると再確認した。

36 Japan Federation of Bar Associations (JFBA), Recommendations on the lssue of "Comfort Women", 1995, p.26〔日弁連「『従軍慰安婦問題』に関する提言」『世界に問われる女性の人権』こうち書房, 1996年, p.159〕, David Boiling, "Mass rape, enforced prostitution, and the Japanese lmperial Army: Japan eschews international legal responsibility", Columbia Journal of Transnational Law, vol.32, 1995, pp.533,545.
37 日弁連, 同上.

◆34
 そのうえサンフランシスコ講和条約第一一条は、東京裁判と日本国内外の連合国戦犯法廷の判決を、日本は受け入れなければならないと規定している。これに加えてニュルンベルク裁判憲章では、「人道に対する罪」という新しい用語を使ってはいるが、実際には新しい法を創り出したわけではないし、それ以前に国際慣習法で認められていた行為を新たに違法としたわけでもない。オッペンハイムによれば以下のとおりである。
「戦争法規はすべて、その規定が国家を拘束するだけでなく、軍の構成員であるか否かを問わず国民を拘束することを前提にしている。この点で、一九四五年八月八日の合意書に付属する憲章に新しい要素は何もない。というのは、ヨーロッパ枢軸国の主要な戦犯は、戦争犯罪そのものと、いわゆる憲章が人道に対する罪と呼んだ行為について、個人に責任があるという判決に従って処罰され……」(38)
 こうした前例がある以上、将校個々人は明らかに、自己の犯罪について処罰されうるし、また処罰されるべきである。

38 L.. Oppenheim, International Law: A Treatise, H.Lauterpacht(ed.), 7th ed. (London, New York: Longmans Green, 1948-1952), sect.153.

◆35
 個々の兵士の責任に加えて将校や官僚も、彼らの命令に従った配下の将兵たちによる「慰安所」の設置・運営に対して責任がある。命令責任の原則によれば、次のような場合上官は、部下の行った不法行為について責任を問われる。
(a)上官が、不法行為が行われそうになっていることを知り、あるいは知るべき理由があるのに、予防のための行動をとらなかった場合、または、
(b)不法行為があったのに、上官が、再発を防止する措置をなんら講じなかった場合、である。(39)
この原則は、数万人にのぼるフィリピン人捕虜とアメリカ人捕虜を殺害したとして日本の山下奉文将軍に有罪の判決を下した米国軍事委員会の裁判で、国際的訴追に初めて使われた。しかし、この原則を支える基本原理は第二次大戦以前にすでに存在していた。第一次大戦直後のベルサイユ会議〔パリ講和会議〕では、ドイツ皇帝と司令官たちは「戦争遂行の際に部下が犯した蛮行を、少なくとも軽減することは可能だった」として、皇帝を戦犯として裁判にかけるべきであるという勧告が出されている(40)。研究者たちによると命令責任の発祥は、遠く一五世紀のフランスや(41)、紀元前一九年のローマ帝国(42)にまで遡る。この原則が最も明確に適用されたのは、ニュルンベルク裁判の複数の判例と、ベトナム戦争中に起きた一九六九年のミ・ライ村〔ソンミ〕虐殺事件についてのメディナ米国陸軍大佐に対する戦後の裁判である。これらの訴追が、それ以前から存在していた慣習的規範を適用している点に留意すべきである。

39 Christopher N. Crowe, "Command responsibility in the former Yugoslavia: the chances for successful prosecution", Unicersity of Richmond Law Review, vol.29, 1994, pp.191, 192, 安全保障理事会決議827(1993)参照.
40 Crowe, 同上(citing Report presented to the preliminary peace conference, in Leon Friedman (ed.), The Law of War: A documentary History, vol.1(New York: Random House, 1972), pp.842-853-854.
41 L.C.Green, "Command responsibility in international humanitarian law", transnational Law and Contemprary Problems, vo1.5, 1995, pp.319, 320.
42 Crowe(前注39) p.194.

◆36
 「慰安所」の設置・運営に対する日本軍の関与は大規模で組織的であったことから、日本軍の上級将校が「慰安所」の存在について現に知っていたか、あるいは推察していたことは確かである。また、「慰安所」に直接関与したり責任ある立場にあった日本軍中級幹部は、「上官の命令があった」と弁明しても刑事責任は免れ得ない点も重要である。こうした主張は、実際に刑が科せられるときに刑の軽減の理由として考慮されるにすぎないからである(43)

43 Anthony D'Amato, "Superior orders vs. Command responsibility", American Journal of International Law, vol.80, 1986, p.604; The Llandovery Castle case. Judgment in the case of lieutenants Dithmarand Bolt, Supreme Court of Leipzig, 16 July 1921. Reprinted in American Journal of International Law, vol.16, 1922, p.708を一般に参照.

◆37
 日本こそが、「慰安所」の責任者の刑事訴追を行うのに最適の場所であることは明らかである。韓国挺身隊問題対策協議会〔韓国挺対協〕は一九九四年、東京地検に対し、「慰安所」運営に関与した日本軍将校その他関係者の刑事訴追を求める申し立てを行った(44)。日本政府はこの申し立てに応えてただちに行動を起こし、軍の強かん所を運営したり頻繁に利用して生存している人物を告発できるように努めるべきである。

44 「告訴状」 http://www.peacenet,or.kr/~jdh/ecomfort/library/com-plaint/comp.htlm 参照.

◆38
 奴隷制、人道に対する罪、戦争犯罪については、普遍的裁判管轄権の原則があり、どこの国もこのように普遍的に非難される犯罪の加害者を逮捕することが認められているので、日本以外の国の裁判所でも刑事手続きを進めることは可能である(45)。しかしながら、国際法上は普遍的裁判管轄権の行使が認められていても、それぞれの国で実際に訴訟を進めるにはそれらを可能にする国内立法が必要である(46)。たとえばカナダでは、その法律的根拠として刑法第七章(3・71)があり、カナダ国外で犯した犯罪であっても人道に対する罪または戦争犯罪を犯した人間は、カナダ国内で犯罪を犯したかのように裁くことができる(47)。この規定に基づいて行われた最初の訴追の被告人は、ナチスの命令の下にユダヤ人の強制監禁を補助したハンガリーの元憲兵隊員であった(48)。他の裁判管轄権下の諸国も、「慰安所」に関与したり責任ある立場にあった日本軍軍人や政府関係者を訴追するため、たとえばそうした加害行為に対する裁判管轄権を確立するように国内法を強化し、被害者のために法的扶助の道をつけたり、通訳を提供するなど、あらゆる必要な措置を講じるべきである。

45 Theodor Meron, "lnternational cnminalization ofinternal atrocities"American Journal of International Law, vol.89, 1995, p.554; Filartiga v. Pena-Irala, 630F.2nd876(United States 2nd Cin 1980).
46 Meron, 同上, p.569.
47 女王対フィンタ事件88 C. C. C. 3d. 417(1984)参照.
48 同上.

◆39
 現時点で個々の将校または指揮官を刑事告発することに、時効の壁はない。人道に対する罪と戦争犯罪にはいかなる時効も適用されない。これらの犯罪は時間の経過によって消滅させてはならない。犯罪に関する国際的裁判管轄権についての一九五三年の国連報告書(*)には、現在の国際法に時効の概念は存在しないと記載されている(49)。バルビーの訴追ではフランス破毀院〔高裁判所〕も同様に、国際慣習法は人道に対する罪には時効を認めていないとした(50)。これに加えて条約法でも、戦争犯罪や人道に対する罪などの国際法の重大な違反に対する請求については、国際社会は時効を理由にこれを妨げないことが確認されている。

* A/2615
49 Friedl Weiss, "Time limits for the prosecution of crimes against international law", British Yearbook of International Law, vol.53, 1982, pp.163, 185も参限
50 FFederation natinale des deportes et internes resistants et patriotes v. Brdie in International Law Review, main report note 70.

◆40
 仮に時効が発動される可能性がありうるとしても、新しい重大な事実が最近になって判明している現状には適用されない。「慰安所」についての日本政府の公的な聞き取り調査は一九九二年に初めて行われ、「慰安所」の設置・監督への日本軍の関与を日本政府が認めたのは一九九三年になってからである。「慰安婦」たちが自らの請求権を適切に行使できなかった異例の状況や、これら強かん所の設置・監督に日本軍が果たした役割に日本政府が適切に取り組んでこなかったことを考えれば、正義の観点からして、時効が適用されるとしてもその起点は、一九九二年に日本政府が問題を認知した時より前に遡るべきではない。

第2節 国家責任と賠償責任
◆41
 第二次大戦に先立って、政府の行為や「政府の命令に基づいたりその公認の下行われた下部機関または私人の行為」に対して、政府とその職員が国際法違反に問われうることは、「本来責任」理論により明確であった(51)。国家が国際法違反に問われるのは、「国際的不法行為」を犯したためである。「国際的不法行為」とは、「ある国家の元首または政府が、国際法上の義務に違反して、他国にもたらした損害である。元首または政府に命令されたり公認された公務員その他の個人の行為は、元首または政府の行為に等しい」(52)。この場合責任がある国家は、公務員が通常の業務範囲内で行った侵害行為に対して、「たとえ国家が公認していなかった場合であっても、損害賠償を支払う責任を負う」(53)。したがって国家は、自国領土内の外国人に対して国家の行為者が不当な損害を与えた場合には、その損害に対して賠償責任があるとされた。このように、日本には、自己の軍隊や、日本軍の要請によって「慰安所」を運営し利益を得た民間人を含む行為者が行った行為に責任がある(54)

51 0ppenheim (前注38) sect.140.
52 同上, sect.151.
53 同上, sect.150.
54 第3分類の慰安所のなかには, 日本軍が女性たちの処遇に直接責任があるとはいえない少数の事例があるかもしれない. しかしこれらの事例でも, 「代理責任」は, 軍に責任があるとされる可能性がある. 「代理責任」とは, オッペンハイムの定義(同上, sect.149)によれば, 「〔国家〕機関または国民の, 公認されない一定の加害行為に適用される. 外国人の行為についても, 行為の当時領土内に居住していた場合には適用される」.

◆42
 日本政府はまた、「慰安婦」がこうむった被害を防止しなかったことについても責任がある。国際慣習法によれば、外国人に対する被害を防止しなかった国家には責任がある。第二次大戦までには国際慣習法となっていた一九〇七年のハーグ陸戦条約第三条では、この条約の規定に違反した条約加盟国は、その侵害行為に対する損害賠償を支払うものとされ、「その軍隊の構成員のすべての行為について責任を負わなければならない」と規定されている。責任と損害賠償のこの原則は、国家にその軍隊の行為について責任を持だせようとするもので、使用者責任の原則を国際法に発展的に適用するものと説明されてきた(55)。ハーグ陸戦条約第三条に基づき各国家は、重大な人権侵害と基本的自由の侵害を防止し、事実を調査し、犯罪者を処罰する義務がある。したがって日本政府は、「慰安婦」への被害を防止できず、加害者を処罰できなかったことに独自の責任がある(56)

55 Kalshoven(前注21)p.9.
56 E/CN.4/Sub.2/1996/17参照. 日弁連(前注36, p.22~p.25)は, これらの諸原則により, 日本政府には慰安婦たちに補償を行う責任があると認めている.

◆43
 こうした法規範は、少なくとも一九二〇年代にまで遡る。たとえばジェーンズ事件では一般請求委員会が一九二七年に、メキシコ革命中に夫を殺された米国人女性について審査し、加害者の逮捕と訴追ができなかったことに対して、メキシコ政府はこの女性に損害賠償すべきであると裁定した(57)。同委員会は、メキシコ政府には「加害者を周到に訴追し、適切に処罰する義務を果たさなかった責任がある」(58)といっている。裁定の中で同委員会は、国家が不法行為者を処罰しないことはその犯罪行為を認めたこととみなし、それゆえに政府を殺人そのものの共犯者とするという見解は、はっきりと退けた。その代わりに、外国人に対する加害者を国家が訴追し処罰しないことは、その国家による別個の犯罪であるとした。したがってここでいう損害には、ジェーンズの死に対する賠償を受けるべき損害に加えて、処罰がなかったことで家族が受けた屈辱という損害がともに含まれた(59)

57 Janes case (United States v. Mexico), United Nations Reports of Interna tional Arbiral Award, vol.4, 1926, p.82.
58 同上, p.82.
59 同上, p.89.

◆44
 日本政府は、従来の国際法は個人と国家の関係ではなく国家間の関係を規制するものであるから、個々の「慰安婦」は日本に対していかなる請求もなしえないと、主張している(60)。しかしこの主張は明らかに、評価に値しない。というのは、一九二〇年代後半になると国際法では、ある国家が他の国家の国民に損害を与えたときは、その国家はもう一方の国家に損害を与えたとみなされ、したがって、その個人がこうむった損害のすべてを償う責任があるとされていた。しかも国際法は、個人もまた「国際法により認められた権利および課せられた義務の主体である」と認めている(61)

60 「日本政府見解」(前注34)p.28~p.32.
61 0ppenheim(前注38)seds.1,7.

①個人への損害賠償
◆45
 「慰安婦」たちは、日本政府が以下のことを行うべきであるという信念を表明してきた。それは、被害者一人ひとりに対する真摯な謝罪、日本政府と軍部の関与を認めること、国際法違反の本質と範囲を認めること、個々の被害者へ損害賠償することである(*)。先に述べたように、個人は国際法の主体ではないとする日本政府の主張は、国際法の複数の法源によって反駁されてきた。それは、一九○七年のハーグ陸戦条約、一九一九年のパリ講和会議(ベルサイユ条約)、東京裁判憲章、および国際慣習法である。これらさまざまな法的文書や理論では、国際法違反に対する損害賠償を支払うべき国家の義務が論証されている。これに加えてテオ・ファン=ボーベンがその研究で指摘したように、国際的義務違反に対して国家に責任があるということは、個人の側にも同様にその違反に対する賠償請求権があることになる。たとえばベルサイユ条約は、個人がドイツに対して損害賠償を請求できるとした。

* E/CN.4/1996/53/Add.1参照

◆46
 特にハーグ陸戦条約第三条の「主要目的」は「当初から、この条約の規定に違反する行為の結果として被害をこうむった個々人に、被害に対する損害賠償請求権を与えることであった」(62)。この第三条に明文化されているわけではないが、「この条項の文案策定の過程を見れば、それがまさにこの条項のねらいであったことに疑いの余地はない」(63)。「賠償」(reparation)には「原状回復」(restitution)、「弁償」(indemnity)、「金銭的補償または弁済」(64)(monetary compensation or satisfaction)などの形があるが、「第三条でははっきりと『損害賠償』(compensation)という用語のみが使用されている」(65)のは特筆に値する。損害賠償の定義は「損害を修復できるだけの金額の支払い」(66)である。つまり「賠償(reparation)という、意味の広い用語を使わず、損害賠償(compensation)という用語を使用しているのは、この条項の文案を作った人たちは戦争法規に定める被害者である個人が、自らに加えられた権利侵害または危害の賠償を請求するような事態を想定していたことを示す、もう一つの証拠に他ならない」(67)

62 Kalshoven(前注24)p.11.
63 同上.
64 同上.
65 同上, p.12~p.13.
66 同上, p.12.
67 同上.

◆47
 これに加えて国際常設司法裁判所は、「ホルジョウエ場」事件に対する一九二七年の判決で、国際法違反の行為前の原状を回復すること(たとえば財産の返還など)が不可能ならば、金銭で損害賠償をしなければならないとした(68)。「慰安所」被害者をこの侵害行為の前の状態に戻すことは明らかに不可能であるから、損害賠償が支払われなければならない。国際常設司法裁判所の他の複数の判決からも、個々の私人に対する損害賠償を含む権利が国際法に存在していたことを確認できる(69)。実際日本自身が、国際法違反に関する個人賠償の可能性――必然性でないにしても――を認めている。日本が連合国のいくつかの国との間で締結した協定では、韓国やフィリピンとの間に締結したような、国家賠償のみに限定された協定とは異なって、個人の救済に特別に言及されている(70)。たとえば、ギリシャ・日本の協定、英国・日本の協定、カナダ・日本の協定にはどれも、「……戦争状態の存在のもとに生じた個人の傷害または死であって日本政府が国際法上の責任を負っている損害」に対する損害賠償の規定がある(71)。特に、日本政府がこれら数多くの条約を施行することでこれまで欧米への損害賠償を認めてきた事実を考えれば、個人に対する損害賠償は政府の侵害行為に対する救済としては認められないとする日本政府の主張は、まったく信頼できない。

68 ホルジョウエ場事件, 常設国際司法裁判所判決第13号, Series A, No.8-17, 1927, p.29. ファン=ボーベンの研究も参照.
69 常設国際司法裁判所勧告的意見第15号, Series B, No.15, p.17~p.18.
70 ギリシャ, 英国, スイス, スウェーデン, デンマークと〔日本と〕の間で締結された諸協定は, すべて, 個人的権利侵害への損害賠償の規定を含む. これに対して, 日本の旧占領地域との間での処理には, 典型的に類似の言及は何もない. Hsu(前注23)p.103~104.
71 Richard B. Lillich and Burns H. Weston, International Claims, Their settlement by Lump Sun Agreements. PartⅡ: Agreements(Charlottesville: Univ. Press of virginia, 1975), pp.334,231,249.

◆48
 要するに、「慰安婦」一人ひとりが、日本政府や軍要員からこうむった被害に対して、十分な損害賠償を受ける権利を特っていることは明らかである。

②損害賠償請求民事訴訟
◆49
 日本政府が、自己の法的義務が今も続いているにもかかわらず、それを果たすための適切な行動をとらない現状では、生存している「慰安婦」は、司法機関に対し損害賠償請求の民事訴訟を起こすことができよう。請求手続きは日本の裁判所でできるが、もし日本の裁判所が適切な救済を認めない場合には他国の裁判所に提訴できよう。被害の性質と甚大さからして、年月の経過にかかわりなく、これらの救済を追求するべきである。

◆50
 日本が「慰安婦」の悲劇にかかわる民事訴訟を提訴するのに最適の場所であることは明らかである。「慰安婦」への日本政府の責任に関して山口地裁下関支部が一九九八年四月に下した判決には、これらの女性たちの一部は、日本の裁判所を通じて最終的に法的救済が得られるかもしれないという、歓迎すべき徴候がある(72)。この最近のケースでは日本の地方裁判所が、日本の政府には慰安婦に対する損害賠償立法を成立させる義務があり、「被告である国(日本)は、慰安婦の女性たちを何十年もの間無視してきたことによって、苦痛を悪化させ新しい被害を与えた」とした(73)。さらに地裁の判決では、以下が指摘されている。「本訴訟で提示された証拠を審理した結果、慰安婦制度は極めて性差別的かつ人種差別的であり、女性たちをはずかしめ、民族の誇りを踏みにじり、日本国憲法第一三条に表現された基本的価値(*)にかかわる基本的人権の侵害と見ることができる」(74)

* 〔個人の尊重、幸福の追求権、公共の福祉〕
72 "Claim for Compensation of Pusan Comfort Women and Women's voluntary Labor Corps and Demand for official Apology to the Women's voluntary Corps and to the Comfort Women", Decision of 27 Apri11998 (following oral arguments of 29 September 1997), Shimonoseki Branch, Yamaguchi District Court(unofficial translation). 山口地裁下関支部1998年4月27日判決(1997年9月27日の口頭弁論に基づく)「釜山の『慰安婦』と女子挺身隊への損害賠償請求と, 謝罪の要求」判決の仮英訳.
73 同上.
74 同上.

◆51
 この地裁判決は、最終的に日本政府に責任があるとし、韓国籍の女性三人に対し一人当たり三〇万円を支払うよう命令した(75)。日本国内では他にもフィリピン人、韓国人(76)、オランダ人(77)、中国人(78)と、在日韓国人がそれぞれ裁判を起こしている(79)。最初の提訴は一九九一年であり(80)、一九九六年七月現在、少なくとも六つのグループの女性たちが訴えを起こしている(81)

75 "Claim for Compensation of Pusan Comfort Women and Women's voluntary Labor Corps and Demand for official Apology to the Women's voluntary Corps and to the Comfort Women", Decision of 27 Apri11998 (following oral arguments of 29 September 1997), Shimonoseki Branch, Yamaguchi District Court(unofficial translation). 山口地裁下関支部1998年4月27日判決(1997年9月27日の口頭弁論に基づく)「釜山の『慰安婦』と女子挺身隊への損害賠償請求と, 謝罪の要求」判決の仮英訳. Dan Grunebaum, "WWⅡ sex slaves win historic lawsuit" (「第二次大戦の性奴隷, 裁判で歴史的勝利」), United Press lnternationl (UPI), 28 April 1998 参照.
76 Boling(前注36)p.515.
77 "Eight Dutch citizens sue Japan over war" (「8人のオランダ市民が戦争について日本に提訴」), New York Times, 26 January 1994, p.A9参照. 原告には, 慰安所の被害者が少なくともひとり含まれている.
78 "Two Chinese wartimesexslaves to testify in court" (「2人の中国人戦時・性奴隷が法廷で証言」), Japan Economic Newswire, 3 July 1996参照.
79 "Japan-based Korean 'comfort women' rape fund scheme' (「在日韓国人『慰安婦』強かん被害者基金計画」), Asian Political News, 15 July 1996参照.
80 国際法律家委員会(本文注48)参照.
81 "Former 'comfort women' testify in court" (「元『慰安婦』、法廷で証言」), The Daily Yomuri, 20 July 1996, p.2参照.

◆52
 日本国内では不適切な救済しか得られないと判明すれば、「慰安婦」の女性たちはこうした加害行為に対する裁判管轄権を認めている他の各国の裁判所で救済を求めることもできよう。たとえばアメリカ合衆国では、外国人不法行為請求権法により、裁判所に、国際法または国際条約に違反した不法行為に関する民事訴訟を審理する裁判管轄権が与えられている。この方法は、「慰安婦」たちの救済の可能性の一つとして積極的に追求されるべきである。

③請求の処理に関する協定
◆53
 日本政府は損害賠償の支払い義務を否定する一方、損害賠償請求権はいずれにしても、戦争終結直後に日本が諸外国と締結した平和条約の結果、解決または放棄されているとも反論している。大韓民国の国民については、一九六五年の日韓協定第二条(*)を根拠とする。この条文で両国は「協定締結当事国およびその国民(法人を含む)の所有財産、権利、権益に関わる諸問題、ならびに当事国およびその国民の間の請求権は、完全かつ最終的に解決された」と合意している(傍点筆者)。

* 〔「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との問の協定」〕

◆54
 他の諸国の国民についても同様に、日本政府は、一九五一年九月八日に、サンフランシスコで連合国との間で署名した講和条約によって、すべての請求権が解決されていると論じる。旧連合国への日本の損害賠償は、講和条約第一四条に極めて詳細に記載されている。第一四条はまた、この条約に記載されていないすべての請求権を放棄する条項を含んでいる。日本は、元「慰安婦」の請求権を退ける論拠をこの条約の放棄条項に求める。この放棄条項は以下のとおりである(第一四条〔b〕)。
「この条約に別段の定かある場合を除き、連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に目本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する」

◆55
 日本政府はこれらの条約を利用して責任を免れようとするが、それは以下の二点で成立しない。
(a)条約が作成された時点では、強かん収容所の設置への日本の直接関与は隠されていた。これは、日本が責任を免れるためにこれらの条約を援用しようとしても、正義衡平法の原則から許されないという、決定的な事実である。
(b)条約を素直に解釈すれば、人権法や人道法に反する日本軍の行為で被害をこうむった個人に、その損害賠償請求の道を閉ざすものではないことがわかる。

◆56
 これらの条約やその他の戦後条約が調印された時点では、日本政府は、「慰安婦」に対する恐るべき処遇に日本軍がどの範囲まで関与していたかを隠していた(82)。朝鮮、フィリピン、中国、インドネシアでは、戦時中に女性や少女たちが奴隷化され、強かんされたことは非常によく知られていたが、日本は戦後、日本軍が組織的に関与していたことを隠していた。これら強かん所ができたことについては、日本軍よりむしろ民間「業者」が疑われ、非難されることが多かった。

82 Parker and Chew (前注5)p.502参照.

◆57
 日本政府はこうした犯罪への関与を長期にわたって隠してきており、そのうえ法的責任を否定し続けてきた。したがって、戦後処理協定その他の諸条約は「慰安婦」に関連したあらゆる請求権を解決するものであったと日本政府が主張することは、不当である。条約調印国は、当時日本軍と直接関連すると見られていなかった行為に対する請求権まで含まれていると予見できたはずはない。

◆58
 一九六五年の「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」の内容を見れば、この条約が当事国間の「財産」請求問題の解決を目指した経済条約であり、人権問題に取り組んだものでないことは明白である(83)。この条約には「慰安婦」、強かん、性奴隷制その他、韓国の民間人に対する日本人の残虐行為への言及はない。どちらかといえばこの条約は、二国間の財産や商業関係への言及が多い。ところが実は、日本側の交渉当事者は条約交渉中に、日本人が韓国人に対して行ったいかなる残虐行為についても韓国に対して支払いの用意があると確約したという(84)

83 Tong Yu, "Reparations for former comfort women of World War Ⅱ", Harvard International Law Journal, vol.36, 1995, pp.528,535-536参照.
84 Hsu(前注23)p.118参照.

◆59
 しかも、韓国側代表が日本に示した請求の概要を見れば明らかなとおり、「この交渉には、戦争犯罪や、人道に対する罪、奴隷条約の違反、女性売買禁止条約の違反、さらに国際法の慣習的規範の違反に起因する個人の権利侵害に関する部分はまったくない」(85)。日本は、その一方で西側諸国に対しては文書ではっきりと謝罪し、個人の権利侵害への損害賠償支払いに同意しながら、韓国人に対しては同じことをしなかった(86)。したがって、日韓協定第二条で使用される「請求権」という用語は、このような事実が背景にあるという文脈で解釈しなくてはならない。日韓協定に基づいて日本が提供した資金は、明らかに経済復興を目的としたものであり、日本による残虐行為の個々の被害者に対する損害賠償のためのものではない。一九六五年の協定はすべてを包含するような文言を使用してはいるか、このように、二国間の経済請求権と財産請求権のみを消滅させたものであり、個人の請求権は消滅していない。したがって日本は、自己の行為に現在でも責任を負わねばならない(87)

85 国際法律家委員会(本文注48)参照.
86 Hsu(前注23)p.103~p.104参照.
87 Rarker and Chew (前注5)p.538, 国際法律家委員会(本文注48)p.164~p.165参照.

◆60
 前述のとおり(*)、一九五一年の講和条約第一四条(b)には、「連合国のすべての賠償請求権」と、戦時中「日本国およびその国民がとった行動から生じた連合国およびその国民の他の請求権」のすべてを放棄するとある(傍点筆者)。「賠償請求権」(**)と「他の請求権」(***)と、区別して表現しているところから、権利放棄のこの条項が連合国国民が特つ損害賠償請求権(†)には適用されないことがはっきりとわかる。この条項で放棄された賠償とは、連合国自身の賠償請求権である。またこの条項で放棄された連合国国民の請求権とは、賠償「以外の」請求権である。したがって、元「慰安婦」の損害賠償請求権は、この条約でいう請求権の範囲には含まれず、この放棄の対象外である。

* 〔第54項の引用を参照(P.113)〕
** the claims for "reparations"
*** "other claims"
† compensation

◆61
 さらに中国は一九五一年のサンフランシスコ講和条約調印国ではないが、この条約には、日本に対する中国の戦後の権利について言及がある。興味深いことに講和条約第二一条では、日本が支払うべき特定の補償を列挙した第一四条(b)に基づく利益を受ける権利が中国にあるとするが、中国が第一四条(b)の任意放棄の規定の適用を受けるとは特に記述されていない。この任意放棄条項が中国に適用されない以上、講和条約によって中国国民には日本に対する賠償請求権がないとする日本政府の主張に根拠はない。

◆62
 さらに、一九六五年の日韓協定の場合と同様に、一九五一年の条約締結当時、日本政府が慰安所の設置・監督・運営への日本軍の関与を明らかにしていない以上、公平と正義の観点から、日本が自己の責任を免れるためにこの条約を援用することは認められない(88)。これも衡平法の原則の一つであるが、ユス・コーゲンスが適用されるケースであり、こうした基本的な法に違反したと告発されている国家が技術的な法解釈に依拠して責任を免れようとすることを許してはならない。いずれにせよ強調すべきなのは、日本は、責任回避のために条約の文言だけに基づいて反論することをいつでも自発的にやめて、正義と公平の実現を目指す行動をとりうるということである。

88 Yu(前注83)p.535参照.

第3節 勧告
①刑事訴追を保証するための仕組みの必要性
◆63
 強かん収容所の設置に対する日本軍の関与は今や明らかである。こうした残虐行為にかかわった人たちを、国連人権高等弁務官は、日本その他の裁判管轄権内で訴追するように行動すべきである。国連は、「慰安所」に関与して生存している責任者を探し出し、訴追する義務を日本に完全に果たさせることと、同様に他の諸国が、日本以外の裁判管轄権内で加害者の逮捕と訴追を援助するため、あらゆる手段を講じることを保障する義務がある。したがって高等弁務官は、日本当局とともに、以下を実現するよう行動すべきである。
(a)第二次大戦中、日本の強かん所を設置し、支援し、利用した可能性のある個々の軍人、公務員、民間人に関する証拠を集める。
(b)被害者の面接調査を行う。
(c)日本の検察官に対し、提訴準備を促す。
(d)他の諸国の裁判管轄権内で加害者を特定し、逮捕し、訴追するため、それらの諸国や被害者組織と協力する。
(e)各国の裁判管轄権内でこのような訴追が可能になるような立法措置をとるよう、あらゆる形で各国を援助する。

②損害賠償を実現するための法的枠組みの必要性
◆64
 当小委員会は他の国連諸機関と同様に、一九九五年の「アジア女性基金」の創設を「歓迎」した。「アジア女性基金」は、日本政府がに一九九五年七月、「慰安婦」たちへの道義責任を感じて設置したもので、「慰安婦」たちのニーズに応えるNGO活動を支援し、生存している「慰安婦」たちへの「償い」金を民間から募金するための什組みとして機能することを目的とする(89)。しかしながら、「慰安婦」の悲劇の被害者である個々の女性に対して公式に法的賠償をするという日本政府の責任が、「アジア女性基金」で果たされるわけではない。というのは、日本政府にとって、「アジア女性基金」からの「償い」金支払いは、第二次大戦中に起こった犯罪についての法的責任を認めたものではないからである。

89 アジア女性基金(前注2)p.1.

◆65
 「アジア女性基金」がいかなる意味でも法的賠償にはあたらない以上、前述の損害賠償を支払うための新たな行政基金を、適切な資格のある外国代表も加えて設置しなければならない。その実現を目指して国連人権高等弁務官は、日本政府とともに、「慰安婦」に対して公式に金銭補償を提供できるような適切な補償計画を迅速につくるため、政策決定権を与えられた国内外の指導者からなる専門委員を任命すべきである。したがって、この新しい委員会の役割は次のようなものになろう(90)
(a)これまで似たような状況で支払われてきた損害賠償額を参照して、適切な損害賠償額を算出する。
(b)この基金の広報と被害者認定のため、効果的なシステムを確立する。
(c)「慰安婦」からの請求すべてに迅速に対処するため、行政審査機関を日本に設置する。
 しかも、「慰安婦」たちが高齢化しているので、これらの措置はできるかぎり早急にとるべきである。

90 国際法律家委員会(本文注48)参照.

③損害賠償額の妥当性
◆66
 損害賠償額の妥当性は、被害の重大さ、規模、反復性や、行われた犯罪が意図的であったか否か、社会の信頼を裏切った公務員の行為にどのくらいの犯罪性があったか、すでに経過した膨大な時間(そのため、救済が大幅に遅れたことによる心理的被害とともに、貨幣価値の下落による損失)などを考慮して決めるべきである。一般に損害賠償の対象となるのは、身体的、精神的な被害、苦痛や情緒不安、教育など機会の喪失、収入そのものや収入を得る能力の喪失、リハビリテーションのための医療費その他の応分な費用、名誉または尊厳への侵害、救済を得るために法律家や専門家の援助にかかる応分の費用など、経済的に算定可能なすべての被害である。これらの要素に基づいて、十分な金額の損害賠償が遅滞なく行われるべきである(91)。損害賠償額を決定するにあたって、このような虐待が将来繰り返されないような抑止力とすることも考慮に入れるべきである。

91 Parker and Chew (前注5)p.544~p.545参照.

④報告義務
◆67
 最後に、日本政府は、「慰安婦」を特定し、補償し、加害者を訴追する状況がどのくらい進んでいるかについての詳細な報告を、国連事務総長宛てに少なくとも年二回、提出するよう義務づけられるべきである。この報告書は、日本語とハングルでも準備され、日本国内外で、とりわけ「慰安婦」自身に対し、また彼女たちが現在居住する国で、広く配布されるべきである。

第7章 結論
◆68
 本報告書の結論として、日本政府は、人権法と人道法に対する重大な違反に責任があり、その違反は全体として人道に対する罪に相当する。ところが日本政府の主張はこれと反対であり、奴隷化と強かんを禁止している人道法を攻撃する主張までしているが、その主張は、初めてニュルンベルクの裁判に持ち出された五〇年前と同様、説得力がない。これに加えて日本政府は、第二次大戦にかかわるすべての請求は戦後の講和条約と賠償協定で解決ずみであるとするが、この主張も、同様に説得力がない。その理由の大部分は、日本政府がごく最近までこれら強かん所の設置・運営に対する日本軍の直接的関与を認めなかったためである。戦争直後、日本と他のアジア諸国との間で平和条約と賠償協定の交渉が進められていた時期に、日本政府はこの点に沈黙していた。したがって現在の日本が、こうしたケースの責任を否定するためにこれらの平和条約を根拠にすることは、法と正義の見地からして認められない。

◆69
 戦争終結から半世紀以上たってもこうした請求の問題が解決できていないことは、女性の生命がいまだにいかに過小評価されているかを示す証拠である。悲しいことに、第二次大戦中に犯された大規模な性的犯罪に対処できていないために、似た上うな犯罪が処罰のないまま今日まで重ねられてきた。日本政府は、第二次大戦中に「慰安所」で残虐行為を受けた二〇万人以上の女性や少女たちへの強かんと奴隷化について謝罪し、償うために、一定程度の措置はとってきた。しかし、日本政府が法的責任とそのような責任から生じるさまざまな結果を全面的にそして無条件に受け入れないかぎり、どんな対応もまったく不十分である。今や日本政府には、十分な救済のために不可欠な決定的措置をとる責任がある。

 

[出典] マクドゥーガル報告書 [戦後責任ドットコム]

 

※参考資料:解決編 4 国際社会の声 | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」